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双葉町の町政混乱に思う~自治体とは何か、そしてふるさととは?

2013-02-26 21:47:53 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2013年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 福島県双葉町で町政の混乱が続いている。2012年12月20日、井戸川克隆・双葉町長に対する町議会の不信任決議案が全員一致で可決され、町長は町議会を解散。出直し町議選は定数8に対し、前職8名以外に立候補表明した人がおらず、無投票かと思われたが、告示前日になって引退していた元職(75)が「町民に選択肢を与えないのはおかしい」と立候補を表明、一転して選挙戦となった。

2月3日の投開票では、この元職と前職7人が当選したが、あおりを受けて前職1人が落選。元職当選と前職1人の落選は、町政混乱の一方の当事者でもある町議会に対する「審判」と解釈できる。しかし、町議選の投開票前に井戸川克隆町長が辞任、出直し町長選が告示されるや、当選したばかりの前職のうちの1人が町長選への出馬のため辞任。唯一、落選した前職は次点の要件を満たしていたため繰り上げ当選となり、前職町議は結局全員が議会に戻ったことになる。

 この間、メディアでは「井戸川町長の独断専行や、除染土などの中間貯蔵施設設置を巡る双葉郡各町村協議会に町長が欠席し話し合いに応じないことが不信任案の背景」「不信任で町議会を解散すれば政争が長引き、ますます復興が遅れる」などと報じてきた。だが双葉郡各市町村は警戒区域であり、立ち入りもできない地域に復興などあるはずがない。復興ができないのは原発事故のせいであり、政争のせいではないのだから、こうしたメディア報道はピント外れで無意味だ。

 中間貯蔵施設問題が不信任案の背景というのも事実を正確に表すものではない。なぜなら、井戸川前町長に対する不信任案は中間貯蔵施設が問題になる前からすでに2度も提出されてきたからである。議会はなんとしてでも井戸川前町長を下ろしたかったのだ。

 ●本質は「避難派下ろし」

 この問題の本質は「避難派下ろし」にある。双葉町は双葉郡内で唯一、県外(埼玉県加須市)に避難し続けているが、このことに他の双葉郡内各町村長が反発しているのがこの間、続けられてきた政争の真の原因である。

同時に、この政争が熾烈なのは、福島県内を2つに引き裂いている「復興・除染」派と「避難・移住」派の代理戦争だからである。前者は当然議会支持、後者は町長支持である。役場が県外に避難し、今なお150人を超える町民が県外の役場と行動を共にしていることが避難・移住派の希望になっている。一方、双葉郡内の他の町村長は、県外避難を続ける町があることで「福島が危険だという風評」が起き、復興を阻害していると思っている。「復興・除染」派は「井戸川を潰せば福島県全域を自分たちが制圧できる」として井戸川下ろしに躍起になってきた。

 井戸川町長は、双葉町に永遠に帰還できないことを覚悟しており、「帰れないなら町民の健康を守るのが町の第一の仕事」という信念の下に、一貫してぶれずに行動してきた。みずからジュネーブに赴き、放射能汚染から住民を守ろうともしない国・県のあり方を告発、住民避難の正当性を訴え支持を呼びかけてきた。ある町職員によれば、町長室の机の上には「いつも放射能の危険について書かれた本が置かれていた」という。

 ●謝罪がなければ

 2013年1月に福島県内3箇所で開催された環境省主催の中間貯蔵施設説明会では、「国で土地(住民の私有地)を買うか、代替地(新たな生活基盤となる土地)を探してくれればそれでいい。あとは国がどう使おうが勝手だ」と発言した人もいたという。双葉郡内の避難住民たちは、自分たちが永遠に戻れないことを首長よりも良く理解しており、中間貯蔵施設を受け入れる用意もできている。それでも住民が受け入れを拒否しているのは、国からも東電からもいまだ一言の謝罪もないからである。

 除染廃棄物の最終処分場を引き受ける地域が避難区域以外にあるとも思えず、中間貯蔵施設を受け入れれば事実上それは最終処分場となる可能性が高い。にもかかわらず、他の双葉郡内各町村長は「中間貯蔵施設を最終処分場にしないとの言質を国からとればいい」と主張している。しかも彼らは、中間貯蔵施設受け入れのため国との協議をしながら、一方では帰還するための「仮の町」構想(帰還できるまで一時的に県内に仮の役場を置く)を打ち出しており、支離滅裂である。

 この問題に関しては、中間貯蔵施設を受け入れる代わりに故郷を放棄するか、帰還を目指す代わりに中間貯蔵施設は断固拒否するかのいずれかの選択しかあり得ない。住民はそのことを理解しており、優柔不断で先の見通しを示さない首長らにうんざりしている。

 米国ニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば、大熊町の渡辺利綱町長は、19代前から同町に住んでいるという。近代以前は人生50年だったとして計算しても、1000年近く住み続けていることになる。このような人に対して「先祖代々住んできた土地を棄てろ」と言うことがいかに残酷かは想像に難くないが、個人的感情と町政とは別問題である。町民は未来があるともないとも明らかにされない中で、もう2年近くも飼い殺しにされたままいたずらに時間だけが過ぎ去った。「どっちでもいいからさっさと決めてくれ」というのが町民の偽らざる気持ちであろう。

 ●反対から推進に~「転落」した前町長の末裔

 この間、「井戸川潰し」の中心となって動き回り、可決された3回目の不信任案提出の際は提案理由説明を行った岩本久人町議の父は、1985年に町長に当選、2005年まで5期20年を務めた岩本忠夫氏である。当初、「核と人類は共存できない」として日本社会党員となり、双葉地方原発反対同盟に入った後は、石丸小四郎氏とともに反対運動に身を投じた。県議となった忠夫氏は、原発労働者の被ばく問題や、使用済み核燃料の無断運び出し疑惑などを議会で次々と追及した。彼が議会で質問する際は、傍聴席を電力会社の関係者が埋め尽くしたという。

 しかし、町の隅々にまで行き渡る電力マネーにより反対運動は孤立させられ、忠夫氏自身も1975、1979、1983年の県議選では立て続けに落選。「選挙で負けるたびに家族全員で声を上げて泣いた」(久人町議)。2人の娘は東電社員と結婚した。「カネと人質」で反対派を孤立させる電力ムラの卑劣な手口が町を分断していった。忠夫氏は反対運動から距離を置くようになり、社会党を離党。やがて反対から推進に立場を変えた。町長当選後は福島第1原発7~8号機の増設さえ求めるようになった。2005年に町長から引退、その6年後に事故は起きた。最後は2011年7月、故郷に帰れないまま、避難先で失意のうちに死去した。

 忠夫氏が残したものは、原発マネーで造った総合公園などの巨大なハコモノと、それに伴う巨額の借金だった。2007年には町財政に占める借金の比率が3割を超え、国から「早期健全化団体」に指定された。2009年には予算も組めないほど追い詰められた。普通の市民感覚であれば、町をこのような状態に追い込んだ前町長の息子は恥ずかしくて町民に合わせる顔がないはずだ。それが町議会の中心となって井戸川下ろしに狂奔し、出直し町議選でもトップ当選を果たしてしまうところに原発立地自治体を覆う深刻な病がある。

 不信任決議案を可決した双葉町議会で、岩本町議は「町長は町民の声を聴く努力をせず、町民との考え方にかい離があり、自分の考えに固執している」と決めつけた。彼はまた、中間貯蔵施設をめぐる国と双葉郡内各町村長との協議会をボイコットした井戸川前町長を「自分の町、自分の考えだけで事にあたろうとした」と非難した。

 映画「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」の監督として、この間何度も加須市の避難所を取材、町長や町民と対話してきた堀切さとみさんは、当日の議会を傍聴して「自分の町のことを考えるのがなぜ悪いのか。岩本議員こそ誰と向き合っているのか」と憤る。福島県にとっての不幸は地震でも津波でも原発事故でもなく「この程度の自治体、議会しか持ち得なかったこと」にこそあるのかもしれない。

 ●自治体とは、議会とは何か

 地元で発行されている月刊誌「政経東北」(2012年11月号)が、社説に当たる「巻頭言」でこう主張している。『いつ戻れるか分からない中で、自治体の実態がないのに自治体を名乗り、選挙をやるのは違和感がある。首長、議員、職員の待遇が従前通りというのも理解できない』。福島でこうした実態を見ていると、改めて自治体とは何なのか考えさせられる。

 中学校か高校か覚えていないが、社会科の時間に「国家の3要素」について学習した記憶がある。国家は領土・政府・国民の3つが揃わなければ存在できない、とする考え方だが、自治体にもこれはそのまま応用できる。警戒区域や計画的避難区域となった自治体は、政府(役場)と住民は存在するが領土が存在しない。土木・建設などの公共事業は自治体の「領土」がなければ執行できないし、避難先でも住民サービスが必要というなら避難先自治体が提供すればいい。何のために避難先で自治体が存続しているのかと問われれば、「政経東北」誌ならずとも「自治体の実態がないのに自治体を名乗り、選挙をやるのはおかしい」と思うのは当然だ。

 議員にしても同じことだ。多くの被災者が震災後、仕事に就けず苦しむ中で、彼らは避難先で何もすることがないのに一般的な労働者の年収より高い報酬を受け取っている。双葉町で言えば、議員報酬は1か月あたり議長で28万9千円、副議長24万8千円、一般議員23万2千円だ(「議会議員の議員報酬、期末手当及び費用弁償に関する条例」による)。他市町村と比べれば決して高いほうとは言えないが、仕事もなく、仮設住宅で寒さに震えながら明日をも知れない毎日を送る町民が議員のこの姿を見たらどのように思うだろうか。

 「町村は、…議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」という驚くべき条文が地方自治法94条にある。避難自治体は、いっそ議会など廃止して重要な決定を有権者総会に委ねてはどうか。浮いた議員報酬を住民のために使えるし、何よりも住民代表のほうが議員よりはるかに有益な決定ができるように思う。

 ●遠くなりし「ふるさと」

 「双葉町は原発を誘致して町に住めなくされた。原発関連の交付金で造った物はすべて町に置いてきました」…井戸川前町長が辞任に当たって町のホームページに掲載した内外へのメッセージ「双葉町は永遠に」にはこのように記されている。「お前たちは今までさんざん原発マネーでいい思いをしてきたじゃないか。それを棚に上げて、事故が起きたときだけ被害者面するな」という批判をしている人がもしいるなら、このメッセージを読んでほしい。原発マネーをもらっているかどうかは問題ではない。原発マネーで分断された福島は、もう一度一致団結してこの難局に立ち向かい、移住、賠償などすべての権利を勝ち取らなければならない。

 今、避難した福島県民が集会やデモで集うと、決まって唱歌「ふるさと」が歌われる。原発事故から間もなく2年――最近はこの曲が歌われれば歌われるほど、ふるさとが遠ざかっていくような気がする。「忘れがたきふるさと」が「遠くなりしふるさと」に変わってしまう前に、やるべきことはまだたくさん残されている。

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