JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
東京駅の集中印刷入場券
東京駅は首都東京の表玄関というべきターミナル駅であり、JRの中でも1日あたりの旅客営業収入のもっとも多い駅であります。
丸の内側の赤レンガ駅舎は、大正3年12月20日、帝国ホテルなどの歴史的建築を手がけた建築家の辰野金吾によって建てられた3階建ての駅舎として開業しました。
しかし、昭和20年5月25日、米軍のB-29爆撃機による焼夷弾爆撃により破壊されてしまいましたが、戦後の昭和22年12月13日、現在の2階建ての駅舎に復元され、さらには平成22年を目処に3階建て駅舎へ再度復元工事がされる予定となっております。
本題に移りますが、東京駅は新幹線の始発駅であり、今でも1日に相当数の入場券が発行されております。そのため、昭和44年の入場料金に小児料金が設定された後も、集中印刷方式による大人専用の硬券入場券が昭和50年代半ばまで設備されておりました。
東京駅の入場券は新幹線改札口で発行されたものは特殊な期間を除いて赤印刷の入場券でしたが、なぜか裏面は黒い印刷でした。
(以前、昭和30年代後半に発行された初乗り赤券では、裏の券番も赤で印刷されておりました。)
集中印刷方式は拙ブログ1月3日エントリーの「明治神宮初詣関係の臨発券 ~その2」で投稿いたしましたように、通常、硬券は券紙を切符のサイズに裁断してから印刷しますが、東京印刷場においては、大量に必要な券の場合、先に印刷してから券紙を裁断する方式が採られていました。この印刷方式を「集中印刷」と言います。
集中印刷は大量印刷に優れ、その威力を発揮しますが、先に印刷したものを裁断する性質上、印面が券紙の中心になっていないものが多く、裁断部分に印字が被らないよう、若干印刷面が窮屈に寄っているのが特徴です。
硬券の需要がだんだん減っていくと、集中印刷をする必要が少なくなってきてしまい、昭和59年から60年ごろには新規に印刷はされていないようです。
ところが、昭和60年3月14日、東北・上越新幹線が上野駅開業した際の記念入場券に硬券が使われ、集中印刷方式が採用されております。おそらく、これが国鉄東京印刷場最後の集中印刷による硬券と思われます。
なんと、B型硬券が7枚くっついたままになっています。集中印刷の最後の工程を省略したような形になっており、集中印刷の過程が頭に浮かびます。
(厳密に言えば、集中印刷では同じ券番を打つことはないと思いますが…)
当時、この記念入場券を購入したときはなんとなく邪魔でしたが、今になってみれば、集中印刷を肌で感じることのできる貴重な資料となりました。