語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【正月】日本のケストナー、天野忠の「新年の声」

2012年01月07日 | 詩歌
 ケストナーの児童文学は、『エーミールと探偵たち』、『点子ちゃんとアントン』、『飛ぶ教室』あるいは『ふたりのロッテ』を小学校の図書館で借りて、おおいに楽しんだ。大人になってから、大人向けの小説『消えうせた密画』や『雪の中の三人男』を手にしたが、こちらはさほど感心しなかった。
 大人になって感心したケストナー作品は詩だ。『人生処方詩集』は、角川文庫版もちくま文庫版も蔵書のどこかに埋もれ、 WANTED 状態だから、ここでは『ケストナァ詩集』から「明後日の幻想」を引く。

   次の戦争がはじまったとき
   女たちは、いけない、と言った
   そして兄や息子や夫を
   しっかりと部屋に閉じこめた

   女たちはそれから、どこの国でも、
   中隊長の家へ出かけていった
   手には棍棒をもって
   奴らをひきずり出した

   この戦争を命じたものを
   女たちは片っぱしから取っておさえた
   銀行や工場主
   大臣や将軍たちを

   棍棒が何本も二つに折れた
   法螺吹きどもは口がきけなかった
   どこの国でも喧嘩ばかり
   戦争は一つもなくなった

   それで女たちは帰っていった
   弟や息子や夫のもとへ
   そして、戦争はすんだと言った
   男たちは窓から外を見つめ
   女の顔は見なかった・・・・

 『ケストナァ詩集』の跋は、村野四郎が書いている(1965年秋付け)。
 <ケストナーが、処女詩集 Herz auf Taille (腰の上の心臓)を明日のは二十七八才のはずだが、その新刊詩集を笹沢美明君から借りてよんだ私も、まだ二十代であった。
 笹沢君も私も、その頃ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)にとりつかれて、旧式叙情詩の破壊口をさがしてやっきになっていたので、この詩集ぐらい私たちにとって新しい衝撃はなかった。私は詩誌「旗魚」の扉に、この詩集から、洗滌器とバイブルと靴のある挿絵を失敬して載せたりした。今から三十何年も前のことである。  
 私は新即物主義詩人の一人として、ケストナーをブレヒトやリンゲルナッツと一緒に愛読したわけだが、あのひどい皮肉と冷笑をこめた批評的喜劇精神と即物意識が、成長期にあった私の体質に、どんな養分をあたえてくれたかということを、今思いかえして妙になつかしい気持ちになってくるのである。
 (中略)
 ケストナーの、あのバラケツ的な即物的詩精神は、現代詩の深刻癖や観念癖に今日でも充分利き目があると思う。とにかく詩が、もうすこし新鮮で面白くなるだろうと思う。ケストナーは今日でも鮮烈に生きている。(後略)>
 余談ながら、村野が言及している笹沢美明の3男は、「木枯し紋次郎」の作者として知られる笹沢左保だ。村野は堅実なサラリーマンだったが、笹沢美明は親の遺産に寄食する「高等遊民」だった。そんな親父に愛想をつかし、自活できる大衆作家になった、と笹沢左保がどこかで言っていた。
 村野は、ケストナー的諷刺精神を天野忠に見いだした。読売文学賞を受賞した『私有地』から「新年の声」を引く。

   これでまあ
   七十年生きてきたわけやけど
   ほんまに
   生きたちゅう正身のとこは
   十年ぐらいなもんやろか
   いやぁ
   とてもそんだけはないやろなあ
   七年ぐらいなもんやろか
   七年もないやろなあ
   五年ぐらいとちがうか
   五年の正身・・・・
   ふん
   それも心細いなあ
   ぎりぎりしぼって
   正身のとこ
   三年・・・・

   底の底の方で
   正身が呻いた

   --そんなに削るな。

□エーリッヒ・ケストナァ(板倉鞆音・訳編)『ケストナァ詩集』(思潮社、1975)
□『天野忠詩集 ~日本現代詩文庫11~』(土曜美術社、1983)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする