JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
矢岳越えの入場券 (大畑駅)
矢岳越えとは、肥薩線の熊本県と宮崎県の県境にある矢岳峠付近の区間で、天下の難所と呼ばれているところです。霧島連山を望む車窓からの絶景は「日本三大車窓」の一つとして知られ、JRとなった現在では観光列車である「いさぶろう」「しんぺい」号が運転されています。
拙ブログ管理人のHNであるisaburou_shinpeiはこの「いさぶろう」「しんぺい」号の名前からとったものです。
この名は明治時代にこの区間の開通に尽くした二人の偉人である鉄道院総裁・後藤新平と逓信大臣・山縣伊三郎にちなんだもので、矢岳駅を出て最初のトンネルである矢岳第一トンネルにその名が残されています。明治42年11月21日開通した全長2,096メートルトンネルは、肥薩線で最も長いトンネルとして知られています。
このトンネルは南側へ向けて25パーミルの下りの片勾配となっており、この勾配と人里離れた山奥ということもあり、資材搬入の困難さや、水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、工事はかなり難航し、青函トンネル工事に匹敵する大工事だったと言われています。
トンネルの人吉側のポータルの上には山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられています。
これらの言葉を繋げて読むことにより、「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味になっています。
そのような険しい山中に敷設された肥薩線の矢岳越え区間(人吉~吉松)は1日に5往復しか列車が走らない閑散区間ではありますが、途中駅である大畑駅・矢岳駅・真幸駅には、大畑駅と真幸駅のスイッチバックの関係で、国鉄時代には運転関係の駅員が配置されており、入場券の発売もありました。
昭和59年12月に大畑(おこば)駅で発行された硬券入場券です。白色無地紋のB型券で、門司印刷場で調製されたものです。青森県の大畑線にも大畑駅がありましたが、こちらは「おおはた」と読みます。
大畑駅は当初からスイッチバックにおける信号所および蒸気機関車への給水が目的で開設された駅で、周囲には人家はなく、集落まで徒歩で約1時間ほどかかるような場所に位置しています。そのような駅ですので乗降するための利用客は殆どなく、同区間の自動閉塞化が行われた昭和61年には無人化されてしまっています。