WEDGE infinity 2018年7月7日
本書のタイトルに「台湾人」ではなく、敢えて「タイワニーズ」という表現を用いたのはなかなかうまい工夫である。
『タイワニーズ 故郷喪失者たちの物語』の冒頭で取り上げられている蓮舫氏(写真:つのだよしお/アフロ)
「台湾人」という三文字が帯びる複雑さ
台湾におけるエスニック・グループの構成は複雑である。大多数は広義の漢民族だが、彼らの渡来以前からこの島に暮らしていた先住民族もいる(現時点で16族が政府により認定されており、この数字も変動する可能性がある)。漢民族の中でも福建省から渡来した閩南系が多数を占める一方、客家系も存在するし、戦後には国共内戦に敗れた国民党政権が台湾へ移転するに伴って大陸各地から多くの人々が逃れてきた(戦前から台湾にいた人々を「本省人」、戦後に大陸から来た人々を「外省人」という)。
日本の植民統治下で台湾の住民は「日本人」になるよう強いられた一方、それへの反発から「台湾人」意識が芽生えたが、これは中国を祖国とみなすことを前提としていた。つまり、「中国人」意識の枠内における「台湾人」意識であった。戦後の国民党政権は「中国人」意識の高揚に努めたが、二二八事件や白色テロに対する反発から「本省人」の間では「台湾人」意識を強める動きが出てきた。この場合には「中国人」への対抗意識としての「台湾人」という政治的意味合いが強くなる。民主化が進むと、エスニックな多元性をゆるやかに統合するため「新台湾人」という概念も提起された。
いずれにせよ、「台湾人」という言葉に込められた含意は、エスニックな来歴の複雑さのみならず、時代状況によっても大きく異なってくる。英語的に「タイワニーズ」と表現したところで日本語に直せば同じだと言われるかもしれない。しかし、「台湾人」という漢字三文字そのものが帯びている複雑な語感はいったん保留できる。その上で、漠然と台湾に関係する人々の物語なのだとほのめかしてくれる。
この漠然としたタイトルこそ重要である。「〇〇人」という呼称は、その対象とする人々の範囲を限定する作用を持つが、台湾のエスニックな複雑さはそうした定義になじまない(これは台湾に限らないかもしれないが)。その上、本書が取り上げるのはいずれも越境的な生涯を運命づけられた人々である。むしろ、曖昧なタイトルであるがゆえに、それぞれに個性的なライフヒストリーを並べて語り得る許容性がある。そして、曖昧な境界線上を行き来した一人一人のタイプの全く異なる生き様を通覧して浮かび上がってくるもの──そこに「台湾」とは何かを改めて考え直すヒントが秘められているとも言えよう。
「家族的背景」や「意外なルーツ」を探り出す
本書は日本と関わりを持つ「タイワニーズ」を列伝的に描き出したノンフィクションである。彼ら/彼女らはすべて現代の人物であり、すでに鬼籍に入られた四人を除き、対象者本人に直接インタビューし、故人についても身近にいた人々から聞き取りを行っている。また、単に個々の人物の軌跡を描き出すだけでなく、その家族的背景も探り出そうとしているところが本書の特色である。それは人物理解に必要というだけでなく、ファミリー・ヒストリーという切り口から日台関係史の一断面が時系列的にも垣間見えてくる。
最初に取り上げられるのは蓮舫だが、むしろ彼女の祖母にあたる「香蕉(バナナ)女王」こと陳杏村の方に興味がひかれた。戦前はファッション業の最先端を行き、その後、日本軍占領下の上海でタバコ事業を展開、戦後はバナナ貿易で成功を収める。敗戦直後の混乱期にはこうした女傑の活躍も確かに目立っていた(例えば、沖縄・台湾を股にかけて活躍した金城夏子なども思い浮かぶ)。台湾独立運動に身を投じた辜寛敏と、その息子でエコノミストとして著名なリチャード・クーの親子の口からは、それぞれ戦後日中台関係に関わるエピソードも語られる。
有名な芸能人にも意外なルーツが見られる。ジュディ・オング(翁倩玉)の父・翁炳栄は台湾メディアのキーパーソンで、作詞家でもある。祖父・翁俊明は日本統治時代に台湾総督府医学校に学んだ医師だが、同時期に在籍していた蒋渭水や杜聡明などと共に民族運動に参加、1913年の袁世凱暗殺未遂事件に関与していた。また、女優の余貴美子が台湾北部の客家にルーツを持つことは本書で初めて知った。「日本や台湾、中国というより、私は客家」という余の言葉が印象深い。
大阪の「551蓬莱」創業者・羅邦強と日清食品創業者・安藤百福(呉百福)の二人も台湾生まれだ。同様に食品業で成功した台湾出身者とは言っても、二人のあり方は対照的である。551蓬莱の名物・豚まんは台湾由来ではなく、「天津包子」のヒットを聞きつけて商品化したのだという。出身地の台湾・嘉義には親族のために建てた邸宅や、「蓬莱食品」という名の看板ロゴも同じ店がある(ただし、豚まんは売っていない)。おそらく故郷に錦を飾ろうという気持ちがあったのだろう。安藤百福はチキンラーメンの発明で知られている。これは台湾南部の「意麺」をヒントにしたと推測されるが、他方で彼はチキンラーメンを自身のオリジナルと主張していたのみならず、台湾に出自を持つこと自体ほとんど語らなかったという。
「日本文学」を舞台に活躍する台湾出身者
日本の文学における台湾出身者の活躍も見逃せない。台湾に出自を持つ作家が日本語を自らの言葉として作品を発表してきた葛藤は、台湾人/日本人(=非台湾人)という境界の曖昧さを否が応でも浮き彫りにする。
著書『真ん中の子どもたち』が2017年の芥川賞候補作に選ばれた温又柔は中国語・台湾語・日本語──複数の言語が交錯してきた自らの生い立ちの中で直面したズレの意識を作品へと昇華させている。彼女の文章を紡ぎ出す営為そのものが、「母語」とは何か? 日本人/台湾人の区別は自明なものなのか? と鋭く問いかけている。彼女は「在日台湾人作家」と呼ばれることもあるが、「日本にいる日本人はみんな在日じゃないですか」という発想が面白い。
彼女と同じく、台湾出身作家として2015年に『流』で直木賞を受賞し注目を浴びる東山彰良は外省人であり、父の王孝廉も台湾では著名な文学者であった。ペンネームの東山は祖父の出身地である山東省をひっくり返したもの、また彰良の彰は幼少時を過ごした台湾・彰化に由来するというから、ペンネームそのものが彼のハイブリッドな来歴を示している。ただし、彼は台湾語をほとんど話せず、台湾本土化の潮流には取り残されたような孤独感を味わっているようだ。本省人家庭に育った温又柔は、東山とは出身背景が対照的だが、それでも東山を「哥哥(お兄さん)」と呼んで慕っているというのが微笑ましい。
日本統治時代に生まれた二人の作家、陳舜臣と邱永漢の来歴はそれぞれ謎めいて見える。陳舜臣は日本国籍→中華民国(台湾)籍→中華人民共和国籍という変遷を経た上で、1989年の天安門事件を目の当たりにして中華人民共和国籍の放棄を決断した。その後は日本と中華民国の二重国籍状態だったようだが、国籍問題の複雑さのみならず、こうした変転について陳舜臣自身はどのように感じていたのか気にかかる。
邱永漢は「金儲けの神様」(実際にはかなり失敗もしているようだが)として知られるが、直木賞作家でもあり、若い頃に発表した作品には台湾独立運動に関わった体験が色濃くにじみ出ている。後に国民党政権と和解、さらに改革開放後の中国へ積極的な投資活動も展開したため、台湾独立運動からすれば裏切者ということになる。ただ、邱永漢には容易にその内面へと迫りきれない、どこかニヒルな深淵も感じられる。本書でも時折言及される王育徳との関係も含め、改めて研究されるべき人物であろう。
「タイワニーズ」は決して一くくりにはできない。どの人物に焦点を合わせるかによって見え方も違ってくるだろう。本書は複数の独特な個性を並べ、エピソード豊かに語りつつ、台湾をめぐる現代史の大きな流れを立体的に浮かび上がらせている。
黒羽夏彦1974年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2014年より台南市在住。現在、國立成功大學文學院歷史研究所(大学院)在籍。東アジアの近現代に交錯した人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13308