趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
鹿島臨海鉄道 車内補充券(図補)
平成20年8月に鹿島臨海鉄道鹿島サッカースタジアム駅で発行された、鹿島神宮ゆき片道乗車券です。
黄褐色鹿島臨海鉄道自社地紋の図補式の車内補充券で、大洗乗務員発行となっています。
JR常磐線の十王駅が平成16年に川尻駅から改称された後の券で、同社の図補としては最新バージョンと思われます。改称後も長らく川尻駅部分に「十王」のゴム印を捺印した旧券が使用されていましたが、現在では旧券は在庫を使い切って新券に切り替えられているようです。
鹿島サッカースタジアム駅は鹿島臨海鉄道とJR鹿島線が乗り入れる無人の共同使用駅で、鹿島サッカースタジアムでホームチームである鹿島アントラーズの試合が開催日のみ営業する駅となっており、この券は同駅が営業している日に購入したものです。
同線では水戸駅から大洗駅間を走る列車に車掌が乗務している列車がありますが、この区間では携帯型車発機で精算をしており、入鋏式図補での発行はないようです。
東京駅発行 博多ゆき新幹線自由席特急券0001番券
頂き物ですが、昭和50年3月10日の山陽新幹線博多開業初日に東京駅で発行された、博多ゆきの新幹線自由席特急券です。
桃色こくてつ地紋のA型券で、東京印刷場で調製されたものです。
裏面です。
これは私が実際に乗車したものではないのですが、開業初日に乗車したら偶然に券番が0001であったということで私のところに舞い込んできたものでした。
考えてみれば東京駅にはたくさんの出札窓口があるわけで、各窓口には硬券特急券が設備されており、同駅のような大規模駅では窓口単位で券を設備しているわけですから、硬券の発売をしていない箇所もあったかもしれませんが、ほぼ窓口の数だけ0001番券が存在していたことになります。ですから、朝一番に並ばなくとも「たまたま」当たればこのような券に巡り合う可能性もあったということになります。
〇自 津山駅発行 名古屋ゆき鉄道連絡乗車券
昭和60年5月に〇自 津山駅で発行された、名古屋ゆきの鉄道連絡乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式券で、大阪印刷場で調製されたものです。
経由は津山~(中国高速線)~新大阪駅~(東海道本線)~名古屋となっており、新大阪駅からは東海道新幹線を利用する旅客が大半であるものと思われます。
中国高速線は高速自動車国道を走る高速バス路線のために座席定員制となっており、乗車する便を指定して乗車券を発売しますので、発売時に指定便の種別と発時刻のゴム印を捺して発売していました。
〇自 津山駅はかつて国鉄自動車線の中国高速線(中国ハイウェイバス)の駅でしたが、国鉄民営化以後の現在でも西日本ジェイアールバスが出札業務を引き継いでおり、特急便や急行便を含め、現在でも1日42往復の便が出発する自動車駅となっています。
津山駅からは津山線で岡山まで出てから山陽・東海道新幹線で名古屋まで行く方法もありますが、津山線経由で約3時間30分かかるのに対し、中国高速バスを利用で約3時間程度となっており、運賃料金的にも後者に軍配が上がることから、現在でも根強い人気があります。
便が多い駅だけあり、同駅には乗車券を買い求める旅客の姿が頻繁に見られます。
JR東日本 有明駅発行820円区間ゆき乗車券
平成24年9月に大糸線有明駅で発行された、820円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色JRE地紋のA型常備軟券で、矢印式大人・小児用券となっています。
同社では近距離用の常備軟券そのものが数を減らしてきていますが、設備されていても金額式であることも多く、着駅が6駅も記載された矢印式券は希少な存在になっています。
国鉄時代は拙ブログ2010年11月25日エントリーの「戸倉駅発行 着駅8駅の乗車券」で御紹介いたしましたような乗車券も存在しましたが、矢印式乗車券の設備されてるエリアは比較的路線が複雑でないところが多かったためでしょうか、やはり希少種であったように思います。
小田急電鉄 成城学園前駅発行 硬券乗車券2態
昭和60年2月に小田急小田原線の成城学園前駅で発行された、90円区間ゆきの硬券乗車券です。
褐色PJRてつどう地紋のB型大人用金額式券で、井口印刷で調製されたものです。左上から特活で組まれた発駅名と明朝体の「小田急線内」表記があり、左下には会社名・右下には発行箇所名と循環番号というレイアウトで、かつて小田急電鉄で使用されていた硬券乗車券としては比較的一般的な様式です。
ここで敢えて「比較的一般的」と申しあげましたのは、同社の硬券ほ発行箇所名はすべて明朝体で表記されていますが、この券の場合、駅名のみがゴシック体の特活が使用されている点に特徴があります。
こちらはちょうど1年後の昭和61年2月に発行された、120円区間ゆきの硬券乗車券です。褐色PJRてつどう地紋のB型大人用金額式券であることは同じですが、こちらはシンコー印刷で調製されたものとなります。レイアウトは井口印刷のものとほぼ同じですが、発駅名が特活でない明朝体の2段組みとなっており、その他金額以外の活字が明朝体となっているため、かなり雰囲気が異なります。
また、井口印刷様式では発行箇所名の右にある循環番号はなく、裏面に印刷されています。
シンコー印刷券の裏面です。券番の上に循環番号があります。
最初に申しあげましたように、当時、同社の硬券の殆どが井口印刷で調製されていましたが、知る限りでは参宮橋駅の券はシンコー印刷で調製されており、様式的には2種類が存在していました。しかしなぜか、成城学園前駅には出札窓口は1か所しかないにも拘わらず、井口印刷で調製された券とシンコー印刷で調製された券の双方が混在しているという大変珍しい状況になっていました。
堀江さん橋駅発行 仁方ゆき乗車券
昭和55年5月に仁堀航路堀江さん橋駅で発行された、仁方ゆき乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式券で、広島印刷場で調製されたものです。この券が発行された1か月前の4月20日に運賃改定が行われ、合わせてそれまで営業キロが51km以上の乗車券の有効期間が2日間であったものが101km以上に改定されたため、「運賃変更」と「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言が一つにまとめられた特殊な運賃改定印が捺印されています。
仁堀航路は呉線の仁方駅と予讃線堀江駅を結ぶ実営業キロは37.9kmの国鉄本四連絡船で、他の民間連絡船との運賃調整のため、擬制キロ70kmの航路とされ、所要時間約2時間でした。
昭和48年4月に日本交通公社(現・JTB)で発行された時刻表に掲載されている仁堀航路の時刻表です。
1日3往復の便があり、使用されている船舶は定員196名・車両航送台数8台の安芸丸という総重量234トンの中型船と書かれています。本船は元大島航路に就航していた大島丸を、昭和40年に仁堀航路に転属させて安芸丸と改名のうえ就航しましたが、昭和50年に定員200名・車両航送台数24台・総重量399トンの新造船である瀬戸丸が就航すると大島航路に再就航したという経歴があります。
この券が発行された昭和55年の就航船は瀬戸丸であり、この頃になると航路の赤字は深刻なものとなって1日2便に減便され、この券が発行された2年後の昭和57年6月、仁堀航路は国鉄連絡航路唯一の赤字理由として廃止されてしまいます。
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