元亀3年(1572)10月13日、遠江国一言坂で徳川軍の本多忠勝と、武田軍の山県昌景が戦いました。
三方ヶ原の戦いの前哨戦の一つでもある戦いで、二俣城での戦いに敗れた徳川家康が天竜川の東である一言坂に本多忠勝ら3000の兵を抑えとして派兵します。
しかし坂の上にはすでに山県昌景5000が陣取っていて、忠勝は家康が逃げるまでの間に坂の下で上からの敵を防ぐという難しい戦いを強いられるのです。
しかも、本多軍の後方に小杉左近を進ませて鉄砲を撃たせ挟み撃ちにするという武田軍必勝の策が実行されました。
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陣も安定せず、地形や人数も不利だった忠勝でしたが後方の小杉隊に突っ込むことで死地を脱したのです。
このときに小杉は道を開けさせて、忠勝は感謝の言葉を述べて去っていったのでした。
この戦いの後、小杉左近は
「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」
との落首を書き、本多忠勝の武勇を賞したのです。
現在は国道一号線が通り道が整備されていますが、それでも浜松市から磐田市への移動で一言坂の落差がよくわかります。
磐田警察署の少し西に古戦場跡があり、ここに立つと落差が顕著です。
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一言坂から1キロほど西へ向かうと、徳川家康が提灯の光で武田軍をだまして打ち取ったという伝承がある挑燈野という場所があります。
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三方ヶ原の後の犀ヶ崖でも同じような伝承がありますが、これらは家康がただ負けただけではないとの神君伝説の一つなのかもしれませんね。
・所在地 静岡県磐田市(国道一号線沿い)
三方ヶ原の戦いの前哨戦の一つでもある戦いで、二俣城での戦いに敗れた徳川家康が天竜川の東である一言坂に本多忠勝ら3000の兵を抑えとして派兵します。
しかし坂の上にはすでに山県昌景5000が陣取っていて、忠勝は家康が逃げるまでの間に坂の下で上からの敵を防ぐという難しい戦いを強いられるのです。
しかも、本多軍の後方に小杉左近を進ませて鉄砲を撃たせ挟み撃ちにするという武田軍必勝の策が実行されました。
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陣も安定せず、地形や人数も不利だった忠勝でしたが後方の小杉隊に突っ込むことで死地を脱したのです。
このときに小杉は道を開けさせて、忠勝は感謝の言葉を述べて去っていったのでした。
この戦いの後、小杉左近は
「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」
との落首を書き、本多忠勝の武勇を賞したのです。
現在は国道一号線が通り道が整備されていますが、それでも浜松市から磐田市への移動で一言坂の落差がよくわかります。
磐田警察署の少し西に古戦場跡があり、ここに立つと落差が顕著です。
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一言坂から1キロほど西へ向かうと、徳川家康が提灯の光で武田軍をだまして打ち取ったという伝承がある挑燈野という場所があります。
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三方ヶ原の後の犀ヶ崖でも同じような伝承がありますが、これらは家康がただ負けただけではないとの神君伝説の一つなのかもしれませんね。
・所在地 静岡県磐田市(国道一号線沿い)