彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

黒門橋

2006年06月01日 | 彦根城
黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっています。

橋というのは、川などを渡るために開発された物(と態々書くほどの物ではないですが…)です。

しかし、城では少し意味合いが変わってきます。
城は、その防御力を高める為に幾つものエリア(曲輪)に分かれていて、その間は堀や壁で区切られていました。

堀を渡る時は当然、その間を繋ぐ橋が必要になったのです。

城に架ける橋は主に2種類に分けられます。
木橋と土橋

木橋は、敵に攻め込まれた時に簡単に落とす事ができますが、逆に敵からも簡単に落とされてしまい、兵糧攻めの様な物資運搬を止められる攻撃をを受け易くなります。
また、一度に運べる物資の量も少なくなってしまうので、不便な所もあったのです。

ちなみに、臨時の時に移動させられる引き橋(橋の下の部分がそろばんの様になっていて手動で橋を架けたり引いたりできる)や西洋の城門に見られるような釣り上げ形の橋も木橋が主流で、工夫をし易い橋でもあったのです。

逆に、物資の輸送力を高める為には堀を埋める土橋が用いられました。
土橋には、掘りに張ってある水の水位を変えたり、水堀と空堀を区切ったりするのにも使われたのでした。

余談ですが、今の黒門橋は土橋ですが、以前は木橋でした。
江戸期の彦根城は黒門橋が内堀と(琵琶湖から繋がっている)松原内湖の区切りの役割を果たしていて、内堀の水は松原内湖から引いていたのでここを土橋にする必要性が無かったのです。
コメント
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