京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

からころもきつつなれにし‥‥

2011-06-05 | インポート

 京都のお土産の定番といえば、なんといっても八ツ橋。

 平成21年の京都市観光調査年報によれば、観光にこられた方の4割以上が八ツ橋を購入しているという。

 この「八ツ橋」の中には、本来の八ツ橋と、生八ツ橋が含まれている。

 本来の、というのは、焼き菓子のほうである。

 若い世代には、生八ツ橋、餡子の包んであるほうが馴染み深いだろう。

 観光調査年報によれば、5年くらい前までは、生八ツ橋より八ツ橋のほうが購入されていた。

 しかし、ここ最近は逆転されている。

 若い世代には、八ツ橋=生八ツ橋というイメージがあるのだろう。

 生八ツ橋には味のヴァリエーションがあり、そんなところも若い世代に支持される理由かもしれない。

 しかし、生八ツ橋は戦後に販売されるようになったものである。

 長い歴史をつないできたのは、焼き菓子のほうの八ツ橋である。

 

 八ツ橋の起源は古く、江戸時代は元禄の世に誕生したといわれている。

 八ツ橋という名前の由来は、主に八橋検校説と地名八橋説がある。

 八橋検校というのは、江戸時代初期の人物で、筝曲、つまり筝(こと)の名手。

 この人の業績を讃え、筝の形をしたお菓子を売り始めた、というのが一説。

 なるほど、筝の形に焼きあがっている。

 さて、一方の地名説だが、これは三河、つまり今の愛知県東部の地名である。

 今も名古屋鉄道に三河八橋駅がある。

 この八橋は『伊勢物語』で有名である。

 尾形光琳の「燕子花図」を思い浮かべよう。

 あれが八橋のカキツバタを描いたといわれている。

 ちなみに、「燕子花図」には橋が描かれていない。

 描かれていなくても、それと分かるところが、江戸時代の教養のなせるわざ。

 実は橋の描かれているカキツバタの絵もあって、それはずばり「八ツ橋図」といわれている。

 残念ながら後者のほうは、海のはるか向こう、ニューヨークにある。

 完璧な余談である。

 さて、お菓子の八ツ橋は、橋の形を模したもの、というのが地名説。

 なるほど、そういわれれば、橋にも見える。

 

 どちらが本当なのか。

 今となっては判定も難しいだろうし、まあ、どうでも良いといえば、どうでも良い。

 ただ、元祖だとか、本家だとかを競っているお店は、聖護院の門前に本店を持つ。

 八橋検校はこの地に関係が深く、それを思うと、前者が有力のようにも思える。

 どちらにしても、八ツ橋は京都土産の定番であり続けるだろう。

 もらったとき、一目見て京都土産と分かるもの、それが八ツ橋である。

”あいらんど”