彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

高宮宿から多賀大社

2021年04月22日 | 史跡

高宮宿に宿泊した旅人は、多賀大社に参拝してまた高宮宿で一泊してから旅を続けた。


との話を聞いた事がありましたので高宮宿から多賀大社まで歩いてみました。


高宮にある鳥居から出発




所々にある常夜灯が道標とのこと



絵馬通りから多賀大社到着





ここまで個人的データで1時間弱5,200歩くらいでした。


そして、実は昔は参詣道が違ったという話を聞きましたので帰りに通りました。


高宮宿から説明すると、

高宮宿の脇本陣前の道を入り


高宮寺前を通り

高宮小学校前から学校脇の堀跡を通る道を進む



公民館前からまっすぐ道なりに多賀へ向かいます。





ヤマト精工やキリンビールの敷地は通る事ができませんから、ここは廻り道します。



そして、飯盛木の前を通って、絵馬通りに合流したのではとのことでした。



確かにこの方が飯盛木を通るなど納得できるルートではあります。

ただ、高宮宿で本陣近くを不特定多数の旅人がウロウロすることを問題視したとなると、ある程度早い段階で今使っているルートに変更された可能性は高いかもしれません。
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新作狂言『光秀』

2021年04月22日 | イベント

多賀大社古例大祭のイベントの一つとして能舞台で披露された新作狂言『光秀』を観てきました。



まずは、面を着けた光秀の霊がご挨拶。



狂言の世界では背面の松の下にいる人物は見えない存在とのことで光秀はその場に移動。

続いて、光秀の子孫が当時し周囲から光秀近江生誕説を訊かれるから近江に調べに行くとのこと。

多賀大社で光秀発行の禁制を観て、


禁制(資料)

佐目で見津氏から話を聞く。

そして、子孫が悟ったことに光秀が喜ぶ。



との話でした。


大河ドラマをきっかけに注目された光秀近江出身説をひとつの文化として残すことは、民間伝承を伝える形として日本古来の方法だと思います。

今後、佐目でどう残って行くのか注目です。

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