井伊直虎の母方の伯父である新野左馬助のお墓が彦根の龍潭寺にあります。
新野家は井伊直弼の兄によって江戸後期に家名が再興した家で、この時の当主である新野親良が新野家の名将である左馬助親矩の戒名が刻まれた墓を建立し、新野家の墓所としたのです。
そんな左馬助は、永禄7年(1564)9月15日に遠江国の東海道にある安間橋で討死しました。
前年の9月18日、井伊直虎の曽祖父である直平が引馬城(現・浜松城辺り)の城主飯尾連龍の室であるお田鶴に毒を盛られて亡くなり、井伊家は家を継げる成人男性が居なくなったのです。
そんな井伊家を後見していたのが、新野左馬助と中野直由でした。
直平を毒殺した飯尾連龍は、今川氏真からの離反を表明、怒った氏真は井伊家に引馬城討伐を命じて、この戦いで左馬助も直由も討死してしまい、井伊直虎が井伊家当主となるのです(直虎の当主になる時期には諸説あり)
と、いう訳で9月10日に彦根の龍潭寺、9月17日に御前崎市で命日法要が行われることになりました。
龍潭寺では、本堂において左馬助や直虎、直虎の両親など関わった方々のご供養も行われました。
その後、お墓に移動。
佐和山城跡への登城ルートに幟旗が立ちました。
この奥に左馬助のお墓があります。
ここでもご供養の読経が行われ、無事に彦根での命日法要が終わりました。
井伊直政
高瀬姫
新野左馬助
と、彦根にお墓がある井伊直虎に関わる方々の命日法要を終え、井伊直虎市民応援隊は、新たな心持ちで来年に備えたいと思っています。
関連地 彦根市 龍潭寺
新野家は井伊直弼の兄によって江戸後期に家名が再興した家で、この時の当主である新野親良が新野家の名将である左馬助親矩の戒名が刻まれた墓を建立し、新野家の墓所としたのです。
そんな左馬助は、永禄7年(1564)9月15日に遠江国の東海道にある安間橋で討死しました。
前年の9月18日、井伊直虎の曽祖父である直平が引馬城(現・浜松城辺り)の城主飯尾連龍の室であるお田鶴に毒を盛られて亡くなり、井伊家は家を継げる成人男性が居なくなったのです。
そんな井伊家を後見していたのが、新野左馬助と中野直由でした。
直平を毒殺した飯尾連龍は、今川氏真からの離反を表明、怒った氏真は井伊家に引馬城討伐を命じて、この戦いで左馬助も直由も討死してしまい、井伊直虎が井伊家当主となるのです(直虎の当主になる時期には諸説あり)
と、いう訳で9月10日に彦根の龍潭寺、9月17日に御前崎市で命日法要が行われることになりました。
龍潭寺では、本堂において左馬助や直虎、直虎の両親など関わった方々のご供養も行われました。
その後、お墓に移動。
佐和山城跡への登城ルートに幟旗が立ちました。
この奥に左馬助のお墓があります。
ここでもご供養の読経が行われ、無事に彦根での命日法要が終わりました。
井伊直政
高瀬姫
新野左馬助
と、彦根にお墓がある井伊直虎に関わる方々の命日法要を終え、井伊直虎市民応援隊は、新たな心持ちで来年に備えたいと思っています。
関連地 彦根市 龍潭寺