気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

干柿『粋甘粛』を

2015-12-21 18:11:44 | 主菓子とお干菓子
昨日朝から、奈良町にあるお宅へ、
初釜の打ち合わせに伺いました。
出していただいた、お菓子
源 吉兆庵さんの、干柿『粋甘粛』(すいかんしゅく)です。
 
包装の中には、白い微塵子がまぶされた柿の実一つ。
長野県市田の干柿が使われており、
旬の果実の干柿が、丸ごと目の前に現れました。

果肉は、干し柿特有の飴色で、
その中にたっぷり詰まった白餡が。

果実の甘味と、白あんの控えめな甘味が融合して
口の中になんともいえない甘味があふれかえり、
姿・形・味わいが、五感を刺激する和菓子ですね。
但し、蔕は食べれませんよ。

嬉しいことに、初釜に向けた、アドバイスもいただけ
さらにもう一つ余分に「粋甘粛」をどうぞと。
昼から、お一人の稽古の予定がはいっていたため、
ご挨拶もほど度々に帰宅しました。

早速、「粋甘粛」を午後のお稽古にと思い、
二等分しましたが、りっぱな大きさなものですから、
もう半分に、切り分け、お出ししました。
 
残りは明日のお稽古でも、愉しませていただきます。

迷迭香がけなげに咲いて

2015-12-20 09:14:51 | 季節の花々
今日のお稽古は、お昼からになり、ぽっかり時間が。
この冬一番冷え込んだ朝、陽が差し込んできます。
庭に出てみました。風もなく、陽を浴びると
本当に温かく、庭の野菜たちと日向ぼっこ

太陽は、ありがたいものです。
しかし裏庭の西側は擁壁で、陽が差し込まず、
少しいるだけで、寒くなります。
ここにローズマリーの鉢植えが置かれております。
 
春夏秋冬、葉はいつまでも青々とし、その枝の中に
一輪以上の青紫色の花が見い出され、
『寒き日も ローズマリーの 花淡し』高橋正子
今はこのような風情を感じられますね。

料理の香辛料として使うつもりが、そのまま。
もちろん、香りが強く、茶花としてはNG。

常に香りが強いことから、『万年香』とよばれ、
和名はマンネンコウ⇒マンネンロウ迷迭香

このローズマリーは、地中海沿岸地方原産で
花嫁の髪にこの小枝を挿す習慣があり、
「貞節、愛、思い出」を表しているそうです。

1967年のダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』の
挿入歌として、サイモン&ガーファンクルが歌った
スカボロ・フェアー』、同年代の方は御存じでしょう。
”Are you going to Scarborough Fair?
 Parsley, sage, rosemary and thyme,”
 パセリ、セイジ、ローズマリー、タイム
こんなところにうたわれております。
元はイギリスの伝統的バラードだったのですね。
甘酸っぱくも、懐かしい時代です。

初釜への稽古は紹鷗棚で

2015-12-19 19:22:17 | お稽古
今朝のお稽古は三人様、
初釜で、お点前をしていただく予定なので、
二週続けての稽古となり、皆様の気合が伝わってきます。
実は”昨年と同じお点前でと”お願いしました。
二度目となれば、所作への自信も芽生え、
さらなるお茶への興味が湧き、
面白さも伝わるではないでしょうか。
そして次の方に、バトンタッチ。
 
紹鷗棚を使ってのお点前になります。
紅白の椿と、菊の輝葉を活け、
炉を整え、湿し灰を撒いて準備完了、

お待ちしております。

今月「極月」の床のしつらえ、香合を紹介します。
干支香合で「ひつじ」、もう名残ですね。
10日までは

10日以後
 

ちなみに、干支は農業用語だそうで、
漢字で「未」はまだ熟しきらない成長途上の植物を表し
未熟の未という意味になりますが、
来年の「申」はいかに?

意傳坊が主菓子に

2015-12-18 18:57:57 | 主菓子とお干菓子
昨日の八窓庵でのお茶事で頂いた主菓子
その名は、『意傳坊』(いでんぼう)といい、
奈良「樫屋」の季節限定の和菓子で、
15日から18日の朝まで行われていた
「春日若宮おん祭」の時期にしか味わえません。
THEpageより

外観は、けしの実が周りに付いているようで、
中は粒餡と味噌餡になっております。
頂くと、プチプチと口の中ではじけると同時に、
びりりとした山椒が味わえ、
少し色の変わったのが山椒だったのです。
みその塩気にアズキなどの甘みと山椒がきいており、
上品さの中に、奥深さが味わえました。


実は「意傳坊」は140年ぶりに復刻されております。
春日大社の「春日若宮おん祭」に提供された御用菓子で、
名産品でしたが、明治維新により姿を消しました。
2013年になり、奈良の「菊水楼」さんが、
春日大社の指導のもとに、
明治の文書「春日社若宮祭図解」の記述から
材料(もち米,ゴマ,アズキ,山椒,ケシ,味噌)がわかり、
絵図より、材料を練り合わせ、手で丸めて山盛りにし、
結び昆布が添えられました。
食べられたのは、お神酒を飲まれるときだそうで、
塩辛く、腹もちし、酒の肴かもしれません。
なお、これは神事に絡むため門外不出になっております。
しかし「菊水楼」さんは春日大社の許可を得られ、
味噌「好み居伝坊」として販売されたそうです。
      (2013年1月の日本経済新聞、参照)

「樫屋」さんは、春日大社にも和菓子を納めておられ、
春日大社さんの許可を得て、上品な和菓子としての
意傳坊」を出されているのでしょう。

八窓庵(はっそうあん)の八窓とは

2015-12-17 21:30:55 | お茶会・お茶事
雲の隙間から時々陽がさしますが、
昨日までの温かさが嘘のように、
寒さが身体に堪える冬の天気になり、
例年”『春日若宮おん祭り』は寒くなる”
と言われている通りになってしまいました。

必需品の貼る懐炉を張って、予備の懐炉も手に取り、
車で奈良国立博物館内にある『八窓庵』へ向かいます。
準備万端と思いきや、二日連続携帯を忘れており、
仕方がありません。
でもお茶事に撮影はNGですので。
(なお写真は、パンフレットより)

今年は“お濃茶席を御願いします”と言われ、
ほとんど茶室内だったので、
昨年ほどの寒さを感じませんでしたが、
粗相のないよう、気持ちが張っていたのか
帰りつくと、どっと疲れが・・・
それでも、いいお道具を使わせていただき
八窓庵でお点前をさせていただき
幸せな時間を持つ事ができ感謝です。

八窓庵(はっそうあん)を紹介いたします。
心字池を挟んで、東側に控室と、腰掛待合があり、
石橋を渡り、西側にある茶室『八窓庵』に向かいます。
江戸中期の作で、古田織部曰く
数寄屋ハカヤブキニツキ定也
という如く、茅葺き屋根の草庵風の外観です。

内部は四畳台目で、
躙り口を入ると左に床、正面に点前座になり、
床の間前の一畳を、貴人座としております。
平面図
床の間は一畳よりも狭い台目床で、
天井は、床前から点前座にかけて蒲の平天井で、
残りは掛込天井で化粧屋根裏になっています。
参考)1816年の稲垣休叟の著『茶道筌蹄』には
「小座敷は網代、、長片、此三通也、
  板天井は小坐しきに用ひず」と。


点前座から観ると、本勝手になり、
中柱は赤松のしゃれ木と二段の雲雀棚が設けられた。


この『八窓庵』も名の通り、窓が八つあり、
それの喩として、造営されてとされます。
①心の窓と人の体の窓七つ(眼二、耳二、鼻孔二、口一)
②六識(見、聞、嗅、味、触、知)と二識(末耶、阿羅耶)
両方とも、合わせて八つになりますね。

茶室の窓も変遷の歴史があり、『茶道筌蹄』では、
「紹鴎このみの四畳半の張壁を塗壁にて
ぬり残しのまどを明る事、居士より始るなり」と
待庵や妙喜庵が良い例になります。
そして利休居士以後の茶人、
織田有楽、古田織部、小堀遠州らは、
座敷の景」として、窓を重用し、
多く開けております。

奥が深く、なかなか理解できませんが、
精進あるのみですね。

山茱萸(サンシュユ)の赤い実と黒ずんだ実が

2015-12-16 11:25:50 | 季節の花々
剪定された後も、葉がのこっていた山茱萸(サンシュユ)も、
今ではすっかり葉を落とし、寂しげな風情ですが、その中に、
ルビー色の実が、庭の中で鮮やかに彩っております。
よく見ると、鳥たちに食べられることなく、
乾燥して皺より、黒ずんだ実を見つけました。

そして、側には来春に咲く花芽が出ております。
(種を取り乾燥させた果実が、漢方薬の『山茱萸』で
 この音読みが、サンシュユの名前の由来です。)

ふと幹に目が行きました。
”あれ山茱萸の幹って、まるでおじいさんみたい”
不規則な薄片が、皺状になっております。


こんな句が詠まれております。

山茱萸の庭にしはぶき ひびきけり
            植田暁生
お茶事のような静寂なたたずまいの中で、
老人が、大きなせきばらいをしているようですね。

なお奈良は15日から18日まで
春日若宮おん祭り』の行事があります。
この祭りは、春日大社の摂社である若宮神社の例祭で、
国の重要無形民俗文化財に指定されており、
平安末期の1136年に五穀豊穣を祈って始められてて以来、
一度として途切れることなく、守り継がれております。
明日17日正午から、平安から江戸時代に至る時代行列、
「御渡り式」が奈良市街を巡ります。

これに合わせて、明日17日、奈良国立博物館内の八窓庵にて
お茶事があり、手伝いをさせていただきます。
今日は昼から準備です。
いってまいります。

紹鷗棚にて平花月之式を

2015-12-15 07:40:15 | お稽古
週末三日連続での御稽古、
最終の日曜日は四人でのお稽古になり、
私を含めて五人となったので紹鷗棚で、
花月之式をさせていただきました。
我が家は六畳と四畳半に炉が、八畳には大炉が切ってある
お稽古場なので、八畳と六畳の襖を外し、
花月の基本である八畳の本勝手になるように、
そして足運びもわかりやすいようにと
毛氈と養生テープを使い、・・・頑張りました。
   

花月之式』は、
無学和尚の偈頌「互換機鋒看仔細」にあるように
札を引きながら、亭主になったり客になったり
たえず座の動きを見ながら、
どのような運命の変化があろうと
動ずる事なく対応しなければなりません。
我社中は、まだまだ花月一年生ですが、
事始めの日に
平花月を二回して来年に向けてのお茶に対する意気込みを・・・
皆さん
「スムーズにできたら、もっと楽しいでしょうね。」
「一か月に一度くらい集まれる日に花月をしましょう。」
とおっしゃてくださり、
お稽古の後は、いつも以上に頭を使って、
頭がふたまわりほど大きくなったようで
頭がバンバンで非常に疲れましたが、
満足感でうれしい限りです。

「珠光茶会」とは

2015-12-14 19:38:15 | お茶会・お茶事
第三回奈良大茶会『珠光茶会』が来年二月、
今年も開催されます。
もうすでに、お茶券等の発売も始まっております。
日程表(クリックで拡大)
パンフレットに、趣旨が次のように書かれております。
”茶道の源流ともいえる奈良の地で「わび茶」を創始した
 奈良出身の室町時代の茶人・珠光にちなみ、
 源とした冬の古都の風情を味わいながら、
 お茶文化に親しんでいただくため、開催いたします。”と
奈良においでの際、ご検討の一つにして下さい。

珠光の作り出した茶室は縮小された4畳半で、
茶席のわびの思想として次の言葉、
月も雲間のなきはいやにて候
また古市澄胤へあてた「心の文」が遺されております。
粗末な道具でも、用いて良しとされる茶の湯、
つまり「わび茶」を創始されております。

もう少しお付き合いください。
お茶の歴史に奈良が一番とは言いませんが、
深く関わっていることに気がつきました。
お茶の始まりは、遣唐使として最澄、空海などの留学僧が、
唐よりお茶の種子を持ち帰ったからとされており、
宇治茶の始まりには、栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、
明恵上人の駒蹄影園碑に記しましたが、
ここ奈良では、以下のように伝えられております。
お茶の種を持ち帰られた空海さんが、
女人高野の室生寺付近に、種を蒔き、製法を伝えられたそうで、
宇陀市榛原の佛隆寺には空海が持ち帰ったという茶臼とともに、
「大和茶発祥伝承地」と書かれた大きな石碑があります。
その後、奈良西大寺の叡尊さんが、一説には、1286年に
宇治川の漁師に茶の栽培を教えたことが宇治茶の発展に繋がり、
遺徳を偲んで、大茶盛式が、

しかし西大寺伝では、叡尊が1239年に八幡神社に献茶した余服を
民衆に振る舞い、そのことに因んでおり、今も続けられております。
そして、「珠光茶会」の名の基になられた
村田珠光さんが、奈良市の称名寺で「わび茶」の創始し、
「茶禮祖 珠光舊跡」と書かれた石碑があります。
さらに洗練し、精神性をも高められた
吉野郡生まれの武野紹鷗(じょうおう)さん、
紹鷗からのわび茶の精神を受け継ぎ、完成させた千利休居士へと
繋がっていくのです。
この頃の茶人、今井宗久さんも、
「朝が来た」のロケ地、奈良橿原市今井町出身でしたね。

歴史を知れば、ますます引かれ、精進あるのみです。

点茶盤にてお稽古

2015-12-13 17:31:16 | お稽古
ママさんバレーで鍛えられ、大変お若く見えるお二人です。
今年お稽古始められばかりで長く正座をした後足が痛く
大好きなバレーに支障が?
慣れもありますが、
膝の間に拳ほどの隙間を空け、
お尻を落とし、両足の親指を重ねて座ります。
その親指の上下を時々入れ替えると良いようです。
実は私も正座が苦手で上記のように上手くできません。
お茶には椅子に座ってできる立礼式がありますので、
先月からお二人のお稽古を、点茶盤にて行っています。
 
時間がかかっても、点茶盤ですれば平気です。
しかし、この部屋には暖房設備がありません。
今日は暖かくてよかったです。

主菓子は、『袴腰餅
干菓子は、『楽雁』長野、小布施堂
   
口に入れると、口どけの良さと上品な甘さが感じられ、
香ばしさとまろやかな風味が口の中一杯に広がりました。

箱の表は『楽雁』、裏側の成分表には赤エンドウの粉と表記が、
(追記:栗蜜も加えられております。)
あれ、栗落雁と思ったのに・・・
二つ疑問が出てまいりました。
①元は栗の粉だったのが、赤えんどう粉に変えられたのは
 ・栗粉と風味が似ているため
 ・変色しやすい栗粉の代用品
 ・さらに上品なお味になる
 ・お安くできるのかも? 
②らくがんは辞書では「雁」⇒『雁』に
 小布施堂が、初めて落雁を楽雁という字をあてた。
  *センスを感じるコピーになり、一字違うだけで
  「落雁」の持つ古い商品のイメージが変わりますね。

小布施堂さんには、「生栗らくがん」があり、
くりは奈」というそうです。
栗のシーズンにお干菓子にできれば、嬉しい限りです。
 
小布施では、小林一茶の時代にはすでに、
有名な栗落雁は作られておりましたが、
こんな句が詠まれております。
 『拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ』
さて『栗落雁』を召し上がられたのでしょうか?

師走のお稽古は袴腰餅で

2015-12-12 20:27:20 | 主菓子とお干菓子
昨日が嘘のように、風もなく穏やかな一日、
明日も良い天気になってほしいものです。
宗家では、明日の12月13日は『事始め』だそうで、
多数の方々が挨拶に来られ、正月準備も始められます。
この準備は、古来より煤払いから始め、山へ門松をとりにいき、
注連縄作り、畳替えそして障子張の順だそうですが、
今の世の中、なかなかそういう訳には参りません。
極月のお稽古は、昔の御所で煤払い時に饗された『袴腰餅
を準備しました。皆さんに古の師走を思い起こして頂きましょう。

袴腰餅の作り方は、白玉粉と上新粉、
砂糖を水で溶き、蒸しております。

蒸し上がると、濡れ布巾に包んで揉み、
分割し、丸め、粉の上で麺棒で伸ばし
 
粒餡をいれ、形を整え出来上がりですが・・・
砂糖に和三盆を使った為、色が真っ白ではなく
形も上手く台形になりません。
よれよれの袴になってしまいました
御所に納められていた川端道喜さんのは、
餅皮でこし餡を包まれており、形もきりっとした袴です。
明日、時間があれば、作り直しをしたいのですが・・・
 検定テキストより
今日はこれはこれで、納得してくださり、
美味しと言ってくださいました。、
もう臘月の半ばです。初釜のお話しでお稽古をおわりました。

付記)
なぜ『袴腰餅』なのでしょうか。
煤払いの日、御所では12月20日以降の吉日を選んでおり、
(徳川四代将軍家綱公が、江戸城煤払いを事始めの13日に定め、
 宮中も13日にあわせた時期もあったようです。)
その日には、男子禁制が解かれ、女官以外に、
公家、六丁衆(御所出入りの町人)の男性らも繰り込んでおり、
うす暗い殿中でも、袴の腰板を目立つようにしたそうです。
その袴腰を見立てた餅を『袴腰餅』として饗され、
黄色の餅は、クチナシで染められ公家の袴腰を、
赤色の餅は、小豆汁で染められ女官の袴腰で、
白色の餅は、そのままの白で六丁衆の袴腰を表しました。
現在は白なので、町人の袴腰餅のみ残っております。
(茶道文化検定テキストより)