ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.12.31 2019年総決算、どんな1年だったか

2019-12-31 23:27:20 | 日記

 2019年大晦日。
 前記事に書いたように、今日は親子3代で近場のホテルで年越し一泊。おかげさまで賑やかな年の瀬を迎えている。
 今日も心は穏やかだ。とはいうものの、振り返れば今年も公私ともに実に色々なことがあった。3月から6月までは3剤併用の抗がん剤治療。その後も副作用に苦しめられ低空飛行だったが、夏以降はそれなりに動き回れている。

1月  
結婚29周年の旅行は2泊3日で伊豆下田へ。美しい碧い海を愛でながら温泉や水仙まつり等を楽しむ。
第10回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス

2月
 息子の新居契約のため関西へ。2泊3日で家財道具他一切の手配を終える綱渡りの超ハードスケジュール。
 CT撮影で両肺腫瘍増大、空咳等自覚症状増悪。治療薬変更を決断。

3月
 息子の独立記念・卒業記念にいつもの写真館で3人揃って最後の家族写真撮影。
 2投1休ハラヴェン、パージェタ、ハーセプチン治療スタート。
息子の卒業決定の翌々日に、新居引っ越しのため関西へ。私は2泊3日、夫は+1泊。副作用で早くもヨレヨレ、夫も作業疲れによる発熱で最終日はダウン、ホテルで寝込む。
 1クール2回目、白血球減少により中止。
 息子の卒業式のため3月2度目の関西へ。式翌日、人生3度目の脱毛スタート、帰路はかつら着用。
 2クール1回目は減量で3剤投与。

4月
 平成ラストの第11回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
 治療の副作用(吐き気、下痢、倦怠感等)が酷く、治療後の週末は殆ど廃人状態引き籠り。

5月
 連休は休薬週に母を連れて関西へ。研修中の息子と面会。母にも新居をお披露目。
 令和初、第12回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス

6月
 超軽量・断熱のかつらを2種類新調。10年の技術の進歩を実感。
 無事58歳を迎える。誕生日記念は、1月の滞在に味を占めて3泊4日で下田へ。帰路はロイヤルエクスプレスに乗車。ほぼ貸し切りのVIP対応に酔う。
 末梢神経障害等の副作用が酷く、6クール2回目断念。7クールからはハラヴェン中止。

7月
 第13回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
 左腎がんが見つかった母の手術が9月に延期になり、4年連続でお誕生日プランホテル宿泊。
 体調を見ながら恐る恐る10月本番のOB・OG合唱団練習参加開始。
 夫と2人で6泊8日中欧5か国旅行を満喫。移動が多く強行軍。

8月
 車掌研修中の息子の姿を見に2泊3日で関西へ。おまけで神戸異人館観光も。

9月
 ハタフローヨガインテンシヴコース第三期聴講生参加。
夫誕生日祝いに北陸1泊旅行。
 瞑想ヨーガの師Sさんが月末でスタジオクローズの衝撃。最後のクラス・懇談会に出席。
 母校アリーナ竣工記念演奏・第九の合唱練習スタート。
母左腎がん摘出手術のため入院。
 体調管理をしつつ母の見舞、退院後準備、ヨガ、合唱練習等に奔走し結構ヨレヨレ。

10月
 第14回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
 ハタフローヨガインテンシヴコース第三期聴講生参加
 午前中に第九演奏をこなし、午後はホームカミングデーでの恒例OB・OG合唱団本番無事終了。10年ぶりに合唱団同期の夜の打ち上げパーティに参加し旧交を温める。
 ハラヴェンの副作用(末梢神経障害等)は相変わらず軽快せず。
 母退院後10日間のショートステイを経て自宅独り暮らし再開。

11月
 第15回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
 息子が念願叶って合唱コンクール全国大会出場のため、それを聴きに関西へ。初出場で銀賞受賞の快挙。紅葉真っ盛りの古都観光も楽しむ。

12月
 第16回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス
 年末に息子帰省し、1泊で厄除けとアウトレットモール買い物ツアー
 その一日後、母の体調を見つつ大晦日親子三代で近場のホテルに1泊、新年を迎える。

 こう書くと、今年は少しゆっくり・・・と言いつつ(毎度のように口先だけ・・・)体調が悪く寝込んでいる時を除けば殆ど腰を落ち着ける暇もなく、動き回っている。我ながらお馬鹿さんである。これはもう死んでも治らないと思う。

 今年の3大ニュースは、息子卒業(5年かかったけれど、結果オーライ)と就職、母腎がん手術、かつら生活にもめげず中欧旅行と瞑想ヨーガクラス講師2年継続、だろうか。
 通院治療に関しては、2投1休の3剤併用は3か月でギブアップ、2剤併用の3週に1度に落ち着いた。

 読書量はやはり少なく70冊弱。去年と同程度だ。治療開始以来100数十冊、300冊を超えていた頃はもう戻ってこないだろうか。レビューを書く時間もとれないが、そのために睡眠時間を削ることはしない。当日の治療日記で面白かったものについて題名に触れる程度で精一杯。

 映画はそれに比べて結構観たか。これも映画館で見たものに加え、機内やWOWOWを含めて80本弱。映画館で観たのはその30数本。これも観っぱなしで、レビューが書けていないのも去年迄と同じ。これについても睡眠時間を削って記録に残す暴挙はしないと決めた。

 関西へ出向いたのは息子の引っ越し準備、引っ越し、卒業式列席、新居を母にお披露目、車掌研修見学、合唱コンクール全国大会と合計6回。良く通った。
 息子もなんだかんだと6月(結婚式参列)、10月、12月(年末年始)と帰省した。
 それに加えて下田2泊+3泊、ブダペスト、プラハ、ウィーンに各2泊、みなとみらい1泊、富山1泊、北関東1泊、地元1泊等、治療日前は病院最寄り駅に必ず前泊つまり24泊。合計すれば50日ほど。それなりに外泊もしている。

 地元のヨガスタジオに加え2つ先の駅前スタジオにも多少通った。ハタフローヨガインテンシヴコースは聴講生として2回だけ、Sさんのスタジオが秋にクローズになったこと、治療変更により前半はほぼ体調不良で外出出来ず寝込んでいたこともあり、最後のクラスに参加させて頂いただけである。
 今年レッスンを受けた回数は一昨年の150回には足りず、ワークショップなども含めて135 回ほど。3月から6月の3剤投与治療中に通えない日が多かったので仕方あるまい。
 
 きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、体調をある程度コントロール出来るようになった。治療を続けていく上で体力維持は必須である。筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくいという。これ以上階段の昇り降りがきつくなったり、息切れが酷くなったりしたら、毎日仕事には出られないどころか、片道1時間半かけての治療にも通えないだろう。

 昨年、一昨年同様、土日に2日連続して人と会うために都心に出かけることはしなかった。今年、土日連続で都心に出向いたのは、合唱の練習とSさんのヨガスタジオくらいか。どちらも自分のために使わせてもらった。

 それでも、物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離もちょっと根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。埃を吸えば鼻水は出るし、ちょっとした香りや煙にも咳き込む。曲がりなりにもフルタイムで働いて、家のことを健康な方たちと同じレベルで完璧にやろうなどというのはどう考えても欲張りな話。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は今の私には、到底ない。

 去年同様、クリスマスもお正月も特段の準備もしなかったどころか、最初から諦めた。普段の手抜き家事だけで既にアップアップしている。丁寧な家事仕事は全く出来ない。大掃除も特にしなかった。それでも仕方ない、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。ただ早期退職してずっと家にいたら家事をするのですか、と問われればおそらく、否である。

 振り返れば病を得てほぼ15年、大学卒業後35年近く、産休と6ヶ月弱の病気休職以外休みなく働き続けることが叶っている。とりわけ強健ではなくとも健康な身体を授かったのだから、働くことで社会に少しでも還元することは、今でも当然の義務だと思っている。医療費で社会の皆様に助けて頂いているから、少しでも長く自分自身で掛金払い込みを続け、自分の保険証を持ち続けたい。

 いつまで今の2剤治療が続けられるかわからない。来月の造影CT検査結果次第ではまた治療変更があるかもしれない。それでも必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。
 明日からスタートする2020年はどんな年になるのだろう。3歳になったばっかりだった64年の東京オリンピックは全く記憶がない。2020年招致が決まった時、人生2回目のオリンピックを見ることはおそらく叶わないだろうなと思っていた。なのに、もう目と鼻の先になった。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 皆様にとって、来たる新しい年、2020年子の年がより健やかで穏やかなものでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。どうぞ良いお年をお迎えください。
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2019.12.31 大晦日は家族とともに無事の年越しを祝う

2019-12-31 17:10:11 | 日記

 2019年もいよいよ大晦日である。
 昨夜は、お昼の飽食でお腹も重く、ショッピングモールを歩き続けたりバスや電車で移動したりで帰宅した時には疲労困憊。最低限の片づけで洗濯も明日朝廻しということで入浴後はバタンキュー。
 夜中に2度お手洗いに起きたが、お腹はなんとか快腸。無理して昨夜食べ過ぎなくて良かった。寝坊助の2人が全然起きてこないので、一人でのそのそ起き出して朝食の支度。さすがに昨夜夕食をまともに食べていなかったので結構空腹である。

 2人を起こし、遅い朝食を済ませた後は大洗濯。掃除は大掃除どころか、いつも通りかちょっと手抜きレベルの掃除で、お茶を濁した。夫が珍しくお手洗い掃除を引き受けてくれたので助かったが、息子はいてもお大名状態でただの場所塞ぎでしかない。息子が帰ってくるとやけに我が家が狭いと感じるのは私だけ?
 昼前に今年最後の生協の配達が届き、あれこれ納める。今年もお世話になりました。重い物を間違いなく届けて頂けるのは本当に助かっている。昼食は適当に冷凍食品で済ませた。

 父が亡くなって以来、年末年始休暇は母を連れて家族4人で温泉やら旅行やらに出かけてきた。だが、母は腎がんの術後3か月だし、無理して遠方に連れ出すのは避けたい。それでもせっかくのお休みにどこにも行かないのも気分転換にならない。ただ3人だけでどこかに出かけて母を一人放置するのも忍びない。3人揃って母のところに押し掛けるとしても、あの寒い実家に行ったら風邪を引くか痛みが出るのは必至、これも避けたい。かといって狭い我が家に泊まりに来てもらうには片付けのハードルが高すぎる。

 というわけで、あれこれ逡巡した結果、安易かつちょっと贅沢ではあるが、いつも母がバスで通い慣れている実家最寄り駅の隣の駅前にあるホテルに1泊だけすることにした。ここなら母は家の近くのバス停から15分ほど、私たちもドアツードアで1時間かからず到着出来る。

 まあ、辛抱な母に言わせれば何も隣の駅に泊まって贅沢をしなくとも・・・なのだが、お節料理を用意する元気はないし、上げ膳据え膳で年越しそばとお節を頂ける宿泊プランはこちらとしては願ったりかなったり、なのである。

 ということで、チェックインの時間に合わせてホテルのロビーで待ち合わせた。暖かく穏やかな大晦日である。駅前の電光掲示板によると気温が16度。
 今日は特に何の予定もない。8階の隣同士の部屋を案内され、私の部屋に4人集合。まずは息子から母に初めてのプレゼント贈呈である。「○○くんから何かを頂くのは初めてで、涙が出る。」と喜んでいた。めでたし、めでたし。

 部屋には「大変おめでたい開運招福の干支の置物です」と可愛らしいねずみの鈴が置かれていた。息子と母が1つずつ持ち帰ることに。
 というわけで、これから早めの夕食に出かける予定である。
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