国鉄バス ブルー号

国鉄ハイウエイバスブルー号の乗車券です。


これは鉄道100年を記念して作成された、硬券見本帳に収録されているものです。


   


「ブルー号」というのはあまり聞きなれない便名です。


調べてみますと、ブルー号は昭和46年10月に昼行季節便として東京駅~名古屋駅間に設定された便だそうですが、昭和49年4月には運行休止されてしまっているようです。


この記事は、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」4月18日エントリーの「国鉄東名ハイウェイバス 東京→名古屋 ブルー号」にトラックバックさせていただきました。

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国鉄バス ワンマンバス整理券

国鉄バスの整理券です。

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確か、昭和61年9月に日勝線の路線バスに乗車した際に貰ったものです。

今やバスの整理券も感熱印刷化が進み、このようなアナログ的な整理券はめっきり見かけなくなりました。

機械の中にはロール状の用紙が装填され、乗車口の扉が開くと同時に整理券発行機から整理券が舌を出すように発券されていました。
整理券番号(ここでは「2」の数字)と券面の印字は別々になっており、番号は停留所もしくは運賃帯ごとに両面印字されました。番号のところを良く見ると、裏面にも印字された番号が逆さまに透けて見えます。

乗車口の扉が閉まると、出されていた券は即刻機械の中に吸い込まれ、発券口のフタが閉まります。

吸い込まれた券は機械の中に溜め込まれているのでしょうか?
券が溜まり過ぎて溢れている状態は見たことありませんね。

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ワンマンカー乗車区間事故証明書

きっぷではありませんが、ジェイアールバス関連でもう一つ…

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これは、国鉄バス厚別自動車営業所管内のバス車内で発券された、「ワンマンカー乗車区間事故証明書」です。

実際に事故等の関係でワンマン運転のバスが遅延をした際に、乗客に発行されていたものです。
鉄道で言えば「遅延証明書」に当たるものと考えられますが、路線バスは停留所の通過時間に誤差が当たり前だからなのか、敢えて別様式の証明書が作成されていたようです。

無地の白紙に印刷された単純なもので、予め「厚別自動車営業所印」という角印がおされていました。
遅延時間を記入して発行する様式ではありますが、大抵の場合、遅延時間は無記入のままで手渡されていたようです。

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○自 福島駅発行の変な券売機券

昭和61年頃、東北本線福島駅の国鉄バス窓口(○自 福島)にあった、路線バス用の近距離乗車券です。

 images (表)

当時、地方の民間バスに良くあったタイプの券売機でしたが、試しに最短区間の券を購入してみると、こんな変な券が吐き出されてきました。

券紙は国鉄の標準型であるキレート原紙が使用され、見た感じキレート式で印字されています。
発駅表示は四角形で囲まれた縦表記である点は鉄道の券売機券に準じていますが、表題に「国鉄自動車」とあり、金額がやたら右側に寄った、奇抜なレイアウトです。

この券の特徴はこれだけではありませんでした。

 images(裏)

なんと、裏にも金額のみが印字されています。

ワンマン対応の数字であることは一目でわかりますが、機械の性能上の問題だと思いますが、三角形の左側に発駅が表示されていないのがまた不可解です。


 

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神戸ポート博駅

国鉄バスの神戸ポート博駅は、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア‘81)開催期間中の昭和56(1981)年4月24日~9月14日までの期間、ドリーム81号(ドリームポートピア81号)の運転日に限り、降車専用の臨時駅として開設されました。

ドリームポートピア81号は、東京発大阪行のドリーム1号の続行便のうちの一台を会場前まで延長運転したもので、毎週金・土曜日および4月28日~5月9日、7月17日~8月31日、9月11日~14日の毎日、東京駅を22時20分に出発し、東名高速道路・名神高速道路・吹田インターチェンジを経由する走行距離574.2kmの便で、神戸ポート博駅には翌朝8時20分到着でした。
その間の運転本数は、延べ83本が運転されたと言われています。

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これは国鉄バス東京駅で発行された、神戸ポート博駅ゆきの片道乗車券です。実際に乗車する際には、乗車券の他にドリームポートピア81号のバス指定券(1,500円)が必要となります。

この券も別途指定券が必要な為、乗車券自体に発時刻を記載する欄がありません。また、他の東京印刷場製のハイウエイバス乗車券と違い、方向を示す「矢印」がなぜか「三角矢印」になっているのが特徴です。

当然ながら、神戸ポート博駅は降車専用駅でしたので、同駅発の国鉄ハイウエイバスの乗車券類は存在しません。

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国鉄ハイウエイバス乗車券の発車時刻記入欄

国鉄ハイウエイバスの東京駅で発売されていた、硬券の片道乗車券です。

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バスは電車と違って座席定員制が採用されていますので、近距離の普通乗車券と言えども、発車時刻を記入する欄がありました。

images (表) images (裏)

しかし、大阪行きの往復券となりますと、夜行のドリーム号を利用することが前提なのか、なぜか発車時刻を記入する欄がありませんでした。
そもそも、昼行便で東京から大阪まで通しで利用する乗客は皆無に等しいでしょう。

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おそらく、ドリーム号に乗車する場合は、このような別途指定券を購入する必要があるため、発車時刻を記入する欄が設けられなかったものと思われます。

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国鉄関東地方自動車局発行の科学万博記念乗車券

科学万博期間中、国鉄では鉄道だけでなく、バス部門においても記念乗車券が発行されております。
今回御紹介いたしますのは、関東地方自動車局(→JR東日本関東自動車事業部、現・JRバス関東)土浦駅発行の記念乗車券です。

images(土浦から200円区間)
images(古河から200円区間)
images(裏面)

土浦および古河から200円区間のD型金額式乗車券が2枚セットになって売られておりました。
表は緑色の国鉄地紋で、関東地方自動車局を現す「○関」のマークが入り、裏面には、土浦駅・古河駅発双方とも、発行駅名である「○委 土浦駅」と、国鉄バスのマークと科学万博のシンボルマークが印刷されております。
万博中央駅の入場券とは違い、科学万博のシンボルマークの使用承認番号は台紙に記載されていたので、きっぷそのものへの印刷はありません。

東京印刷所製でどっしりとした感じで好感がもてますが、「科学万博-つくば“85 記念」の題字の「‘」が「“」となっているのがミスなのかわざとなのか、悩むところです

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国鉄バス成田空港線の乗車券

成田空港線は国鉄成田駅⇔成田空港駅間の9.5kmを結ぶ一般自動車路線で、成田空港のの開港日の翌日から、千葉交通バスと共同運行という形で運転されておりました。しかし、成田線成田駅でのバスへの乗り換えの不便さは「空港アクセスバス」には程遠いものであり、京成電鉄のスカイライナーやリムジンバスの利用者に比べ、格段に利用者の少ない路線でした。このため、平成3年3月19日にJRと京成電鉄は空港ターミナルへ乗り入れし、「成田エキスプレス」が走るようになると、成田空港線は廃止されてしまいました

images(表)  images(裏)

この券は国鉄バス成田駅発行の100円区間の乗車券です。うしろのりのワンマンカーのため、料金箱に投入した際にひっくり返っても良いように、裏にも発駅名と金額が印刷されておりました

images(表) images(裏)

これは成田空港駅で発売されていた成田ゆきの乗車券です。相互式で鉄道のきっぷと何ら変わりありませんが、千葉交通バスと共同運行しているため、裏面には千葉交通バスにも乗れる旨の案内が記載されております。
これは成田空港のものですが、成田駅にも成田空港ゆきの相互式券がありました。当選ながら、表示は「成田⇔成田空港」となります。

成田空港駅には自動券売機が設備されており、昨日御紹介いたしました国鉄線への連絡乗車券のほか、自動車線完結の乗車券も発売されておりました。

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様式的には国鉄の乗車券とあまり変わりありませんが、金額の上の「国鉄線」の文字が無く、「国鉄バス・千葉交通バス共有効」の文字があります。
裏面は真っ白で、料金箱の中でひっくり返ってしまったらお手上げです

成田空港駅では鉄道に跨る区間の硬券による常備券はありませんが、成田空港のほか、途中停留場である貨物地区ゆきの硬券乗車券がありました。

images(大人用) images(小児用)

ところで、これらを良く見てみると、成田空港駅発行の硬券の発行箇所名の表記が統一されておりません。
成田ゆきの相互式券は「成田空港 旅 セ 発行」となっており、貨物地区ゆきの大人券は「成田空港 旅 セ 発行」となっており、小児券には「○B 成田空港駅 旅セ発行」となっています。

はたして、どれが正しい表記なんだろう?

この記事は、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月6日エントリーの「国鉄・JRバス 成田空港線」および12月7日エントリーの「成田空港線 回数乗車券」にトラックバックさせていただきます。

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国鉄バスから鉄道への連絡乗車券

国鉄バスは日本国有鉄道が運営していた自動車による旅客および貨物輸送の事業のことを指し、一般的には「国鉄バス」と呼ばれていましたが、1970年代まではトラック輸送も行われていました。
国鉄バスの目的は鉄道予定線の先行線・鉄道線の代行・培養・短絡線という目的で運営されていましたが、名神ハイウェイバス(名神高速線)の運行開始以降は、鉄道線の補完線という目的が加わってきました。
国鉄時代は国鉄の「自動車線」として位置づけられ、乗車券の発売も鉄道と連絡で行われており、双方を跨る乗車券を発売する場合、一部の観光自動車路線の場合、有効期間は鉄道乗車券の有効期間に1日プラスされておりました。

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これは、国鉄バス南房州線の安房白浜駅から東京山手線内ゆきの乗車券です。安房白浜駅は現在でもJRバス関東館山支店管内の旧安房白浜営業所の構内にあります。
この券は一見しただけでは鉄道の乗車券見間違えてしまいますが、有効期間を良く見ると、館山⇔東京間の営業キロ数は128.9kmであり、昭和51年当時の規則では「2日間有効」のはずですが、自動車線に跨ることで1日延長して「3日間有効」になっています。

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裏を見ますと「自動車線」の標記があり、自動車線に跨る乗車券であることがわかります。

一方、国鉄バス志賀草津高原線の草津温泉駅には少々様式の異なる券が設備されておりました。

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これは、当時、草津温泉⇔長野原駅(現、長野原草津口駅)間を草軽交通バスと共同運行していたため、着札券で運行会社間の運賃精算を行う関係上、「乗継券」なるものが右端についており、この乗車券で草軽交通バスに乗車した際、降車時に乗継券が回収されました。

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大人券には一昔前の往復券のような小児断片が付いておりましたが、小児専用券も設備されておりました。逆に、私はこの手の券で小児断片を切り取られたものを見たことはありません。それだけ小児券が充実していたものと思われます。
やはり、長野原⇔東京間の営業キロ数は168.4kmであり、本来であれば有効期間は2日ですが、自動車線に跨るために3日となっています。

一方、一般自動車路線に跨る乗車券の場合は、有効期間の延長はされませんでした。

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これは国鉄バス成田空港線の成田空港駅に設備されていた自販機券です。成田空港駅は現在の第1ターミナルにあったと記憶しております。
当時は千葉交通バスとの共同運行を行っておりましたが、成田駅からの空港アクセスバスとしては極端に不便であり、平成3年3月にJRと京成が空港ターミナルへ乗り入れと同時に廃止されております。
乗車券の様式としては私鉄連絡乗車券のものと大差なく、一見すると単なる連絡乗車券に見えますが、よくよく見ると、国鉄線へ連絡する標記になっています。
この路線では、運行会社間の運賃精算を運行本数の比率で分配する方式をとっていたのか、この券で千葉交通バスにも乗車できましたが、回収される「乗継券」はついていませんでした。
そもそも、一般自動車路線は乗車券を購入して乗車するより、運賃箱に運賃を投入して乗車するケースの方が多く、このような例はあまり多くなかったと思います。

菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月5日エントリー、「安房白浜から東京山手線内ゆき」にこちらからもトラックバックさせていただきました。

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区間変更券を愛すると地獄がはじまる!? ~その2

菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」11月5日エントリーの「印刷発行機による区間変更券」にもありますように、区間変更券はいろいろなバージョンがあり、興味が尽きることがありません。…ってことは、やっぱり地獄のはじまりです

かつて、今のJRバスが「国鉄自動車線」であった頃、自動車線は鉄道の補完的な要素が強く、通しの乗車券が購入できたり、指定された地場の路線バスの他、東名・名神高速線(ハイウェィバス)も周遊券(もう死語になってしまいましたが…)で乗車することができました。
当時は現在のようにありとあらゆる方向へ夜行バス路線が張り巡らされていたわけではなく、東京駅からは名古屋行・京都行・大阪行のドリーム号が走っていたに過ぎず、また、車両も専用車ではなく、昼行便と共通の4列シート車両で運用されていたと記憶しています。
また、鉄道の乗車券でも差額を精算することにより、自動車線に振替えることもできました。そこで登場したのが自動車線の区間変更券です。

images(大阪行用) images(名古屋行用)

差額運賃が印刷されているものと、空欄のままのものの2種類が存在したようです。

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有効期間は裏面に記載されておりますが、いずれも空欄のままとなっており、原券の有効期間に倣って記入されていました。
名古屋の券は頂き物なのですが、日付が未記入なのでどのように発行されたのかは不明ですが、それよりも、金額の書かれていない券をどのようにして売上管理していたのか、興味深いところです。

当時、ハイウェィバスにはいろいろと面白い硬券が存在していましたが、降車時にほぼ間違いなく回収されてしまいました。「集めているので欲しい」とお願いすると、ドライバーさんひとりの時は「貰ったこと言っちゃだめだよ」って言われながらも貰えたことがありましたが、ハイウェィバスはドライバーさんの他に駅の係員が立会いしており、まず貰えなかったです。今になってみれば、あんなに珍しい券が根こそぎ回収されてしまったことがとても残念です

この投稿は菅沼天虎様の「菅沼天虎の紙屑談義」11月5日エントリー、「印刷発行機による区間変更券」にトラックバックさせていただきました。

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