新聞発表で一辺50m超えの方墳である可能性が出てきた小山田遺跡の見学に行ってきました。
場所は、奈良県立明日香擁護学校の敷地内です。

この入り口から、蘇我氏の邸宅跡といわれている甘樫丘はすぐそこです。

むしろ同じ区域に入っていると言ってもいいくらいです。

予定より1時間早く始まった現地説明会。

発掘区域の説明

昭和23年の航空写真を見ると発掘地が甘樫丘の一角であることがよくわかります。

また、今回の発掘地の全体写真も見せてくれました。

そして予想図

さて、今回の発掘成果は、まずは巨大な方墳の堀遺構が出たこと、そこには丁寧な敷石、高い部分で11石の1m近い高さになる貼石が出たこと、そして墓側の部分には板石積が出たことです。

特に板石の遺構は、舒明天皇陵と言われている段ノ塚古墳にしか例がないために、もしかしたら舒明天皇の初葬陵ではないかとの話も出てきています。

しかし、ここは甘樫丘と蘇我入鹿の墓と言われている菖蒲池古墳の間にある為に、蘇我氏と対立した舒明天皇の御陵を造るはずばなく、入鹿の父の蘇我蝦夷の墓ではないかとの説も浮上しています。
今回の説明では、そこは触れないようにとのことでしたので、まだまだ謎が残っていますね。
発掘された板石

板石の使用

南より堀を見る

貼石上辺

発掘現場

墓があったと思われる場所は今は建物が建っています
場所は、奈良県立明日香擁護学校の敷地内です。

この入り口から、蘇我氏の邸宅跡といわれている甘樫丘はすぐそこです。

むしろ同じ区域に入っていると言ってもいいくらいです。

予定より1時間早く始まった現地説明会。

発掘区域の説明

昭和23年の航空写真を見ると発掘地が甘樫丘の一角であることがよくわかります。

また、今回の発掘地の全体写真も見せてくれました。

そして予想図

さて、今回の発掘成果は、まずは巨大な方墳の堀遺構が出たこと、そこには丁寧な敷石、高い部分で11石の1m近い高さになる貼石が出たこと、そして墓側の部分には板石積が出たことです。

特に板石の遺構は、舒明天皇陵と言われている段ノ塚古墳にしか例がないために、もしかしたら舒明天皇の初葬陵ではないかとの話も出てきています。

しかし、ここは甘樫丘と蘇我入鹿の墓と言われている菖蒲池古墳の間にある為に、蘇我氏と対立した舒明天皇の御陵を造るはずばなく、入鹿の父の蘇我蝦夷の墓ではないかとの説も浮上しています。
今回の説明では、そこは触れないようにとのことでしたので、まだまだ謎が残っていますね。
発掘された板石

板石の使用

南より堀を見る

貼石上辺

発掘現場

墓があったと思われる場所は今は建物が建っています
