千葉局・東京西局管内簡易委託用長距離用乗車券

千葉局・東京西局管内の簡易委託用乗車券には、口座数はあまり多くなかったようですが、比較的需要のある東京山手線内ゆきの長距離乗車券も存在しました。



   



昭和49年9月に千葉局管内の行川アイランド駅で発行された、東京山手線内ゆきの長距離乗車券です。


青色国鉄地紋のA型券で、一般式となっています。
やはり金額式や相互式・矢印式同様に大人用と小児用の設定となっており、大人・小児用券はありません。また、「〇ム」表示は発駅の右側に印刷されています。


また、発行箇所名も他の券同様に、「〇簡」の表記と「駅」なし表記となっています。



   



同じく、昭和49年9月に江見駅で発行された、東京山手線内ゆきの長距離乗車券です。


様式的には行川アイランドのものと同じです。



   



こちらは昭和51年6月に下総橘駅で発行された、東京山手線内ゆきの長距離乗車券です。


やはり、様式は他のものと同じであり、特に変わったところはありません。



   



国鉄末期の昭和61年11月に東京西局管内の穴山駅で発行された、東京山手線内ゆきの乗車券です。



こちらも様式的には千葉局管内のものと同一ですが、この券だけが手元にある簡易委託用券として唯一、発行箇所名に「駅」の表記が入れられています。



   



見本券ですが、穴山駅の同じ口座の券です。


こちらの発行箇所名表記には、「駅」の表記はありません。


また、経由表記も「中央線経由」と「中野経由」と異なっています。



   



最後に、JR化後の平成2年3月に行川アイランド駅で発行された、東京山手線内ゆきの長距離乗車券です。


同駅は昭和62年頃に無人駅になっていますが、平成2年に再び簡易委託駅となっていますので、この券はその頃のものであると思われます。


国鉄時代の昭和49年の券は「土気・西千葉経由」となっていましたが、京葉線が開通してルートが複数できた関係からでしょうか、経由が「土気・小岩経由」となっています。



発駅名の前に発行会社を示す「□東」の表記が追加され、発駅の右側にあった「〇ム」表記がサイズを小さくして発駅の左側に移されたなど若干の変更があるものの、民営化後も千葉局・東京西局管内の簡易委託用乗車券の様式は引き継がれていたようです。



しかし、この券の発行箇所名の表記を見ますと、国鉄末期の穴山駅のものと同じく「駅」の表記があります。


「駅」表示のあるなしに疑問が残ります。国鉄末期頃から表示方法が厳密でなくなったのか、若しくは何らかの意味があって敢えて使い分けられていたのでしょうか?

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