久しぶりに日本に行った。
5年ぶりの日本帰国である。
前回はコロナ前のことであり、父親に顔を見せるという目的があった。
その時はあまりあちこちに行かず、実家の静岡でほとんどの時間を過ごした。
その後でコロナ禍があり、世の中がいろいろと変わった。
自分のニュージーランドでの生活はブログに書いてある通りなのだが、コロナ禍の間に父親が死に、その財産整理やあれこれで帰ることになった。
昭和の頑固オヤジの典型のような父が死んだのはもう3年近く前になるが、死ぬ直前まで電話であれこれ話したし、痛みも苦しみもなく逝ったので大往生と言えよう。
実家の片付けや遺産整理が主な理由だが、もう一つ、娘が今年から八方尾根スキー場でスキーパトロールを始めたのでその現場も見てみようと思いついた。
ちょうど仕事も忙しい時期を終え、ポッカリと穴が空いたように3週間ぐらい何もなかった。
こういうのはタイミングであり、こういう時の決断は速い。
そんな具合で4月の頭に僕は日本へ降り立った。
日本へ帰るとなると、大騒ぎだ。
僕に会いたいという人が大勢いる。
家族親戚、古くからの友人、何回も来てくれたお客さん、昔の仕事仲間、新しくできた友達、仕事の後輩、弟子その他もろもろ。
人に会うだけでスケジュールが埋まっていく。
以前はそういう人があまりに多かったのでジャパンツアーをやった。
今回は時間も限られているのでエリアを絞って行動を決めた。
まずは実家のある静岡、そして娘のいる長野の白馬、白馬の先の北陸ぐらいをウロウロと回る。
北海道の知人友人からも当然連絡が来たが、スマン今回は行けん、と断った。
1週間ほど実家の片付けだの法的手続きうんぬんだのを済ませ、旅の空へ出たのは4月も半ばに差し掛かる頃だった。
実家のある清水から東海道線で沼津へ、そこから御殿場線で御殿場まで。
富士山を左手に見ながらぐるりと3分の1ぐらい周る。
それも車でなく電車での移動が旅情感を増す。
見知らぬ土地を旅する感覚は新鮮であり自分自身を活性化させる。
御殿場駅では弟分のリタローが迎えに来てくれた。
リタローは何年も前にクィーンズタウンで一緒に飲んだ仲であり、僕のことを兄さんと呼ぶ。
可愛い弟分も今では宿を経営し、子供も出来たから会いに来てくれ、静岡から長野へ行く途中に山梨へ是非寄ってくれということでヤツがいる山中湖に行くことになった。
御殿場から車で山中湖へ。
静岡では散り始めていた桜も御殿場あたりではまだ咲き始めで、さらに山に向かうと木々は冬の装いである。
まずは今晩のお宿だが、これがすごかった。
今はまだ工事中だが、いずれお客様用にする大きなモンゴル風のテントの前には富士山がどかーん。
1日1組限定の貸切キャンプサイトで、簡易サウナもある。
目の前に遮るものはなく、富士山を見ながら焚き火もできるのが売りだと言う。
すでに別棟の営業はしており、外国人観光客のお世話をテキパキするリタローの姿が微笑ましい。
機会がある人は是非とも行ってほしい。
https://inthemood.club/
自分も静岡の出で毎日富士山を見ながら子供時代を過ごしてきたが、それとはスケールが違う。
絶対的で圧倒的な存在感であり、確かに山岳信仰の対象になる山だ。
そうか、リタローはこういう場所で生まれ育ったのか。
人が住む環境が、その人の人格形成に及ぼす影響は絶対にあると思う。
温暖な気候の人はのんびりとするだろうし、雨が多い所の人は陰々滅々とした性格が多いと言う。
もちろん個人差は絶対にあるが、長い間そこに住む人々、例えばフィンランド人が無口であるとか、ラテン系の人が陽気というのはそういう現れだろう。
でっかい富士山を見ながら思ったことは、もしこの距離で噴火が起こったらそりゃあきらめるだろうなと。
なんかじたばた逃げてもどうしようもないだろう、というあきらめなのか吹っ切れる思いなのか。
そういう人知の想いの及ばないぐらいの存在感で、その奥にあるのは人間は自然をコントロールできないという当たり前だが今の社会では忘れられている自然崇拝の心だと思う。
山中湖にお昼に着き、友達のアキさんと久しぶりに会った。
アキさんは以前一緒に働いていた仲であり、今は山梨に住んでいるので午後を使って地元を案内してくれるという運びとなった。
このアキさんも面白い人で以前のブログで書いたので興味がある人はそれを読んでほしい。
蔵頭アキさん
お昼ご飯を食べながら互いの近況報告など話は尽きないが、いざドライブへ出発。
リタローもアキさんも口をそろえて言うのが、河口湖界隈はもうダメだと。
どうやらここもオーバーツーリズムの流れでひどいことになっているらしい。
地元の人たちが言う「もうダメ」とはどういう感じなのか、百聞は一見にしかず、そこを案内してもらおうか。
山中湖から河口湖へ向かう途中で鎮守の森が見えてきた。
近づくにつれどんどんそのパワーが強くなるのがはっきり感じられ、鳥居の前を車が通過する一瞬に見えた参道ではっきりとその存在を感じた。
北口本宮冨士浅間神社という神社で、富士山の周りにはいくつもの富士浅間神社があるが、北口本宮が社殿も立派だという。
なるほどな、どうりですごいパワーだ。
さらに車を走らせ河口湖へ。
富士急河口湖駅前を車で通過して、地元の人がもうダメだと嘆く意味が分かった。
観光客がそこらじゅうに溢れていて、どこもかしこも人の行列だし車は渋滞。
そもそもこれだけ大勢の人が訪れるように街が設計されていない。
街のインフラと来る人のバランスが崩れているのが原因である。
車から街を見ていると人でごった返している所にも普通の住宅はあり、ここに住んでいる人は迷惑をしているのだろうなと思った。
引っ越せる人は引っ越しているだろうが、諸々の諸事情で動けない人もいる。
観光客が増えてもその恩恵を受けない人もいる。
何が良い、なにが悪いという判断を簡単にするべきではないが、そういう状況だという事を理解するのは大切だ。
たぶん河口湖と同じ状況が日本中の観光地、いや世界でも起こっていることだろう。
噂のローソンの前を通り湖岸線に沿ってドライブをする。
折しも桜は満開であり、桜並木の向こうに河口湖が広がり、その先に富士山がどっかーんと居座る。
まさに海外からの観光客が求めるザ・ジャパンがそこにあった。
これは大勢の人が集まるのも仕方ないな。
だって綺麗だもの。
僕が見ても美しいと思う。
綺麗な景色を見たいという好奇心は誰でも持っている感情であり、なんぴとたりともそれを止めることはできない。
このオーバーツーリズムの流れはしばらくは止まらないだろうな。
河口湖の近くには、富士山と桜と五重塔という、誰もが見た事があるあの写真のお寺があるそうで、普段30分ぐらいかかる場所がこの時期には3時間ぐらいの行列になるという。
そんな時間の余裕は無いしそこまでして観光地を訪れたいわけでも無い。
河口湖、西湖とドライブをして富士の樹海に入り、道の駅で休憩。
そこでちょっとだけ、本当にさわりだけ遊歩道を歩いてみた。
富士の樹海と言うと、迷ったら出られないとか自殺をする人が多いとかそういうイメージがあるが、要は手付かずの原生林なのである。
火山岩の地表はびっしりと苔に覆われてその下には穴がボコボコと空いていてまっすぐには歩けない。
確かにこれは迷ったら抜け出せないだろうな。
でもそんなことより僕が感じたのは圧倒的な森の氣である。
ルートバーンなどニュージーランドの森を歩いている時に感じる原生林が持つ氣、あえて氣と書く。
それはおどろおどろしいものではなく、無数の生命が宿る、絶対に人間が作ることのできない森の命。
自分が知らないだけであって日本にも森はあるのだが、日本の場合は長い歴史があるので何かしら人の手が入っている場合が多いのだろう。
ニュージーランドと共通する原生林の氣を垣間見た。
同時に気づいたのは、神社がある鎮守の森が持つ氣とは全く異質のエネルギーであると。
エネルギーの質というものを強く実感した瞬間であり、そういう意味でも日本って凄いなと思うのだ。
この辺りまで来ると静岡の県境までもそう遠くない。この日の朝に地元清水を出てから富士山の周りを4分の3周ぐらいぐるりと周ったようような具合である。
山は見る角度で形を変えるが、富士山はどこから見ても円錐状の美しい山だ。
今回は富士五湖近辺の下調べを一切せずに、アキさんにガイドをしてもらったわけだが、地元の道を知り尽くしているだけあって実に効率よく、限られた時間内で色々と周ってもらった。
なんとなく自分にはこの旅のスタイルがあっているのではないかと思い始めた。
目的がありそこに向かうのも一つのスタイルだが、その地元に住む友人の声を聞き、彼らが僕のために連れて行ってくれる場所に行くというのが自分流の旅だろうな。
この後ニュージーランドに帰るまで、僕は行く先の下調べを一切せず、ただ友達が案内してくれる所、友達が僕に見せたいという所を流れに身を任せて見て回った。
夜はリタローと地元の居酒屋で飲んだ。
ニュージーランドの思い出話、コロナ禍の出来事、河口湖と山中湖の状況、富士山を軸とする自然体験ツアー、今のツーリズムとこれからの社会、話は尽きず久しぶりにじっくりと弟分とサシで話ができた。
酔ったついでにプロレタリア万歳の収録もやってしまった。
居酒屋で録音したから周りの音とか声がガヤガヤ入ってるが、これはこれで記録として取っておくのもこれまた一興。
プロレタリア万歳 リタロー編
快適なゲルでの一晩を過ごし、朝カーテンを開けるとまぎれもない存在感で富士山が居た。
朝日を浴びて神々しくそびえ立つ山。
自然と手を合わせ祈る気分になる。
僕が持っている信仰心とはこういうものなんだなぁ。
思い起こせば僕ら静岡人が見る富士山は西日が当たることはあっても、朝日を浴びる姿はない。
富士山の向こう側とこちら側ではこうも違うものだ。
たまにお国自慢で富士山をめぐり静岡側と山梨側で言い争うみたいなのがあるが、それこそナンセンスである。
そもそも誰のものなどという所有権の概念がアホらしい。
ぼんやりとそんなことを考えながら朝の贅沢な時間を過ごしていると、何やらもくもくと煙があがってきた。
そう言えばリタローが、年に一度の野焼きをすると言っていたが、このことだったのか。
今年はコロナも開けて大規模にやるそうで、あっというまに富士山は見えなくなってしまった。
朝のうちにちゃんと写真を撮っておいてよかったぁ。
野焼きで地元の仕事をしてきたリタローが帰ってきて出発。
この日は奥さんの誕生日だったそうで、娘と3人でディズニーランドに行くというので新宿まで乗せてもらう。
富士山の裾野から典型的な日本の田舎の景色を眺め、高速道路に乗ってしまえばあとは大都会東京までまっしぐら。
新宿で降ろしてもらい、リタロー家族ともここでお別れ。
僕は再び旅の空である。
続く
5年ぶりの日本帰国である。
前回はコロナ前のことであり、父親に顔を見せるという目的があった。
その時はあまりあちこちに行かず、実家の静岡でほとんどの時間を過ごした。
その後でコロナ禍があり、世の中がいろいろと変わった。
自分のニュージーランドでの生活はブログに書いてある通りなのだが、コロナ禍の間に父親が死に、その財産整理やあれこれで帰ることになった。
昭和の頑固オヤジの典型のような父が死んだのはもう3年近く前になるが、死ぬ直前まで電話であれこれ話したし、痛みも苦しみもなく逝ったので大往生と言えよう。
実家の片付けや遺産整理が主な理由だが、もう一つ、娘が今年から八方尾根スキー場でスキーパトロールを始めたのでその現場も見てみようと思いついた。
ちょうど仕事も忙しい時期を終え、ポッカリと穴が空いたように3週間ぐらい何もなかった。
こういうのはタイミングであり、こういう時の決断は速い。
そんな具合で4月の頭に僕は日本へ降り立った。
日本へ帰るとなると、大騒ぎだ。
僕に会いたいという人が大勢いる。
家族親戚、古くからの友人、何回も来てくれたお客さん、昔の仕事仲間、新しくできた友達、仕事の後輩、弟子その他もろもろ。
人に会うだけでスケジュールが埋まっていく。
以前はそういう人があまりに多かったのでジャパンツアーをやった。
今回は時間も限られているのでエリアを絞って行動を決めた。
まずは実家のある静岡、そして娘のいる長野の白馬、白馬の先の北陸ぐらいをウロウロと回る。
北海道の知人友人からも当然連絡が来たが、スマン今回は行けん、と断った。
1週間ほど実家の片付けだの法的手続きうんぬんだのを済ませ、旅の空へ出たのは4月も半ばに差し掛かる頃だった。
実家のある清水から東海道線で沼津へ、そこから御殿場線で御殿場まで。
富士山を左手に見ながらぐるりと3分の1ぐらい周る。
それも車でなく電車での移動が旅情感を増す。
見知らぬ土地を旅する感覚は新鮮であり自分自身を活性化させる。
御殿場駅では弟分のリタローが迎えに来てくれた。
リタローは何年も前にクィーンズタウンで一緒に飲んだ仲であり、僕のことを兄さんと呼ぶ。
可愛い弟分も今では宿を経営し、子供も出来たから会いに来てくれ、静岡から長野へ行く途中に山梨へ是非寄ってくれということでヤツがいる山中湖に行くことになった。
御殿場から車で山中湖へ。
静岡では散り始めていた桜も御殿場あたりではまだ咲き始めで、さらに山に向かうと木々は冬の装いである。
まずは今晩のお宿だが、これがすごかった。
今はまだ工事中だが、いずれお客様用にする大きなモンゴル風のテントの前には富士山がどかーん。
1日1組限定の貸切キャンプサイトで、簡易サウナもある。
目の前に遮るものはなく、富士山を見ながら焚き火もできるのが売りだと言う。
すでに別棟の営業はしており、外国人観光客のお世話をテキパキするリタローの姿が微笑ましい。
機会がある人は是非とも行ってほしい。
https://inthemood.club/
自分も静岡の出で毎日富士山を見ながら子供時代を過ごしてきたが、それとはスケールが違う。
絶対的で圧倒的な存在感であり、確かに山岳信仰の対象になる山だ。
そうか、リタローはこういう場所で生まれ育ったのか。
人が住む環境が、その人の人格形成に及ぼす影響は絶対にあると思う。
温暖な気候の人はのんびりとするだろうし、雨が多い所の人は陰々滅々とした性格が多いと言う。
もちろん個人差は絶対にあるが、長い間そこに住む人々、例えばフィンランド人が無口であるとか、ラテン系の人が陽気というのはそういう現れだろう。
でっかい富士山を見ながら思ったことは、もしこの距離で噴火が起こったらそりゃあきらめるだろうなと。
なんかじたばた逃げてもどうしようもないだろう、というあきらめなのか吹っ切れる思いなのか。
そういう人知の想いの及ばないぐらいの存在感で、その奥にあるのは人間は自然をコントロールできないという当たり前だが今の社会では忘れられている自然崇拝の心だと思う。
山中湖にお昼に着き、友達のアキさんと久しぶりに会った。
アキさんは以前一緒に働いていた仲であり、今は山梨に住んでいるので午後を使って地元を案内してくれるという運びとなった。
このアキさんも面白い人で以前のブログで書いたので興味がある人はそれを読んでほしい。
蔵頭アキさん
お昼ご飯を食べながら互いの近況報告など話は尽きないが、いざドライブへ出発。
リタローもアキさんも口をそろえて言うのが、河口湖界隈はもうダメだと。
どうやらここもオーバーツーリズムの流れでひどいことになっているらしい。
地元の人たちが言う「もうダメ」とはどういう感じなのか、百聞は一見にしかず、そこを案内してもらおうか。
山中湖から河口湖へ向かう途中で鎮守の森が見えてきた。
近づくにつれどんどんそのパワーが強くなるのがはっきり感じられ、鳥居の前を車が通過する一瞬に見えた参道ではっきりとその存在を感じた。
北口本宮冨士浅間神社という神社で、富士山の周りにはいくつもの富士浅間神社があるが、北口本宮が社殿も立派だという。
なるほどな、どうりですごいパワーだ。
さらに車を走らせ河口湖へ。
富士急河口湖駅前を車で通過して、地元の人がもうダメだと嘆く意味が分かった。
観光客がそこらじゅうに溢れていて、どこもかしこも人の行列だし車は渋滞。
そもそもこれだけ大勢の人が訪れるように街が設計されていない。
街のインフラと来る人のバランスが崩れているのが原因である。
車から街を見ていると人でごった返している所にも普通の住宅はあり、ここに住んでいる人は迷惑をしているのだろうなと思った。
引っ越せる人は引っ越しているだろうが、諸々の諸事情で動けない人もいる。
観光客が増えてもその恩恵を受けない人もいる。
何が良い、なにが悪いという判断を簡単にするべきではないが、そういう状況だという事を理解するのは大切だ。
たぶん河口湖と同じ状況が日本中の観光地、いや世界でも起こっていることだろう。
噂のローソンの前を通り湖岸線に沿ってドライブをする。
折しも桜は満開であり、桜並木の向こうに河口湖が広がり、その先に富士山がどっかーんと居座る。
まさに海外からの観光客が求めるザ・ジャパンがそこにあった。
これは大勢の人が集まるのも仕方ないな。
だって綺麗だもの。
僕が見ても美しいと思う。
綺麗な景色を見たいという好奇心は誰でも持っている感情であり、なんぴとたりともそれを止めることはできない。
このオーバーツーリズムの流れはしばらくは止まらないだろうな。
河口湖の近くには、富士山と桜と五重塔という、誰もが見た事があるあの写真のお寺があるそうで、普段30分ぐらいかかる場所がこの時期には3時間ぐらいの行列になるという。
そんな時間の余裕は無いしそこまでして観光地を訪れたいわけでも無い。
河口湖、西湖とドライブをして富士の樹海に入り、道の駅で休憩。
そこでちょっとだけ、本当にさわりだけ遊歩道を歩いてみた。
富士の樹海と言うと、迷ったら出られないとか自殺をする人が多いとかそういうイメージがあるが、要は手付かずの原生林なのである。
火山岩の地表はびっしりと苔に覆われてその下には穴がボコボコと空いていてまっすぐには歩けない。
確かにこれは迷ったら抜け出せないだろうな。
でもそんなことより僕が感じたのは圧倒的な森の氣である。
ルートバーンなどニュージーランドの森を歩いている時に感じる原生林が持つ氣、あえて氣と書く。
それはおどろおどろしいものではなく、無数の生命が宿る、絶対に人間が作ることのできない森の命。
自分が知らないだけであって日本にも森はあるのだが、日本の場合は長い歴史があるので何かしら人の手が入っている場合が多いのだろう。
ニュージーランドと共通する原生林の氣を垣間見た。
同時に気づいたのは、神社がある鎮守の森が持つ氣とは全く異質のエネルギーであると。
エネルギーの質というものを強く実感した瞬間であり、そういう意味でも日本って凄いなと思うのだ。
この辺りまで来ると静岡の県境までもそう遠くない。この日の朝に地元清水を出てから富士山の周りを4分の3周ぐらいぐるりと周ったようような具合である。
山は見る角度で形を変えるが、富士山はどこから見ても円錐状の美しい山だ。
今回は富士五湖近辺の下調べを一切せずに、アキさんにガイドをしてもらったわけだが、地元の道を知り尽くしているだけあって実に効率よく、限られた時間内で色々と周ってもらった。
なんとなく自分にはこの旅のスタイルがあっているのではないかと思い始めた。
目的がありそこに向かうのも一つのスタイルだが、その地元に住む友人の声を聞き、彼らが僕のために連れて行ってくれる場所に行くというのが自分流の旅だろうな。
この後ニュージーランドに帰るまで、僕は行く先の下調べを一切せず、ただ友達が案内してくれる所、友達が僕に見せたいという所を流れに身を任せて見て回った。
夜はリタローと地元の居酒屋で飲んだ。
ニュージーランドの思い出話、コロナ禍の出来事、河口湖と山中湖の状況、富士山を軸とする自然体験ツアー、今のツーリズムとこれからの社会、話は尽きず久しぶりにじっくりと弟分とサシで話ができた。
酔ったついでにプロレタリア万歳の収録もやってしまった。
居酒屋で録音したから周りの音とか声がガヤガヤ入ってるが、これはこれで記録として取っておくのもこれまた一興。
プロレタリア万歳 リタロー編
快適なゲルでの一晩を過ごし、朝カーテンを開けるとまぎれもない存在感で富士山が居た。
朝日を浴びて神々しくそびえ立つ山。
自然と手を合わせ祈る気分になる。
僕が持っている信仰心とはこういうものなんだなぁ。
思い起こせば僕ら静岡人が見る富士山は西日が当たることはあっても、朝日を浴びる姿はない。
富士山の向こう側とこちら側ではこうも違うものだ。
たまにお国自慢で富士山をめぐり静岡側と山梨側で言い争うみたいなのがあるが、それこそナンセンスである。
そもそも誰のものなどという所有権の概念がアホらしい。
ぼんやりとそんなことを考えながら朝の贅沢な時間を過ごしていると、何やらもくもくと煙があがってきた。
そう言えばリタローが、年に一度の野焼きをすると言っていたが、このことだったのか。
今年はコロナも開けて大規模にやるそうで、あっというまに富士山は見えなくなってしまった。
朝のうちにちゃんと写真を撮っておいてよかったぁ。
野焼きで地元の仕事をしてきたリタローが帰ってきて出発。
この日は奥さんの誕生日だったそうで、娘と3人でディズニーランドに行くというので新宿まで乗せてもらう。
富士山の裾野から典型的な日本の田舎の景色を眺め、高速道路に乗ってしまえばあとは大都会東京までまっしぐら。
新宿で降ろしてもらい、リタロー家族ともここでお別れ。
僕は再び旅の空である。
続く