JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
帝都高速度交通営団 「◯西」中野から50円区間ゆき片道乗車券
1970(昭和45)年1月に帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)の中野駅で発行された、50円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色JPRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
中野駅は国鉄(現・JR東日本)が駅務業務を行っている共同使用駅で、営団地下鉄の乗車券は東西線が開業した1966年から国鉄によって発売されています。そのため、発駅の右側には。国鉄の東京西鉄道管理局管内で発行されたことを示す「◯西」の符号が印刷されています。
裏面です。当時の営団地下鉄の硬券乗車券には裏面にも発駅と金額が印刷されておりましたが、裏面には「◯西」の符号は付けられていませんでした。
同駅では鋏痕番号8番の本鋏と予備用として予備鋏1号が設備されており、本鋏は午後から終電まで使用され、午前中には予備鋏を使用して不正乗車対策を採っていましたが、御紹介の券は同駅では通常使用されていない予備鋏2号が使用されています。
中央線の中野から立川あたりの駅ではどの駅も午前中は予備鋏1号を使用して不正乗車対策を行っていましたが、たまに対策を強化する目的で鋏痕が変更されることがあり、御紹介の券に予備鋏2号が使用されているということは、発行された日に何らかの不正乗車摘発作戦が行われていたものと思われます。
西秋留駅および武蔵増戸駅発行 普通入場券
拙ブログ2022年6月30日および7月2日エントリーで、国鉄五日市線の小駅では普通入場券を発売する際に近距離乗車券に代用印を捺印して発売していた例を御紹介いたしましたが、国鉄時代末期の1985(昭和60)年12月頃に、当時の「入場券ブーム」にあやかったのでしょうか、普通入場券が新たに設備されていますので御紹介したいと思います。
1985(昭和60)年12月に西秋留駅および武蔵増戸駅で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この券が発行された当初はまだ情報が飛び交う時代ではありませんでしたので、購入しに訪問した蒐集家はあまり多くは無く、なんとなく「転売業者」っぽい人を見かけたような気がします。
ちなみに図示は致しませんが、西秋留駅発行分の券番は0098番で、武蔵増戸駅発行分の券番は0172番でした。
◯社 浜松町駅発行 普通入場券
前回エントリーで「◯社」横浜駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしました。私鉄との連絡通路上の精算窓口では、駅によっては普通入場券の発売が行われていないこともありましたが、発売されていた駅の殆どは、代用印を捺印する方法が採られていたような気がします。
ただし、現在では存在しませんが、かつて浜松町駅にありました国鉄と東京モノレールとの連絡通路上の精算窓口では、専用の普通入場券口座が存在しました。同窓口は東京モノレールが業務を行っており、発行された乗車券類には社線側で発行されたことを示す「◯社」の符号が付けられていました。
1984(昭和59)年2月に浜松町駅の東京モノレールとの連絡通路上にありました精算窓口で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
東京印刷場の普通入場券には発行駅名の表記がありませんが、右下に社線窓口で発行されたことを示す「◯社」の符号があります。
符号部分を拡大してみました。
「◯社」の符号表示のある普通入場券は他に綾瀬駅でも例がありますが、同駅は駅業務そのものが社線(営団地下鉄)で行われていた特殊な例であり、連絡通路の社線窓口で発行された普通入場券の専用券はあまり例のないものと思われます。
◯社 横浜駅発行 代用印捺印による普通入場券
前回および前々回エントリーで、五日市線内にあります駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしましたが、代用印捺印による普通入場券の発売例は、需要の少ない小駅だけではなかったようでした。
1984(昭和59)年7月に「◯社」横浜駅で発行された代用入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。同窓口ではこの券に代用印が捺して発売されていました。
当時の横浜駅には、川崎寄りに国鉄と京浜急行電鉄の乗換用の跨線橋があり、跨線橋上には中間改札と精算窓口がありました。跨線橋はあまり広くなく、窓口も国鉄と京浜急行側に1窓づつしかない閑散とした改札で、京浜急行電鉄が業務を行っていました。
ここでは国鉄からの乗換客に対しては京浜急行電鉄の硬券乗車券を発売し、逆に京浜急行電鉄からの乗換客に対しては、国鉄の硬券乗車券を発売していました。京浜急行電鉄の乗車券については全線全区間の乗車券を取り扱っていましたが、国鉄の乗車券については、100km以下の近距離区間のみの取扱いでした。
この窓口では国鉄の普通入場券の発売も行われていましたが、専用の口座はなく、代用印捺印によるものとなっていました。このような例は他にもあったものと思われますが、特に高田馬場駅の西武鉄道との連絡通路では、「◯入」という赤い印を捺す独特な発売方法が行われていました。
武蔵増戸駅発行 代用印捺印による普通入場券
前回エントリーで西秋留駅で発行された代用印捺印による普通入場券を御紹介いたしました。
当時、五日市線内においては普通入場券を代用印の捺印によって発売する例が、他に武蔵増戸駅や武蔵引田駅においても見られましたので、青梅線との接続駅である拝島駅と終着駅であり、秋川渓谷という観光地の最寄り駅である武蔵五日市駅、早くから出札業務を行っていなかった熊川駅を除く途中駅では、コスト削減面からなのでしょうか、このような施策が採られていたようです。
今回は、武蔵増戸駅で発行されていました代用印捺印による普通入場券を御紹介致しましょう。
1984(昭和59)年6月に五日市線武蔵増戸駅で発行された、代用印捺印による普通入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
当時の同駅では、乗車券の発売は窓口が基本のような状況であり、需要の多い近距離券については大人専用券と小児専用券の双方が設備されており、また、120円区間のような特に需要の多い口座については、予め入鋏を入れたうえで券箱に用意されていました。
再掲しますが、西秋留駅の代用券です。似たような代用印ではありますが、大きさや文言の記載方法に差異が見られます。
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