気軽に茶道をしてます。

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お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

『流れ圜悟』と交替して『破れ虚堂』だった残念!

2016-05-07 18:54:11 | 美術館・博物館
先日の大阪市立美術館王羲之から空海へ』展
で魅せていただいた墨蹟の数々、
日が経つにつれ、そのすばらしさに・・・
もっとゆっくりと鑑賞できればよかったのに
悔やむばかり

本棚から『茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年』を探し出し
観てるのですが、45年前の本ですからでしょうか?
やはり・・・残念
まだトーハクの画像検索の方が解かりやすいかもしれませんね。

やはり、『破れ虚堂』虚堂智愚、
与照禅者偈頌(1262-65)、感動モノでした。
もう一度時間を見つけて見に行かなくてはなりません。


今朝お稽古に出かけ、偶然そのお話に
今日のJR奈良駅旧駅舎

前期にはなんと『流れ圜悟』圜悟克勤、
与虎丘紹隆印可状(1124)が出展されていたのです。

現存の禅林墨蹟中で最古とされ、
圜悟の禅宗史上における位置づけの重要さと相まって
古来、墨蹟の第一とされております。
東京に行けば観られるのでしょうか?

茶道美術全集14墨蹟、淡交社昭和46年を見ておりますと、
疑問が、少し、5%程度理解できるようになりました。
勉強あるのみですね。

なぜ「書」と呼ばず、「墨蹟」とされるのでしょうか?
”中国では墨蹟とは筆蹟と同義語で、名家の筆蹟の意味だそうですが、
 わが国での三筆、三跡や流麗な草仮名も本来は墨蹟に含まれますが
 慣用語として、限定された禅僧の書・筆蹟を指すのだそうです。”

また墨蹟には「偈頌」や「印可状」と区分されていますが?
「偈頌」とは、韻文体で現された宗教詩で
 禅の宗旨を含み作者の悟境を現すことが必要だそうです。
「画賛」とは頂相や山水花鳥画などに加えたもの
また韻文を含むが散文体を主としたものとしては
「法語」、「印可状」、「問答語」などを言うそうです。

墨蹟の価値の評価の基準として、
もともと禅僧は書道についてはアマチュアなのですから
文句の良しあしや、書としての巧拙ではなく、
「正念が終始一貫相続しているかどうか」こそが
この評価の基準なのだそうです。
 
大変ですが、まだスタートラインについたばかりです。