京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

萩の花!

2014-09-10 | インポート

秋を告げる花として万葉集で最も多く登場する花です。

私は、この萩の花を特に意識して見た事がなく、梨木神社、

通称「萩の宮」とよばれる所に行って見ました。

日本で古来より風流な植物の代表として最も愛された花

ですが、現代人の私からみれば、地味な花です。

万葉の人は、ピュアな心をしていたのでしょう。

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開花期は稲、栗、稗、などの収穫期と重なるため豊かに咲き誇る花を

豊作の秋の象徴にしていたようです。

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写真にするのが難しい花です。

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約500株の萩が境内一面に咲き誇ります。9月中旬頃からでしょうか?

<サイダー>


上賀茂神社 -重陽神事と鳥相撲 -」

2014-09-10 | インポート

9月9日は古来、宮中その他で行われた五節句のひとつ「重陽(ちょうよう)の節句」です。

奇数は「陽の数」といわれて、その中でも「9」は最も大きい数であり、

陽(奇数)が重なる9月9日を「重陽」と呼び、この日に厄を祓い、長寿を祈願します。

また、「菊の節句」ともいわれ、古来より、この日に菊酒を飲んだり、

菊花についた露で肌を拭ったりして、無病息災と不老長寿を願いました。

この日、京都の各地で「重陽の節句」の行事がありますが、

今回、私は、地元の上賀茂神社の「重陽神事と鳥相撲」を見に行って来ました。

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この行事には毎年、当年の「葵祭」の「斉王代」も参加します。

10時頃より、本殿にて、宮司や斉王代、相撲童子が前夜から菊の花にかぶせておいた、

「菊の被綿(きせわた)」を供え、神事を行った後、

10時45分頃に、細殿前の土俵へ移動し、鳥相撲が始まりました。

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「斉王代」が細殿に着席。この「斉王代」が鳥相撲の行事に参列されるのは、

かつて「斉王」がおられた当時の風習だそうです。平成3年、800年ぶりに復活しました。

続いて、境内細殿前の土俵の左右から、弓矢を手にした二人の刀祢(とね)が、

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3歩×3回ずつ、ぴょん・ぴょん・ぴょんと横飛びしながら、2つの立砂の前へ現れて、

「カーカーカー」「コーコーコー」と鳥の鳴き真似を披露。そしていよいよ氏子の子供相撲。

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古式ゆかしいユーモラスな行事です。よくテレビや新聞で報道されますので、

知っておられる方も多いと思います。鳥相撲は、平安時代より続いているとの事です。

氏子の子供たち22人が、東西二手に分かれて白熱した相撲に、

土俵を取り巻いた顧客から大きな歓声が上がります。相撲は1時間程で終わり、

その後、「重陽の節句」で、菊の花びらが入った菊酒が参拝に振る舞われました。

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帰りに、上賀茂神社名物の「神馬」に会って来ました。

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賀茂川では、水鳥がのんびりと過ごしていました。

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<京都 好き男>


2014-09-10 15:20:11

2014-09-10 | インポート

鴨川の川岸と木屋町通りの御池上がった高瀬川沿いで、「彼岸花」を見つけました。

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鴨川は花が開いていましたが、木屋町通りの彼岸花は、つぼみが多く、

あと3~4日で満開になると思われます。

彼岸花は曼珠紗華(マンジュシャゲ・マンジュシャカ)とも呼ばれます。

緑の茎に真っ赤な花が咲き、花の形が燃え盛る炎のようにも見えます。

群生している所は、この世のものとは思えないような光景です。

子供の頃、彼岸花を家に持ち帰ったところ、母親から、

「この花は毒があるので触るといけない」ときつく叱られた記憶があります。

田舎の田畑の畔によく咲いていますが、これは彼岸花が有毒植物であることから、

モグラやネズミ除けとして、農家の人が植えられたものだそうです。

もうすぐ秋のお彼岸です。今年の秋は例年より早い気がするのは私だけでしょうか。

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それから現在、高瀬川では開削400周年記念イベントを行っており、

9月23日まではライトアップも行われています。夜の高瀬川も、風情があります。

是非一度、お出かけされてみてはいかがですか。<小五郎>