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2015年07月16日 に書かれた記事を

2016-07-16 | Weblog
2015年07月16日 に書かれた記事をお届けします。
小説の中で箇条書き

小説の中で箇条書き例高杉は考えた。・このままではまずい・しかし、今はその時期ではない・・という箇条書きが随所にでてくる。書類では多用されるが、小説ではまずお目にかからない小説のわかり方と書類のわかり方との違いがあるのかも。小説は、漠然とした理解で想念を刺激させればよい。業務文書は、理解すべき要素をきっちりつかんでも...
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安全・安心な社会の概念

安全・安心な社会の概念・リスクを極小化し、顕在化したリスクに対して持ちこたえら れる社会・動的かつ国際的な対応ができる社会・安全に対する個人の意識が醸成されている社会・信頼により安全を人々の安心へとつなげられる社会・安全・安心な社会に向けた施策の正負両面を考慮し合理的に 判断できる社会出所:「安全・安心な社会の構築...
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こんなことってあり?

こんなことってあり?iPadを解約した。でも、以前にダウンロードした電子ブックなどは読める。バスの時刻表なども写真にとってあるものも見られる。そして、今日発見。研究室で偶然、Wifiをオンにしたら、ネットにつながったということは、何も高い料金をauに払う必要はないということ?一体どうなっているの?それとも、あとから...
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ライオンキング講演1万回

山手線のボディの貼り付け広告観劇の趣味はまったくないのだが、これほどのロングランだと気にはなる。一度いってみる価値があるかも。でも年寄一人でいくところでもないようだしなー


エレベータ

エレベータ原則、使わないでも、ホームにおりた目の前というようなときには誘惑に負けて使わせてもらう。心配なのは地震。途中でとまってしまったらどうする。自分の場合、頭に浮かんだ一番の心配が、なんとトイレ。笑い

大学教育の3つのモデル、でも本当は4つめのモデルもある」今週の論考

2016-07-16 | 教育
大学教育の3つのモデル、でも本当は4つめのモデルもある」今週の論考

●研究者養成モデル
日々の授業をしていて一番苦労するのは、今話していることがこれから生きていくのにどう役に立つかを示すことです。
大学教員にとって一番楽なのは、「研究者養成モデル」です。今話をしている「つまらないこと」は、将来、研究者になったときには絶対に必要です、だから勉強してください、というものです。でも、将来、研究者になるのは、ごくごく限られた学生ですから、大多数の学生には無関係、したがって、学生からすると意味のないつまらない勉強はいや、ということになります。

●学歴モデル
そこで、研究者養成モデルとまったく反対の「学歴モデル」がでてきます。これを勉強すると、単位がとれて大学卒の学歴も得られますというものです。これが学生にとっては、一番わかりやすく、勉強する「意義」もわかります。ですから、不本意ながら、「ここは試験ででますからよく勉強して」を頻発することになります。
だいたいは、裏では「研究者養成モデル」、表では「学歴モデル」で、「くそおもしろくもない(だろう)」学問を教えているというのが現状です。

●社会人養成モデル
今の大学教育では、第3のモデルとも言うべきものでの教育への圧力が強くなってきています。出所は、企業と保護者です。それは、「社会人養成モデル」です。大学を出たら、すぐにお金が稼げる力をつけてくれという要請です。若者の就職難、というよりキャリア形成の難しさの今、多くの健全な?大学人は、違和感を覚えながらも、しかたなく?、「キャリア教育」とか「コミュニケーション力養成」などの授業をすることになります。

●真善美追及モデル
実は、そしてこれこそが真の?大学教育のモデルだったはずのモデル、「真善美の追及モデル」がありました。人文系のごく一部にはまだ残っているはずだと思いますが、―――残っていてほしいと願いますがーー大学が社会に機能するような圧力がとても強くなって、このモデルは風前のともしびです。


メタ習慣

2016-07-16 | 健康・スポーツ心理学
習慣を壊すことを習慣にする
 習慣とは、いつもと同じ状況で同じことをほとんど努力感なしにすることです。
 今回の「改善マインド」は、「いつもとは違ったことをすることを習慣にすること」のすすめになります。「習慣を壊すことを習慣に」ですから、なんとももったいない話になります。ややしゃれた言葉を使うなら、メタ習慣のすすめです。



メタ認知 頭の中の小人の話(保存用)

2016-07-16 | 認知心理学
メタ認知 頭の中の小人の話     

●頭の中にもう一人の自分がいる  
ホムンクルス(Homunculus頭の中の小人)の話は、ゲーテの「ファウスト」に出てくる。   「僕は完全な意味で発生したいのです。1日も早くこのガラスを割って、飛び出   したいのです。」(大出定一訳、人文書院、p235)  自然の脅威もままならないが、それ以上に自分の頭のままならなさに我々は悩まされる。じゃじゃ馬を自分の頭の中にかかえこんでその制御に腐心させられているような感じは、誰もが抱いている。「頭の中に小人がいてそれが悪さ?をしている」という感じと言ってもよい。  しかし、実感は、文学の対象にはなっても、科学の対象にはなかなかなりえない。ホムンクルスも、その存在を痛切に実感はできるもののひとたび心理学の中に取り込んでしまうと、今度は、科学の世界で悪さをすることになるので、慎重であった。なぜなら、人の頭の中にホモンクルスを認めてしまうなら、ホモンクルスの中にさらにホモンクルスを、さらにそのホムンクルスの中にホムンクルスを、---という具合に無限後退が始まってしまうからである。  ところがである。そのホムンクルスが突如、心理学の論文に出現し(注1)、あれよあれよという間に、時代の寵児になってしまったのである。言葉こそ、メタ認知としゃれたものに変わってはいるが、まぎれもなく、ホムンクルスの出現である。

●メタ認知とは  
メタ認知とは、要するに、ホムンクルスが、人の認知過程において何がどうなっているかを監視し、適応的な活動をするようにコントロールすることである。(注2)  前述したように、我々の実感としては、ホムンクルスは確かに存在するし、機能している。それを素直に心理学の研究テーマにしたのが、メタ認知研究である。科学方法論的にどうのこうのと考え出したら、怖くて扱えない。しかし、存在するのだから、科学(心理学)は立ち向かうべしとの挑戦心が生み出した産物とも言える。実は、もう一つ、メタ認知研究の研究に向かわしたものがあると思っている。それは、コンピュータである。  コンピュータには、中央演算装置があり、そこには、OS(Operating System) というソフトがコンピュータ全体の仕事を管理している。ホムンクルスを、このOSの働きにたとえてみることができることに気づいたのである。コンピュータ・アナロジーの成果である。神秘的色彩の濃かった、そして、科学方法論的には問題であったホムンクルスが、工学的実体としてイメージできるようになったことで、安心して論ずることができるようになったのである。

●心理学の研究の多くはメタ認知の存在を前提にしている  
心の働きには、その働きをまったく意識できない領域と、意識しようとすれば意識できる領域と、ほぼ完全に意識できる領域の三つがある。例を挙げてみると、  
「意識化不能な領域」    感覚過程 パターン認識の過程     
「意識化努力によって意識化可能な領域」    物を覚える過程 問題解決過程 自分の性格や能力の判断過程   
「意識化可能な領域」    プランニングや構想過程   
このうち、メタ認知が機能しないのは、「意識化不能な領域」である。ちなみに、こうした領域を、心のアーキテクチャー領域と呼ぶ。これ以外の領域では、メタ認知が機能している。したがって、メタ認知を前提にした心理学独特の研究技法が使えることになる。つまり、意識化可能な領域では、被験者に直接/間接に、「心について尋ねる」手法である。  その際たるものは、内省法(注*)とプロトコル法(注**)である。後者は、何かの作業をさせて終わってから、作業中のことを振り返って心がどうだったかを問う。後者は、作業中に、今あなたは何を考えているかを問う。  もう少し間接的に心について尋ねる方式もよく使われる。その典型が質問紙法である。たくさんの質問を用意して、それに答えてもらうことで、心に迫ろうというものである。  いずれも、メタ認知を前提にしてはいるが、メタ認知は完璧には機能しないので、本当に心を語ってくれているかどうかは保証の限りではない。その保証を担保する仕掛けがいろいろ工夫されている。  研究対象自身に研究対象のことを語らしめたデータを使って科学にしてしまおうという、この心理学独特の研究技法。自然科学の技法と比較すると、本当に大丈夫と心理研究者までもが思う。思うが、ここでがんばることが、心理学が人についての科学の中核になるためには、絶対に必要ではないかとも思う。      

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注1 Sternberg(19**) が提案した、人の高速検索モデルの中に、Hという一文字が解説なしに---控え目に?---書き込まれているのをみたとき、「エッ!!」とびっくりしたのを今でも思い出す。
注2 メタ(meta)とは、「越える、あとからついてくる」の意の接頭語である。認知の認知、あるいは、認知活動に伴ってできてくる活動ということ。  
(注3)話がややこしくなるが、メタ認知そのものについての心理学的な研究領域もある。念のため。A.ブラウン(湯川・石川訳)1978「メタ認知」サイエンス社など参照。

注* W.ティッチェナー(1876-1927)は、感覚領域でも、被験者を訓練すれば内省によって(こそ)心理学の構築に必要なデータが得られるとして、組織的内観法を提唱した。

注** 海保博之・原田悦子編著 19** 「プロトコル分析入門」 新曜社