インテリジェント ワークス

子供達との泣き笑い

指導者1年生

2020年04月05日 | 塾長の独り言

悶々とした日を過ごしながら、次の週末を迎えました。

先週見学に行ったグラウンドを訪れると、また同じように少年野球の大会が開催されています。
しばらく見学をした後、思い切って大会本部を訪ねてみました。

少年野球の指導者をしてみたいのですが、どこかでコーチを募集しているチームはありませんか?

これが四半世紀に渡る子供達への指導に関わる第一声です。

そこで応対してくれた少年野球関係者は、僕の住所を聞き、事情を聴いてくれた後に自宅付近の少年野球チームを紹介してくれました。
とうとう少年野球のコーチとしての第一歩が始まる訳です。

ここで誤解の無いように先に申し上げておきますが。
自分が野球経験者だからと言って、決して上から目線で正しい野球を教えようと思った訳ではありません。

まずは現代の少年野球と言う物はどんな物か。
この近隣の少年野球全般を教わる事に主眼を置きました。

そもそも野球部経験者には、とても鼻持ちならない悪癖がある事を自分は承知しています。
体育会系野球部の良い所は後述するとして、悪い所は書き始めるととてもこのブログでは書ききれません。
その中でも、最も僕が気に入らない悪い箇所は、自分がやってきた野球が正しくて、他人がやってきた野球は大した事が無いと言う全く生産性の無い主張です。

多くの野球経験者は、飲んだ席などで懐かしく自分の経験談などを話したがります。
それは、どれだけ自分が理不尽な目に遭ったかから始まり、どれだけ苦しい練習を耐えて来たか、そしてそれがどれだけ素晴らしい成果に繋がったかなどへの自慢話へと発展します。

野球と言うスポーツは団体競技です。
当然そこには各自が任される重要な任務が存在します。
ピッチャーが居て、キャッチャーが居て、野手が居て、攻撃側は打者が居て走者を出し、どちらが多く得点を取るかを争うスポーツなのです。
そこにはポジション毎の練習や考え方が存在する他、たまたま入った学校の野球部が強かった弱かった、同級生に凄い選手が居たり居なかったりと、環境や運にも大きく作用される部分があります。
それらを一括りにして、あいつの野球は自分の経験してきた野球より大した事が無いと吹聴する、野球部経験者のアルアルの悪い癖が存在するのは事実です。

話しが少し逸れましたが、この時の僕は自分が野球経験者である事は話さず、単にお手伝いと言う形で或るチームのコーチとして就任させて頂きました。

僕を迎え入れてくれたチームは、部員僅か10人の小さな少年野球チームです。
ですが、このチームは地元の少年野球チームの中では強豪チームであり、指揮を執っていた監督も子供達の野球に賭ける情熱は並大抵の物では無い事が伝わって来ました。

そこで僕が最初に任されたのは、下級生達への外野ノックです。

外野は黙ってろと言う言葉が有るように、外野と言うのは日本語の中に於いて主役から外されたようなイメージが有りますが。
実は野球に於ける外野と言うのは、非常に難しいポジションなんです。
正直に申し上げると、とても最近野球を始めたばかりの低学年が守れるようなポジションではありません。

それを知っているだけに。低学年に外野ノックを打つ虚しさが有りました。
どんなにイージーな外野フライを打った所で、低学年の野球を始めたばかりの子供達が、ボールを捕れる筈が無いからです。

それでも、監督は内野ノックに精を出し、細かいフォーメーションを指示しています。
きっと外野ノックは、低学年の時間潰しも含めた、上手くなってくれれば良いなぁと言う練習だったのでしょう。

そこで、僕は2種類の練習を考えました。
ひとつは子供達がフライを捕れるようにする為に、至近距離に子供達を集めて正しいフライを捕る姿勢を教えてやる事。

そしてもうひとつは、自分のノックの精度を上げるべく、70m向こうで構えている子供の真上にノックのボールを落としてやる練習です。
つまり、ひとつは子供達の為に、もうひとつは自分の為に、長いノックの時間を使っておりました。

お陰で自分のノックの腕が上がると同時に、子供達のキャッチングもどんどん上達して行きます。
それは毎週手に取るように解る上達振りでした。




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