6時55分発の普通列車で福井を目指す。福井には8時27分の到着だ。越美北線は越前花堂が始発だが、列車は全て福井から運転される。9時6分の発車まで朝食をとりながら待つ。
9時6分、いよいよ越美北線の列車は福井駅を滑り出した。くれぐれも道中、何もないようにと願う。いくら鉄道ファンが強い意志を持っていても事故と災害には勝てない。全線完乗には「運」の要素もある。
越美北線に入った列車の車窓は次第に険しさを増し、最後まで不通区間だった一乗谷~美山間に差し掛かる。険しい峡谷の間を縫うように流れる川を鉄橋で列車が渡っていく。並行して走るのは2車線の国道1本のみ。なるほど復旧に時間もかかるというものだ。儲からないローカル線を抱えながら復旧させたJR西日本に、当然とはいえ敬意を表する。リニア新幹線のために5兆円用意しながら、名松線復旧には金を出そうともしないJR東海は、JR西日本の爪の垢でも煎じて飲むがいい。
途中、10時2分着の越前大野駅では13分間の小休止。2両編成だった列車は切り離され、後ろの1両はこのまま福井行きとして折り返す。一方、先へ進む前方の1両にとって、ここから終点、九頭竜湖まではスタフ閉そく式となる。スタフを持った1列車だけが進入を許され、その列車が戻ってくるまで他の列車は入ってゆけない。鉄道の保安方式としては最も単純かつ原始的なものだが、人の手のぬくもりが感じられ、なぜかホッとするやり方でもある。10時15分、いよいよスタフ閉そく区間に列車は分け入ってゆく。車窓は1メートル近い雪が積もった銀世界で、もはや雪以外に何もない。心配していた天気は回復し青空が広がっている。日光を反射する一面の雪がまぶしい。勾配の厳しいローカル線のためにJR西日本が送り込んだワンマン運転用気動車・キハ120形に上り勾配の苦しさは感じない。
列車は相変わらず峡谷の間を縫って流れる川を、時々鉄橋で渡りながら走る。地形に逆らわずに敷かれた線路は、この路線がトンネル技術の拙かった昔に建設されたことを示している。川を渡る橋の上からふと車窓を見る。黒い山、黒い川…何もかも黒く染まった陰鬱な風景を純白の雪が覆うその美しさに一瞬、はっと息をのむ。それはあたかも水墨画の中の世界に迷い込んでしまったかのようである。この水墨画の世界を走るローカル線が私は好きだ。春は新緑、秋には紅葉、それもきっと美しいに違いないが、冬の水墨画の世界にはきっとかなわないと思ってしまう。
列車は長いトンネルに突入した。地形に逆らわないように作られたローカル線も、四方を山に囲まれた谷底から出るときはさすがにトンネルに頼らざるを得ない。そして、盲腸線は谷底を抜けて一定の規模を持つ集落に達したときに終着を迎えることが多いという事実を、私は経験上知っている。つまり、長いトンネルは盲腸線の終着駅が近いことの表れなのだ。
トンネルを抜けると、景色が山峡から小さな集落に変わった。まもなく終点にたどり着く。車内がざわつき始めたが、明らかに旅装の人はおらず、地元の人たちのように見えた。そして午前10時46分。私を乗せたたった1両だけの列車は、定刻通り終点・九頭竜湖に到着した。この瞬間、JR西日本区間の全線完乗が、ついに成った。
九頭竜湖駅は、終点の小さな駅ながらも、観光拠点としてそれなりに機能していることが明らかだった。委託駅員が配置され切符が売られている。駅前には「和泉ふれあい会館」があり、地域の観光名所の案内や特産品の販売を行っている。駅前に小さな食堂が営業しており、店員とみられる女性が高く積もった玄関前の雪をシャベルで片付ける作業をしていた。季節になれば、新緑や紅葉を求めてこの周辺を訪れる人は多そうだ。
駅のすぐ前を通っている国道158号線を20キロメートルほど東へ走ると、長良川鉄道の終点・北濃駅に抜けることができる。そんなわずかな距離ならどうして鉄道を接続させなかったのかと不思議に思う人も多いかもしれないが、もともとこの両線は1つにつながる予定だった。越前花堂から越美北線、美濃太田(岐阜県)から越美南線として工事が進められたこの両線は、いずれは越美線としてつながり、福井から美濃太田へ抜けられるようになるはずだった。しかし、九頭竜湖と北濃まで工事が進んだところで国鉄再建法施行に伴い工事は凍結となった。越美南線は特定地方交通線の指定を受け、長良川鉄道へと姿を変える。今でも長良川鉄道沿線では、同線を越美南線と呼ぶ人に出会うことがある。かつては両線を結んで走るJRバスの路線があり、福井~美濃太田間を抜けることが可能だったが、それも2002年に廃止され、両線は正真正銘の盲腸線となった。国鉄再建法になんとか間に合い、1本につながった三江線のような幸運な路線もある一方、こんな悲しい路線もある。
わずかな折り返し時間を利用して駅前を散策した私は九頭竜湖駅に戻った。ふと窓口を覗いてみると「到着証明書」なるものを配っているという。無料ということもあり、迷わず申し出ると、日付印で今日の日付を印字した絵葉書タイプの到着証明書をもらうことができた。『本日、あなたは福井県最東端にあり豊かな自然に囲まれたJR越美北線の終点駅九頭竜湖駅に到着したことを証明します 九頭竜湖駅』
過去、いろいろな鉄道路線を旅し、乗車証明書などはもらったことがあるが、到着証明書というのは初めての経験だ。なかなか粋な計らいだと思うと同時に、嬉しさがこみ上げてきた。水害による不通に陥り、いつまでも復旧の気配を見せない越美北線に苛立ち、恨めしく思った時期もあった。しかし今はそれすらも私への祝福であるかのように思えた。ローカル線、終着駅、水墨画のようなモノトーンの世界と、粋な到着証明書。もしここが水害で不通になることもなく、私がJR西日本区間の全線完乗を阪和線で終えていたら、都会の中の終着駅でもない幹線が完乗達成地点になっていた。そのように考えると、待った甲斐があったというものだろう。
九頭竜湖からの折り返し列車の発車時刻が迫った。私は簡単に写真撮影を済ませて車内に戻った。列車は軽くエンジンを吹かせると、思い出の地となった九頭竜湖を後にした。今回の旅は、所用で大阪に出かける途中のルートに「能登」と越美北線を組み込んだ経緯もあり、妻は一緒ではなかった。私は帰りの列車の中で、彼女の携帯電話に宛てて「完乗達成」のメールを送った。程なくして「おめでとさん」という返信があった。シャイな彼女は嬉しいときにわざとそのような表現をする。喜んでくれているのだな、と思った。
列車は再び長いトンネルを越えて集落から山峡へと入り福井へと向かう。思えば、本格的な鉄道乗車活動に踏み出した私が初めてJR西日本区間に入ったのは1989年、下関駅でのことである。それからゴールまでに21年もかかったわけだ。全国全線完乗達成者が出版した本によると、JR線全線完乗はすべてを捨てて専念すれば2ヶ月ちょっとで達成できるというが、普段仕事を持っている私にそんなことは無理だ。それに、私はもともとJR西日本区間の全線完乗を達成したからといって、それを有頂天になって祝おうという気はさらさらなかった。祝えば、旧国鉄の全国ネットワークをずたずたに引き裂いた23年前の「分割民営化」を承認することになるからだ。私はあの「改革」とやらを承認する気持ちには今もなれない。だから、今回のJR西日本区間の全線完乗も、全国全線完乗へ向けたひとつの区切りとして記録するにとどめておきたいと思っている。
いずれにせよ、私のJR線乗車率は90%を越えた。そう遠くない時期に、全国全線完乗を達成するときが来る。そのときこそ多くの人に祝福してもらおうと思っている。そのときが訪れるまで、終着駅は、新しい旅への始まりに過ぎない。
【完乗達成】越美北線