語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】片山善博の、なぜ政治が機能しないのか

2012年01月27日 | 社会

 1月26日に放映された「地球イチバン」(NHK総合)によれば、世界で最も人口密度が高い島はコロンビアのイスロテ島だ。わずか100平米の土地に1,200人が住まう。
 海は豊かで食べるのに不自由はしないのだが、なんせ家屋が密集するから、島の端から端まで移動するのも容易ではない。だから、家の扉には鍵をかけず、通り抜け自由だ。
 住居は狭い。ある一家(16人家族)の場合、寝室3室にベッドが5台しかない。よって、子どもたちは、ベッドの長辺に頭と足を置いて眠る(ベッドに横並びに寝る)。夫婦は床にマットを敷いて眠り、昼間、マットは屋根の上にしまう。
 無論、島民同士のもめ事も起こるのだが、常に誰かが仲裁に入り、「みんな家族」の一言でおさまる。1,200人の家族!
 閑話休題。

●なぜ民主党政権は停滞したか
 (1)マニフェストに実効性の乏しい政策を列挙しすぎた。そんなに盛り沢山にしなくても、2009年の選挙では、政権交代は可能だっただろう。ところが、自らハードルを高く設定してしまい、自ら首を絞める結果になった。しかも、実現不可能なことが明らかになったなら、修正する必要があったのに、その機能がほとんど働かなかった。ために、いつまでも実現不可能性ばかりが目立ち、常に矛盾を抱えて政権運営をしなければならない羽目に陥った。
 (2)大組織を動かしていく資質・力量に乏しかった。巨大な官僚機構をしっかり制御しながら、できるだけ自分たちの考える方向へ動かさねばならないのに、組織をマネジメントする力量が不足していた。国務大臣の半数までは国会議員でなくてもよいのだから、最初は国会議員以外から人材を入れ(「借り物」)、弱点を補強すればよかった。
 (3)党内で普段から議論し、合意形成する基本的な動作を身につけていなかった。だから、土壇場になってから泥縄式に、政府に入っている幹部が平場の議員に下ろして押し切ろうとする。「スケジュール闘争」になった。議論がない、ということは、自分たちの政策に対して意外とこだわりを持ってない、ということにもつながる。重要な理念や基本方針に対してこだわりを持つ人が非常に少ない。政党としてはかなり重症だ。

●「民主党らしさ」にこだわりがない民主党
 自民党時代に官僚主導の弊害がたくさん現れた。是正のため、「政治主導」を民主党は打ち出した。例えば「新しい公共」という考え。それ自体は適切なアジェンダだった。
 にも拘わらず、民主党の誰もわかりやすく語ろうとしなかった。古い公共(公共事業や公共職業安定所など)は官が独占し、官僚が税金を使って公共空間や公共サービスを演出してきた。いま、それが行き詰まっている。「新しい公共」のため、例えば寄付税制を拡充することによって官を通さないルート(NPOなど)を開拓する。こんな取り組みが「官僚主導から政治主導へ」のアジェンダを具体化することになる。
 しかし、鳩山政権の目玉だった政策も、政権や党内であまり議論されていなかった。弱者や声の小さい人たちに光を当てることも民主党らしさだが、それに対するこだわりもあまり持ち合わせていなかった。

●政策の連続性が欠けている 
 党の性質として弱者に対する理解が相対的に高いのだから、それを民主党らしさとして積極的に打ち出すのも一つの進むべき方向だ。ところが、非正規労働者の処遇についても、体を張ってでも改善させようと覚悟を持っている人はあまり多くない。だから、派遣労働の問題も、いつまでたっても見るべき改善がない。
 そうしたことが大阪の選挙結果にもクリアーに表れた。相手陣営の新自由主義的な体質や政策に対抗して、組織化されていない有権者、正規労働の職にない人、希望があまり持てない人などを取り込むチャンスだった。党として、こうした人々のための政策に力を入れていれば、大阪の選挙結果もかなり変わっていたのではないか。
 本来ならば、民主党が政権をとった段階で、弱者に対する政策に力を入れることを明らかにし、彼らの支持を調達する努力を積み重ねておくべきだった。

●財源論というマインドコントロール
 財源論で窮地に陥ってしまうのは、財務省の予算編成や財政運営のやり方に絡め取られてしまっているからだ。
 全体の中でどうやり繰りするか。それが財政だ。新しいものが出てきたら、古いものの中で必要性の薄いものを退出させ、新しいものを入れるという調整をするのだ。ところが、これまでの財務省の予算編成は、それぞれの主計官単位に縦割りで完結させる。シーリング制の悪いところだ。
 政治家が何か主張すると、すぐに官僚が「財源はどうするか」と聞いてくる。全体の中で塩梅する、と言ってのける力量が政治家にあればいいが、総じてそれがない。結局各省単位で財源を探さねばならないので、官僚たちも新しいことを考えたくなくなってしまった。
 その極めつきが復興予算だ。復興を急ぐのに、財源をどうするかが優先された。復興事業に既存の財源はないから、増税するしかない。その結果、増税がなければ補正予算は組まない、という妙な理屈になってしまった。国債を発行してただちに取り組むべし、と閣内で主張したが、明確な財源がないのに予算を組むのは無責任だ、と野田財務相(当時)は譲らなかった。そんなやりとりを昨年4月からずっと続けた。菅総理(当時)は、そのたびに苦渋に満ちた顔をしたが、増税が決まる前でも本格復興予算を組もう、という決断に至らなかった。復興のための本格予算が遅れた本当の理由は、そこにある。政府・与党の中枢が、財務官僚がつくりだした固定観念にはまってしまい、マインドコントロールを受けている状態になってしまった。
 政権交代後の民主党政権は、新しい公共にせよ子ども手当にせよ、新機軸を打ち出した。行政の仕組みを思い切って変えようとしたことは評価できる。
 しかし、鳩山政権は普天間問題で大失敗した。これで民主党の幹部たちは羮に懲りてしまった。外交、防衛、予算までお役所のいうことを聞いておいたほうが無難でいい、と膾を吹いている。そして、とうとう安全運転のドジョウ内閣になってしまった。

●統治を拒否しつつリーダーシップを求める人々
 ねじれ国会の中で、非常識な法案の取り扱いが行われている。予算は通したが、歳入の根拠となる赤字国債の特例法は別途審議する。つまり、実際は予算を通していない。本来は、予算+歳入関連法案をセットで議論すべきであって、歳入関連法案が否決ならば憲法第60条(30日で自動成立)で乗り切れる。
 震災で法案が目白押しなのに、法案が一本通るたびに委員会で法案と直接関係のない一般質疑をやった。改めるべき風習だ。次々に手際よく処理すればよいのに、衆議院も参議院も一つ一つ途中下車して時間がかかった。
 自民党はずっと官僚依存で、仕事は官僚に任せた。大臣のポストは、党内バランスを保つためや総裁選の論功行賞などに使った。これをを繰り返してきたから、全く非力な内閣が続いた。民主党政権はそれに対するアンチテーゼなのだから、最低限心がけるべきは真の適材適所で内閣を構成することだ。「借り物」でもいいし、これはと思う官僚を政務三役に登用してもいい。官僚は官僚機構に所属しているから既得権にしがみつくのであって、政治任用で政治の側に引っ張ってくれば、政権と命運を共にするしかない。何といっても官僚は業務に精通しているのだから、個別にピックアップし、副大臣や政務官に登用して明るいところで仕事をさせ、その結果に対して責任を取らせてもいい。
 民主党の政治家に、経験、研鑽を積むシステムをつくるべきだ。大臣、副大臣、政務官以外に、各省に大臣の補佐官のようなポストをつくり、若い国会議員をつけたらいい。
 国会法第39条は、国会議員が政府内に入れるポストを限定列挙している。これを変え、これまで官僚が独占してきたポスト(<例>海上保安庁長官)に、得意分野を持った議員が入り込めるようにすれば、数年経ったら人材がもっと豊富になる。

●ローカルポピュリズムの防壁とは
 現状では、自民党の地方組織は崩壊し、民主党はもともと組織がない。共産党と公明党は別にして、日本の政党は所詮現職の国会議員(地方では県会議員)の集まりだ。党員がいない政党だ。こうした現状の政党のミッションは、現職議員が次も再選されることだ。それは本来の政治のあり方ではない。これを変えなければ国政でも地方政治でも真の政党政治の実現は困難だ。
 日本の地方議会は、儀式であって日常的な活動になっていない。儀式だから、議場という建物がとりわけ重要になる。今回の震災でも、役場も議会も移転を余儀なくされたところで、議員たちは議場がないから議会ができない、と。
 トクヴィルはいう。米国には(a)陪審員制度、(b)自由な結社、(c)地方自治があり、そこに参画する国民の実戦経験、鍛錬が国政レベルの民主主義を支えている、と。ところが、いまの日本の地方自治は、実は有権者である住民が参画しなくてもいい仕組みになっている。例えば、ムダなハコモノをつくっても固定資産税は上がらないし、逆に行革をやっても税負担は下がらない。これを正常化して、無駄遣いをすれば税金が上がる、というメカニズムが作動すれば、住民が政治に参画する意識は高まらざるを得ない。総務大臣としてそうした仕組みにつながる地方自治法改正案も準備したが、3・11が起こって、成立しないまま内閣が終わってしまった。実に残念だ。

●私たちがどういう社会をつくるのか
 いまの内閣の体質のままで政権を運営したら、希望は全くない。野田首相も、官僚から与えられたテーマではなくて、最重要課題はこれだ、と自分の立場や党の利害を超えて取り組まなければならない。
 最高裁で一票の格差に問題あり、と指弾されて久しいのに、本気で選挙制度を是正する気が見られない。民主主義を支える根っこの仕組みがおかしい、と言われているのだから、現在の国会議員はおかしなルールの中から出てきた人たちだ。
 早く選挙をやったらいい。ただ、在野の賢明な人々が国会に出て来ることが想定されるなら望みがあるが、選挙をやってもたいして顔ぶれは変わらないし、さしたる展望が開けない、ということなら、もはや袋小路だ。

 以上、鼎談:片山善博(慶應義塾大学教授・前総務相)/山口二郎(北海道大学教授)/柿崎明二(共同通信社編集委員)「なぜ政治が機能しないのか ~改めて問う「政権交代の意義~」(「世界」2012年月号)から、片山善博の議論を抜粋、要約した。
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