京都のお土産の定番といえば、なんといっても八ツ橋。
平成21年の京都市観光調査年報によれば、観光にこられた方の4割以上が八ツ橋を購入しているという。
この「八ツ橋」の中には、本来の八ツ橋と、生八ツ橋が含まれている。
本来の、というのは、焼き菓子のほうである。
若い世代には、生八ツ橋、餡子の包んであるほうが馴染み深いだろう。
観光調査年報によれば、5年くらい前までは、生八ツ橋より八ツ橋のほうが購入されていた。
しかし、ここ最近は逆転されている。
若い世代には、八ツ橋=生八ツ橋というイメージがあるのだろう。
生八ツ橋には味のヴァリエーションがあり、そんなところも若い世代に支持される理由かもしれない。
しかし、生八ツ橋は戦後に販売されるようになったものである。
長い歴史をつないできたのは、焼き菓子のほうの八ツ橋である。
八ツ橋の起源は古く、江戸時代は元禄の世に誕生したといわれている。
八ツ橋という名前の由来は、主に八橋検校説と地名八橋説がある。
八橋検校というのは、江戸時代初期の人物で、筝曲、つまり筝(こと)の名手。
この人の業績を讃え、筝の形をしたお菓子を売り始めた、というのが一説。
なるほど、筝の形に焼きあがっている。
さて、一方の地名説だが、これは三河、つまり今の愛知県東部の地名である。
今も名古屋鉄道に三河八橋駅がある。
この八橋は『伊勢物語』で有名である。
尾形光琳の「燕子花図」を思い浮かべよう。
あれが八橋のカキツバタを描いたといわれている。
ちなみに、「燕子花図」には橋が描かれていない。
描かれていなくても、それと分かるところが、江戸時代の教養のなせるわざ。
実は橋の描かれているカキツバタの絵もあって、それはずばり「八ツ橋図」といわれている。
残念ながら後者のほうは、海のはるか向こう、ニューヨークにある。
完璧な余談である。
さて、お菓子の八ツ橋は、橋の形を模したもの、というのが地名説。
なるほど、そういわれれば、橋にも見える。
どちらが本当なのか。
今となっては判定も難しいだろうし、まあ、どうでも良いといえば、どうでも良い。
ただ、元祖だとか、本家だとかを競っているお店は、聖護院の門前に本店を持つ。
八橋検校はこの地に関係が深く、それを思うと、前者が有力のようにも思える。
どちらにしても、八ツ橋は京都土産の定番であり続けるだろう。
もらったとき、一目見て京都土産と分かるもの、それが八ツ橋である。
”あいらんど”