
豊臣秀吉の小田原征伐の時に自害した北条氏政・氏照の墓所に寄りました。



最近古文書の勉強の教材で秀吉の手紙があり「申刻北条氏政同陸奥守刎首差上候…」の文章を見たばかりがでしたので小田原に行った時に寄ってみました。

小田原駅近くの夜に人が集まりそうな街の中にひっそりとあります。




中央二基の右が氏政の墓、左が氏照の墓、氏政の墓の右隣には氏政夫人の墓
中央二基の前にある巨石は、氏政と氏照がこの石の上で切腹したといわれている「生害石」です。

氏政夫人は、武田信玄の娘黄梅院と解釈して良いのか?とちょっと悩んでいますが、以前は信玄の駿河侵攻で黄梅院は離縁して甲斐に返されたという説が定説だったものが、最近は黄梅院は亡くなるまで小田原城にいたとの説もありますので、後者の説ならばこの地にある墓が黄梅院である可能性は高くなりそうです。