彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

十九首塚

2016年04月23日 | 史跡
掛川市の掛川城の城下町には、平将門とその家臣の十九人の首を埋めたとされている十九首塚があります。

平将門の乱で首を討ち取った藤原秀郷は、十九の首を持って都に凱旋する途中、この地で都からの勅使に出会いその場で首を洗って首実検を行ったのです。
勅使はそのまま首を捨てるように命じたのですが、秀郷はこれを憐れんで丁寧に葬ったとのことでした。
それが天慶3年(939)8月15日の出来事だったので、今でも8月15日にここでは例祭が行われているそうです。




しかし、この地は井伊直親が暗殺された地であるとの話も残っています。
松平元康(徳川家康)に内通していると疑われた井伊直親は、今川氏真に駿府まで呼び出されます。
その道中で、氏真の命を受けた掛川城主・朝比奈泰朝によってこの地で襲われ斬首されたのです。永禄5年(1562)12月14日のことでした。

私見としては、江戸時代に入り直親の孫の井伊直勝とその子の直好が掛川藩主として掛川を治めたときに直親が殺害された地を霊域として守るため、当時の怨霊の代表であった将門伝説を流布してうかつに手を付けられないようにしたのではないでしょうか?
掛川は井伊家にとってあまりよくない地であるようで、直親暗殺以外にも、直勝系井伊家の井伊直朝が改易となった地でもあるのです。


・所在地 静岡県掛川市十九首
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