ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-24 珠玉の街巡りF

2024年02月19日 | 日記
ぽかぽか陽気の1日。今回の街巡りはNYタイムスで紹介された人気コースだ。

プラザおでってがスタート。
岩手銀行赤レンガ館。明治44年1911年竣工。盛岡銀行本店。
ここが第1ポイント。「何に見えますか」・・・東京駅とそっくり。
そうなのだ。同じ設計者によって建てられている。。しかも2年早い。
おおきさは10倍と違うが。
設計者は辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司。3年間かかったといわれる。3階建てで
花崗岩と赤レンガのコントラストはルネサンス様式の近代化遺産である。
煉瓦91万個。総工費13万円。
しかし昭和6年 1931年金融倒産。その後岩手殖産銀行 現岩手銀行となる。
時の知事が赤煉瓦は赤字のイメージで悪い。と白く塗り替えられた。
元に戻ったのは昭和33年 1958年である。
次のポイントは盛岡信用金庫。これも葛西萬司。昭和2年1927年竣工
正面の6本の太い円柱と花崗岩が目を引く。昭和初期のモダニズム建築だ。
次は南部鉄器の釜定。明治時代の創業。「どんと晴れ」のロケ地。
茣蓙九。江戸末期の豪商。間口20間もある。庶民は1間の間口だ。それだけ税金が余程高い。
屋根にはうだつという壁が稲妻型に走っている。火災延焼防火対策だ。
裏の中津川に面する土蔵が7棟。柳の道
次は南部紫根染めの草紫堂。絞り染めは1着に数ヶ月。大変高価である。
手頃な小物が1000円程度である。なんぶ
白沢せんべい店。当時は野戦食であったと。
そして紺屋町番屋と与の字橋。次回に続く





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