祇園祭りがもう終わったと思ってらっしゃる方多いんじゃないですか?
祇園祭りは七月中ずっとやってるってご存知でしたか?
ポスター見ても掲載されてるんですけど、鉾立てとか山鉾巡行だけが祇園祭りじゃないんですよ。(ましてや、夜店で買い物するだけなんて思ってないですよね?)
確かに観光客側としては、祇園祭りは山鉾巡行の後は見るものって正直無いんですよね↓
まあ、誰かに聞かれた時にこうなんだよって感じで答えられるぐらいの知識として覚えておいて損はないと思いますよ。
京都のガチャピン
祇園祭りがもう終わったと思ってらっしゃる方多いんじゃないですか?
祇園祭りは七月中ずっとやってるってご存知でしたか?
ポスター見ても掲載されてるんですけど、鉾立てとか山鉾巡行だけが祇園祭りじゃないんですよ。(ましてや、夜店で買い物するだけなんて思ってないですよね?)
確かに観光客側としては、祇園祭りは山鉾巡行の後は見るものって正直無いんですよね↓
まあ、誰かに聞かれた時にこうなんだよって感じで答えられるぐらいの知識として覚えておいて損はないと思いますよ。
京都のガチャピン
古都、京都の夏を飾り、毎年何千万人もの人々を魅了する祇園祭、17日本日は巡行も無事に済みこれでお祭りはおしまいと思っておられる方が多いのです。
本来一カ月にわたる祇園祭の行事の中で本日の巡行がハイライトになっていて、目立ちすぎて他の神催が陰に隠れてしまっているので知らない方も多いのです。
写真は10日に行われた神輿を迎える「お迎え提灯行列」でワンショットです。氏子の祇園萬灯会有志がお先太鼓の音と共に「おむかえ」と書いた提灯を立て、それぞれ趣向を凝らし市内を練り歩きます。
馬上稚児、小町踊り子、鷺踊、万灯踊、祇園太鼓と華やかな行列です。
親子で手を携えて行進して行く姿を拝見して、この際が自分たちの祀りなんだな~京都が安寧な街でよかったと思った次第であります。
新聞記事によりますと、鷺踊は15世紀に存在した「かささぎ鉾」の周囲で舞っていたとされ、鉾は途絶えるも、島根県津和野町に伝わっていた鷺舞を参考に戦後始まったお迎え提灯行列に加わったとのことです。
今年31日の疫神社「茅の輪」くぐりまでのひと月間、様々な神事・行事が催される町衆の人たちが守ってきたお祭りが楽しみですネ。
ちょうど季節の変わり目、祀りを境に町の空気ががらりと変わった気がします。
京都大好きしーちゃん
「祇園」ということばからみなさんは何を連想されるでしょうか?
紅柄格子のお茶屋が軒を連ねる風情ある街並み、舞妓さんや芸妓さん、都おどり、祇園おどり、花灯路、祇園祭、白川の枝垂桜、等々次から次へ本当に奥深い言葉ですよね。
東に行けば神社や公園など緑の多い癒しの街、南に行けば京町家を利用した店が並ぶ、情緒たっぷりの街、北に行けばネオンきらめく夜の街。
祇園界隈は見どころが満載、その中にあって7月は一カ月にわたる祭りで知られる、八坂神社でしょう、舞妓さんも通う美容の神様も祀る美御前神社には「美容水」と呼ばれる神水が湧き出ています。
若い女性の人気スポットになっています。
(現在は社殿修復工事中で今年10月末まで見ることができません)
梅雨時の今にぴったり合うのが花街雨情があります。
花街の場合は雨も楽しみに変わり濡れた石畳みを蛇の目傘や雨コートすがたの芸舞妓さん行き交う、着物がよごれないように気遣い姿やしぐさにも伝統美を垣間見る様に感じます。
雨脚が遠のいて入りくんだ家々の隙間にふと風を感じると、干された傘が色鮮やかに冴えわたり、路地の奥でも生活の場としての雰囲気は祇園そのものである。人々の暮らしの知恵や工夫がそこらじゅうにあり奥深い習わしや生活の流れが肌で感じられます。
祇園エリアを南北に通っている花見小路も人気スプットです。
オレンジの街頭、白く輝く石畳など絵になりますよネ。
外国からの観光客の方たちもおこしになり、国際色豊かになっているスポットです。
最後に一つ質問です---祇園祭の間京都人が食べないものはなんでしょうか?
京都大好きしーちゃん
先日障害者の方々のお世話をさせていただきこの梅雨の時期に清々しい気持ちになり、本当に心が洗われたようです。
車いすの少年が嫌いな野菜を頑張って食べて周りの人たちや園長先生が誉めると、すごく嬉しそうに笑って、その笑顔が素敵でした。
一泊の宿泊で替えるのが嫌だとぐずってしまいましたが、言い聞かされて納得してくれたようで、エレベータの中では私に握手してくれました。そして「ありがとございます、また来てくださいね。」と言ったら、また素敵な笑顔で、
「又来る。」と言ってくれて、本当にこの仕事に就いていてよかったと心から思いました。
身障者の方たちの皆さまみんなが清々しいお顔でお帰りいただきました、本当に心より又お越しいただけることを願っております。
マダムマリコ
“はじめまして”石長松菊園のクリスタル・洋食部門を担当しております、日本人なのに何故か“カルロス”と呼ばれている本名中村です(^。^)
さて、約半年間洋食部門で私自身の自信あるお食事をご用意してまいりましたが、7月9日(月)より「夏のスタミナ・コラボランチ」をご用意させていただきます。
肩肘を張らずに、スタンダードな洋食を一皿に集め、これからの暑い夏を乗り切って頂こうと思っております。
尚、火曜日と木曜日は和食の大人気のお弁当でお待ちいたしておりますので、ぜひお越しください。
ブログご覧頂いている方には9日の第一回目のメニューを国産黒毛和牛、それも近江牛のソテーと海老フライ&アジフライ!お味噌汁にご飯ももちろんお付けして、何と700円の大サービス!!
数に限りがありますのでお早めにお越しください。
売り切れ時はいつものようにご容赦下さいm(__)m
カルロス
千年の都、京都は794年平安京として造営・遷都され、日本の中心都市となり、
明治維新によって、江戸が東京に変わり、明治2年に天皇が東京へ移るまでの約1100年間、日本の都として長い歴史を刻んできたことは皆さんもよくご存知のとおりです。
桓武天皇の方針により、平安京内部には大きな寺院を建てることはなかったが、洛外と呼ばれる周辺部には、いくつかの寺社があり、花街・祇園に深く関係する祇園社もその一つでありました。現在は八坂神社と呼ばれていますが、これは明治維新以後の神仏分離令によって、祇園感神院という名から改められたそうです。
その歴史は古く、新羅(しらぎ)の牛(ご)頭(ず)山(やま)に祀られていたスサノオノミコトを現在地に祀ったことが始まりとされ、いつしかスサノオノミコトを祀る全域を祇園、あるいは祇園社、祇園感(かん)神院(じんいん)と呼ぶようになったそうです。これが祇園という名の起こりと考えられているのですョ
梅雨明けを待ちながら、7月1日には祇園祭一色に染まりますネ。
この祭りのハイライトは、動く美術館とも言われる山鉾巡行です。
市内各所にある33基の山鉾が市内を巡るのは、あまりにも有名であり、豪華絢爛ですよネ
(扉を開けて入ってもまた次の扉が待つ深い神事の世界のようです)
山鉾巡行は、祇園祭の中心ではなく、あくまで前段で中心行事は、神幸祭と還幸祭です。
八坂神社だけの、祭りのように思われますが、御霊会が発展した祭りなのです。
御霊会とは御霊を鎮める儀式で、疫病や自祭災害が起こると、その原因は無実の罪で裁かれた人物の怨霊が現世を祟っていると考え、その御霊を鎮魂させようとしたのです。
このような形式は、民間信仰の一つと言われています。
863年、朝廷は初めて御霊会を神泉苑で行い、国家鎮護の御霊会であり、当時の国の数六十六の鉾を立てて儀式を行ったという。この時八坂の感神院から神輿が繰り出し、これが今に伝わる祇園祭の初めと言われているようです。
以後、御霊会は疫病が流行る度に行われますが、特に決まった寺社はなかったようで、行われた場所に共通するのは平安京の境界線近くの地であったことです。
八坂は、その東に鳥辺野という葬送の地があり、御霊会を行うに相応しい場所でありました。970年頃から祇園社の祭礼として今日まで続くことになります。
神幸祭・・・八坂神社から大神輿3基が出て、それぞれが各氏子町を通って四条寺町の御旅所へ入る神事(7日間滞在)
還幸祭・・・7日経つと今度は御旅所から八坂神社へ戻る。大神輿に召した神々が再び元の場所へ戻るわけである。
祇園大好き!しーちゃん