語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】無名の力 ~コミュニティの芸術~

2012年01月04日 | 詩歌
 俳人=表現する者は、東日本大震災をどう受け止め、どう立ち向かっていくか。
 もちろん、この現実をまったく無視して作句し続けるのも、俳人の選択肢の一つだ。しかし、この場合も、無視という態度をなぜ選ぶかを明らかにすることに表現者としての意志とエネルギーが要求される。現実を毅然として拒絶し、代わりに何を表現していくか、という断固たる思想を持たずにはその先に進めないからだ。単なる無視は、現実逃避にすぎない。

 自分自身にも避けて通れない課題だ。第一、俳句など作っていていいのか、という思いもあった。周りには苦しみ、悲しみが満ち満ちていて、この現実に対して言葉がいかに無力であるかも身をもって感じていた。しかし、その壁に突き当たるたびに、自分には俳句しかない、という思いに行きついた。誰のためでもなく、まず自分のために俳句を作る。その自己確認の繰り返しで、今もその模索の最中だ。

 この震災を機に、改めて知ったこと、考えさせられたことがたくさんある。俳句の無名性と、その力もその一つだ。
 飯田龍太のいわゆる「詩は無名がいい」は、個性を超えた普遍的作品世界のことで、作品そのものだけを残したい、とする境地を指すらしい。「まず名を求めて懸命に努め、いつかその目的と結果を忘れ去った時、生まれる」ものが本当の意味での無名の詩だ、とも述べている。作家としての覚悟のようなものだろう。
 しかし、ここでいう「無名性」は、実際に生まれた作品に即した、単純極まりない実感だ。たしかに、俳句総合誌が矢継ぎ早に組んだ震災特集にも感銘を受けた句があった。しかし、自分の心をよりとらえたのは、もっと大多数の、いわば俳句をささやかな心のよりどころにして親しんできた、一般の愛好家たちのものだった。

   震災後また朝が来て囀れる  佐々木智子
   泣きはらす子らにひかりあれ卒業歌  上郡長彦
   避難所の毛布に眠る赤子かな  條川祐男
 
 作品の芸術性はさて措く。これら一句一句は、その日その時のかけがえのない作者の心そのものとして立ち上がっている。
 やむにやまれぬ思いがひたすら句作へと自分を駆りたてる時、詠み手自らが被災地にいるかいないか、当人が被災者であるか否かは問題ではない。
 そもそも、誰が被災者で誰が被災者でないか。それは住んでいる場所や体験の有無が決めることではない。その人自身の心のあり方の問題だ。<誇張を承知でいえば、このたびの福島の放射能の災禍は、日本人、いや、世界のすべての人が被災者なのである。>

   夏雲や生き残るとは生きること  佐々木達也
   さわ先生カニに変身あいに来た  せとひろし

 前句は、俳句甲子園の高校生、後句は地元宮城の東松島氏の4歳児のもの。どちらも、大震災の句であるか否か、判別しにくい。しかし、前句の<生き残る>には、多くの死と立ち会った時にだけ生まれる切実な思いがこめられている。高校生らしい素朴もあふれる。
 後句の<変身>には、もうこの世にはいない人への思慕と蘇りの願望とが、まさにたどたどしく表現されなければ伝わることのない世界そのものとして書きとめられている。本人は漢字はおろか、平仮名も書けないだろうから、これは大人の書き写しだ。俳句というより単なる呟きだ。だが、呟きは詩になり得ることはツイッター以前に俳句が証明している。
 こうした俳句に出会うたびに、俳句形式のもつ無名の力に突き当たる。錬磨洗練された言葉の姿や深遠高雅な思想とは遠いけれども、その場その場の人間の肉声が、生々しくかつ率直に、それぞれの在りようとして聞こえてくるのだ。
 それは、東日本大震災という未曾有の現実が支えている言葉の力であるかもしれない。あるいは、読み手の思いが過剰に反応して、かろうじて成立している世界かもしれない。そうであってもよい。俳句は、おそらく、もともとそういう文芸なのだ。時や場所を共有している限られた人々の限られた時空で成立してきた文芸なのだ。そして、それゆえに生まれる無名のエネルギーこそ、俳句の原点がある。

 俳句は、俳諧と呼ばれた当初から、肩書きも富もない庶民の詩だった。和歌が、貴族や武士が自らの名や存在を残し広く伝えようとして創られてきたことと対峙する。俳号は、仮の名、社会的存在としての自分を拒絶する意思表示だ。作品そのものが、それも意中の何人かの心にしっかりと響くことだけを願う、慎ましい自足の世界なのだ。
 この無名の力を、未曾有の災禍のなかで確認することができた。

 以上、高野ムツオ「無名の力」(「俳句年鑑2012」、角川書店、2011)に拠る。

 【参考】「【震災】天変地異のなかで俳句に何ができるか
     「【震災】東日本大震災を俳人はどう詠んだか
     「【震災】原発事故を俳人はどう詠んだか
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