語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】詩の効用、または薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば」の事

2010年10月03日 | 詩歌
 春夏秋冬・・・・それぞれの季節がもたらす季感は、詩人をして詩を生ましめた。
 秋・・・・杜甫は病みがちの身を一人高台に登らせ(万里悲愁常作客/百年多病独登台)、ライナー・マリア・リルケはいよいよ孤独を深めた(Wer jezt allein ist, wird es lange bleiben)。ジャック・プレヴェールは海の波をしてすべてを洗い流させしめ(Et la mer efface sur le sable/les pas des amant desunis )、中川宋淵は石の声を聞いた(秋ふかく石がささやく石の声)。

 おしなべてどうも陰気だ。
 ここでは、豪華絢爛たる秋の詩をとりあげよう。
 いまや廃語の古語を駆使して組み立てているから、とっつきにくく人口に膾炙しないが、散策のとき口ずさむと(中原中也的にいえば)テムポ正しく歩むことができる。この季節の宴会で披露してもよい。カラオケに倦んだ紳士淑女諸氏諸嬢の喝采をうけること、まちがいない(ただし保証はしない)。

 泣菫薄田淳介は、詩人、コラムニスト。1877年5月19日、岡山県連島村(現・倉敷市連島町)生。岡山中学中退後、上京。漢学塾の助教で生計を維持しつつ、上野の図書館で独学。詩を発表し、島村抱月に認められたが、病をえて帰郷。以後、関西で暮らし、東京の文壇と距離をおいた。1906年、婚姻。1910年、帝国新聞社に入社。後に大阪毎日新聞社に移った。1915年から、所属紙にコラム「茶話」を連載。1917年、パーキンソン病に罹患。1945年10月9日、没。享年68歳。
 著書は、詩集『暮笛集』『白羊宮』、エッセイ集『茶話』『艸木虫魚』、ほか。
 掲詩は、明治38年(1905)11月、「中学世界」冬期増刊号に初出。

   ああ、大和にしあらましかば、
   いま神無月、
   うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、
   あかつき露(づゆ)に髪ぬれて往きこそかよへ、
   斑鳩へ。平群(へぐり)のおほ野、高草の
   黄金の海とゆらゆる日、
   塵居の窓のうは白み、日ざしの淡(あは)に、
   いにし代の珍(うづ)の御経(みきやう)の黄金文字、
   百済緒琴(くだらをごと)に、斎(いは)ひ瓮(べ)に、彩画(だみゑ)の壁に
   見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、
   常花(とこばな)かざす藝の宮、斎殿(いみどの)深(ふか)に、
   焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折(やしほをり)
   美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
   さこそは酔はめ。

   新墾路(にひばりみち)の切畑(きりばた)に、
   赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
   そことも知らぬ静歌(しづうた)の美(うま)し音色に、
   目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
   あり樹の枝に、矮人(ちひさご)の楽人(あそびを)めきし
   戯(ざ)ればみを。尾羽身(をばみ)がろさのともすれば、
   葉の漂ひとひるがへり、
   籬(ませ)に、木の間に、──これやまた、野の法子児(ほふしご)の
   化(け)のものか、夕寺(ゆふでら)深(ふか)に声(こわ)ぶりの、
   読経や、──今か、静(しづ)こころ
   そぞろありきの在り人の
   魂にしも沁み入らめ。

   日は木がくれて、諸びとら
   ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒(さむ)に、
   そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
   白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふち)、名こそあれ、葉広(はびろ)菩提樹、
   道ゆきのさざめき、諳(そら)に聞きほくる
   石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、
   高塔(あららぎ)や、九輪(くりん)の錆に入日かげ、
   花に照り添ふ夕ながめ、
   さながら、緇衣(しえ)の裾ながに地に曳きはへし、
   そのかみの学生(がくしやう)めきし浮歩(うけあゆ)み、──
   ああ大和にしあらましかば、
   今日神無月、日のゆふべ、
   聖(ひじり)ごころの暫しをも、
   知らましを、身に。

【参考】薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば」(『薄田泣菫詩集』、新潮文庫、1954年、所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税率引き下げは経済を活性化しない ~「超」整理日記No.531~

2010年10月02日 | ●野口悠紀雄
(1)法人の課税所得
 課税所得と企業会計上の利益は同一ではない。一部、企業会計上の所得より課税所得を増やす要因もあるが、多くは課税所得を減らす要因として働く。
 例:法人税では損失を7年間繰り延べできる。→現在、主要な金融機関は法人税を払っていない。今後、今回の経済危機で大損失を受けた製造業の大企業は、法人税を負担しない企業が増えるだろう。
 各種引当金、準備金も利益を減らすように働く。
 課税所得は企業会計上の所得に比べて圧縮されている。不況期には特に圧縮度が高まるようだ。
 加えて租税特別措置がある。特に重要なのは試験研究費の税額控除制度だ。この制度によって、トヨタ自動車の納税額は、2007年3月期に約760億円、2008年3月期に約822億円減少した、といわれる。
 このほかに外国税額控除がある(二重課税排除のための措置)。総合商社では、これがかなり納税額を減少させている。

(2)法人税の影響
 法人税について最も一般的な誤解は、法人税負担が企業のコストを高めている、というものだ。
 しかし、法人税は利益にかかるものだから、企業にとってのコストにはならない。
 法人税の影響があるとすれば、企業が行う投資や企業に対する投資の税引き後収益率が変化するため、他の経済活動との関係で相対的な有利性が変化することに伴うものだ。しかし、これについては慎重な検討が必要だ。
 (ア)企業が行う設備投資に対する法人税の影響
 支払い利子は損金算入できる。  
 これを考慮すると、税引き後の投資収益率は法人税率に無関係・・・・という結論が得られる。
 なお、現在、日本で設備投資が低迷しているのは、法人税の影響ではなく、投資の収益率が低下しているからである。

 (イ)株式投資に対する収益率
 個人に対する配当課税も併せて考える必要がある。
 ●日本:20%、英国:32.5%、仏国30.1%。
 仮に日本の法人税率が高いとしても、配当課税率が低いことでオフセットされている。
 なお、受取配当の益金不算入措置が採られている。法人税と所得税の二重課税を防ぐための措置なので、本来は個人株主に限って適用するべきものだ。日本の場合、法人間の株の持ち合いが多いので、法人の税負担を軽減している。

(3)日本企業の利益率
 低い。これは法人税率とは関係ない現象だ。
 法人税率と経済活性化とはあまり関係がない。

(4)企業の海外流出
 法人税とは無関係だ。
 日本は全世界所得課税・外国税額控除方式を採っているため、生産拠点を法人税率が低い海外に移したところで、最終的な法人税負担を軽減できないからだ。

(5)企業の海外流出の真因
 日本の賃金が新興国に比べて高いからだ。
 問題があるとすれば、社会保険料の雇用主負担だ。利益の有無にかかわらず企業の負担となるから、重要なコスト要因となる。そして、雇用主負担は法人税負担とほぼ同じ規模になっている。
 ただし、日本の企業の負担率は、米国より高いが、独仏よりは低い。
 また、雇用主負担が経済的にみて本当に企業の負担なのか、議論の余地がある(それだけ賃金を引き下げている可能性がある)。

(6)外国からの直接投資
 法人税が外国からの直接投資の流入を抑制している可能性はある。
 ただし、これも表面利益では判断できない。
 これに関してなによりも大きな問題となるのは、日本国内での利益率の低さだ。

(7)結論
 法人税率を引き下げたところで、なんの経済効果もない。
 少なくとも、日本経済の起死回生策にならないのは確かだ。

【参考】野口悠紀雄「法人税率引き下げは経済を活性化しない ~「超」整理日記No.531~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月9日号所収)
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【読書余滴】堀田善衛の、続・日本人スペイン移住計画批判 ~『天上大風』~

2010年10月01日 | ●堀田善衛
 雑誌「ちくま」に連載された堀田善衛の時評は、4冊の時評集『誰も不思議に思わない』『時空の端ッコ』『未來からの挨拶』『空の空なれば』に収録された。この4冊の時評に、単行本未収録の時評を加えて『天上大風』が没後に刊行された(1998年)。
 ちくま文庫版『天上大風』は、単行本『天上大風』150編のうち、71編を精選したものである。

 ところで、“シルヴァー・コロンビア計画”批判は続く。
 約13件の書類を整えることができて、お役所に受理されたとしても、すぐに居住許可が下りるわけではない、当然。
 書類が窓口から中央に進達され、中央から窓口に下りてくるまでに、まず1年はかかるだろう。1年で済まない場合も珍しくはない。その間は、仮居住許可のスタンプをもらいに行かねばならない。3か月に一度ずつ、居住許可を申請中である・・・・と。
 居住許可申請中の外国人は、常時何千人、何万人といる。したがって、警察の外事課の窓口には、つねに何十人、何百人かが行列をして、自分の番が来るのを待っている。
 スペインのカンカン照りの日射の下では、日射病になっても不思議はない。
 居住許可証が出るまでは、自動車を購入することができない。自動車がなければ、特に田舎の場合、買物さえ不自由する。

 スペイン政府が“シルヴァー・コロンビア計画”を歓迎しても、現地の警察が歓迎するとは限らない・・・・と堀田は不気味な指摘をする。
 さらに、日本大使館または領事館は本来的に在留日本人の世話を焼くために設立されているものではない・・・・という事実にも堀田は注意を喚起する。
 ヨーロッパの役所は、事務の受付はだいたい午前中だけだし、ヴァカンスの7月、8月は人員が半減し、事務処理能力もだいたい半減する・・・・。
 かくて、紙切れ一枚のために、マラガからマドリードまたはバルセローナの領事館まで、泊まりがけで通わなければならない。
 「ただでさえ気のせく、何でもワンタッチになれた日本の御老人たちや定年退職者諸氏に、言葉が不充分である場合、これだけの面倒にたえることが出来るものであろうか」

 書類の煩雑きわまる手続きがすべて円満に解決したとしても、日本の御老人たちはいったい何をするのであろうか。
 日向ぼっこをするには、南欧の日差しはあまりに強烈すぎる。夏は30度を超す。
 畑いじりをするには、土質があまりに違いすぎる。
 読書してすごすには、日本国の郵便料が世界最高の水準に達している。
 どこかで働くには、労働許可証も必要だ。
 夫のほうがまだよいとしても、夫人は毎日の食事に追われるだろう。マラガ近郊の観光地などでは、ヴァカンスのシーズンには物価は平素の3倍になる。
 医療の問題もある。ヨーロッパはおおむね医薬分業体制をしいている。風邪をひいて熱が38度あっても、受診し、医師の処方箋をもって薬屋に出むかねばならない。注射は、原則として注射の専門家のところへ行かねばならない。それに、ヨーロッパの薬は、だいたいにおいて日本人の体質には強すぎるから、解熱剤などほどほどに飲んでおかねばないと、熱が下がりすぎてしまう。発熱して水風呂に浸けられ、肺炎になりかけた日本人もいた・・・・。

 こうした実状、逢坂剛のスペインもの冒険小説には書かれていない。
 異国に暮らすとは、それだけで一大事業という気がするが、堀田が伝える1987年のスペイン事情が21世紀においても同じかどうかは定かではない。

【参考】堀田善衛『天上大風 同時代評セレクション1986-1998』(ちくま文庫、2009)
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