新しい校長と副校長に不信感を抱いた平成塾。
そんな中であの事件は起こりました。
これは過去にもご紹介した事がある事件ですが、今回は別角度から包み隠さずお話ししたいと思います。
ある年、6年生が平成塾に入って来ました。
どことなく覇気の無い男の子、その子は家庭の事情から小学校入学と同時に引きこもりになり、友達と遊ぶ事はおろか学校にも満足に通えていませんでした。
実はこの子には2人のお兄さんがいます。
その2人は足立ポップスに在籍していた事があり、平成塾を僕が運営している事を知ったその子のお父さんが連れて来たものです。
長いこと引きこもっていたお陰で、表で友達と遊んだ事もないこの子は、野球どころかボールで遊んだ事も無いようでした。
当時の平成塾は子供達がだんだん野球が上手くなって来た時期でもあり、6年生は勿論低学年の子供達でもキャッチボール程度は普通に出来るようになっています。
そんな中で全くボールが捕れない6年生。
何より本人がとても恥ずかしかった事でしょう。
すぐに辞めちゃうかな?
それを心配していましたが、きっとお父さんにも励まされ続けたのでしょう。
彼は毎回遅刻する事無く平成塾に通って来ました。
当時の平成塾は土曜日の午前9時から練習が行われていたのですが、僕はその子に次の土曜日は6時にグラウンドに来るように促します。
みんなとキャッチボールが出来る程度まで個人レッスンをするつもりでした。
ただ6時と言えば早朝です。
小学生には早すぎるかな?と少し心配していましたが、翌土曜日その子は時間に遅れることなくグラウンドにやって来ました。
よしやろうと思ったその時です。
他の塾生が一人来て、また一人来て、いつの間にか塾生全員がグラウンドに集まってしまいました。
これには僕が慌てます。
待て待て、平成塾の練習は9時からだよ。
開始まではあと3時間くらいあるよと言ったその時です。
塾長、僕らは友達の応援に来たんです。
球拾いをさせて下さい。
なんと言う事でしょう。
その子が特別練習をすると噂で聞いた塾生達全員が、この子を応援する為に自発的に集まって来たのです。
事実その子とキャッチボールを始めると、全員が彼を応援してボール拾いをしてくれました。
これにはその子も僕も泣きながらキャッチボールをしましたよ。
その子はそれから学校を休まなくなり、後日学校が終わってから野球道具を持って友達の家を訪ねたそうです。
ところが数日後、コーチとして参加していた学校の先生が、飲んだ席でこれを美談として副校長に話します。
すると副校長は翌日すぐに大問題としてこれを校長に報告しました。
そして学校側の言い分はこうです。
本来貸していない時間に平成塾は練習を行った。
早朝練習に対して近所からクレームが沢山入った。
ルールを守れない平成塾は解散させると言うものです。
副校長に話してしまった先生からは何度も何度も謝罪がありました。
この時、平成塾は校長副校長のやり方に異を唱えていた真っ最中です。
校長副校長からすれば、平成塾を叩く絶好の材料だった事でしょう。
僕はこの子も含め、何人もの子供達を救えた事だし、辞めろと言うなら辞めても良いかなと思っていました。
ですが、これを聞いて真っ先に動いた人達がいます。
それは塾生のお母さん達でした。
お母さん達は何人かで手分けして、学校周辺の全部の家を回って聞き込み調査をしてくれたのです。
結果、どこの家からもクレームなど出していない事を突き止め、その報告を学校側に提出します。
ところがこの報告でメンツを潰された校長副校長は、勝手に近所中を回ったと逆切れし、そんな父兄が集まる団体は即刻解散すべしと強硬手段に出ようとしました。
万事休すかな。
そう思った時に伏兵が動きます。
それは当時の主将だった矢田くんを始めとした6年生達です。
矢田くんや小原くん、舟越くんなどのメンバーが校長室を訪ねて直談判をし、自衛隊と呼ばれた竹内くんが下級生にアンケートを取って全員の意見をまとめます。
更に彼らは、これでも解散させるなら教育委員会に相談するとまで言ったようです。
これだけの資料を作られて、教育委員会の名前を出されたら、公務員然とした校長副校長も引かざるを得なかったでしょう。
無事に平成塾は続けられる事となりました。
しかし、この子供達の行動は僕の差し金に違いないと思い込んでいた校長副校長。
それは全くの誤解です。
子供達は公務員然とした教員の態度に、もう辟易としていたんですよ。
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