『日本書紀』に記された人工池“磐余池(いわれいけ)”に使われたと思われる堤防の跡が発見されたとのことでしたので、現地見学に行くことにしました。
場所は、天香具山の麓になります。
天香具山といえば、すぐ近くには藤原京跡もありますので、ちょっと寄り道しました。
史跡を残すために広い敷地が使われているのも、歴史が奥深い奈良県ならではかもしれません。
そして藤原京から天香具山を越えたところが、今回の見学場所である磐余池です。
今は田畑が広がっていますが、飛鳥時代にはここに大きな人工池がありました。
人口池は、堤防を造って水を堰き止める必要があります、そしてその磐余池の堤防に所に聖徳太子の父親である用明天皇が宮殿を設けた記述もあるのです。
今回の発掘では、堤防の跡と掘立柱の塀に囲まれた大きな壁の建物跡も見つかっています。
・深さ3.2mの堤防跡
・掘立柱の跡(杭は、観た人がわかり易いように立てておられたもの)
・大壁建物跡
磐余池は、大津皇子の辞世の句「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ」にも登場する場所ですので、今回の発見は、聖徳太子以前の歴史と太子よりあとの『万葉集』の時代を垣間見る大きな手掛かりになるようです。
今回は。現地説明ではなく見学会だったので、専門的なお話を聞くことはありませんでしたが、今後の成果も楽しみですよね。
場所は、天香具山の麓になります。
天香具山といえば、すぐ近くには藤原京跡もありますので、ちょっと寄り道しました。
史跡を残すために広い敷地が使われているのも、歴史が奥深い奈良県ならではかもしれません。
そして藤原京から天香具山を越えたところが、今回の見学場所である磐余池です。
今は田畑が広がっていますが、飛鳥時代にはここに大きな人工池がありました。
人口池は、堤防を造って水を堰き止める必要があります、そしてその磐余池の堤防に所に聖徳太子の父親である用明天皇が宮殿を設けた記述もあるのです。
今回の発掘では、堤防の跡と掘立柱の塀に囲まれた大きな壁の建物跡も見つかっています。
・深さ3.2mの堤防跡
・掘立柱の跡(杭は、観た人がわかり易いように立てておられたもの)
・大壁建物跡
磐余池は、大津皇子の辞世の句「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ」にも登場する場所ですので、今回の発見は、聖徳太子以前の歴史と太子よりあとの『万葉集』の時代を垣間見る大きな手掛かりになるようです。
今回は。現地説明ではなく見学会だったので、専門的なお話を聞くことはありませんでしたが、今後の成果も楽しみですよね。