先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

武四郎思いアイヌ料理 町命名に関与した厚真で試食会

2018-07-08 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/07 23:55 更新
 【厚真】北海道や胆振管内厚真町の命名に関わった幕末の探検家松浦武四郎が厚真で食べたとされる、アワ団子などのアイヌ料理の試食会が7日、同町総合福祉センターで開かれた。町内や札幌などから約70人が参加し、往時に思いをはせながら味わった。
 同町の北海道命名150年記念事業「松浦武四郎の安都摩(あつま)日誌」の一環。武四郎は1858年、蝦夷地(えぞち)調査で厚真を訪れ、町内富里のアイヌ民族の村で3泊したときの様子を日誌に記している。
 苫小牧市の会社員横山美智男さん(58)は「アワ団子は素朴な味だが、もちもちして食感がいい。武四郎も喜んで食べただろう」と話した。(金子文太郎)
残り:96文字/全文:383文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/206766

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台湾先住民族の現状や展望は 北大でシンポ

2018-07-08 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/07 23:58 更新
 北大アイヌ・先住民研究センターは7日、台湾の先住民族の平埔(へいほ)族に関する国際シンポジウムを同大で開いた。台湾政府で先住民族行政を担う省庁の原住民族委員会の関係者らが、平埔族を巡る現状や今後の展望などについて講演した。
 台湾政府は16の先住民族を認定し、権利回復に取り組んでいるが、平埔族は漢族との同化が進んでいる点などから、まだ認定されていない。現在の蔡英文政権は先住民族に謝罪し、平埔族の身分回復も約束。過去の同化政策で言語が危機的状況にある点など、アイヌ民族を巡る現状とは共通点が多いとされる。
残り:172文字/全文:425文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/206747/

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白老の未来考える ウイマム文化芸術プロジェクト、多彩なプログラム用意

2018-07-08 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/7/7配信
 今月15日のフィールドワークを皮切りに「ウイマム文化芸術プロジェクト」が白老町内でスタートする。「地域学」「植生学」の散策プログラムのほか、「地域、アート、多様性・多文化共生」をキーワードにしたパブリック・ミーティングも行われる。ウイマム文化芸術実行委員会主催。
 2020年4月の民族共生象徴空間開設とその後を見据え、未来の白老を考え協働する場を構築しようと文化庁の「戦略的芸術文化創造推進事業」の委託事業を受け、同プロジェクトを企画。同プロジェクトのディレクターを務める木野哲也さんは、TOBIU CAMPのディレクターとしても活動しており「地域のことは地域の人が考えるべきで、地元から未来の白老をつくっていけるような長期的な取り組みにしていきたい」と語る。
 第1弾となる「シラオイ・フォールドミュージアム~歩く白老」で、散策プログラム「地域学」は、「アイヌ語地名から探る土地の記憶」をテーマに、15日にアヨロ・虎杖浜周辺、8月19日が飛生・竹浦周辺を歩きながら地形や植生、アイヌ語地名の由来などを探る。
 同プログラム「植生学」の、「アチャポ トゥラノ パヨカ アン ロ(アチャポと野山を散策しよう)」は、29日にポロトの森・湖周辺、8月26日が萩の里自然公園周辺を散策する。
 今月22日午後2時から、しらおい創造空間「蔵」でパブリックミーティング「共生の方法 Ways of Living Together」を開催。総務省地域力創造アドバイザーの加藤種男氏、ART LAB OVAの蔭山ヅル氏、文化生態観察・アートNPOリンク議事の大澤寅雄氏、NPO法人S―AIR代表の柴田尚氏をパネリストに迎えた事例報告や意見交換会を行う。
 散策プログラムはいずれも午前10時半からで、参加料1000円で事前申し込みが必要。
 参加希望者は、参加希望日、住所、電話、メールアドレス、年齢をメールもしくは電話で連絡。メールアドレスは、info.uymam@gmail.com。携帯電話090(2816)4505(平日午前9時~午後7時)。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14186/

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「文明社会と未接触の先住民」のパラドックス 彼らは本当に未接触の先住民なのか

2018-07-08 | 先住民族関連
東洋経済2018年07月07日
知らないことを知りたい。見たことのないものを見たい。そういう好奇心がなくなったら、人生お終いだと思っている。しかし好奇心が生み出す無邪気さは、時に歓喜と絶望の両方を生み出す。そんなことを痛感させられる一冊だ。
かつてNHKスペシャルで放映された「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」を記憶されている方も多いことだろう。イゾラドとは、文明社会と未接触の先住民を言い表す総称である。アマゾン源流域、ブラジルとペルーの国境地帯に住むとされるイゾラドは、部族名や言語はもちろんのこと、今何人いるのかも分からない状態であるという。 
番組では、素っ裸で弓矢を持つイゾラドに村人たちが接触する様子が映し出され、その光景には衝撃を受けた。この時に、チョイ役のような感じで登場していたロメウ。彼こそがイゾラドを理解するための重要なキーパーソンであり、本書『ノモレ』の主人公だ。
ロメウは、ペルーの先住民・イネ族の出身であった。父の代までイゾラドであったものの彼自身は文明化された後の環境で育ち、村のリーダーとして精力的に働いている。そんな彼のもとへ、ペルー政府から応援要請が届く。部族名も言語族も分からない謎の先住民が、辺境の人々を襲う事態が頻発し、恐怖と不安が広がっていたのだ。
このロメウの視線を借りることによって、イゾラドと遭遇することの喜び、そしてこれから起こりうる悲劇的な運命を予感させていく。
初めてなのに懐かしい
出会いは突然であった。ある日、川の向こう岸から突然やってきたイゾラドが「傷ついた仲間がいる」とロメウに助けを求めたのである。ジャガーにかまれた少女の足を、大急ぎで駆けつけた医師が治療をし、やがてバナナをあげることから交流が始まった。
彼らとのやり取りを通じて、不思議な感情で胸がいっぱいになるロメウ。初めてなのに懐かしい、そう感じた要因は彼らの言葉にあった。ロメウの祖父母が話していたイネ族の言葉とイゾラドの言葉が、単語も抑揚も喋り口も、とてもよく似ていたのである。
さらにロメウの脳裏を、イネ族の間に古くから語り継がれてきた伝承がよぎる。それはロメウの曾祖父の時代のこんな物語であった。
“ゴム農園で奴隷にされた5人のイネ族の男が、パトロンを殺した。木の棒でめった打ちにしたのだ。
5人の男は仲間を奴隷小屋から救い出し、共に森へ逃げた。迫り来る追っ手から逃げながらが、誰かが言った。全滅だけは避けよう。二手に分かれて逃げよう。
故郷での再会を誓って、彼らは森で別れた。一方はこちら側の森へ逃げ、もう一方はあちら側の森へ逃げた。
その後、生き別れた仲間たちを探しきれなかった曾祖父たちは、その思いを、子孫たちに代々語り継いできた。「ノモレ(仲間)に会いたい。ノモレ(友)を探してくれ」”
彼らは本当に未接触の先住民なのか
そんなロメウにとって、一つの疑念がわき起こってくるのは必然であった。もしかして、対岸に現れている人々は100年前に強欲なゴム農園から逃げるとき、森で離れ離れになった一味の子孫ではないのか?
疑念を確信にかえる要素は、いくつもあった。たとえば彼らの母集団が暮らす集落にバナナがあるということ。バナナは元々はアマゾンのジャングルには存在しない果実である。どこかのタイミングで文明社会と接触していなければ、バナナの栽培を行うことは難しい。
もう一つは病原菌への免疫があるように見受けられたことだ。多くのイゾラドは、文明社会の人と握手をするだけでも、想像を絶する酷さと速さで病原菌が伝染し、一つの集落があっという間に死に絶えてしまうこともあったという。しかし彼らにそのような兆候は見えない。これは、彼らが私達の社会とかつて接触していたことを意味するのではないか、そうロメウは確信する。
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4103519614/toyokeizaia-22
『ノモレ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
ロメウとイゾラドが交流したのはアマゾン川源流近くのアルト・マドレ・デ・ディオス川。この川が私達とイゾラド、2つの世界の境界線の役割を演じる。川の両岸ではルールが違う、生き方も違う、価値観や道徳観も違う。そこへ文明化という不可逆な横風が吹き、境界線を何度も書き消そうとする。
しかし、元イゾラドの先住民であるロメウは、境界線の真ん中に立ちながら自分のアイデンティティを自問自答し、それがイゾラド社会への想像力を生み出していく。
いついかなる時も、悠然と流れ行く川。それは時間のメタファーでもある。同じ川の流れを見ても、喜びを感じるものと悲しみを感じるものがいるように、同じ時を過ごしながら、全く異なる時間軸で捉えるものがいる。
本書を読んだ誰もが、イゾラドの社会を文明化した我々の視点ではなく、イゾラド自身の視点で理解したいと願うはずだ。しかしそのためには、未だ接触しえない人々と深く接触し、文明化させることなく、ありのままの姿を観察しなければならない。
はたしてこれは、永遠に叶わぬパラドックスなのだろうか。そして、たとえ文明側の視点であったとしても、彼らが消えゆく前に語り継いでいく必要はないのだろうか。まさに観察者効果の典型のようなものが根底にあるわけだが、TV番組の映像に色めき立った自分を自覚しているがゆえに、突きつけられるジレンマは重い。
https://toyokeizai.net/articles/-/228249

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罪深い私たちの物語――NHKスペシャル「最後のイゾラド」から生まれた一冊

2018-07-08 | 先住民族関連
ブックバン 7/7(土) 7:00配信

 人類の奥深く眠る遺伝子の記憶が揺さぶられる物語だ。インターネットで覆われた二十一世紀の地球にあって、おとぎ話のように思えるが、これは取材に基づく事実である。
 南米ペルー・アマゾンの一つの集落にこんな言い伝えがあった。百年以上前、スペインやポルトガルの男たちが「黒い黄金」と呼ばれるゴムを求めてやってきた。農園では先住民が過酷な労働を強いられた。銃で脅され、感染症で次々と死んだ。多くはイネ族だった。
 ある日、イネ族の五人の男が農園主を殺し、奴隷小屋から仲間を解放してみんなで逃げた。捕まれば殺される。故郷での再会を誓って二手に分かれた。一方は故郷にたどり着いたが、もう一方は森に消えた。
 故郷に戻った者たちは世を去る時、子や孫を集めてこう言った。「森で別れた仲間(ノモレ)に会いたい。息子たちよ、友(ノモレ)を探してくれ」と。
 それから百年が過ぎた現代、イネ族の青年、ロメウ・ポンシアーノ・セバスチャンが本書の主人公だ。「神の母の川」の名をもつマドレ・デ・ディオスの奥深い源流域の近くに集落はある。村には宣教師が服や薬、聖書とスペイン語を伝え、NGOが民主主義と人権を伝えた。ロメウは村のリーダーとして、集落の振興や先住民族の権利拡大に奔走していた。
 そんな彼が、ペルー政府文化省に呼び出されたところから物語が動き出す。文明社会と接触したことのない先住民「イゾラド」が現れ、村人が殺された。ロメウに課せられた任務は、政府が設置した拠点で対岸の彼らを監視することだった。と書けば、生き別れたノモレの子孫が再会する感動の物語を想像するが、アマゾンをめぐる現実は単純ではない。
 始まりは彼らのSOSだった。娘がけがをした、助けてくれと。治療をきっかけに交流が始まった。彼らの言葉はスペイン語の影響を受ける前の祖父母の言葉に似て、懐かしかった。ロメウは彼らをノモレだと信じた。
 対岸の家族はだんだん増える。本名も名乗った。信頼の証だ。ある日、ロメウは別れ際に言われる。「お前の家族に会いたい」。
 イゾラドとの意図的な接触は違法であり、今の距離を保ちつつ部族の実態を探ることがロメウの務めだ。過去には、森林や鉱物資源目当ての不法侵入者によって殺されたり、病に感染させられたりして絶滅した先住民族がいる。悲劇を繰り返さないためには保護するしかない――というのは大義名分で、観光による外貨獲得という目論見が隠されていた。
「自分は何者なのか」。ロメウは自問する。「自分はペルー社会の一員である以上に、イゾラドの末裔なのではないか。土地を奪われ、病気で死に、奴隷となってもなお森で生き延びてきた彼らの、営みを受け継いできたはずの子孫なのではないか。/とすれば、自分が信じるべきものとは、森のルールなのではないか」。
 本書には時折、先住民族の伝承が配置される。端的だが、今あるものを確かに感じとろうとする表現で、そこだけ時間の流れがゆるやかになる。「音がすると、足は止まる。/どんな音でも、足は止まる」。彼らの世界では、危険を察知するのも意思を伝えるのも音だ。「森に雷鳴が響いても怖くはない。/雷がどのようなものか、わたしはよく知っている。大昔から知っている」。「わたしは、あの音だけを恐れる。/森で聞いたことのない、あの音だけを恐れる。/森にはない音がすると、耳を塞ぐ。/怖くなって、わたしは森を逃げる」。
 文明の言葉と非文明の言葉の対比によって、文明社会が先住民族の何を破壊してきたのかが浮きぼりになる。流れの異なる時間と時間がぶつかって時空がゆがむ。本書が描くのは、その瞬間だ。
 奥アマゾンの先住民族ヤノマミとの暮らしを描いた前作から八年。本作では取材者は黒子となり、一貫してロメウの視点で描かれる。文明の境目に生きる先住民族同士の出会いと別れが、新たな物語として語り継がれる未来を示唆して、本書は幕を閉じる。背景には私たちの姿が見え隠れする。『ノモレ』は、罪深い私たちの物語でもある。
[レビュアー]最相葉月(ノンフィクション・ライター)
さいしょう・はづき
新潮社 波 2018年7月号 掲載
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180707-00554909-bookbang-soci

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マオリ・オールブラックスの歴史的南米遠征決定! ブラジル、チリと初対戦へ

2018-07-08 | 先住民族関連
ラグビーリバブリック 2018年07月07日

闘争心あふれるマオリ・オールブラックスの“ハカ”(Photo: Getty Images)
 ニュージーランドラグビー協会は7月6日、同国の先住民族・マオリの血を受け継ぐ選手で結成される“マオリ・オールブラックス”が、今年11月に初の南米遠征をおこない、ブラジル代表(現世界ランキング26位)、チリ代表(同30位)と初めて対戦することが決まったと発表した。
 マオリ・オールブラックスの2018シーズン末ツアーは北米遠征から始まり、11月3日にシカゴでアメリカ代表と対戦したあと、同月10日にサンパウロでブラジル代表と激突、そして17日にサンティアゴでチリ代表の挑戦を受ける。
 シカゴではトリプルヘッダーのメインイベントとなり、同日は、女子のアメリカ代表×ニュージーランド代表、男子のアイルランド代表×イタリア代表戦もおこなわれる予定だ。
 ニュージーランドラグビー・マオリボードのファラ・パーマー議長は、「初めてチリ、ブラジルと対戦することは、非常に特別なことであり、南米との関係を発展させ、さらにマオリの視点から、この地域の先住民族のコミュニティと交流するのに役立つだろう」とコメントした。
 マオリ・オールブラックスは過去に、南米チームのアルゼンチン代表と2回対戦したことがあるが、いずれもニュージーランド国内でおこなわれていた。
 歴史的ツアーのホストとなるブラジルラグビー協会のアグスティン・ダンサCEOは、「我々にとってマオリ・オールブラックスとプレーすることは夢の実現であり、ブラジルラグビー界の現在と未来の世代を鼓舞する試合になるだろう」と語り、同国で急速に成長しているラグビーのさらなる発展につながることを確信している。
 チリラグビー協会のホルヘ・アラヤ会長は、「この歴史的な試合をファンに提供できることは、ワールドラグビーと南米ラグビーの協調的な努力のおかげ。このゲームが意味する情熱を享受するため、選手と同じくらい、協会もスタッフも重要な役割を遂行する」とコメントした。
http://rugby-rp.com/news.asp?idx=113527&page=1


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日台を股にかけた越境者たちの知られざる素顔 野嶋剛『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』

2018-07-08 | 先住民族関連
WEDGE infinity 2018年7月7日

 本書のタイトルに「台湾人」ではなく、敢えて「タイワニーズ」という表現を用いたのはなかなかうまい工夫である。
『タイワニーズ 故郷喪失者たちの物語』の冒頭で取り上げられている蓮舫氏(写真:つのだよしお/アフロ)
「台湾人」という三文字が帯びる複雑さ
 台湾におけるエスニック・グループの構成は複雑である。大多数は広義の漢民族だが、彼らの渡来以前からこの島に暮らしていた先住民族もいる(現時点で16族が政府により認定されており、この数字も変動する可能性がある)。漢民族の中でも福建省から渡来した閩南系が多数を占める一方、客家系も存在するし、戦後には国共内戦に敗れた国民党政権が台湾へ移転するに伴って大陸各地から多くの人々が逃れてきた(戦前から台湾にいた人々を「本省人」、戦後に大陸から来た人々を「外省人」という)。
 日本の植民統治下で台湾の住民は「日本人」になるよう強いられた一方、それへの反発から「台湾人」意識が芽生えたが、これは中国を祖国とみなすことを前提としていた。つまり、「中国人」意識の枠内における「台湾人」意識であった。戦後の国民党政権は「中国人」意識の高揚に努めたが、二二八事件や白色テロに対する反発から「本省人」の間では「台湾人」意識を強める動きが出てきた。この場合には「中国人」への対抗意識としての「台湾人」という政治的意味合いが強くなる。民主化が進むと、エスニックな多元性をゆるやかに統合するため「新台湾人」という概念も提起された。
 いずれにせよ、「台湾人」という言葉に込められた含意は、エスニックな来歴の複雑さのみならず、時代状況によっても大きく異なってくる。英語的に「タイワニーズ」と表現したところで日本語に直せば同じだと言われるかもしれない。しかし、「台湾人」という漢字三文字そのものが帯びている複雑な語感はいったん保留できる。その上で、漠然と台湾に関係する人々の物語なのだとほのめかしてくれる。
 この漠然としたタイトルこそ重要である。「〇〇人」という呼称は、その対象とする人々の範囲を限定する作用を持つが、台湾のエスニックな複雑さはそうした定義になじまない(これは台湾に限らないかもしれないが)。その上、本書が取り上げるのはいずれも越境的な生涯を運命づけられた人々である。むしろ、曖昧なタイトルであるがゆえに、それぞれに個性的なライフヒストリーを並べて語り得る許容性がある。そして、曖昧な境界線上を行き来した一人一人のタイプの全く異なる生き様を通覧して浮かび上がってくるもの──そこに「台湾」とは何かを改めて考え直すヒントが秘められているとも言えよう。
「家族的背景」や「意外なルーツ」を探り出す
 本書は日本と関わりを持つ「タイワニーズ」を列伝的に描き出したノンフィクションである。彼ら/彼女らはすべて現代の人物であり、すでに鬼籍に入られた四人を除き、対象者本人に直接インタビューし、故人についても身近にいた人々から聞き取りを行っている。また、単に個々の人物の軌跡を描き出すだけでなく、その家族的背景も探り出そうとしているところが本書の特色である。それは人物理解に必要というだけでなく、ファミリー・ヒストリーという切り口から日台関係史の一断面が時系列的にも垣間見えてくる。
 最初に取り上げられるのは蓮舫だが、むしろ彼女の祖母にあたる「香蕉(バナナ)女王」こと陳杏村の方に興味がひかれた。戦前はファッション業の最先端を行き、その後、日本軍占領下の上海でタバコ事業を展開、戦後はバナナ貿易で成功を収める。敗戦直後の混乱期にはこうした女傑の活躍も確かに目立っていた(例えば、沖縄・台湾を股にかけて活躍した金城夏子なども思い浮かぶ)。台湾独立運動に身を投じた辜寛敏と、その息子でエコノミストとして著名なリチャード・クーの親子の口からは、それぞれ戦後日中台関係に関わるエピソードも語られる。
 有名な芸能人にも意外なルーツが見られる。ジュディ・オング(翁倩玉)の父・翁炳栄は台湾メディアのキーパーソンで、作詞家でもある。祖父・翁俊明は日本統治時代に台湾総督府医学校に学んだ医師だが、同時期に在籍していた蒋渭水や杜聡明などと共に民族運動に参加、1913年の袁世凱暗殺未遂事件に関与していた。また、女優の余貴美子が台湾北部の客家にルーツを持つことは本書で初めて知った。「日本や台湾、中国というより、私は客家」という余の言葉が印象深い。
 大阪の「551蓬莱」創業者・羅邦強と日清食品創業者・安藤百福(呉百福)の二人も台湾生まれだ。同様に食品業で成功した台湾出身者とは言っても、二人のあり方は対照的である。551蓬莱の名物・豚まんは台湾由来ではなく、「天津包子」のヒットを聞きつけて商品化したのだという。出身地の台湾・嘉義には親族のために建てた邸宅や、「蓬莱食品」という名の看板ロゴも同じ店がある(ただし、豚まんは売っていない)。おそらく故郷に錦を飾ろうという気持ちがあったのだろう。安藤百福はチキンラーメンの発明で知られている。これは台湾南部の「意麺」をヒントにしたと推測されるが、他方で彼はチキンラーメンを自身のオリジナルと主張していたのみならず、台湾に出自を持つこと自体ほとんど語らなかったという。
「日本文学」を舞台に活躍する台湾出身者
 日本の文学における台湾出身者の活躍も見逃せない。台湾に出自を持つ作家が日本語を自らの言葉として作品を発表してきた葛藤は、台湾人/日本人(=非台湾人)という境界の曖昧さを否が応でも浮き彫りにする。
 著書『真ん中の子どもたち』が2017年の芥川賞候補作に選ばれた温又柔は中国語・台湾語・日本語──複数の言語が交錯してきた自らの生い立ちの中で直面したズレの意識を作品へと昇華させている。彼女の文章を紡ぎ出す営為そのものが、「母語」とは何か? 日本人/台湾人の区別は自明なものなのか? と鋭く問いかけている。彼女は「在日台湾人作家」と呼ばれることもあるが、「日本にいる日本人はみんな在日じゃないですか」という発想が面白い。
 彼女と同じく、台湾出身作家として2015年に『流』で直木賞を受賞し注目を浴びる東山彰良は外省人であり、父の王孝廉も台湾では著名な文学者であった。ペンネームの東山は祖父の出身地である山東省をひっくり返したもの、また彰良の彰は幼少時を過ごした台湾・彰化に由来するというから、ペンネームそのものが彼のハイブリッドな来歴を示している。ただし、彼は台湾語をほとんど話せず、台湾本土化の潮流には取り残されたような孤独感を味わっているようだ。本省人家庭に育った温又柔は、東山とは出身背景が対照的だが、それでも東山を「哥哥(お兄さん)」と呼んで慕っているというのが微笑ましい。
 日本統治時代に生まれた二人の作家、陳舜臣と邱永漢の来歴はそれぞれ謎めいて見える。陳舜臣は日本国籍→中華民国(台湾)籍→中華人民共和国籍という変遷を経た上で、1989年の天安門事件を目の当たりにして中華人民共和国籍の放棄を決断した。その後は日本と中華民国の二重国籍状態だったようだが、国籍問題の複雑さのみならず、こうした変転について陳舜臣自身はどのように感じていたのか気にかかる。
 邱永漢は「金儲けの神様」(実際にはかなり失敗もしているようだが)として知られるが、直木賞作家でもあり、若い頃に発表した作品には台湾独立運動に関わった体験が色濃くにじみ出ている。後に国民党政権と和解、さらに改革開放後の中国へ積極的な投資活動も展開したため、台湾独立運動からすれば裏切者ということになる。ただ、邱永漢には容易にその内面へと迫りきれない、どこかニヒルな深淵も感じられる。本書でも時折言及される王育徳との関係も含め、改めて研究されるべき人物であろう。
 「タイワニーズ」は決して一くくりにはできない。どの人物に焦点を合わせるかによって見え方も違ってくるだろう。本書は複数の独特な個性を並べ、エピソード豊かに語りつつ、台湾をめぐる現代史の大きな流れを立体的に浮かび上がらせている。
黒羽夏彦1974年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2014年より台南市在住。現在、國立成功大學文學院歷史研究所(大学院)在籍。東アジアの近現代に交錯した人物群像に関心を持ち、台湾に視点を置いて見つめ直したいと考えている。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13308

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LIVE GOMA20周年記念ツアーで初来佐 19日佐賀市で 再起への記録映画上映も

2018-07-08 | アイヌ民族関連
佐賀新聞 7/7 9:02

本文 切抜紙面
 オーストラリアの先住民族アボリジニの楽器「ディジュリドゥ」の奏者・GOMAが7月19日19時から、佐賀市松原のRAG-Gでライブを開く。活動20周年記念の全国ツアーで初めて来佐。GOMA自身がその場、その瞬間に感じたことを自由に表現し、唯一無二の演奏を披露する。
 またGOMAが交通事故からの再起を目指す日々を記録したドキュメンタリー映画「フラッシュバックメモリーズ3D」も上映する。
 GOMAは1998年、オーストラリアで開かれた「バルンガディジュリドゥコンペティション」で“ノンアボリジニ”の奏者として初の準優勝を成し遂げた。国内外で活動し勢いに乗っていた2009年、交通事故に遭う。再起不能の事故と言われ記憶力に障害を負ったものの、事故後に描き始めた点描画が評判になり、全国各地で絵画展を開催。11年には音楽活動を再開し、現在はディジュリドゥ奏者や画家としてのみならず、講演活動などでも活躍している。
 チケットは2500円(当日500円増、要ワンドリンクオーダー)。ローソンチケットはLコード84050。問い合わせはRAG-G、電話0952(26)2687。
http://www.saga-s.co.jp/articles/-/241937

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