2005年11月5日に再現して振舞われた『大名の日常食』。
文久3(1863)年10月7日の朝に、彦根藩14代藩主・井伊直憲(直弼の子ども)が食べた物だそうです。
文久3年といえば、新撰組がやっと京で活動をし始めた頃で、彦根藩では前の年に政変が起って、直弼の懐刀だった長野主膳と宇津木六之丞が斬首され、家老で勤皇派の岡本半介の指揮の元で生まれ変わろうとしている時期でした。
桜田門外の変の影響で石高も減らされて、藩としても窮乏していたと考えられます。
そんな時期の藩主の朝食は
今出川豆腐・漉し薩摩芋かけ
汁は白玉と牛蒡の味噌汁
そして、醒ヶ井餅
だったようです(写真参照)
これにご飯とお漬物が付くのが普通の食事でした。
大名といえども、一汁一菜を基本とした質素な物だったんですね。
手元の資料(彦根城博物館発行)によれば、魚や豆腐は毎日食膳に上がり、季節ごとの風習は大切にしていたそうです。
また、各地からの贈答品も食卓を飾ったそうですよ。
ちなみに、白玉と牛蒡の味噌汁は彦根の伝統なんだそうですが、管理人はこの時初めて知りました。
文久3(1863)年10月7日の朝に、彦根藩14代藩主・井伊直憲(直弼の子ども)が食べた物だそうです。
文久3年といえば、新撰組がやっと京で活動をし始めた頃で、彦根藩では前の年に政変が起って、直弼の懐刀だった長野主膳と宇津木六之丞が斬首され、家老で勤皇派の岡本半介の指揮の元で生まれ変わろうとしている時期でした。
桜田門外の変の影響で石高も減らされて、藩としても窮乏していたと考えられます。
そんな時期の藩主の朝食は
今出川豆腐・漉し薩摩芋かけ
汁は白玉と牛蒡の味噌汁
そして、醒ヶ井餅
だったようです(写真参照)
これにご飯とお漬物が付くのが普通の食事でした。
大名といえども、一汁一菜を基本とした質素な物だったんですね。
手元の資料(彦根城博物館発行)によれば、魚や豆腐は毎日食膳に上がり、季節ごとの風習は大切にしていたそうです。
また、各地からの贈答品も食卓を飾ったそうですよ。
ちなみに、白玉と牛蒡の味噌汁は彦根の伝統なんだそうですが、管理人はこの時初めて知りました。