
Q1・5「動物にも心はあるのですか」--心の進化論
犬もいじめれば悲しそうな振舞いをします。チンパンジーは、声を出して仲間とコミュニケーションをしています。あるいは、最近では、人の振舞いを真似た電子仕掛けのロボットもあちこちで見かけます。
そんな振舞いや行動を見ていると、動物も機械も人と同じように、心を持っているように見えます。
「人が解釈できるような」言動をするものには心がある、と定義してしまうなら、ほとんどの生物、さらには機械にさえ心があると言ってよいことになります。
この定義は、擬人法的な心の定義とも呼ぶべきもので、比較的、一般に受け入れやすいものです。
ペットを飼う人はもちろんのこと、アカデミックな心理学の中でも、かつてはおおっぴらに採用されていたことがありますし、現在でも、たとえば、ロボットに「心」を持たせる試み--人工知能研究---などでは、暗黙裏に採用しています。
これらに共通しているのは、心を直接問題にせずに、「人のような心があるとするなら、それは、外部にこんな形であらわれるはず」という前提を置いているところです。「こんな形」が外部から観察できれば、その心は存在することになります。
しかし、擬人法的な見方は、しばしば、正しい認識を妨げることがあることが知られています。
20世紀初頭、足し算の答えを足で床を叩く回数で答える賢い馬・クレバーハンスが有名になったことがあります。よくよく調べてみると、飼い主がハンスにわかってほしいと期待するばかりに、無意識のうちに答のところで微妙なサインを出していて、それを馬が読み取っていたにすぎないことがわかりました。それがわかるまでは、馬にも人なみの知性(心)があるらしい、と人々に信じさせてしまいました。
動物心理学の説明原理として知られているモーガンの公準(Morgan’s canon)というのがあります。「いかなる行動も、より低次の心的機能のもたらしたものとして説明できるなら、それを高次の心的機能によるものとして説明してはならない」というものです。 クレバーハンスの「賢い」行動を、高次の知性の反映としてではなく、もっと低次の、単なる知覚能力の反映として解釈せよということです。ペット好きの人にとってはなんとも味気ない殺伐とした感じさえする公準かもしれませんが、「シンプルなものには真実あり」というサイエンスの公準のほうに分がありますから、いたしかたありません。
なおここで言う、低次、高次は、実は、心の定義に深くかかわっていますし、質問に対するもう一つの答えと関係しますので少し解説しておきます。 低次の「心的」機能とは、外部の刺激に応答して起こる行為を支える「心的」機能です。目に強い光を照射すれば瞳孔が収縮します(瞳孔反射)。物が飛んでくれば避けます(回避反射)。こうした反射的な行為の背景にある「心的」機能が低次の心的機能です。ここでは、「心的」と鍵かっこで囲んだのは、ここでは、ほとんど心を持ち出す必要がないからです。
心の存在を仮定するのにふさわしいと誰しもが考えるのは、高次の心的機能が発揮されるときです。覚えたり、考えたり、判断したり、学んだりといった認知機能があるところでです。
ところが、このあたりに心の存在を認めることになると、ネズミや鳩くらいから心があることになります。ネズミも鳩もかなり高次の心的機能を発揮するからです。鳩でも訓練すればピカソの絵を見分けるそうです(「心の談話室」参照)。動物を使った研究成果から、人の高次の心的機能のメカニズムを解明しようとする動物心理学の研究の意義もこんなところにあります。
しかし、どうでしょうか。ここまできてもまだ、動物に人と同じような心がある、とする考えを素直に受け入れる気持ちにはなれないという人もいるはずです。心は、もっと高次---超高次?---の心的機能に限定すべきと主張したいのだと思います。 その「超高次の」心的機能とは何でしょうか。
それは、、志向性とか能動性とか意図性とかが反映された行為を支えるものです。人は外部から動かされる存在ではなく、みずからの意志で動いて自分や環境を作りあげていく存在と考えるわけです。
心の存在をここに限定する立場は、人間性心理学(Q2・2参照)という、科学的心理学と対立する心理学で採用されています。心理学の歴史の中で主流になったことはありませんが、一貫して根強く人々を引きつけてきました。
質問に対する答えは、したがって、「動物にも心あり」ということになります。しかし、それは、あくまで科学的な研究を進めていく上での定義、あるいは研究者どうしの了解の問題であることを忘れてはなりません。
*************** 心の談話室「ハトはピカソの絵を見分ける」
慶応大学教授・渡辺茂氏は、絵に示すようなスキナー箱と呼ばれる簡単な装置を使って、ハトでも、ピカソの絵とモネの絵が弁別できることを確かめています(「ピカソを見分けるハト--人の認知、動物の認知」NHK Books)。
実験の仕掛けは簡単ですが、実験そのものは大変です。 スキナー箱という装置の中で、ハトがピカソの絵をつついたら、餌が出るようするだけですが、それぞれ20枚の絵を用意して、20日間ほど弁別訓練させることになります。 訓練には使わないピカソの絵も区別できた(般化した)ことから、色や輪郭などの単なる表面的な特徴によって弁別しているのではなく、人と同じように、さまざまな手がりを総合して弁別をしているらしいこともわかってきました。 でも心配はいりません。あなたは、ピカソとモネの絵の区別を言葉で語ることができますが、ハトにはさすがにそれだけはできませんから。 ***図 別添
犬もいじめれば悲しそうな振舞いをします。チンパンジーは、声を出して仲間とコミュニケーションをしています。あるいは、最近では、人の振舞いを真似た電子仕掛けのロボットもあちこちで見かけます。
そんな振舞いや行動を見ていると、動物も機械も人と同じように、心を持っているように見えます。
「人が解釈できるような」言動をするものには心がある、と定義してしまうなら、ほとんどの生物、さらには機械にさえ心があると言ってよいことになります。
この定義は、擬人法的な心の定義とも呼ぶべきもので、比較的、一般に受け入れやすいものです。
ペットを飼う人はもちろんのこと、アカデミックな心理学の中でも、かつてはおおっぴらに採用されていたことがありますし、現在でも、たとえば、ロボットに「心」を持たせる試み--人工知能研究---などでは、暗黙裏に採用しています。
これらに共通しているのは、心を直接問題にせずに、「人のような心があるとするなら、それは、外部にこんな形であらわれるはず」という前提を置いているところです。「こんな形」が外部から観察できれば、その心は存在することになります。
しかし、擬人法的な見方は、しばしば、正しい認識を妨げることがあることが知られています。
20世紀初頭、足し算の答えを足で床を叩く回数で答える賢い馬・クレバーハンスが有名になったことがあります。よくよく調べてみると、飼い主がハンスにわかってほしいと期待するばかりに、無意識のうちに答のところで微妙なサインを出していて、それを馬が読み取っていたにすぎないことがわかりました。それがわかるまでは、馬にも人なみの知性(心)があるらしい、と人々に信じさせてしまいました。
動物心理学の説明原理として知られているモーガンの公準(Morgan’s canon)というのがあります。「いかなる行動も、より低次の心的機能のもたらしたものとして説明できるなら、それを高次の心的機能によるものとして説明してはならない」というものです。 クレバーハンスの「賢い」行動を、高次の知性の反映としてではなく、もっと低次の、単なる知覚能力の反映として解釈せよということです。ペット好きの人にとってはなんとも味気ない殺伐とした感じさえする公準かもしれませんが、「シンプルなものには真実あり」というサイエンスの公準のほうに分がありますから、いたしかたありません。
なおここで言う、低次、高次は、実は、心の定義に深くかかわっていますし、質問に対するもう一つの答えと関係しますので少し解説しておきます。 低次の「心的」機能とは、外部の刺激に応答して起こる行為を支える「心的」機能です。目に強い光を照射すれば瞳孔が収縮します(瞳孔反射)。物が飛んでくれば避けます(回避反射)。こうした反射的な行為の背景にある「心的」機能が低次の心的機能です。ここでは、「心的」と鍵かっこで囲んだのは、ここでは、ほとんど心を持ち出す必要がないからです。
心の存在を仮定するのにふさわしいと誰しもが考えるのは、高次の心的機能が発揮されるときです。覚えたり、考えたり、判断したり、学んだりといった認知機能があるところでです。
ところが、このあたりに心の存在を認めることになると、ネズミや鳩くらいから心があることになります。ネズミも鳩もかなり高次の心的機能を発揮するからです。鳩でも訓練すればピカソの絵を見分けるそうです(「心の談話室」参照)。動物を使った研究成果から、人の高次の心的機能のメカニズムを解明しようとする動物心理学の研究の意義もこんなところにあります。
しかし、どうでしょうか。ここまできてもまだ、動物に人と同じような心がある、とする考えを素直に受け入れる気持ちにはなれないという人もいるはずです。心は、もっと高次---超高次?---の心的機能に限定すべきと主張したいのだと思います。 その「超高次の」心的機能とは何でしょうか。
それは、、志向性とか能動性とか意図性とかが反映された行為を支えるものです。人は外部から動かされる存在ではなく、みずからの意志で動いて自分や環境を作りあげていく存在と考えるわけです。
心の存在をここに限定する立場は、人間性心理学(Q2・2参照)という、科学的心理学と対立する心理学で採用されています。心理学の歴史の中で主流になったことはありませんが、一貫して根強く人々を引きつけてきました。
質問に対する答えは、したがって、「動物にも心あり」ということになります。しかし、それは、あくまで科学的な研究を進めていく上での定義、あるいは研究者どうしの了解の問題であることを忘れてはなりません。
*************** 心の談話室「ハトはピカソの絵を見分ける」
慶応大学教授・渡辺茂氏は、絵に示すようなスキナー箱と呼ばれる簡単な装置を使って、ハトでも、ピカソの絵とモネの絵が弁別できることを確かめています(「ピカソを見分けるハト--人の認知、動物の認知」NHK Books)。
実験の仕掛けは簡単ですが、実験そのものは大変です。 スキナー箱という装置の中で、ハトがピカソの絵をつついたら、餌が出るようするだけですが、それぞれ20枚の絵を用意して、20日間ほど弁別訓練させることになります。 訓練には使わないピカソの絵も区別できた(般化した)ことから、色や輪郭などの単なる表面的な特徴によって弁別しているのではなく、人と同じように、さまざまな手がりを総合して弁別をしているらしいこともわかってきました。 でも心配はいりません。あなたは、ピカソとモネの絵の区別を言葉で語ることができますが、ハトにはさすがにそれだけはできませんから。 ***図 別添
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます