先日の大阪市立美術館『王羲之から空海へ』展
で魅せていただいた墨蹟の数々、
日が経つにつれ、そのすばらしさに・・・
もっとゆっくりと鑑賞できればよかったのに
悔やむばかり
本棚から『茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年』を探し出し
観てるのですが、45年前の本ですからでしょうか?
やはり・・・残念
まだトーハクの画像検索の方が解かりやすいかもしれませんね。
やはり、『破れ虚堂』虚堂智愚、
与照禅者偈頌(1262-65)、感動モノでした。
もう一度時間を見つけて見に行かなくてはなりません。
今朝お稽古に出かけ、偶然そのお話に
今日のJR奈良駅旧駅舎
前期にはなんと『流れ圜悟』圜悟克勤、
与虎丘紹隆印可状(1124)が出展されていたのです。
現存の禅林墨蹟中で最古とされ、
圜悟の禅宗史上における位置づけの重要さと相まって
古来、墨蹟の第一とされております。
東京に行けば観られるのでしょうか?
茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年を見ておりますと、
疑問が、少し、5%程度理解できるようになりました。
勉強あるのみですね。
なぜ「書」と呼ばず、「墨蹟」とされるのでしょうか?
”中国では墨蹟とは筆蹟と同義語で、名家の筆蹟の意味だそうですが、
わが国での三筆、三跡や流麗な草仮名も本来は墨蹟に含まれますが
慣用語として、限定された禅僧の書・筆蹟を指すのだそうです。”
また墨蹟には「偈頌」や「印可状」と区分されていますが?
「偈頌」とは、韻文体で現された宗教詩で
禅の宗旨を含み作者の悟境を現すことが必要だそうです。
「画賛」とは頂相や山水花鳥画などに加えたもの
また韻文を含むが散文体を主としたものとしては
「法語」、「印可状」、「問答語」などを言うそうです。
墨蹟の価値の評価の基準として、
もともと禅僧は書道についてはアマチュアなのですから
文句の良しあしや、書としての巧拙ではなく、
「正念が終始一貫相続しているかどうか」こそが
この評価の基準なのだそうです。
大変ですが、まだスタートラインについたばかりです。
で魅せていただいた墨蹟の数々、
日が経つにつれ、そのすばらしさに・・・
もっとゆっくりと鑑賞できればよかったのに
悔やむばかり
本棚から『茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年』を探し出し
観てるのですが、45年前の本ですからでしょうか?
やはり・・・残念
まだトーハクの画像検索の方が解かりやすいかもしれませんね。
やはり、『破れ虚堂』虚堂智愚、
与照禅者偈頌(1262-65)、感動モノでした。
もう一度時間を見つけて見に行かなくてはなりません。
今朝お稽古に出かけ、偶然そのお話に
今日のJR奈良駅旧駅舎
前期にはなんと『流れ圜悟』圜悟克勤、
与虎丘紹隆印可状(1124)が出展されていたのです。
現存の禅林墨蹟中で最古とされ、
圜悟の禅宗史上における位置づけの重要さと相まって
古来、墨蹟の第一とされております。
東京に行けば観られるのでしょうか?
茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年を見ておりますと、
疑問が、少し、5%程度理解できるようになりました。
勉強あるのみですね。
なぜ「書」と呼ばず、「墨蹟」とされるのでしょうか?
”中国では墨蹟とは筆蹟と同義語で、名家の筆蹟の意味だそうですが、
わが国での三筆、三跡や流麗な草仮名も本来は墨蹟に含まれますが
慣用語として、限定された禅僧の書・筆蹟を指すのだそうです。”
また墨蹟には「偈頌」や「印可状」と区分されていますが?
「偈頌」とは、韻文体で現された宗教詩で
禅の宗旨を含み作者の悟境を現すことが必要だそうです。
「画賛」とは頂相や山水花鳥画などに加えたもの
また韻文を含むが散文体を主としたものとしては
「法語」、「印可状」、「問答語」などを言うそうです。
墨蹟の価値の評価の基準として、
もともと禅僧は書道についてはアマチュアなのですから
文句の良しあしや、書としての巧拙ではなく、
「正念が終始一貫相続しているかどうか」こそが
この評価の基準なのだそうです。
大変ですが、まだスタートラインについたばかりです。