語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【経済】イタリア国債と日本国債の違う点 ~バブル~

2012年01月17日 | ●野口悠紀雄
(1)深刻化した欧州ソブリン危機
 2011年秋以降、これまでとは異質の要素が入り込んできた。イタリアという大国の国債利回り急騰だ。この過程は、理解が容易ではない。
 (a)なぜイタリア国債が暴落したのか、わかりにくい。07年の米国金融危機における住宅ローンを担保に作った証券化商品の価格下落に相当するファンダメンタルズ上の変化は生じていない。イタリアの単年度財政収支の状態は格別悪くない(国債費の支払いを除けば財政支出は税収で賄える)。
 (b)日本国債と米国国債に影響が及んでいない。日本と違って、2011年現在のイタリア国債の保有者は5割が外国の投資家だが、米国国債の5割も外国で保有されている。しかも、米国の対外経常収支は巨額の赤字だ。にも拘わらず、米国国債は暴落していない。

(2)イタリア国債
 イタリアのプライマリバランスは黒字だが、過去の財政赤字が累積した結果、国債残高は大きい。しかも、イタリア国債の利回りは、急騰前でも4~5%と高かった(国債費の重圧)。
 他方、イタリアは徴税システムに問題がある。税務当局が捕捉できない地下経済が、昔から大きい。官吏の腐敗もある。
 よって、イタリア政府が国債利子を払えなくなり、償還できなくなる可能性はゼロではない。
 これを背景に市場がイタリア国債にノーを突き付けたら、原理的には、(a)金融政策で流動性を供給することで危機を切り抜けられる。欧州中央銀行(ECB)がイタリア国債を買い支えればよいのだ。また、(b)国債はCDSでプロテクトできる。
 しかし、実際に(a-2)ECBが支援するか否かは、現実の政治的条件を考慮すると、大変困難な課題だ。また、(b-2)イタリア国債の残高は、ギリシャと違って大きいから、すべてをCDSで守り切ることはできない。
 イタリア国債の保有構造も影響する。外国の投資家が投資原資を短期資金で調達している部分が多いから、国債市場価格に敏感に反応して保有国債を売る。ために、危機の伝播速度が速い。のみならず、国債費として支払われる財政支出は国外に流出する。
 ちなみに、日本では、国債費として支払われたものの大部分は貯蓄され、国債で吸い上げられる(資金が国内で循環しているだけだ)。

(3)ユーロからドルと円へ逃げる投資資金
 (2)のメカニズムにより、投資資金がユーロから逃避し、ドルと円に逃げ込んでいる【注】。→ユーロは、ドルと円に対して急速に減価している。
 11年4月頃:1ユーロ=120円、1ドル=82~85円
 11年8月頃:1ユーロ=110円、1ドル=76~78円
 11年12月:             1ドル=78円近く(円の増価率2.5%)
 12年1月頃:1ユーロ= 90円
 ECBは金融緩和を行うので、ユーロはさらに下落する恐れがある(ユーロという仕組みに対する市場の不信認)。

(4)日本国債
 日本の財政事情は、イタリアより悪い。市場が日本国債に不信認を突き付けることは、十分あり得る(危機の前倒し)。ただし、日本国債の保有構造からして、売り投機(膨大な損失を被る)のルートでの危機伝播は考えにくい。
 短期的に見る限り、日本国債の消化に問題は生じそうもない。だから発行に歯止めがかからない。財政構造見直しの真剣な努力は行われず、公債依存度は高まっていく。
 しかし、長期的に見れば、アンバランスのさらなる拡大の危険がある。実質レートの長期的な傾向から見て、現在の為替レートは円高とは言えない(バブルではない)。しかし、円に流れ込んだ資金が国債に向かうメカニズムは、バブルである可能性が強い。日本国債が長期的に有利で確実な収益を生むから投資されるのではなく、資金流入が国債価格を引き上げ、それが値上がり益を生むため、さらに資金流入を呼んでいるのだ。
 本来は安定的には継続し得ない構造が、不均衡が不均衡を呼ぶことで成立している(バブル)。米国経常赤字もバブルを起こしている。
 バブル崩壊のショックに備えねばならない。

 【注】1月13日、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)はユーロ圏9カ国(フランス・オーストリア・スロベニア・スペイン・スロバキア・マルタ・イタリア・キプロス・ポルトガル)を1~2段階格下げた。【記事「S&P、フランスなどユーロ圏9カ国一斉格下げ ドイツは最上位を維持」日本経済新聞WEB刊2012/1/14 10:15 】
 これを受けて、ユーロを売り、円を買う動きが強まって、円相場は一時、1ユーロ=97円20銭まで上昇した。【記事「ユーロ圏国債格下げでユーロ安」(NHK NEWSWEB1月16日 5時8分)】

 以上、野口悠紀雄「イタリアと日本の国債は何が違うのか? ~「超」整理日記No.594~」(「週刊ダイヤモンド」2012年1月21日号)に拠る。
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【震災】原発>電気料金値上げ ~東電vs.経産省の暗闘~

2012年01月16日 | 震災・原発事故
 2011年12月22日、記者会見で、西沢俊夫・東京電力社長は「値上げは権利」と発言した。企業向け電気料金を2012年4月から20%程度値上げし、家庭向け電気料金も早い時期に政府に値上げ申請する、と【注】。

●批判1【経産省関係者】
 国民の血税でやっとクビがつながっているような企業のトップの言葉とは思えない。自分で自分のクビを絞めている。経産省内で電気料金制度の見直し論議が決着しない段階で、なぜ経営陣が「暴走」するのか、まったく解せない。

●批判2【枝野幸男・経産相】
 安定供給を錦の御旗に、値上げが電気事業者の権利であるとの考えは改めてくれ。

●批判3【飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長】
 事故を起こした責任があるうえ、株主や銀行の責任を棚上げにしたまま、値上げを口にするのは非常識きわまりない。日本の電気料金は元々世界最高水準だ。その非効率さを改めることもしていない。事故が継続する中、値上げ分が損害賠償の支払いに流用される可能性もある。

●東電の実情 
 内閣府が事故直後に設置した第三者委員会「東京電力に関する経営・財務調査委員会」の事業計画シミュレーションによれば、
 (a)原発非稼働の場合、10%値上げしても10年間で4兆2,000億円の、
 (b)原発を稼働させても10%値上げで7,900億円の、
 (c)原発を稼働させても値上げがなければ3兆8,000億円の資金不足が生じる。

●経産省の動き
 有職者会議を立ち上げ、「総括原価方式」の点検を始めている。
 原価には、電気料金として一般家庭に請求するには不適切な費目が上乗せされてきた。<例1>保養所の維持管理費など福利厚生費、<例2>「電力中央研究所」(電力会社OBの天下り団体)への寄付金、<例3>社内財形貯蓄の利子補填。【有職者会議委員】

●経済界の反応
 米倉弘昌・日本経団連会長は、やむえない、と値上げ容認を表明しているが、経済界は一枚岩ではない。とりわけ中小・零細企業からの反発が強い。
 すべてのプロセス(生産工程)から1円の利益を搾り出すような努力をしている中小・零細企業にとって影響は絶大だ。【飯田所長】

●東電vs.経産省【岸博幸・慶應大学大学院教授】
 値上げが断行された場合、一般家庭の可処分所得が減り、消費に大きなマイナスとなる。2012年度は「復興特需」の支えがあるとはいえ、2013年度以降は自然体でも厳しい情勢だ。
 原発事故の賠償額も確定せず、将来的な電力業界の枠組みさえ不透明な現段階で料金値上げに踏み切るとは、あまりにムシが良すぎる。
 原発推進や賠償支払いでは足並みをそろえる東電と経産省は、実は「同床異夢」だ。東電を実質国有化して発送電分離を実現し、電力業界を支配しようとする経産省に対し、東電は発送電一体の現状維持を望んでいる。さらに経産省は、国有化の後に勝俣恒久・会長ら現経営陣を一掃する方針だが、東電は激しく抵抗するだろう。
 東電は、今年3月期には廃炉コストの増大などで債務超過に陥ることが確実だ。政府内では、国の資本注入によって一時、実質国有化する方向で検討中だ。
 社長の値上げ会見は、短期的には国有化を避け、長期的には脱原発路線をひっくり返す反撃の狼煙とも読める。これまで一枚岩だった東電・経産省の間で暗闘が始まった。

 【注】記事「東電、家庭用値上げ申請へ 企業向けは4月からの方針」(2011年12月22日12時31分 asahi.com)

 以上、徳丸威一郎「東電値上げ 「醜いからくり」(「サンデー毎日」2012年1月22日号)に拠る。
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【震災】原発>東電の甘い経理を見のがしてきた経産省 ~古賀茂明小論~

2012年01月15日 | 震災・原発事故
 通販大手の「カタログハウス」は、3・11以降「脱原発」を標榜している。その直営店では放射能の値を明示して販売している【注1】。季刊誌「通販生活」でも、原発国民投票を呼びかけ、「原発国民投票のための勉強」を2011年冬号から連載している。その講師は、田中三彦(サイエンスライター/国会原発事故調査委員)だ。田中は、「勉強」第2回(「通販生活」2012年春号)で、既に岩波の「世界」などでも触れているが、福島第一原発は津波が来る前に地震の揺れで破壊されていた、と指摘する。これが事実であれば、今の日本で原発を稼働/再稼働することはできない。

 「通販生活」連載の落合恵子の対談は、今回ゲストに古賀茂明を迎える。古賀は言う。経産省にいたときは左遷されて仕事がなかったが、今は無職なのに仕事が増えた。メディアに出ることも多いし、講演、政治家のサポートもやっている【注2】。
 この1年間、古賀が少なからぬ対談で述べている内容は、基本的にはその著書や論文で開陳済みだ【注3】。古賀の対談は、いずれも『日本中枢の崩壊』の注釈だ、とも言える。これは、古賀が言いたいことは政治家的な森羅万象ではなく、主題が一定している(限定されている)ことを示す。そして、その発言にはブレがない。
 もっとも、著書の単なる再放送ではない。対談ごとに、(1)新たな視野(または大づかみな総括)、(2)新たな情報(または突っ込んだ情報)・・・・が少しずつ盛り込まれている。落合との対談について言えば、次のようなものだ。

<(1)の例>
 <古賀 原発事故の問題は今に始まったことじゃなくて、何十年という歳月をかけて築かれた日本の構造問題そのもの。「日本中枢の崩壊」の1つの縮図なんです。原子力の世界を変えられるかどうかは、日本が変われるかどうかの象徴ですね。> 

<(2)の例> 
 <古賀 そうなんです。実は【原子力安全・保安院は】素人の集まりで、原子力の専門家なんて数えるほどしかいない。それに、本当は資源エネルギー庁も「規制機関」なんですよ。
 落合 そうなんですか!? 
 古賀 たとえば、電力会社はコストを全部電力料金に上乗せできる「総括原価方式」をとっています。だから、資源エネルギー庁が国民に代わって「こんなコストを料金に上乗せしていいのか」と、領収書を1枚1枚厳格にチェックすべきなんです。ところが、これまでそんなことは全然やっていないかった。だから、この間「東京電力に関する経営・財務調査委員会」が調査したら、莫大な無駄が出てきたんです。>
 なぜ、そういうことになるのか。昔ながらの規制と予算によって産業をコントロールし、それぞれの企業や団体に天下りポストをつくる、というシステムがきっちりできているからだ。だから、資源エネルギー庁も産業側に軸足があって、何か起きたときも、まず産業を守ることを考える。これは産業途上国の体質だ。明治時代以来の殖産興業の仕組みがそのまま残っている。
 かくて、原発事故が起きても、経産省は東電に文句を言えない。

 <(2)の例>を追加しておこう。古賀は言う。電力会社は民間企業であって、<しかも独占企業なので競合する会社ができない仕組みになっているから、電力会社は儲けようと思えばいくらでも儲けられる。ただ、儲けすぎると「料金を下げろ」と文句を言われるので、実際にはあまり利益が上がらないように社員の福利厚生など消費者の目に見えないところに儲けたおカネを投入していたんですね。逆に発送電のコストが上がったら、その分は料金に転嫁できる。>

 古賀は、大阪府知事選、神奈川知事選および岩手県知事選で立候補を打診されたが、全部断っている。「地方のことはその地方の人がやったほうがいい」というのが辞退の理由だが、根っからの行政マンだ、という理由のほうが強いだろう。選挙にはほとんどの時間を選挙に費やすことになってコストが大きすぎるし、国政選挙も仮に当選しても一議員にすぎないからコスト・パフォーマンスが悪すぎる・・・・いくぶん韜晦の気配があるものの、自分のやりたいことをハッキリ知っていて、そこからはみ出す気はない、ということだ。政治的人間は、政治をすべてに優先させる。
 その古賀の政治との付き合い方は留意してよい、と思う。
 (a)今の課題は、若者をはじめ一般市民の声をどうやって政治を動かすところへ繋げていくか、だ。それにはインターネットが一つの鍵になる。今ではお年寄りもやるようになった。ツイッターやフェイスブックをやる人も増えた。それらが広がっていけば、ネットの世界がだんだん現実に近づいていく可能性は十分にある。
 (b)個人献金をしてほしい。政治に対して自分のカネを1,000円でも払ってくれる人は、投票する可能性が非常に強い。 
 (c)いい政治家を探そうと思う。あまりいないが。政治家を育てることも必要だ。政治家は、やはり市民が育てるものだ。
 (d)日本が本当に破綻するのではないか、と心配している。だから、破綻の準備をやってもよいかな、と。一番犠牲になりそうなお年寄りとか、頑張っても社会から落っこちてしまった人たちを助ける仕組みを今から作っておくことが最優先課題だ。そういう政策を打ち出してくれる政治家だったら、「この人に賭けてみようか」という気になる。

 【注1】「【震災】原発>餅、おせち料理は大丈夫か?
 【注2】「古賀茂明・非公式まとめ
 【注3】古賀茂明の著者や論文。→こちら

 以上、対談:古賀茂明/落合恵子「東電は最高の天下り先だから、経産省は原発事故が起きても東電に文句を言えないんです ~落合恵子の深呼吸対談 第13回 連続原発講座その2~」(「通販生活」2012年春号)に拠る。
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【社会】日本を立て直す100人(2)

2012年01月14日 | 社会
 (承前)
 「AERA」誌の特集「日本を立て直す100人」【注】は、29ページ以降、(1)「日本が牽引する」、(2)「日本を整える」、(3)「日本を拓く」の3つのテーマの下に、それぞれ数人をとりあげる。そして、最後に「未来を創るのは私たちだ」と題し、ビジネス、農業・食・地域、教育・子ども、生活、国際、法曹、科学、政治・行政、社会・言論、スポーツ・文化・・・・の各分野における「100人」を数行で紹介する。
 (1)から(3)までの諸氏諸嬢は、例えば次のような人々だ。

 【注】「【社会】日本を立て直す100人

(1)出雲充・「ユーグレナ」社長
 出雲充(31)は、東大文科三類1年のとき、バングラデシュを旅し、貧困の実態を目の当たりにした。援助される食糧は炭水化物が中心で、野菜、肉、果物といった栄養源が圧倒的に足りない。食糧問題を解決できる「何か」を探すべく農学部に転部。たどりついたのがミドリムシだった。
 ミドリムシは、体長0.05mmの微生物だ。植物のように光合成をし、動物のように細胞を変形させて動く。植物と動物の両方に分類される珍しい生物だ。
 ミドリムシ単品で、人間が必要とするあらゆる栄養成分がある。世界で10億人が栄養不足状態にある、とされるが、ミドリムシがあれば皆元気になれる。【出雲社長】
 大学卒業時点では、大量培養の技術がなかった。いったん東京三菱銀行(当時)に就職。働きながら後輩とともに培養技術を模索したが、研究は進まなかった。自らを追い込むため、1年で退職。2005年8月、「ユーグレナ」を創業した。世界初の大量培養に成功したのは、その4ヵ月後だった。
 だが、売り出したサプリメントは、鳴かず飛ばず。赤字経営が続いた。
 2009年、何社かの大企業からの出資があって、ようやく軌道にのった。
 注目されたのは、ミドリムシの栄養成分ではなく、バイオ燃料への応用や、二酸化炭素吸収性の高さだった。
 ミドリムシは、日本にとって一石三鳥の存在だ。二酸化炭素削減、バイオジェット燃料製造、栄養源として。ミドリムシは日本のみならず地球を救うはずだ。【出雲社長】
 後輩らと始めたベンチャーは、いま資本金4億6千万円、社員30人以上の中小企業になった。 

(2)岩本悠・島前高校魅力化プロディーサー
 「隠岐やいま木の芽を囲む怒涛かな」(加藤楸邨)の隠岐諸島は、島根半島沖合60kmに位置する。島南地域の人口は、この20年間で3割近く減少し、6千人。うち4割が65歳以上だ(過疎と高齢化)。
 この地域で唯一の高校(県立隠岐島前高校)の募集定員が、2012年春から7年ぶりに1学級40人→2学級80人に増える。過疎地の高校定員増は異例だ(島根県の県立高校募集定員は過去最少なのだが)。
 高校の授業が終わった19時頃、公営塾「隠岐國学習センター」の「夢ゼミ」で、高校生たちは自分の将来の夢について発表し、意見交換する。学習意欲を高めるのが狙いだ。
 生徒たちの輪の中には、岩本悠(32)がいる。
 岩本は、ソニーで人材育成担当として働いていた。2006年、海士町で開催された出前授業に講師として招かれた。授業後、町職員たちから、生徒が減って高校は統廃合の危機にあるが、島から高校がなくなると地域は自立できなくなる、と相談された。
 岩本は、学生時代にアジア、アフリカなど20ヵ国を旅し、交際支援活動にも参加した。いつかは途上国で、自分の幸せを自分でつかみとって自立するための教育に携わりたい、と思っていた。
 しかし、島の現状を知って、考えを変えた。途上国と同じ問題がここにある。日本で解決できなければ、途上国でも解決できない・・・・。
 高齢化や人口流出で、地方の疲弊は深刻だ。直近の国勢調査によれば、全国の自治体の4分の3で人口が減っている。東北、四国、山陰での減少率が高い。
 岩本は、半年後、隠岐に移住した。島前高校の魅力を高めるプロジェクトに携わる。生徒がまちづくりを実践する中で、生きる力を育む授業が儲けられた。町が寮費や帰省の交通費を補助し、全国から意欲ある生徒を呼ぶ「島留学」制度も創設された。大手予備校で講師を経験した者らによる公営塾も開かれた。全国で入学説明会が開かれ、今や卒業生の25%が国公立大学に進学する。
 岩本はいう。地域で学び、地域に誇りを持った子どもたちが、いつか地域に戻って仕事をつくる。そんなモデルが全国に広がったらいい。

(3)高木美香・経済産業省クール・ジャパン海外戦略室長補佐
 高木美香(31)は、2002年東大経済学部卒業後、経産省に入省。2008年まで2年間、米スタンフォード大学に留学した。シリコンバレーの熱気に触れ、自問した。成長が止まった日本、情報通信産業がガラパゴス化し、ビジネスは内向きになった日本は、どんな分野で世界と未来を切り拓けばよいのか・・・・。
 行き着いたのは、クリエイティブ産業だ。自動車は100万台作ったら100万台分しか売れない。しかし、クリエイティブ産業から生み出されるコンテンツは、消費者が望むかぎりパイを拡大できる。
 それから3年。2011年12月17日、東京ミッドタウン内の会議室で、高木はデザイナーの卵ら100人に語りかけた。
 「生の情報を持っている研究者と、デザイナー=伝えるプロとを結びつけ、グラフィックを通じて日本を変えていきたい」
 経産省が10月に立ち上げたウェブサイト「ツタグラ」(統計情報などをグラフィックスを使ってわかりやすく伝える方法を探る)のイベントだ。高木らが仕掛けたプロジェクトだ。
 クール・ジャパン室(当時)は、高木が創設を訴え、2010年10月、複数の部署を統合してできた。日本のファッション、デザイン、食、伝統工芸などを海外に売り込み、国内でも新たな価値を創造していく。それまで担当業種、業態が細分化されすぎていたが、「クール・ジャパン」というコンセプトで一つにまとめたら、自分がやっていることこそクール・ジャパンだ、と手を挙げる人が相次いだ。
 10月、「原宿ブランド」を売り込むため、シンガポール中心部のオーチャード通りにある百貨店にアンテナショップを出店した。日本の新興アパレルブランド15社が、ここでアジア進出を模索する。前月に、枝野幸男経産相が現地入りし、シンガポールの情報通信・芸術相と共同でクリエイティブ産業分野での協力関係強化を発表するなど、大掛かりな仕掛けもした。
 世界の勢いに立ち向かうには、産業、教育、行政のすべてで創造的なプロセスを導入することが不可欠だ。業種を超えた連携、領域を超えたイノベーションが重要だ。【高木補佐】
 停滞し、閉塞した時代しか知らない若者たちに少しでも「希望」を感じてもらうには、「日本ってすごい」という実感をもってもらうにしくはない。
 
 以上、伊藤隆太郎/太田匡彦/小林明子/山根祐作(編集部)「日本を立て直す100人 ~停滞する日本に力を吹き込む」(「AERA」2012年1月2-9日合併増大号)に拠る。
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【社会】日本を立て直す100人

2012年01月13日 | 社会
 「AERA」2012年1月2-9日合併増大号の特集「日本を立て直す100人」は、雑誌に明るい話題があまり載らない昨今、爽快な企画だ。
 巻頭に紹介されるのは、5人。

 西辻一真(29)・「マイファーム」社長は、塩分を除去する土壌改良材を開発した。宮城県岩沼市の農家の協力を得て、6月に畑とビニールハウスに土壌改良材をまいた。8月下旬にはトマトを収穫できた。糖度は通常をうわまわり、「復興トマト」と名づけた。

 御手洗瑞子(26)は、2010年秋から1年間、ブータン政府のGNH委員会に首相フェローとして赴任した。担当は政府観光局。アクセスの不便さ、観光客が春秋に集中していること。航空会社にかけあって、バンコク~ブータン便の時刻を調整し、深夜に東京をたてば翌朝10時にブータンに着けるようにした。日本の女性誌、著名人の来訪を働きかけ、大手旅行社にも営業。知名度を上げた。各国の観光客のニーズを分析し、新たなマーケッティングを検討した。かくて、ブータンは「幸せの国」として日本人に定着した。

 瀬谷ルミ子(34)・認定NPO法人日本紛争予防センター事務局長は、NGOや国連PKOなど所属を変えながら、ルワンダやシエラレオネで武装解除の専門家として経験を積んだ。アフガニスタンの日本大使館職員となった27歳、軍閥の解体についてカルザイ大統領から助言を求められるまでになっていた。日本に戻り、現職に就いた今、日本企業の力に着目している。日本のブランディング会社の協力を得て、平和を「流行」にするキャンペーンを国連と進めている。南スーダンでは、日本企業が寄贈したシェルター(簡易住居)が、自暴自棄だったストリートチルドレンが職業訓練をして収入を得るきっかけになった。

 日本を立て直すのは、日本人だけではない。ピーテル・フランケン(44)・マネックス証券常務もその一人だ。松下電器産業(現パナソニック)でのインターンシップ参加をきっかけに、日本で働くようになった。日立製作所、シティグループ、新生銀行などを経たコンピュータとエレクトロニクスの専門家だ。東日本大震災の翌日、世界に散らばる旧知の研究者やエンジニアと連絡を取り合い、1週間後「SAFECAST」を立ち上げた。日本各地の放射線量を測定し、データをネット上で公開していくプロジェクトだ。今ではボランティア100人以上が常時携わる。数百台の機器で日本中を測っている。12月までに150万地点以上の測定を終え、福島第一原発から20km圏内のデータも揃った。

 尾野寛明(29)・「エコカレッジ」社長については、少し詳しく記そう。
 「エコカレッジ」は、インターネット通販の専門書古書店だ。過疎地は宝の山だ・・・・尾野は、そう語る。
 尾野は、2011年12月、島根県の中山間地、雲南市の工場を丸ごと借りて、古書倉庫として生まれ変わらせた。工場は、田畑の中にぽつんと立つ。建物面積1,500平米のミシン部門の工場で、農業以外に目立った産業のない地域に貴重な雇用を生んでいた。しかし、17年前に海外生産シフトの波を受けて閉鎖された。
 壁に張り紙や配電盤などが残る工場に、新しい書棚が所狭しと並ぶ。10万冊を越える書籍が運びこまれた。
 尾野は、埼玉県出身だ。その父親は、大手専門商社に勤めていた。身体の不調もいとわずに猛烈に働いた。役員ポスト目前、尾野が高校3年のとき、父親は癌で亡くなった。尾野は、父親の死をきっかけに起業を志した。大企業で必死に働いても報われる保証はない・・・・。
 大学に入って、専門書の価格が高すぎるのに気づいた。起業のヒントになった。仲間とともに専門書の古書売買を手がける会社を設立した。学年が変わって不要になった専門書を買い取り、必要な人に売る。専門書は漫画や小説と違って書棚に滞留することが多いため、関心をもつ古書店は少なかった。順調に利益が積み上がった。
 2006年、ゼミの実地調査で島根県川本町を訪れた。これが拠点を移すきっかけになった。
 同年10月、本社を川本町に移した。当時の在庫は15,000冊。東京で借りていた事務所+倉庫は計30平米で家賃10万円ほど。川本町ではその十倍の面積の店舗+倉庫を3万円で借りることができた。インターネットと宅配便を使えば、古書の買い取り・販売に不利はなかった。
 町をあげて支援してくれた。経理、社会保険、登記などの複雑な業務について、地元の商工会や役場、銀行が親身に相談にのってくれた。人的リソースを使い放題だった。
 2010年、雲南市に2号店が開店。地元に雇用をもたらした。17人が働き、売上高は5年間で8倍近く増え、5,000万円を得た。
 尾野は、川本町から「空き店舗活用アドバイザー」に任命された(起業家誘致)。雲南市が開催する「幸雲南塾」(地域活性化を担う若者の養成講座)の運営にも関わる。
 
 以上、太田匡彦/小林明子/山根祐作(編集部)「日本を立て直す100人 ~停滞する日本に力を吹き込む」(「AERA」2012年1月2-9日合併増大号)に拠る。
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【経済】2012年度予算案の死相 ~破綻の「前倒し」はいつ起こるか?~

2012年01月12日 | ●野口悠紀雄
(1)この門をくぐる者は一切の希望を棄てよ
 2011年度予算には日本の死相が表れていた。
 死相は、12年度予算案や11年度第4次補正予算において、ますます顕著になっている。
 (a)社会保障給付の見直しが急務なのに、行われたのは負担軽減措置のみ。
 (b)社会保障を見直さずに財政収支を改善するには消費税率を30%程度にまで上げる必要があるが、5%引き上げさえままならない。
 (c)基礎年金国庫負担率引き上げは、04度に「恒久財源を措置して行う」とされた。しかるに、11年度予算では埋蔵金によって処理された。しかし、その財源は補正予算で使われ、結局、復興債で手当されることになった(国庫負担金と復興とは無関係、念のため)。そして、12年度予算案では、「年金交付国債」の発行で措置されることが決まった(年金特別会計積立金から調達した資金で年金を給付、消費税増税後に税収から繰入れる)。年金交付国債は、国債と何も変わらないが、消費税増税まで換金できない。12年度の新規国債発行額を44兆円以下に抑えるための(質の悪い)トリックだ。
 (d)マニフェスト関連バラマキ(農家個別所得保障、高校無償化、名称を変えただけで存続している子ども手当)が残っている。
 (e)エコカー補助が復活した。これは、自動車産業や電機産業に対する国からの補助の恒久化だ(製造業の農業化)。 
 ・・・・財政が、ギリシャと同じくコントロール不可能に陥っているのだ。
 ギリシャとの違いは、国債が支障なく消化されている点だ。それは、国内の銀行が、企業向け貸出へ減らして国債を購入しているからだ。しかし、銀行の企業貸出残高は、いつか底を突く。日本は、滅びに至る道を着実に進んでいる。
 現在の財政状態が行く着く先は、インフレしかない。この選択肢は、ユーロに加盟しているギリシャは採れなかったが、日本では可能だ。

(2)破綻の「前倒し」
 日本国債の行き詰まりは、今すぐには生じない。問題は、それが「前倒し」で起こるかどうかだ。
 銀行が、国債暴落を先取りして保有国債を今売却する・・・・ことは起こらないだろう。今のイタリアのような事態にはならないだろう。
 より可能性が高いのは、将来の円安を見越して日本から資本が(たぶんドルに)逃避し、それが実際に円安を引き起こす・・・・というルートだ。
 こうした予想に傾いた投機資金の動きが、急激な円安をもたらす可能性がある。
 インフレ、名目円安、実質円高が同時に生じることは、十分あり得る。この場合、日本の輸出価格競争力は低下し、輸出は減る。名目円レートは物価上昇率ほど円安にならないから、実質レートは円高になる。国内インフレの結果としての円安は、日本の輸出を増やさず、減らす可能性のほうが高い。インフレは、日本が抱える問題に対する答にはなり得ない。
 急激な円安への転換がいつ起こるか、まったく予想できないので、事前の対処は難しい。円安になったとき、急いで円から逃避するしかない。

(3)対インフレ防衛措置
 インフレになれば、既発行国債の実質残高は減少する。
 しかし、昔の財政とは違って、現代の日本の財政では、インフレになっても単年度の財政収支が改善するとは限らない。名目支出額がインフレとともに増加するからだ。わけても、年金の物価スライド条項の効果が大きい。これを通じて、財政支出はインフレで自動的に増加する。名目税収額はインフレによって増加するものの、消費税収は名目GDPに比例して伸びるだけなので、あまり大きな税収増は期待できない。
 財政支出と税収の両面において、現代の財政は古典的な財政構造とは異なる構造になっている。
 現代の財政は、インフレといえども、財政赤字に対する最終的な答とはなり得ないのだ。インフレは、実質国債残高を減少させるが、フロー面では財政収支改善にあまり役立たない。
 国民の立場からすれば、インフレが生じても国債残高の実質値が減少しないような仕組みを作っておくことで、インフレによる実質増税を防ぐことができる。国債をインデックス国債に置き換えるのだ。

 以上、野口悠紀雄「危機の前倒し発生に制度的な防御が必要 ~「超」整理日記No.593~」(「週刊ダイヤモンド」2012年1月14日号)に拠る。
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【経済】成長戦略における社会保障(改革)の役割 ~産業構造転換~

2012年01月11日 | 医療・保健・福祉・介護
(1)野田政権の「社会保障と税の一体改革」の歪み
 中身が今、少しおかしくなっている。一体改革は、既存の産業構造を大きく変えて強い経済をつくるべし、それには冒険に踏み出せるだけの安全のネットとそれを支える強い財政基盤をつくるべし・・・・という発想から生まれた。成長戦略と結び付いたものだった。「社会保障・税の一体改革成案」【注1】で挙げる「3つの理念」の出発点をあらためて確認すべし。
 (a)「参加保障」・・・・再訓練・再教育によって新しい労働市場が要求する能力を身につけ、参加できるようにしてあげること。参加を保障していく方向(「トランポリン政策」/「積極的労働市場政策」【注2】)に社会の安全ネットを張り替えていかないと、労働市場の二極化(正規と非正規雇用の格差)がさらに拡大する。
 (b)「普遍主義」・・・・性別はもとより、所得で選別・差別をしない。
 (c)「安心に基づく活力」・・・・産業構造を転換し、それによって活力が生まれてくる。
 こうした理念で出発したはずだが、当面、旧来型の社会保障の綻びを是正していくところに重点が置かれ、本来の構造転換に合わせた対応がまだ不十分だ。年金改革も、現行制度を前提とした改善であって、まだビジョンを描いて改革する段階に至っていない。

(2)成長のカギ
 産業構造を大きく変えなければならないときに、多くの国で共通認識となっているのは、労働市場の弾力化、フレキシビリティが重要だ、という点だ。新しい産業構造をつくっていく過程で、失業してしまう人には寛大な社会保障、生活保障をする。重要なのは、それで終わるのではなく、新しく要求される能力を身につけさせることだ。会社をクビになっても、やり直せばいい、と。
 神野直彦がインタビューしたスウェーデン政府関係者も、「教育・再訓練を含めた人的投資をし、すべての国民の能力を高めることによって、成長、雇用、正義(所得の平等な分配)の3つを実現できる」と強調していた。
 成長のカギは、人的投資、特にいつでもやり直しがきくようにする教育だ。今までの日本では企業内教育がその役を担っていたが、日本的経営が衰退するなかにあって、北欧のような社会的にスキルアップを促していくシステムをつくっておかないといけない。スウェーデンの大学生の平均年齢がほぼ30歳に達しているのも、みんなやり直しをするからだ。

(3)税制改革
 日本は、これまで税収の調達能力をあまりに低下させ過ぎた。日本の租税負担率(対GDP比)は、今21.5%程度だ。最も高いところがデンマークで、69.8%までいっている。税負担を高めておくことが何より重要だ。
 税収が伸びなかったのは、経済の長期停滞だけでなく、減税のやり過ぎも大きい。高額所得者や資本所得、法人税などに焦点を当てて多くの減税を行ってきた。それが成長に跳ね返り、かつ格差も拡大しないはずだったが、完全に裏目に出ている。
 日本の場合、所得再分配効果を税制のなかで強めざるをえなくなっている。
 再分配は、垂直的再分配(豊かな人に税をかけて貧しい人に回す)だけでなく、水平的再分配(同じ所得であっても病気などのリスクに陥った人をサポートする)の機能強化が必要だ。それを支えるには、消費税と所得税を車の両輪とするような税体系をつくっておくことが重要だ。
 日本の場合、消費税も所得税も基幹税の体を成していない。所得税によって所得再分配を回復すると同時に、相互扶助の社会保障の財源として消費税を引き上げるべきだ。

 【注1】2011年6月30日に政府・与党社会保障改革検討本部が決定し、7月1日の閣議に報告されたもの。
 【注2】失業者への職業訓練、職業紹介を通じて新たな職に就くことができるように支援していくこと。労働市場の需要と供給のギャップを埋めていこうとする政策。消極的労働市場政策(失業給付などで受動的に対応)に対置される。

 以上、対談:神野直彦(東大名誉教授)/河野龍太郎(BNPバリバ証券東京支店経済調査本部長チーフエコノミスト「社会保障の抜本的改革と増税こそが危機を封じ、経済成長をもたらす」(「週刊ダイヤモンド」2012年1月14日号)から、神野直彦の議論を抜粋、要約した。
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【震災】原発>食卓の放射能汚染、2012

2012年01月10日 | 震災・原発事故
●陸
 食品摂取による内部被曝の唯一の専門家、白石久二雄・元放射線医学総合研究所内部被ばく評価室長は、次のように語る。
 放射能汚染が昨年出た食べ物【注1】は、今年もまた同じように汚染が出るだろう。
 事故直後ほどではないが、まだ原発から放射性物質は漏れ続けている【注2】。風、除染作業、焼却などで地表に沈着しているセシウムなどが舞い上がる恐れもある。今年は、葉っぱ表面の汚染が極端に高いレベルになることはなかろうが、ある程度は出るだろう。
 植物の種類や品種(日本における食品群別の研究では、マメ類、イモ類、クリなどが土壌中のセシウムをよく吸収している)【注3】、土壌の性質(セシウムを吸着する粘土質が多い土では汚染が少ない)や肥料のやり方などによって、汚染の出方が異なる。
 セシウムの大半がまだ土壌に残っている限り、今後も汚染の発生は避けられない(基本的な問題)【注4】。被災地は、雪国が多い(懸念要因)。
 雨は土壌に落ちた後、ある程度は流れて拡散するが、雪は落ちた場所に積もる。雪が汚染されていれば、放射性物質がその場に溜まる。雪解けで地表に汚染の層を作るだけなく、木の枝や葉に付着していたセシウムが雪に付着して一緒に地表に落ちる場合もある。さらに雪解け水が田畑に流れ込む可能性もある。

 【注1】3月の場合、ホウレンソウ(40,000/福島県田村市)、ブロッコリー(13,900/福島県飯舘村)、コマツナ(3,600/福島県鮫川村)、ミズナ(3,300/福島県古殿村)、キャベツ(2,700/福島県浅川町)、パセリ(2,110/茨城県鉾田市)、ネギ(250/栃木県大田原市)、シュンギク(153/栃木県さくら市)、サニーレタス(150/茨城県古河市)、レタス(122/千葉県旭市)、キュウリ(43/千葉県旭市)、ナス(9.3/栃木県真岡市)。なお、数値はセシウム濃度Bq/kg。
 【注2】文科省が毎日公表している都道府県の「定時降下物」の測定結果によれば、福島市(原発から60km)に降り注いだセシウムの量は、101Bq相当/平米だ(12月19~20日の24時間)。12月も連日10~数十Bqが降り、栃木・茨城両県でもそれぞれ105Bqと13Bqを計測した日があった。
 【注3】昨年7月以降からイモ類や根菜類の汚染のピークが目立ち始めた。汚染ルートが葉から根に変わったのだ。2012年は、セシウムが土壌に浸透した状態で、作物が一から育てられることになる。
 【注4】福島県農業総合センターの栽培実験によれば、土壌中のセシウムが作物へ移行する割合(移行率)は、黒ボク土で栽培したブロッコリー、ホウレンソウ、コマツナはいずれも0.3%程度で、「移行率1割」のコメより小さい。ただし、同県内の畑地の5割を占める森林褐色土での移行率は黒ボク土の15倍も高くなる。

●海
 震災後の汚染調査に取り組む石丸隆・東京海洋大学教授は、次のように語る。
 福島県の魚では、汚染が横ばいのままの魚もあれば、落ちて見える魚もある(<例>カレイ)。ヒラメからは、11月に最も高い4,500Bqが検出され、まだ上昇中のようだ。ピークの時期も濃度も予想がつかない【注5】。
 チェルノブイリ事故当時は、大型魚のスズキの汚染のピークは、海水の濃度のピークより半年ほど遅れて現れた。魚の汚染濃度は、濃縮によって海水の100倍以上に達した。マダラの汚染は収まるのに2年半以上かかった。
 福島第一原発事故では、空から降り注いだ放射性物質が海を薄く均一に汚染したチェルノブイリと異なり、高濃度汚染水が1ヵ月も直接海に流れ込んだため、汚染水の塊がまだら状に広がった【注6】。
 沿岸を流れる海流や河川からの汚染物質流入などによって、汚染が拡大している可能性がある。海底土の汚染は、海底に棲む魚の汚染拡大につながる。餌となるゴカイなどの底生生物やプランクトンの汚染を調べて実態を把握することが急務だ。
 海水の汚染は低下しており、表層のプランクトンが高レベルに汚染される可能性はもうなさそうだ【注7】。それらを食べる表層の小魚のシラスは、検査で「不検出」が続いている。同様に、サンマ、マイワシの汚染も低下するだろう。小魚を食べるカツオ、外洋の生態系にいるマグロの汚染は考えにくい。ただし、海の汚染は海水、海底土と食用の魚しか検査していないので、分からないことだらけだ。

 【注5】昨年11月に汚染の最高値を記録した魚が多く(<例>ヒラメ4,500/福島県沖、イワナ692/群馬県前橋市)、まだピークを迎えていない魚種が多い、と目される。
 【注6】海の汚染は面的な広がりを見せ始めている。文科省による太平洋沿岸の海底土の調査によれば、汚染は福島から、少なくとも宮城、茨城県の海域に及んでいる。仙台湾の乾土の汚染は、53Bq(9月)から79Bq(10月)に高まった。
 【注7】事故から10ヵ月経て、海水中の放射性物質が底へ沈殿した。

 以上、大場弘行(本誌)「2012年の放射能食卓汚染」(「サンデー毎日」2012年1月15日号)に拠る。
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【経済】不公平な課税を放置したままの増税 ~「増税原理主義」批判~

2012年01月09日 | 医療・保健・福祉・介護
(1)民主党・野田政権の「増税原理主義」
 野田佳彦政権の財政政策は、増税原理主義で、増税が自己目的化し、本来の目的を忘却している。借金1,000兆円弱、東日本大震災の今、財政再建の道筋をつけることが重要なのであって、増税が重要なのではない。
 「増税の罠」に陥ると、失敗する理由は2つ。(a)社会保障業界は既得権の塊の世界で、税源が増えるとすぐ税金を使うことを考えて予算確保に走る。(b)増税は生産性が低い「官」を温存し、非効率な部門が肥大化し、効率的な部門が縮小する。増税で不景気になるばかりでなく、成長率をおとす。
 名目経済成長率が3~4%あれば違うが、2010年の日本の名目経済成長率はたった0.4%だ。この状況下で歳出カット、増税をすると経済への悪影響が大きい。
 日本の財政危機は、意外とたいしたことはない。借金が1,000兆円ある一方、資産が650兆円ある。国債が破綻したときに備えるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の日本のレートは1.1~1.3%だ。80年に1回は国債が破綻するという程度のレートだ。ちなみに、ギリシャの国債CDSは90%、イタリアは5%、フランスは2%だ。日本より危ない。危機感ばかり煽って財政再建をやろうとするやり方はおかしい。
 むろん、日本の財政にまったく問題がないわけではない。プリマリー・バランス(基礎的財政収支=歳入と歳出のバランス)の赤字は、2020年に23兆円にまで達する、と予想される。名目経済成長率を高めねばならない。名目経済成長率が5%強になれば、プライマリー・バランスがゼロに近づく。このためには円安を進めるのが一番だ。円を1ドル=120円程度にとどめるだけの単純な政策さえやれば、株価は確実に上がり、法人税収も上がり、財政が再建できてしまう。
 逆に、円高が進めば輸出産業が苦しくなって、名目経済成長率はどんどん悪化する。このような状況下で増税しても、財政再建にとっては逆効果だ。

(2)「社会保障と税の一体改革」の欺瞞
 民主党は、マニフェストに掲げた「歳入庁」創設を一向に実現しようとしていない。財務省(国税庁を抱える)と厚生労働省(日本年金機構を抱える)が猛烈に抵抗しているからだ。
 徴収機関が社会保険料と国税とで異なる国はない。イギリスも1999年に統合した。海外では、「社会保険料」と呼ばず、「社会保険税 social security tax 」と呼ぶ。社会保険税も国税も税務署が徴収する。
 国税徴収法では、社会保険料も国税と同じ扱いをされることになっている。ところが、実際には、社会保険料については厳しく督促しない。不払いに対する重加算税7.3%を課そうとしない。
 国税庁と日本年金機構が歳入庁に再編され、所得税、消費税、社会保険料の不公平を全部いっぺんに見直すことができれば、これだけで20兆円の税収増となる。不公平な課税を放置したまま、増税を議論してはならない。
 財務省や厚労省が、組織防衛に走るのは当然だ。問題は、野田政権が官僚組織をハンドリングできていないことだ。
 「社会保障と税の一体改革」は、「徴税も給付も総合的にやろう」という制度だ。複数の省庁による縦割り政策ではない(はずだ)。しかるに、野田政権は財務省と厚労省に好き勝手なことを言わせている。
 低所得者に増税分を還付したり「給付付き税額控除」を進める、と野田政権はいうが、国税庁と日本年金機構がバラバラの状況下でやれるはずがない。社会保障を人質にとって何とか税金を上げたい・・・・これが野田政権のいう「社会保障と税の一体改革」の本質だ。非常に非効率的で歪んだ再分配が、今まさに正当化されようとしている。

(3)消費税を「社会保障目的税」にする危険性
 消費税は、安定財源だ。景気がよくても悪くても基礎的サービスを提供しなければならない地方自治体の一般財源に充てるのが基本だ。
 それを国の特定財源にするとは、あまりにも非常識だ。消費税を社会保障目的税にしている国はない。
 日本の社会保障制度(医療・年金・介護)は社会保険方式だから、一般会計の税収がつぎこまれるのはおかしい。保険料を支払えない低所得者に税で補填する程度なら、まあ許せる。しかし、高齢者の社会保険の5割以上に税金を投入し、それが足りないから消費税を引き上げてさらに税投入を増やす、という発想は筋違いだ。
 容易な税投入は、社会保障業界の高コスト構造を温存する。
 特別擁護老人ホームにかかるコストは1床あたり2,000万円だ(東京都の場合)。特養を運営する社会福祉法人の内部留保額は1施設につき3億円、全体で2兆円にのぼる(2011年12月5日、厚労省発表)。これだけ内部留保をもちながら、不足している特養を増設せず、低賃金にあえぐ介護労働者へ分配していない。消費税を社会保障目的税化すれば、社会福祉法人のようなところに多額の資産が温存されてしまう。
 また、消費税を社会保障目的税化すると、高齢化の進展によって自然に社会保障費は急増していくから、将来、消費税が15%、20%に上がっていく。これを予想して、国民は貯蓄に励むようになる。その結果、景気が冷え込む。
 さらに、消費税を年金などに使うと、日本が強烈な中央集権国家になる。地方分権の見地からも、おおいに問題がある。
 北欧の福祉は、日本に適用できない。
 (a)スウェーデンやデンマークは、国家が日本の道州くらいのサイズだから、国民は自分がいくら払っていくら返ってくるか、がよく見える。他方、日本では租税や社会保障がどんぶり勘定で分配されているため、自分がいくら払っていくら返ってくるのか、が見えない。
 (b)人口が安定している北欧とは違って、日本では急激な少子高齢化が進んでいる。北欧と同じ高福祉・高負担の国家を目指すことはできない。そんな舵取りをすれば、高福祉・超高負担になりかねない【注】。

 【注】彼我で異なる条件は、まだある。スウェーデンの年金制度は、日本のように分立していない。最初から一元化していた。また、国民番号制度が徹底されている。

 以上、対談:高橋洋一(嘉悦大学教授)/鈴木亘(学習院大学享受)「「増税の罠」に陥ると財政再建は失敗する。」(「潮」2012年2月号)に拠る。
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【経済】消費税増税の3つの問題点 ~間違った社会保障・税一体改革~

2012年01月08日 | 医療・保健・福祉・介護
(1)社会保障の赤字ばかりに世間の注目を集めて増税を正当化しようとしている(最大の問題)。
 政府は、高齢者3経費(年金・介護・医療)の不足額が2011年度で10兆円であり、2015年度に13.4兆円に達することから、その穴埋めのためには消費税の5%増税(1%当たり2.7兆円×5)が必要だ・・・・と説明する。
 しかし、政府の予算全体を見ると説得的でない。政府の一般会計の予算額【注】の推移は、以下のとおりだ。2006年度:81.4兆円→ 2007年度:81.8兆円→2008年度:84.7兆円→2009年度:101.0兆円→2010年度:95.3兆円→2011年度:107.5兆円→2012年度:96.7兆円。
 2009年度(リーマンショック)と2011年度(東日本大震災)はさて措き、2006年度や2007年度は81兆円台で推移していた一般会計予算が、2010年度には95兆円台にまで膨張している。
 一般会計全体が、この5年くらいで14兆円程度膨張している。その理由は、民主党政権になってバラマキ(<例>子ども手当)を継続しているからだ。逆に言えば、バラマキを削減して2006年度の頃の予算規模に戻せば、消費税増税は不要だ。
 今年度予算でバラマキ(<例>八ッ場ダム建設の再開、整備新幹線3区間の建設着工の認可、東京外環道の建設開始)を続けながら、同時に消費税を増税しようとする姿勢は許容すべきでない。

(2)民主党政権は、「社会保障の安定・強化のため」(平成22年12月閣議決定)に消費税を5%増税する必要がある、と主張している。しかし、この説明にはかなり嘘がある。
 政府資料によれば、消費税5%増税の内訳は以下のとおりだ。機能強化3%(制度改革に伴う増、高齢化に伴う増、基礎年金の国庫負担)、機能維持1%、消費税引き上げに伴う社会保障支出等の増1%。
 そして、社会保障の充実・増加となって国民に還元される分(「制度改革に伴う増」)は2.7兆円と、消費税1%分に過ぎないことも明記されている。さらに、その内訳を見ると、医療・介護等1.6兆円程度、年金0.6兆円程度、子ども・子育て0.7兆円程度となっている。
 すなわち、消費税5%増税のうち、4%分は現在の社会保障の不足分や将来の自然増の穴埋めだ(財政赤字解消のため使用)。ちなみに、「若い世代の社会保障も充実させる」ために使われる金額は、消費税5%増税による13.5兆円のうちわずか0.7兆円でしかない。
 社会保障の水準が今とほとんど変わらないのに、さも社会保障の強化のために消費税を増税すると喧伝するのはおかしい。

(3)デフレの下で増税をするとデフレが悪化する。特に日本経済は15年にわたる長期のデフレに悩まされているから、まず大胆な金融緩和などによりデフレを克服し、その後に増税を行うようにすべきだ。
 そうしないと、増税してもさほど税収は増えない惨状に陥りかねない。1997年に消費税率を3%から5%に上げて以降、一般会計税収は今に至るまで1997年度の水準を超えていない。

 以上3点からしても、「社会保障・税一体改革」は「バラマキと増税の一体化」に過ぎない。
 大新聞などのマスメディアがかかる問題点をちゃんと指摘せず、政治の混乱という表面的なことばかりを詳細に報道していることは問題だ。記者が、財務省などの発表・説明を鵜呑みにした記事ばかりを書いているからだ。記者クラブ制度の弊害は、原発報道ばかりではない。

 【注】2010年度までは補正予算を含む公式の決算額、2011年度は当初予算と補正予算の合計額、2012年度は当初予算に復興特別会計と年金国庫負担の交付国債を加えた額。

 以上、岸博幸「間違った社会保障・税一体改革が進む前に消費税増税の問題点を整理する  ~岸博幸のクリエイティブ国富論【第168回】 2012年1月6日」(DIAMOND online)に拠る。
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【正月】日本のケストナー、天野忠の「新年の声」

2012年01月07日 | 詩歌
 ケストナーの児童文学は、『エーミールと探偵たち』、『点子ちゃんとアントン』、『飛ぶ教室』あるいは『ふたりのロッテ』を小学校の図書館で借りて、おおいに楽しんだ。大人になってから、大人向けの小説『消えうせた密画』や『雪の中の三人男』を手にしたが、こちらはさほど感心しなかった。
 大人になって感心したケストナー作品は詩だ。『人生処方詩集』は、角川文庫版もちくま文庫版も蔵書のどこかに埋もれ、 WANTED 状態だから、ここでは『ケストナァ詩集』から「明後日の幻想」を引く。

   次の戦争がはじまったとき
   女たちは、いけない、と言った
   そして兄や息子や夫を
   しっかりと部屋に閉じこめた

   女たちはそれから、どこの国でも、
   中隊長の家へ出かけていった
   手には棍棒をもって
   奴らをひきずり出した

   この戦争を命じたものを
   女たちは片っぱしから取っておさえた
   銀行や工場主
   大臣や将軍たちを

   棍棒が何本も二つに折れた
   法螺吹きどもは口がきけなかった
   どこの国でも喧嘩ばかり
   戦争は一つもなくなった

   それで女たちは帰っていった
   弟や息子や夫のもとへ
   そして、戦争はすんだと言った
   男たちは窓から外を見つめ
   女の顔は見なかった・・・・

 『ケストナァ詩集』の跋は、村野四郎が書いている(1965年秋付け)。
 <ケストナーが、処女詩集 Herz auf Taille (腰の上の心臓)を明日のは二十七八才のはずだが、その新刊詩集を笹沢美明君から借りてよんだ私も、まだ二十代であった。
 笹沢君も私も、その頃ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)にとりつかれて、旧式叙情詩の破壊口をさがしてやっきになっていたので、この詩集ぐらい私たちにとって新しい衝撃はなかった。私は詩誌「旗魚」の扉に、この詩集から、洗滌器とバイブルと靴のある挿絵を失敬して載せたりした。今から三十何年も前のことである。  
 私は新即物主義詩人の一人として、ケストナーをブレヒトやリンゲルナッツと一緒に愛読したわけだが、あのひどい皮肉と冷笑をこめた批評的喜劇精神と即物意識が、成長期にあった私の体質に、どんな養分をあたえてくれたかということを、今思いかえして妙になつかしい気持ちになってくるのである。
 (中略)
 ケストナーの、あのバラケツ的な即物的詩精神は、現代詩の深刻癖や観念癖に今日でも充分利き目があると思う。とにかく詩が、もうすこし新鮮で面白くなるだろうと思う。ケストナーは今日でも鮮烈に生きている。(後略)>
 余談ながら、村野が言及している笹沢美明の3男は、「木枯し紋次郎」の作者として知られる笹沢左保だ。村野は堅実なサラリーマンだったが、笹沢美明は親の遺産に寄食する「高等遊民」だった。そんな親父に愛想をつかし、自活できる大衆作家になった、と笹沢左保がどこかで言っていた。
 村野は、ケストナー的諷刺精神を天野忠に見いだした。読売文学賞を受賞した『私有地』から「新年の声」を引く。

   これでまあ
   七十年生きてきたわけやけど
   ほんまに
   生きたちゅう正身のとこは
   十年ぐらいなもんやろか
   いやぁ
   とてもそんだけはないやろなあ
   七年ぐらいなもんやろか
   七年もないやろなあ
   五年ぐらいとちがうか
   五年の正身・・・・
   ふん
   それも心細いなあ
   ぎりぎりしぼって
   正身のとこ
   三年・・・・

   底の底の方で
   正身が呻いた

   --そんなに削るな。

□エーリッヒ・ケストナァ(板倉鞆音・訳編)『ケストナァ詩集』(思潮社、1975)
□『天野忠詩集 ~日本現代詩文庫11~』(土曜美術社、1983)
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【本】中村真生子『メルヘンの木』

2012年01月06日 | 詩歌
 昨年、2人の著者からその著書をいただいた。1冊は、石山ヨシエ『浅緋』で、著者は朝日新聞鳥取県版の俳句欄の選者だ。その感想はすでに書いた(「【読書余滴】石山ヨシエ第二句集『浅緋』 ~風土~」)。
 もう1冊は、中村真生子『メルヘンの木』だ。新書版の瀟洒な装丁だ。ポケットにしのばせて、気の向いたときに、任意のページを開いて一編の詩と向かい合うことができる。じじつ、一編は見開き2ページを越えない。まことに読みやすい配置だ。
 本書は、昨年の暮に拝受し、この正月に一読、再読した。まず目にとまったのは、「冬の薔薇」だ。

   何度も何度も雪に埋もれながら
   見事に咲き切った冬の薔薇よ。

   ひょろひょろとした枝の先で
   傷ついた黄色の頭(こうべ)を
   祈るように
   垂れている冬の薔薇よ。

   葉はすでに一枚もなく
   しかし新しい芽を身体いっぱいに
   孕んでいる冬の薔薇よ。

   苛酷な世界の中で
   生き抜くことのせつなさを
   教えてくれた冬の薔薇よ。

   私も静かに頭を垂れよう
   今日も命をつないでいることに。

 『形象詩集』時代のリルケを好む私としては、その題材(薔薇)からしても、集中もっとも親しみやすい一編だ。
 モノ自体への接近は、「おじいさんの鞄」にも見られる。

   駅のベンチに置かれている
   おじいさんの古い鞄。

   ポケットには黒い折り畳みの傘と
   黄色い封筒の手紙の束。

   駅のベンチに置かれている
   おじいさんの古い鞄。

   おじいさんの汗が
   おじいさんの思い出が染みついている鞄。

   駅のベンチに置かれている
   おじいさんの古い鞄。

   うだるような暑い日も、
   北風吹く寒い日も
   おじいさんと旅してきた鞄。

   おじいさんの人生が
   きっしり詰まった鞄。

   鞄のようにぎっしりと
   いろんなものが詰まっている
   おじいさんの人生。

 『人生処方詩集』のエーリッヒ・ケストナーをちらと思い起こしたりもするが、モラリスト的観察において重なる面があっても、ここにはケストナーの痛烈な諷刺はない。それはそうだろう。ケストナーはナチス政権下のドイツ国内でファシズム批判を貫いた(ただし、ヴァルター・ベンヤミンはその政治的立場の曖昧さを衝いている)。ケストナーの強靱な諷刺の背後には、政治的な重圧があった。幸いと、著者の世代には、こうした恐るべき緊張関係はない。だから、鞄に集約される「おじいさんの人生」をそのまま慈しむように肯定することができる。
 政治やら社会的事件やら、前大戦を経験したドイツ詩人とちがって俗事に目を向けないですむ分、著者は自己観照に向かう。「誰かになりたかったとき」を引こう。

   誰かになりたかったとき、
   誰にもなれなかった。

   誰かになるのをやめたとき、
   私になってきた。

   私になったとき、
   もう誰にもなれなくなっていた。

   それで、ちょっぴりほっとした。
   もう、ひとりぼっちじゃなくなった。

 「冬の薔薇」および「おじいさんの鞄」と並んで完成度の高い作品だ。2行1連で4連、わずか8行の詩だが、第1連から第3連まで、それまでの全人生が圧縮されている。この6行を記すに至るまでに、膨大な時間が流れている、と思う。
 そして、第3連と第4連の間には、第1連から第3連までとは質的に異なった転換がある。自意識過剰からくる自縄自縛を脱して、西欧的市民の要件たる相対化という自由を獲得している。
 贅言ながら、自分の自我/個性の確立は、他人の自我/個性を正確に見極める前提だ。それが「ひとりぼっちじゃなくな」くするか、ますます「ひとりぼっち」にさせるか、議論の余地はあるにせよ、いずれにせよ、「誰かにな」ろうとしている限り「自分もまた一個の他人」(アルチュール・ランボー)の状態が続く。
 「誰かになりたかったとき」をみれば、詩は青春に独占されるものではないことがよくわかる。朱夏には朱夏の、白秋には白秋の、玄冬には玄冬の詩があるのだ。いや、むしろ生活年齢が青春、朱夏、白秋、玄冬と変遷しても、精神年齢は青春が続く、ともいえる。中村草田男はいみじくも謳った。「焚火火の粉吾の青春永きかな」
 『メルヘンの木』を読んでいると、いろんな対話を仕掛けたくなる。正解は、必ずしも求めなくてもよいだろう。「甚だしく解することは求めず」(陶淵明)だ。
 本書に収められた作品は、自己観照が多い。自己観照は概して静的なものだが、著者が「あとがき」で記すところの、自分の内外から湧いてくる/降ってくる言葉を書き留める作業は動的だ。たぶん著者の関心が、人間の生き方にあるからだろう。そして、感傷が見事に欠如しているのは、終始一貫して過去より現在、それも未来を孕んだ現在に目が向いているからだ。それは、例えば「誕生日に」のような表れ方をする。仮に私が現代詩人代表作選集を編むなら採らないが、それでも、この作品に横溢する向日性は捨てがたい。

   年を取るということは
   残りの日数が少なくなること?

   いいえ!
   よかった日が増えること。

    「今日もよい1日でした」という日を
   去年よりもたくさん持っているということ。

  記録を更新した
  あなたに、私に
    「心から・・・・
     お誕生日、おめでとう!」

□中村真生子『メルヘンの木』(祐園、2005)
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【正月】酒三題

2012年01月05日 | 詩歌
    ウチヲデテミリヤアテドモナイガ
    正月キブンガドコニモミエタ
    トコロガ会ヒタイヒトモナク
    アサガヤアタリデ大ザケノンダ

      田家春望   高適

    出門何所見
    春色満平蕪
    可歎無知己
    高陽一酒徒

   *

   主人ハタレト名ハ知ラネドモ
   庭ガミタサニチヨトコシカケタ
   サケヲ買フトテオ世話ハムヨウ
   ワシガサイフニゼニガアル

     題袁氏別業   賀知章

   主人不相識
   偶座為林泉
   莫謾愁沽酒
   嚢中自有銭

   *

   コノサカヅキヲ受ケテクレ  
   ドウゾナミナミツガシテオクレ
   ハナニアラシノタトヘモアルゾ  
   「サヨナラ」ダケガ人生ダ    

     勧酒   干武陵

   勧君金屈巵
   満酌不須辞
   花発多風雨
   人生足別離

 以上、井伏鱒二『厄除け詩集』(筑摩書房、1977)から引用した。ただし、漢字は略字に改めた。
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【震災】無名の力 ~コミュニティの芸術~

2012年01月04日 | 詩歌
 俳人=表現する者は、東日本大震災をどう受け止め、どう立ち向かっていくか。
 もちろん、この現実をまったく無視して作句し続けるのも、俳人の選択肢の一つだ。しかし、この場合も、無視という態度をなぜ選ぶかを明らかにすることに表現者としての意志とエネルギーが要求される。現実を毅然として拒絶し、代わりに何を表現していくか、という断固たる思想を持たずにはその先に進めないからだ。単なる無視は、現実逃避にすぎない。

 自分自身にも避けて通れない課題だ。第一、俳句など作っていていいのか、という思いもあった。周りには苦しみ、悲しみが満ち満ちていて、この現実に対して言葉がいかに無力であるかも身をもって感じていた。しかし、その壁に突き当たるたびに、自分には俳句しかない、という思いに行きついた。誰のためでもなく、まず自分のために俳句を作る。その自己確認の繰り返しで、今もその模索の最中だ。

 この震災を機に、改めて知ったこと、考えさせられたことがたくさんある。俳句の無名性と、その力もその一つだ。
 飯田龍太のいわゆる「詩は無名がいい」は、個性を超えた普遍的作品世界のことで、作品そのものだけを残したい、とする境地を指すらしい。「まず名を求めて懸命に努め、いつかその目的と結果を忘れ去った時、生まれる」ものが本当の意味での無名の詩だ、とも述べている。作家としての覚悟のようなものだろう。
 しかし、ここでいう「無名性」は、実際に生まれた作品に即した、単純極まりない実感だ。たしかに、俳句総合誌が矢継ぎ早に組んだ震災特集にも感銘を受けた句があった。しかし、自分の心をよりとらえたのは、もっと大多数の、いわば俳句をささやかな心のよりどころにして親しんできた、一般の愛好家たちのものだった。

   震災後また朝が来て囀れる  佐々木智子
   泣きはらす子らにひかりあれ卒業歌  上郡長彦
   避難所の毛布に眠る赤子かな  條川祐男
 
 作品の芸術性はさて措く。これら一句一句は、その日その時のかけがえのない作者の心そのものとして立ち上がっている。
 やむにやまれぬ思いがひたすら句作へと自分を駆りたてる時、詠み手自らが被災地にいるかいないか、当人が被災者であるか否かは問題ではない。
 そもそも、誰が被災者で誰が被災者でないか。それは住んでいる場所や体験の有無が決めることではない。その人自身の心のあり方の問題だ。<誇張を承知でいえば、このたびの福島の放射能の災禍は、日本人、いや、世界のすべての人が被災者なのである。>

   夏雲や生き残るとは生きること  佐々木達也
   さわ先生カニに変身あいに来た  せとひろし

 前句は、俳句甲子園の高校生、後句は地元宮城の東松島氏の4歳児のもの。どちらも、大震災の句であるか否か、判別しにくい。しかし、前句の<生き残る>には、多くの死と立ち会った時にだけ生まれる切実な思いがこめられている。高校生らしい素朴もあふれる。
 後句の<変身>には、もうこの世にはいない人への思慕と蘇りの願望とが、まさにたどたどしく表現されなければ伝わることのない世界そのものとして書きとめられている。本人は漢字はおろか、平仮名も書けないだろうから、これは大人の書き写しだ。俳句というより単なる呟きだ。だが、呟きは詩になり得ることはツイッター以前に俳句が証明している。
 こうした俳句に出会うたびに、俳句形式のもつ無名の力に突き当たる。錬磨洗練された言葉の姿や深遠高雅な思想とは遠いけれども、その場その場の人間の肉声が、生々しくかつ率直に、それぞれの在りようとして聞こえてくるのだ。
 それは、東日本大震災という未曾有の現実が支えている言葉の力であるかもしれない。あるいは、読み手の思いが過剰に反応して、かろうじて成立している世界かもしれない。そうであってもよい。俳句は、おそらく、もともとそういう文芸なのだ。時や場所を共有している限られた人々の限られた時空で成立してきた文芸なのだ。そして、それゆえに生まれる無名のエネルギーこそ、俳句の原点がある。

 俳句は、俳諧と呼ばれた当初から、肩書きも富もない庶民の詩だった。和歌が、貴族や武士が自らの名や存在を残し広く伝えようとして創られてきたことと対峙する。俳号は、仮の名、社会的存在としての自分を拒絶する意思表示だ。作品そのものが、それも意中の何人かの心にしっかりと響くことだけを願う、慎ましい自足の世界なのだ。
 この無名の力を、未曾有の災禍のなかで確認することができた。

 以上、高野ムツオ「無名の力」(「俳句年鑑2012」、角川書店、2011)に拠る。

 【参考】「【震災】天変地異のなかで俳句に何ができるか
     「【震災】東日本大震災を俳人はどう詠んだか
     「【震災】原発事故を俳人はどう詠んだか
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【正月】白少し透きし三日の鏡餅

2012年01月03日 | 詩歌
  餅焼くやちちははの闇そこにあり   『花眼』
  きのふ見し雪嶺を年移りたる  『浮鴎』
  山中の鯉に麩をやる三ヶ日  『浮鴎』
  蓬莱や湖の空より鳶のこゑ  『鯉素』
  よきこゑにささやきゐたる古女かな  『游方』
  屠蘇雑煮今年もつとも畏みぬ  『四遠』
  白少し透きし三日の鏡餅  『四遠』
  元日をかるくをり雲浮くごとく  『四遠』
  正月の耳福といへばゆりかもめ  『空艪』
  元日の富士のつてをり櫟原  『所生』
  雪嶺に鷹の流るる初御空  『餘日』
  年酒して見惚るるものに藪柑子  『花間』
  黒子にも雪の降るなり初芝居  『花間』
  光年の星にも年の改まる  『深泉』
  初凪の海を見にゆく由比ヶ浜  『深泉』

 以上、『季題別 森澄雄全句集』(角川学芸出版、2011)の「新年」の部から抜き、句集刊行順に配列した。
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