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郷里の神社

2024-11-04 | 神社・寺

2日間の草刈り後、今回、初めて、同じ川向こうにある神社をお参りした。

この神社は、祖母が、太平洋戦争中、毎朝、欠かさずお百度参りしていた神社。兵役に取られていた2人の息子(私の父と叔父)の無事を祈り。

2人しかいない息子。戦時下の日本では、その2人にそれぞれ召集礼状が来る。国民の個々の事情など、全く考えない。国の有り様が恐ろしい!!

今の様に、ニュースで、日々、世界情勢、天気予報などが、国民に詳細にわかる時代ではない。当時の科学技術なら「当然わかっているはずの日本各地の天気予報」でさえ「国の軍事秘密の一つにされて」外国に漏れると戦争の手段(攻撃日)に使われると!?国民には一切!!公開されなかった当時。

農業をするにも、まずは天気から始まる。その天気が皆目分からない。国民は大変な苦労を強いられた時代だ。

凄い時代を生きてきたんだなあ~祖母も父も~

神社から振り返ると(鳥居の左上あたりに)川向こうの実家が、小さく見えた。

あそこから、対岸の川伝いの道を通り、橋を渡り、この神社まで歩いてくる。毎朝、ここでお百度参りをしていた祖母。その姿を思い浮かべると、どれだけ必死な事かがわかる!!

戦地に行ったきり音信不通になった長男(私の父)。その無事を「藁にもすがる思いで」日夜祈っていたのだろう。

祖母の死に物狂いの祈りが、通じたのか!?

長男(私の父)は、南方から戦後10ケ月してなんとか無事に復員できた。叔父(父の弟)は既に海軍の特攻命令が下りていたが、直前に終戦を迎え、奇跡的に特攻を免れた。

神社にある二つの狛犬。これは「その後、無事に戦後を生き延びた父と叔父の二人」が、感謝を込めて奉納したらしい。

狛犬の裏に、父と叔父の名前が彫ってあった。

御祖母さんの必死の祈りが通じたのだ。祖母から→→父→→私・妹に繋がる「心の拠り所」になって来た神社・・

 

色々感じることが多い。亡き祖父母や父、叔父を思い、静かに手を合わせた日

神社のお参りを済ませて実家に戻ると・・

妹の旦那が「今飾ってある あの鳥居のしめ縄は、うちが収穫した米の藁で作ってある!!」という。

え~!!そうなの!! 二重に嬉しい話を聞いた日!!

祖父母は、父は、どれだけ、喜んでいるだろう!!


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