島根県で有名な神社といえば、多くの人が「出雲大社」と即座に答えるであろう。
だが、「出雲大社」は 正確に言うと島根の「出雲国の一宮」なのだ。
島根県は、明治になるまでは「出雲、石見、隠岐」の3つの地域に分かれていた。
今回、紹介する「物部神社」は「石見国の一宮」だ。
場所は大田市にある。
「石見国一宮・物部神社」
古来より
文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきた。
最初に
御祭神の「宇摩志麻遅命」が、鎮魂祈祷を行った言い伝えから、
神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られている。
また
「戦国時代」には
「石見銀山争奪戦の舞台」ともなり、
「大内氏・毛利氏」の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願
さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為された。
現在では、
鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、
全ての祈願依頼に対応している。
「物部神社」の社殿創建について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初は神体山である八百山を崇めていた。
後に、天皇の勅命により継体天皇八年(513年)社殿を創建し、
その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失した。
宝暦三年(1753年)再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、
安政三年(1856年)宝暦時の規模で改修され現在に至っている。
(現在は県指定文化財の建物)
★春日造では全国一の規模の神社★
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作家の「司馬遼太郎」は、この神社を訪れていた。
(司馬遼太郎を紹介した本に、彼が「物部神社」に行った写真ほか記述されていた)
だが、「出雲大社」は 正確に言うと島根の「出雲国の一宮」なのだ。
島根県は、明治になるまでは「出雲、石見、隠岐」の3つの地域に分かれていた。
今回、紹介する「物部神社」は「石見国の一宮」だ。
場所は大田市にある。
「石見国一宮・物部神社」
古来より
文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきた。
最初に
御祭神の「宇摩志麻遅命」が、鎮魂祈祷を行った言い伝えから、
神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られている。
また
「戦国時代」には
「石見銀山争奪戦の舞台」ともなり、
「大内氏・毛利氏」の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願
さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為された。
現在では、
鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、
全ての祈願依頼に対応している。
「物部神社」の社殿創建について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初は神体山である八百山を崇めていた。
後に、天皇の勅命により継体天皇八年(513年)社殿を創建し、
その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失した。
宝暦三年(1753年)再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、
安政三年(1856年)宝暦時の規模で改修され現在に至っている。
(現在は県指定文化財の建物)
★春日造では全国一の規模の神社★
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作家の「司馬遼太郎」は、この神社を訪れていた。
(司馬遼太郎を紹介した本に、彼が「物部神社」に行った写真ほか記述されていた)
こんなに立派な 神社があったのですね
春日づくりと言われるのでしょぅか・・
奈良の春日大社・・の作り・・???
威風堂々・・立派ですね
風格があります。
機会があればお参りさせていただきます。
彼岸花は
岡山県の美作市がほとんどです
(美作中心部から同 大原インターに向かう途中)
畔に咲いていたのを
下から狙ったのは鳥取市内です。
(鹿野町に行く途中でした・ただし行く価値はないです)
彼岸花群生地・鳥取で
ネット検索したら教えてくれると思いますよ。
wingtom2さん へ
(連名でお返事してすみません)
私も石見地方の出身なのですが(石見のもっと西部の出)結婚するまで、この神社の存在を全く知りませんでした。
実は夫の実家が、この神社のほぼ境内?と思うくらい近い所にあります。この神社の裏の原生林(八百山)は夫の実家の裏山?と思うほどの場所です。
私はこの神社で結婚式をあげ、長男のお宮参りもこの神社で行いました。数年前の義父の葬儀も、この神社の祖霊社で行いました。
夫は幼少の頃から中学生くらいまで、ほぼ毎日、神社の境内で遊んでました。野球遊びをしたり、神社の裏の八百山(原生林)のぶっとい蔦でターザンごっこをしたり、恐ろしく?自然豊かな場所です。
そんなで、私の子どもたちも生まれた時~小学校4年生までは、毎年、夏休みに1週間~長くて20日くらい帰省し、この自然環境の中で同年の従妹たちと遊ばせていました。とっても大切な場所なのです。
そのころまでは樹齢何百年?の大きな松の木がどっさりあり、「森アオガエル」が卵を落とす木も小さい池も、子どもたちが相撲をとれる土俵もあったのですが・・
ここ最近(この写真の2009年~2011年~)は、
境内の整備が進み?
「森あおがえる」が卵を産む小さい池は埋め立てられてなくなり(当然、森アオガエルは住処を失い、いなくなり)樹齢何百年の巨木の松は、かなり風化が進んでいたので(危険だということで)ほとんど?切られてしまい・・
昔のほうが一層、素朴な神社の境内でした。
でも神社は昔のままですし、
そうそう、八百山(裏の原生林)も昔のままですね。
境内が整備され、駐車場が広くなり、たくさんの車が停まれるようになったのは、いいことかもしれませんね。
同じテンプレートで我慢だなんて全然そんなの気にしません。
それと師匠だなんて止めてください。
今度、記事の貼り付けの方法を教えてください
このフェリーのことは知りませんでした
5.6年前、倉敷から新潟で一泊して青森まで向かったことがあります。
帰りは喜多方で一泊(行きたかったところ)
朝ラーを食べてから倉敷に向かいました。
夕方には帰宅してました。
気をつけて行ってください。
敦賀からは月曜日に一便だけ、
また新潟から敦賀は日曜日に一便だけ・・
九州行きのフェリーなどは毎日出ていますが・・
北陸~新潟は利用者が少ないのでしょうか?
北陸自動車道が出来たからかな??
前日に「敦賀」に行くので、少しでも「敦賀」の町が見学できたらいいのですが・・どうなるかわかりません