ようやくあれから10年過ぎた。
震災直後、現地に片付けにボランティアでいった際の強烈な魚のにおいと
被災の惨状を目の当たりにして
これでは復興10年はかかるだろうと無意識に感じたものだった。
これまで数回、現地を訪れて、立派な箱物がたっているが
空き地が点在していたのがきになったものだった。
復興の難しさに、いかに時間がかかっていたかにみえてくる。
そして心と内面的なものにも・・・
山田の中村ときさんの短歌が新聞に掲載されていた。
不明なる姉と甥は香りがつめたからんいづこの海に十年眠る
生涯にみたび津波に遭ひわれ命守れとひたすら伝ふ
今、百一才。この10年暗くて長いトンネルのようだったと。
震災前は浜の香りが伝わってくるような短歌でよく目を引いていたのを覚えている。
今、町の復興と安らかな暮らしを見るのがうれしいと。
平穏な暮らしの短歌をよみつづけてほしいものだ。
昨日は市内で「祈りの灯火」
全国から集まった一万個の点火の手伝いをしながら犠牲になった方々を弔った。
震災直後、現地に片付けにボランティアでいった際の強烈な魚のにおいと
被災の惨状を目の当たりにして
これでは復興10年はかかるだろうと無意識に感じたものだった。
これまで数回、現地を訪れて、立派な箱物がたっているが
空き地が点在していたのがきになったものだった。
復興の難しさに、いかに時間がかかっていたかにみえてくる。
そして心と内面的なものにも・・・
山田の中村ときさんの短歌が新聞に掲載されていた。
不明なる姉と甥は香りがつめたからんいづこの海に十年眠る
生涯にみたび津波に遭ひわれ命守れとひたすら伝ふ
今、百一才。この10年暗くて長いトンネルのようだったと。
震災前は浜の香りが伝わってくるような短歌でよく目を引いていたのを覚えている。
今、町の復興と安らかな暮らしを見るのがうれしいと。
平穏な暮らしの短歌をよみつづけてほしいものだ。
昨日は市内で「祈りの灯火」
全国から集まった一万個の点火の手伝いをしながら犠牲になった方々を弔った。