気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

紹鷗棚にて

2015-12-11 20:44:00 | お稽古
今朝は季節外れの強い風雨、さらに気温も上昇し、
10月中頃の気候、二か月も季節が逆戻りです。

お稽古は紹鷗棚(じょうおうだな)にてですが、
この棚は、武野紹鴎好みの大棚です。
風炉が置けないので炉の時期にのみ使用可能です。

古を想い、初春を迎える
一月限定の大棚としてお使いのところもあるそうです。

準備をします。
棚は畳の中央で、縁から十六目向こうに、
中棚中央に薄茶器を、そして
水指は客付の地袋に入れ、戸は閉めています。
天板に奉書を敷き、硯箱を置きました。
次は炉で、湿し灰を四方に丁寧に撒いて、
香を敷いて準備万端です。
ここまでしたらやはりお炭をと
天板に羽、香合も飾り
初炭の準備もしました。
 
紹鷗棚のいわれの紹鷗さんとは
武野紹鷗のことで、利休居士の師でもありますが、
多くの名物を集めておられ、道具もお好きで、
鳥居引拙さん創案の袋棚に、手を加え、
紹鴎袋棚ともいわれるこの紹鷗棚を考案、
全体は檜材の春慶塗で、
地袋にふすまがはめられ、その縁には
紹鷗緞子の裂を回し、金具の引手があります。
さらに四本柱に天板がのり、地袋右中には
砂張りの平水指を合わせるそうです。

『茶道筌蹄』に「紹鴎棚 古名紹鴎袋棚と云ふ、
 ・・・・・・と書かれております。
また、『紹鷗袋棚記』にも記述されており、
その最後に狂歌が記されております。

我名をば 大黒庵と いうなれば
   ふくろだなにぞ 秘事はこめける

自号の大黒庵と大黒さんが持たれた袋とを
掛けられております。
参考;(棚の扱いと鑑賞Ⅰ、紹鷗棚、淡交テキスト)

実は、申歳の初釜に紹鴎棚を使わせていただこうと、
今までずっと押入れで眠っていた棚を出してきました。
さて、取り合わせはいかに・・・・・

烏(カラス)で夏の白山島(山形)を

2015-12-10 16:15:00 | 日記
   白山島頂上の白山神社から鳥海山を
昨日、ボランティアで学童見守りをしていますと、
学童の列が途絶え、ふと目が隣の中学校庭に、
 
”メタセコイアも茶色くなり、もう散リはじめ、冬が”
突然、”ガァガァ、とギャアギャア”と鳴き声が、
烏(カラス)です。 

この声に誘われるように、あっという間に、十数羽にも
やかましいことこの上ないのですが、”
子供たちは、関係ないかのように、”お帰りと言うと
元気な声で、”ただいま、さようなら”と声が帰ってきます。

烏で思い出したことが、
利休三十五条嫌忌の一つ、足運びの『烏飛び』や
烏瓜ではありません。書き忘れていたのですが、
夏の山形旅行から帰る途中、飛行機まで時間があり
クラゲで有名な加茂水族館は人でいっぱいなのでNG。
日本海をゆっくり眺めようと、偶然車を止めたのは由良浜。
家族連れが、蟹釣りに興じておられ、どうですかと
私たちにも勧めていただきま、童心に戻り、ご一緒しました。

そこには、橋でつながった島、「白山島」があり、
「羽黒山を開かれた蜂子皇子はここに上陸された」と
そして”三本足の烏”のお話も書かれており、
ここの井戸は、羽黒山の井戸と繋がっているとも・・・
 
この蜂子皇子(はちのこのみこ)とは?
1400年前に、あの蘇我馬子により都を追われて、
丹後の由良浜から、海路北上されたそうで、
この地、洞窟群八乙女浦で、麗しき乙女たちが
笛の音に舞いながらお迎えしたと伝えられており、さらに
駐車場に
白髪の老翁(三本足の烏)により羽黒山へ導かれたそうです。

奈良では、神武東征のお話に出てくる八咫烏(やたがらす)
それは熊野大社に見られ、最近では
サッカー日本代表のユニホームなどにも使用されています。                     
 
なぜ白山島なのでしょう。
羽黒山神社ならば理解できますが、実は
北陸から東北にかけ、白山信仰が伝わっており、この島にも
加賀白山神社が勧請されて、白山神社が頂上付近にあります。
お参りをさせていただきました。
橋を渡り、鳥居をくぐると、目をつく急な石段が、

263段ばかりの石段を一気に登ると、ハッハッ・・・
白山神社に着きますが、なかなか大変で山頂は背後の木々に。

梢の間から日本海が広がり、鳥海山も見られます。

階段の落ち松葉に注意しながら下り、島を一周しました。

なお白山神社は
四月の例祭には橋ができた今でも、御輿を担いで海を渡られ、
勇壮この上ないでしょうね。

でも今は冬、鉛色の空と荒れた日本海。

付録)こんな花にも会えました。
 
センニンソウ 
 

蜜柑の収穫を

2015-12-09 19:44:44 | 日記
蜜柑を好む 故に小春を 好むかな』 正岡子規
朝から晴天、新聞を取りに玄関先へ、
霜が降りており、近所の方とのご挨拶は
「寒くなりましたが、この天気も今日だけですね」と
10時過ぎると、気温も急上昇、ぽかぽか陽気に、
今のうちに、蜜柑の収穫が始まりました。
収穫前
昨年は120個でしたが、今年は70個程度

昨年は小型で酸味が強かったのですが、
今年は大きくて、なかなかの出来に、
月末には熟成し、もっと甘くなりますね。

全部蜜柑の実は取らないそうです。
お正月用の「だいだい」の代わりに
葉付きミカンとして残し、
それからもう一つ、意味があるのだそうです。

関東以北で果物の収穫には、
来年もたくさん実って下さいとの願いを込めて、
一つだけ実を残されるそうで、
「木守りの?」といわれます。
関西でも、神様のため残す風習があります。
食べ跡が、神様が召し上がられたかのように見える事からで、
その神様とは、実は鳥さん、モズやムクドリのためですね。

茶道大辞典で「蜜柑」を引くと『蜜柑香合』、
祥瑞と青磁の香合があり、双方とも葉付きミカンの形です。
祥瑞香合
お道具の中に、同じような葉付きミカンの香合を思い出しました。
箱書きもなく、詳細は不明のままにしており・・・。
今回、裏に「甘澁亭」の印がやっと読め、調べますと、
甘澁亭(あましぶてい)とは廃窯になった京都の鞍馬焼と判明。
佐々木常門?作かもしれません。
 
少しはこの作品に日が当たり、喜んでいるかも。
いつ、いつかは使える日が来るのかな。

『寒椿』を茶花として使われますか?

2015-12-08 18:32:06 | 季節の花々
日あたりや 蜜柑の畑の 冬椿』 泉 鏡花

庭の寒椿と蜜柑のコラボレーションは、
もうすぐ、見納めです。
遅いぐらいの収穫になりそうで、
この一月間以上、楽しませてくれました。

寒椿 力を入れて 赤を咲く』 正岡子規
   
本当にこのやや淡い赤い色、印象的で、
山茶花によく似ておりますね。

調べてみると、二系統に分類(諸説あり)されており、
主流は矮性を示す寒椿(中国原産)で、
学名は「Camellia hiemalis」、「椿 冬咲き」といい、
種類は少なく、「獅子頭」が有名です。

もう一つは、山茶花の交雑種の「寒椿群」で、
すべて立ち性(椿系)で、通称『立ち寒椿』と言われ、
品種の一つに「勘次郎」があります。ただ、
寒椿の「獅子頭」が「寒椿群」の基にもなっており、さらに
園芸品種の出現で、鑑別にはより複雑になっているそうです。 
学名は「Camellia sasanqua」が示す通り、
「寒椿群」はサザンカとして認知されています。

このように『寒椿』はツバキとサザンカの両種の特徴を
併せ持ち、この鑑別は非常に難しくなっております。
この二系統ともサザンカとして認知する見方もあるため、
あまり、茶花として使わないほうがよいかもしれませんね。

というのも、
サザンカ(山茶花)は「茶」の字が用いられており、
近年は、遠慮して茶席の花に使わないとされています。
でもやもおえない場合は、「山椿」と称すれば良いそうです。

花咲蟹で誕生会を

2015-12-07 19:20:40 | 日記
またまた孫の誕生会です。
有難いことに、もう一人増え、
合同での、誕生会になりました。

北海道からの直送の花咲蟹が、
我が家にやってまいりました。
というのも、この寒波で、観光客は少なく、
”なかなか手に入らない花咲蟹がありますよ”との
誘い上手な店員さんに、つい買ってしまわれたとそうで、
御裾分けに。
表 
誕生会のメインに、花咲蟹をテーブルの上に。
美味しかったのでしょうが、
実を出すのに、あんなに時間がかかったのに
あっという間に、無くなってしまいました。

鉤打ちて 花咲蟹と 女 云ふ」 井桁蒼水

花咲蟹は、タラバガニと同じヤドカリ目タラバガニ科で、
見分け方は、特有の赤い甲羅が逆ハート状をしており、
棘が大きいことです。
栄養いっぱいの天然昆布を好んで食べる事から
「コンブガニ」とも呼ばれており、
解禁日は3月下旬から9月までなので、
冷凍ですが、
エビによく似た甘みとコクがあり、
身はプリッとしており、深い味わいを楽しめました。

少しですが、残しておいてくれました。
ありがとうございます。

萬年青(オモト)を飾りました。

2015-12-06 18:22:52 | 季節の花々
今朝は自宅稽古日ですが、
お一人こられる予定で、四畳半でのお稽古に、
庭では椿以外の花が寂しくなっており、
さんしゅゆ、白侘助と寒椿を。
 
お待ちしております。

六畳間の稽古場には、一週間前になりますが、
お花をされている方に、「萬年青」を活けていただきました。
お正月までには少し早いのですが、縁起物ですからね。

漢字で萬年青(オモト)は特別な読み方をしますが、
縁起がいい植物とされ、古くから日本で栽培され、
現在は1000種ほどで、珍しいものは高値だそうです。
なぜそんなにも流行ったかといいますと、
一年中緑の葉を茂らせ、緑が絶えないことより、
縁起物として、庭に植えると災難を防ぎ、
家が万年栄えるといわれます。
特に長続きした江戸の徳川家の、
「家臣から献上された3本の万年青を携えて江戸城に入城した」
この故事から、大名の間に流行ったそうです。
江戸中期のブームが明治まで続いており、
福羽美静子爵が歌を詠んでいます。
干代八干代 ふかきみどりの 根岸松 
        さかえめでたき 万年青なりけり
」と
さらには、市井には「引越しおもと」として伝わり、
変じて結婚、出産など祝い事の贈り物としても。

また「オモト」に、赤い実が付いている様子は、
母が子を抱きかかえている様を想像させ、
『母性の愛』つまり、子孫繁栄の象徴とされております。
活けていただいたときはオレンジ色でしたが、
一週間後の今は、やや朱色が増してきております。
一週間後⇒
水の入れ替えを忘れなければ、3月頃まで飾れそうです。

玄関のしつらえはX’masのリースと色紙で

2015-12-05 20:41:15 | しつらえ
朝から私の御稽古へ行かせていただきました。
冬至までもう少し、低くなった太陽に照らされ、
若草山が金色に波打っております。
玄関に打ち水がされており、
居住まいを正し、ドアを開けてお稽古の始まりです。

先週の京都での茶会について話が弾みました。
いらしゃった方々は皆さん喜んでくださった事
大勢様でしたのにタイムスケジュール通り進んだ事
どなたも怪我などなく無事終える事ができた事
先生も大変喜んでおられ、
ほっと一安心です。

午前中は濃茶付花月に入れていただき、
且座の見学をしました。
午後は貴人清次、流し点てなど・・・・
忘れる事により新しい発想が生まれる
この先生のお言葉に忘れる事が得意な私はちょっと安心、
お稽古は疲れますが、
好きなことができる楽しみをかみしめて、
帰路につきました。

昨日は玄関扉の上には、Xmas仕様のリースへ。
二重にしてみました。

玄関のしつらえです。

色紙は昨年と同じですが、面白いでしょう。

リースは新しくし、ほのかに香りが漂っております。
実は、朝から近所の方のお宅にて、
お茶とケーキ、おしゃべり付きで、
リース作りを教えていただきました。
我が家とは違う、オシャレな洋風宅で、光が入り込み
南フランスのカフェにいるような時間をすごしてきました。
 
出来上がりはいかが。
玄関で飾ると・・・
 
こんな感じに仕上がっております。
二十日ほどで、Xmas
孫と一緒に、クリスマス・パーティーをしたくなりますね。
忙しいから、迷惑かな?

三笑蓋置とは

2015-12-04 19:03:00 | しつらえ
昨晩、初釜もあることだし、どうしょうかなーと、
ごそごそ、ふと目に留まった蓋置。
どこで買ったかもわかりませんが、かなり昔に。
おもしろい三人形蓋置だと思い手に入れ、そのままに。
手に取ると、手をつなぎ輪に、そしてお顔は外側に。
なんと笑っておられます。

中国では、これは文房具の筆架・墨台として用いられ、
日本に渡り、蓋置に見立てられ、三人形蓋置とされます。
多くの三人形が一つだけ姿が違い、
夫、妻、子供の表現だそうで、
帯または羽織姿(夫)を正面とし
一家和楽を意味するそうです。
顔の向きにも違いがあるそうで、
唐銅・青瓷は漢人が外向きで唐物とされ、
それ以外は内向きで和物とされている所もあります。

この蓋置は、お顔がニコニコと笑っておられ、
調べますと三人形蓋置の一種の『三笑蓋置』で、
信楽焼、上田寿方作ということがわかりました。

羽織を着ておられるのが、正面でしたね。
   
正面
さて、なんなんでしょう?
有名な「廬山記」の故事の「虎渓三笑」からで、
中国東晋時代の儒学者慧遠にまつわるお話で、
廬山に隠棲された慧遠は、
二度と虎渓谷に架かる石橋を越えまいと誓われたが、
訪ねてきた陶淵明と陸修静を送って行った際、
話に夢中になリ過ぎて、不覚にも石橋を渡ってしまい、
三人で大笑いして別れたそうで、
学問や芸術の話に夢中になって時を忘れる・・
という意味にもなり、
東洋画の画題の一つともなっております。

これから『楽慶入』さんが意匠化して
『三笑蓋置』にされております。

いつか使わせていただきたいですが、
どうなシーンの茶会だったら生きそうですかね。
考えるだけでも、・・・ワクワク。

日本の庭園の源流は奈良から(東院庭園)

2015-12-03 19:27:38 | 散策
雨が止むとともに、若草山から水蒸気が昇っていきます。
  
平城京跡の東側に出っ張りがあり、発掘調査から
「続日本記」に記された「東宮」あるいは「東院」で、
皇太子の宮殿とされております。

その南東隅に東西南北60mの池が確認され、
宴会や儀式を催されたこともあるそうで、
東院庭園として再現されております。

エントランスを兼ねた復原建物から庭内へ

中央建物と池が見えますが、ブルーシートが邪魔です。
現在修理工事中のため、半分しか公開されておらず
残念です。
  
最初に作られた時は、単純な逆L字の池でしたが、
その後、入り江や出島をもつものに作り直されており、
自然の風景を主題とした池泉回遊式と呼ばれる庭です。
平安時代以降における庭園の原形になるそうです。
  
この石組や景石の一部は、実物だそうですが、
無くなったと考えられる位置に補充した石には、
奈良時代のものと区別するため、
石の裏側に補充した年度をで書かれております。
木簡と同じで、地中にあれば・・・
やはり墨でしか保存は考えられないのですね。

ちなみに、世界最古の墨は、なんと、
日本の正倉院にある、新羅墨(716年製)だそうです。

もう少し、紅葉を楽しみたいのもです。
隅楼

第一次大極殿の四神は

2015-12-02 19:21:10 | 散策
     枯れすすきと朱雀門から生駒の山並みを望む
『散るすすき 寒くなるのが 目に見ゆる』小林一茶
『風も動かず 芒を見れば 枯れにけり』 正岡子規

平城宮跡を訪れた際(11月下旬)、小雨の中、
第一次大極殿でも説明をしていただけました。
独りで伺った4月でも、雨で帰宅を余儀なくされており、
(参考:平城宮跡第一次大極殿にて春を
なぜかしら、雨になりますね。
  
『あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は 
    咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり』

内部に入ると、天皇の玉座である八角形の高御座に目が、

暗さに慣れてくると、是非目線を上にあげてください。
各部材は赤土である丹土や緑青で、塗装されており、
天井板には蓮の花をモチーフにした紋様を見ることができます。
 
また上部の小壁には、先日観覧させていただいた松柏美術館
館長の上村淳之画伯が、四神と十二支を描いておられます。
美術館では現代的な日本画の印象でしたが、
古典的な描き方の中に、繊細さが表されております。
東:青竜、

西:白虎、

南:朱雀

北:玄武

十二支
来年の干支の申


龍 
内部が暗く、写真がよくなくてすみません。

天皇・皇后陛下が2010年にご訪問時に、長年の研究を称え
『研究を 重ねかさねて 復原せし 
       大極殿いま 目の前に立つ』

復原するには、写真や絵など参考にするものはなく、
発掘調査で判明している基壇などから、
当時の大きさ・形状を推定し、また
飛鳥・奈良時代から現存する建物を基とされており、
内部は法隆寺の金堂で、
軒や組み物は薬師寺東塔だそうです。

平城京の発掘調査は全体の3割ですが、
当時の風景が徐々にですが、よみがえりつつあります。
文科省の予算はではなかなかですが、
国営平城宮跡歴史公園は国土交通省管轄だからですね。