はじめの戦車模型づくり

老眼に悩みながらもとにかく完成させることを目指します! 2009年3月8日開設

桜神宮・多摩川浅間神社

2025-02-26 15:49:56 | 寺社

25日に桜神宮、多摩川浅間神社、等々力不動尊、目黒不動尊へ行ってきました。

今回は桜神宮と多摩川浅間神社の紹介です。

第三京浜で東京へ向かい、環八から246号線を経て桜神宮へ行きました。

 

車は右側に写っているTimesに駐車しました。

 

頂いて来たパンフレット

電車での最寄駅は東急田園都市線の「桜新町」駅です。

 

漫画サザエさんのオブジェがサザエさん通りという商店街に設置されていました。
「桜新町」駅がある東京都世田谷区新町は、漫画サザエさんの舞台となっています。
また、作者の長谷川町子さんが桜新町に住んでいたことが由来となっているそうです。

 

サザエさん通りと名付けられた商店街に桜神宮はあります。

 

鳥居をくぐった先にある社殿
女性に人気があるのかな。参拝客のほとんどが女性です。

 

 

御朱印は季節によって墨の色が変わるそうです。
確かに上の写真をみても女性が好みそうなデザインですね。
数種類ありましたが、今月限定の御朱印を拝受いたしました。
一緒に行った妹はこの御朱印のほかに数種拝受し、別に御朱印帳も購入していました。

 

桜神宮の参拝のあと、駒沢公園にある一風堂で昼食を取りました。

昼食後に、多摩川浅間神社へ向かいました。

 

多摩川浅間神社のある最寄駅は、東急東横線の「多摩川」駅です。
以前は、駅の近くに「多摩川園遊園地」がありました。1979年に閉園しています。
この駅は高校・大学の7年間、この駅を通過して「田園調布」駅で目蒲線(現在は目黒線)に乗り換えて目黒まで通学していた懐かしい駅のひとつです。

 

多摩川浅間神社について公式HPより抜粋しました。

当浅間神社は、今から八百年前の創建と伝えられます。鎌倉時代の文治年間(1185~90)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。
 夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。
 逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。
 政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。
 村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
 承応元年(1652)5月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。以来、ご祭礼は6月に行っております。

 

手前にある大祓詞石車を回してから、階段を登って境内へ入りました。

 

鳥居の先に社殿(拝殿)が見えます。

 

現在の社殿は昭和48年(1973)に完成した優美な浅間づくり
東京都内では唯一のものです(ホームページより)
拝殿でお参りをして御朱印を拝受いたしました。

 

 

 

境内にある神楽殿

 

多摩川を望む見晴台を背にしてある看板。この神社は、古墳のそばにあるようですね。

 

見晴台からの眺め

天気が良かったので富士山がよく見えました。
右手を走っているのは東急東横線で、「新丸子」駅へ向かっています。

 

「武蔵小杉」駅付近に乱立する(笑)タワーマンション群がよくわかります。
左手に見える橋は中原街道にかかる「丸子橋」です。

 

「二子玉川」駅周辺にある、たぶん「二子玉川ライズ」も見えました。

今回はここまです。次回は等々力不動尊、目黒不動尊について書きたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

 


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