ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.4.9 桜吹雪とともに今年も・・・

2018-04-09 20:56:54 | 日記
 このブログがきっかけで交流が始まった大学の先輩が旅立たれたことを知った。享年62歳。
 長いこと読者でいてくださった。私のブログがきっかけで、ご自身もブログを始められたと伺っている。

 最初の出会いは大学のOB・OG合唱団の本番終了後だった。
 私のブログの文章から当たりをつけてお越しになったそうだ。舞台が終わった後にロビーで声をかけられ、お手紙を手渡された。そんなことは初めてだったのだけれど、とてもびっくりするとともに、私のブログでどなたかを励ますことが出来たのだということに、こちらがとても励まされた。その時はお手紙を頂いただけで長くお話することはなかった。
 以来7年近く経ったかと思う。

 その後、今は亡き共通のブロ友さんとの交流もあり、何度か一緒にランチや夕食をともにする機会があった。
 私の地元に来てくださったり、都心のレストランでお目にかかったりもした。

 3年前、私がカドサイラを始めた頃だったか。目の前がピカピカしたり、視野欠損などの症状が出たことを記事にした。彼女もちょうどその頃閃輝暗点の症状が出て、検査の結果、脳転移が判明して即治療されたことから、私に、きちんと検査をすべきですと助言してくださった。

 その後も別の部位に転移が見つかり、全脳照射など大変な治療を重ねながらも、ご主人と2人で果敢に地球の裏側まで旅行を重ねられた。お酒もお好きなご様子で、お友達と夜のお付き合いも愉しんでおられたので、とても眩しく凄いバイタリティだなと思っていた。

 このところお互いに忙しく、実際にお目にかかることはなかったが、ブログのコメントでのやりとり、というよりもメールでのやりとりは折りに触れて続いていた。
 最後のやりとりは先月の9日。お互い好きなことをして人生を楽しみましょうね、とあった。

 その後、10日に少し体調不良が続いているという記事が出て、23日に出された「体調不良なのでコメントにお返しが出来ない、勝手ながら休ませてください」という記事が最後になった。
 それまではほゞ毎日私のブログに足跡を残しておられたのだが、それ以降そうしたこともなくなり、半月ほどが経過した。
 メールを差し上げるのは鬱陶しく負担になるだろうと重々判っていたので、ただ祈るのみ。ただ心配には変わりなく、どうされているだろう、そっとしておいて差し上げた方がいいのだろうか。お見舞いにも伺ってよい状況なのだろうかと逡巡していた。

 それでもなんとなく胸騒ぎがして今朝メールをしたところ、ほどなくしてご主人から「先月末、入院先の病院で亡くなりました」とのお返事を頂いた。
 最期は薬が効いて穏やかな寝顔でしたと記されていた。ちょうど桜吹雪の頃、満月前夜のことだったか。
 葬儀も無事済まされたという。

 障害のある一人娘さんの行く末を案じ、ご自身の体調から自宅でケアするのは限界だと数年前に施設入所を決められた。その心情は、彼女のブログに縷々綴られている。
 その後はご主人やご友人たちとの時間も大切にしつつ、やりたいことをやれるときに、精一杯ご自身の人生を愉しまれたのだと思う。

 お疲れ様でした。どうか安らかに、と合掌しつつ、今年も桜の季節に又ひとつ哀しい思い出が増えてしまったことに唇を噛む。

 こうして再発仲間が一人、又一人と旅立って行く。寂しい。
 それでも彼女たちは彼女たちの人生を精一杯全うされたのだと信じたい。
 私も私の限りある人生、精一杯全うしなければ。

コメント
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