先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族首長「バフンケ」の遺骨返還へ 北大、遺族の要請受け

2018-07-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/24 02:25 更新

 昭和初期に樺太(サハリン)から研究者が持ち出したアイヌ民族の首長バフンケ(1856~1920年ごろ、日本名・木村愛吉)の遺骨が、北大から遺族に返還される見通しとなった。北大はこれまで、身元が特定できた34体の遺骨のうち4体を地元のアイヌ民族関係団体に引き渡した。バフンケの遺骨は34体の一つで、写真や逸話が残る有力者の遺骨返還は初めて。
 バフンケは明治時代、漁業などで財を成し、樺太の東海岸の「アイ」と呼ばれたコタン(集落)の首長を務めた。言語学者の金田一京助や、アイヌ民族の先駆的研究で知られるポーランド人学者ブロニスワフ・ピウスツキの書籍などに記録がある。ピウスツキは、バフンケのめいのチュフサンマと結婚した。
 北大が2013年に公表した遺骨収集の調査報告書によると、バフンケの遺骨は1936年(昭和11年)8月、当時の北海道帝国大(現北大)の医学部が、樺太南部の栄浜村相浜のアイヌ民族の墓地から解剖学の研究資料として収集したとされる。
 遺骨の受取人は、ピウスツキとチュフサンマの孫で横浜市の会社経営木村和保(かず やす)さん(63)。知人の研究者から北大に祖先の遺骨が保管されていると聞き、返還を申し入れた。返還の具体的な日程は今後、大学側と協議する。木村さんは「遺骨は戻ってきても収集の詳しい経緯は分からないまま。北大には謝罪と誠実な説明を求めたい」と話す。
 アイヌ民族の遺骨は国内12大学や博物館などに1600体以上あるとされ、国外の博物館などにも保管されている。北大が身元を特定した34体のうち、日高管内浦河町の4体は昨年10月、アイヌ民族有志の団体「コタンの会」に返還された。8月には、十勝管内浦幌町の13体が浦幌アイヌ協会に引き渡される予定だ。(斉藤千絵)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/211550

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【私の視点 観光羅針盤 154】北海道150年と旅の巨人 石森秀三

2018-07-24 | アイヌ民族関連
観光経済新聞 2018年7月23日

 今年は明治元(1868)年から満150年の節目の年であり、各地で「明治150年」を祝う行事が行われている。
 政府は、明治以降の歩みを次世代に遺す施策(明治期の資料の収集・整理、保存および展示、デジタルアーカイブ化の推進)や明治の精神に学び、さらに飛躍する国に向けた施策(若者、女性および外国人の活躍を取り上げる事業、明治期の技術および文化芸術に触れる機会の充実)などを実施している。
 今年はまた、「北海道」と命名されてから150年目でもある。かつて「蝦夷地」と呼ばれていたが、1869(明治2)年に太政官布告によって「北海道」と命名された。その名付け親は松浦武四郎であった。
 武四郎は1818年に伊勢国須川村(現在の三重県松阪市)で生まれている。そのため今年は武四郎生誕200年記念の年でもある。武四郎は幕末期にロシアとの国境問題で揺れた蝦夷地を6回も踏査し、地図を作製するとともに克明な探査記録を数多くの日誌類として書き残している。
 特に、当時のアイヌ民族の生活状況などを詳細に記録したことはよく知られている。武四郎は広大な蝦夷地を徒歩で踏査しており、各地でアイヌの人々がガイド役として道案内をしたことからアイヌ民族との交流が深まった。
 明治維新後に武四郎は蝦夷地に詳しい第一人者として明治政府の開拓使の高官(開拓判官)になり、蝦夷地に代わる新たな地域名称として「北加伊道」を含む6案を提案し、最終的に明治政府は「北海道」と命名した。
 武四郎は道名・国郡名選定の功績によって「従五位」に叙せられた。
 その後、武四郎は江戸時代にアイヌの人々を苦しめていた「場所請負制度(特権的商人が松前藩や幕府から蝦夷地各場所の経営を請け負った制度)」の廃止を強く訴えたが実現しなかった。その結果、開拓使を批判した武四郎は開拓判官の職を辞し、従五位も返上した。
 53歳で官を辞した武四郎はその後に古物収集家として全国的に知られるとともに、晩年には秘境大台ケ原に3年連続して登り、70歳で富士山に登頂するなど、71歳で亡くなるまで旅への情熱は衰えることがなかった。
 私が館長を務めている北海道博物館では現在、特別展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎~見る、集める、伝える」を開催している(8月26日まで)。強い好奇心と情熱のもと、旅に生き、幕末維新という激動の時代の諸相を集めて伝えようとした、その希代の生涯が数多くの資料にもとづいて明らかにされている。
 武四郎は自分の目で見たことをさまざまなかたちで発信しており、自分の目で見て考えて行動することの大切さをシンプルに学ぶことができる。
(北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授)
https://www.kankokeizai.com/【私の視点-観光羅針盤-154】北海道150年と旅の巨人%E3%80%80/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直下型地震に備え 北海道と札幌市、共同で対策

2018-07-24 | アイヌ民族関連
日本経済新聞2018/7/23 21:36北海道・東北
 北海道と札幌市は20日に行政懇談会を開き、札幌圏で直下型地震が起きた場合、72時間以内に取り組む応急対策を共同でまとめることで合意した。6月に起きた大阪北部地震を踏まえ、早期に検討会議を開く。2019年3月の制定を目指す。
 行政懇談会には高橋はるみ知事と秋元克広市長ら10人が出席した。大阪北部地震では帰宅困難者や大規模断水の発生など、大都市特有の被害が明らかになった。道と市は防災関係機関などでつくる検討会議を3回ほど開き、具体的な内容を詰める。
 人口減少問題の対応も併せて議論した。U・Iターン就職を推進するほか、アイヌ民族への理解や文化の発信に連携して取り組むことなども合意した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33296170T20C18A7L41000/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アマゾンのジャングルに1人暮らす文明と接触のない部族の映像を初公開

2018-07-24 | 先住民族関連
ニューズウィーク2018年7月23日(月)16時55分 デービッド・ブレナン

アマゾンのジャングルに約80いるとみられる文明を知らない部族の暮らしが、森林破壊で暴かれつつある(ブラジル西部ロンドニア州、2015年11月) Nacho Doce- REUTERS
<同族のなかの最後の生き残りで、22年間たった一人で生き延びてきた男の映像が公開された>
ブラジルのアマゾン流域のジャングルで、文明社会とまだ接触したことがないある先住民族(未接触部族)の最後の一人とみられる男性の姿をとらえた映像が、7月19日に初めて公開された。
50代とみられるその男性は、ブラジル西部ロンドニア州のジャングルで過去22年間、たった一人で暮らしてきた。映像は2011年に遠くから撮られたもので、半裸の男性が斧のようなもので木を切っている。先住民の暮らしぶりがこれほど鮮明にとらえられたのは初めてだと、英紙ガーディアンは伝えた。
先住民の保護に取り組むブラジル国立先住民保護財団(フナイ)で同州のコーディネーターを務めるアルテア・アルガイヤーは、当時撮影チームと一緒だった。「男性は非常に元気そうで、狩猟をしたり、パパイヤやトウモロコシなどを栽培して生活している」と、アルガイヤーは言った。「あれだけの重労働がこなせるということは、健康で身体も鍛えられている」
ブラジルの先住民は1970~1980年代にかけて、森林伐採業者や農民から絶えず襲撃され、土地を強奪された。1980年代まで軍事政権下にあったブラジルには、先住民を保護する意思も能力もなかったため、先住民の人口と土地は激減した。映像の男性は1995年に農家に襲撃され、仲間5人が殺害された際にただ一人生き残ったとみられている。
牧場主に襲撃され仲間を失う
ジャングルで一人で暮らす男性を1996年に発見したフナイは、それからずっと彼を観察してきた。ロンドニア州コルンビアラの先住民について記録した1998年のドキュメンタリー映画「コルンビアラ」には、男性の写真が一瞬だけ映るが、今回の映像以前にカメラが彼の姿をとらえたのは、その一枚だけだった。
フナイは先住民との接触を避け、周囲に立入禁止区域を設ける方法で保護活動に取り組んでいる。撮影場所となった地域では1990年代から観察を続け、2015年には総面積8070ヘクタールに及ぶ先住民保護区域を設置した。男性は2009年に牧場主に襲撃されたが、その際も生き延びた。フナイによれば、過去5年間は誰も保護区域に迷い込んでいないという。
男性は弓矢を使ったり、自分で掘った穴の中に尖った木を仕掛けたりして獲物を捕え、イノシシや猿、鳥などを食べる。大量の穴を掘ることから、彼の部族は別名「穴の民(The Man of Hole)」として知られるようになった。彼はジャングルの奥深くに建てた小屋をすみかとし、穴の上に縛り付けたハンモックで眠る。
フナイの職員は何度も男性に接触を試みたが、そのたびに拒絶された。男性が後で使えるよう、斧やマッチ、農作物の種などを置いていったが、触りもしなかったという。その気持ちは理解できる、とアルガイヤーは言った。「それは彼の抵抗、拒絶、憎悪のあらわれだ。彼が強いられてきた苦難を考えれば当然だ」
先住民の権利保護に取り組む人権団体、サバイバル・インターナショナルによれば、現在ブラジルには約240の先住民族が存在し、その総数は約90万人。ブラジルの総人口の0.4%を占めるという。ブラジル政府は先住民が暮らせる場所として、総面積の約13%に相当する690カ所の保護区を設立した。
アマゾン流域には文明と接触したことのない約80の孤立部族が存在する、とみられている。彼らは違法な森林伐採業者や農民による襲撃、免疫力を持たない病気の流行など、いくつもの絶滅の危機にさらされている。
ブラジルの最高裁判所は今年2月、アマゾン流域での環境保護義務を緩和する森林法を支持する判決を下した。これによってさらに森林伐採が進み、先住民のコミュニティーが破滅される恐れがあるとして、環境保護活動家たちは反発している。
男性の生存は最後の希望
「穴の民」に関して、サバイバル・インターナショナルの研究の責任者、フィオナ・ワトソンはガーディアンに次のように語った。「彼が生き延びていたという事実は希望を与えてくれる。彼は言わば、最後の希望の象徴だ」
「皮肉なことに、(アマゾンの破壊が進むにつれて)我々の想定を上回る部族の存在が明らかになっている。彼らの隠れ場所が暴かれないかが心配だ」
フナイの公式フェイスブックに、アルガイヤーはこう投稿した。「『穴の民』の男性は教えてくれた。何もかも失い、ジャングルで最後の一人になったとしても、社会との結び付きを断ったまま生き延びることは可能なのだということを」(翻訳:河原里香)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10644.php

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2歳女児強姦事件で町の治安問題再燃

2018-07-24 | 先住民族関連
日豪プレス2018年7月23日
 マルコム・タンブル連邦首相が北部準州(NT)のテナント・クリークを訪問している。連邦首相がこの町を訪れるのは何十年もなかった。
 タンブル首相は、この地域の治安だけでなく、その根本にある原因にも対処すると語っている。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 テナント・クリークはアリス・スプリングスと北方のキャサリンとの間に位置する町で、5か月前に2歳の女児が強姦されるという事件が起きた。
 保守連合政権はジョン・ハワード首相期にNTに軍隊を送り込み、一部の人権関連法を停止して先住民族コミュニティを連邦政府の管理下に置いたが、それ以来、連邦政府は大陸北部の先住民族問題にまったく関心を持っていないと批判されてきており、女児強姦事件でも5か月放置してきたと批判されている。
 7月23日の記者会見で、タンブル首相は、「町で見たことにショックを受けていない。むしろ、このコミュニティの強靱さに打たれた。親や家族が子供に正しいことをしていない。子供を虐待している。子供を放置している。そういう親たちがいるが、その原因は非常に複雑だ」と語っている。
 国内でVIC州のジーロン、TAS州のロンセストン、QLD州のタウンズビルなどの町では3階層の政府や公的機関、先住民族グループなどが協力しあって計画を立案し、子供の安全を確保している。互いに批判し合う代わりに互いに協力し合っている。そうあるべきだ。みんな善意だが、協力関係なしでは夜に航行する船のようなものだ」と語っている。
 また、「テナント・クリーク最大の問題は住宅不足だ」と語っており、NT自治議会のジェリー・マカーシー住宅担当大臣は、「2018年、これまでに町に公共住宅を3戸建設した。年内にもう9戸建てる予定だ」と語っている。また、ダン・ティーハン社会事業相は、「テナント・クリークでもキャッシュレス福祉カード制度を検討する」と語っている。
 マイケル・ガナーNT主席大臣は、「NTの子供は誰でも幸せで健康的で安全な環境で成長する権利がある。彼等がここでいい教育を受け、卒業後は就職できるような社会をつくるために私達が最大限の努力をすることが必要だ。だから、計画は社会的であり、経済的なものになる」と語っている。
 7月22日、タンブル首相は地域住民や実業界と話し合い、経済委員会の会議に出席し、地域の社会事業を視察して回った。また、先住民族アボリジニの文化活動グループとも話し合った。
 しかし、町民の中には、「庶民の判断は、首相がテナント・クリークを訪れ、現状を自分の眼で見て、それから何か現実的な措置を実行する用意があるのかどうかだと思う」と懐疑的に語る人もいる。
■ソース
Malcolm Turnbull visits Tennant Creek following child rape and criticism over inaction
http://nichigopress.jp/ausnews/politics/167889/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界1位」に輝いたヴィンテージも!

2018-07-24 | 先住民族関連
 ボルドー5大シャトーとチリ最大手がタッグを組んだ「アルマヴィーヴァ」 ~ 解説:チリ名門ワイナリー

ワインバザール 2018-07-23
チリの名門ワイナリーを紹介する本シリーズ。今回は、ボルドーで第1級シャトーのシャトー・ムートン・ロスチャイルドを所有するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドとチリワインを代表するワインメーカー、コンチャ・イ・トロがタッグを組むことで生まれた「アルマヴィーヴァ」について、ご紹介していこう。
アルマヴィーヴァのエピソード
アルマヴィーヴァは、ボルドー5大シャトーの1つを有するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドとチリ最大で最高のワイナリーと評されるコンチャ・イ・トロとの共同出資により設立されたワイナリー。
バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドは、コンチャ・イ・トロとのコラボ以前に、アメリカのロバート・モンダヴィ氏と協同。ロバート・モンダヴィ氏とともに、カリフォルニアの最高級プレイアムワインと評され、入手が非常に困難な「オーパス・ワン」を誕生させている。そして、コンチャ・イ・トロとのコラボでも、チリのオーパス・ワンとも言われるプレミアムワイン「アルマヴィーヴァ」を誕生させた。
「格付け制度のないチリでも、世界トップクラスのワインをつくろう」という志を持ち、徹底した品質管理と最新設備を使ってつくり出されたアルマヴィーヴァ。ファーストヴィンテージから高い評価を獲得し続けていて、世界最高品質のカベルネ・ソーヴィニヨンの1つと評されている。年間生産量が3500ケースという希少性もあり、今では非常に入手しにくいワインとなっている。
アルマヴィーヴァの歴史
先に記したように、アルマヴィーヴァは、第1級シャトーを所有し、高い技術を持つバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドとチリ最大のワイナリーであるコンチャ・イ・トロとの共同出資により1998年に設立された。バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドとコンチャ・イ・トロの出資比率は50%ずつ。
ワイナリーは、ボルドー品種が盛んに栽培されているマイポ・ヴァレーのプエンテ・アルト地区に位置する。85haの畑のすぐ隣には、コンチャ・イ・トロの最高級ワイン「ドン・メルチョー」に使用するぶどうの栽培地がある。
アルマヴィーヴァのファーストヴィンテージは1997年。1998年に発売したところ、「チリのオーパス・ワン」などと称され、瞬く間に人気のワインとなった。
「アルマヴィーヴァ」という名前は、ポーマルシェの名作で、モーツァルトによってオペラ化されたフランスの古典文学「フィガロの結婚」に出てくる「アルマヴィーヴァ伯爵」から付けられた。ラベルの「almaviva」の字体は、ポーマルシェの筆跡だという。また、ラベルに描かれているモチーフは、チリの先住民族マプチェ族の祭礼用太鼓に付けられるマークで、十字架は東西南北、4つの点は四季、半円は風を表している。
アルマヴィーヴァのワインづくり
チリのテロワールとフランスの技術の融合
アルマヴィーヴァでは、 ぶどうに適したテロワールを持つチリの畑でぶどうを栽培し、ムートン・ロスチャイルドが培ったフランスの技術を融合させて、プレミアムワイン「アルマヴィーヴァ」をつくっている。
プエンテ・アルト地区にあるアルマヴィーヴァの畑は、アンデス山脈からの堆積物が長い年月をかけて蓄積し形成されたもので、プエンテ・アルトの中でも特に古い。火山質、粘土質などの土質や、石、砂利が入り混じって存在している複雑な土壌となっている。気候は地中海性気候で昼夜の気温差が20℃もあり、寒暖の差が激しい。アルマヴィーヴァの畑はアンデス山脈から吹きこむ冷風により気温が特に下がるため、その冷たい空気と乾燥した気候によってぶどうの樹が病気になりにくい。
このようにぶどう栽培に恵まれたテロワールを持つ畑で、フランス流の徹底した品質管理の下、ぶどうを栽培している。そして、そのぶどうを使い、フランスの技術と伝統を受け継いだ有能なテクニカル・チームが、充実した醸造施設でアルマヴィーヴァを産しているのだ。
マイクロゾーンの導入
アルマヴィーヴァは、設立当初から、常に改良を重ねて高品質の「アルマヴィーヴァ」を産出し続けてきたが、2005年に大きな転機が訪れた。栽培から醸造まで細かな区画ごとに管理する「マイクロゾーン」と呼ばれる手法を導入したのだ。その結果、ワインのスタイルがパワフルなスタイルからアロマティックなスタイルへと変貌した。
また、区画ごとの適正をより的確に把握できるようになったため栽培品種も増え、メルロやプティ・ヴェルドの栽培が強化された。近年、カベルネ・ソーヴィニヨン主体のアルマヴィーヴァにこれらの品種が少量ブレンドされるようになり、ワインにより深みと複雑さが備わった。
アルマヴィーヴァは、有名なワイン評論家パーカー氏のパーカーポイントで、リリース以来、連続して90点以上を獲得している。アルマヴィーヴァは、いまや世界最高品質のカベルネ・ソーヴィニヨンの1つとして確固たる地位を築いたと言える。
アルマヴィーヴァの当たり年
アルマヴィーヴァのスタイルはボルドータイプ。70%程度のカベルネ・ソーヴィニヨンに、20%ほどのカルメネール、そのほかに数%だけメルロやプティ・ヴェルドがブレンドされている。
ブラックベリーなどの黒果実の濃く甘い香りに、甘草やスパイス、バニラやナッツなどのニュアンスがある。フレッシュな果実味に適度な酸が心地よく、タンニンはしっかりとしていながらもしなやかさが感じられるため、リリース直後でも楽しめるワインとなっている。ヴィンテージによっては、数年寝かせた方がいいとされており、優れたヴィンテージのものは10~20年の熟成を重ねることで、さらに味に複雑さと奥行きが生まれるという。
アルマヴィーヴァは、毎年、非常に質の高い「アルマヴィーヴァ」を産出しているが、その中でもあえて当たり年を挙げるとすれば、2011年と2013年になる。コンチャ・イ・トロの資料には、2013年ヴィンテージはパーカーポイントで94点を獲得するなど、特に評価が高かったと記されている。
さらに、コンチャ・イ・トロの資料には載っていないが、2015年も当たり年と言える。2015年ヴィンテージのアルマヴィーヴァは、世界的なワイン評論家ジェームス・サックリング氏らが選ぶ「トップワイン・オブ・2017」で100点満点を獲得し、世界1位のワインとなっている。デキャンター誌でも「素晴らしく凝縮しているが固さはなく、非常に愛らしく、美しいバランスを備えている」と、大いに褒め称えている。
http://wine-bzr.com/topic/column/10894/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィヴィアン・ウエストウッド「ファッションより気候問題に関心」

2018-07-24 | 先住民族関連
ファッションニューヨーク 2018年7月24日 By Godfrey Deeny

Vivienne Westwood(右) Pascal Vicedomini(左) - Photo: Ischia Global Fest
 「ファッションには飽き飽きなの。それよりも地球の健康に関心を持っているわ。あと一世代で何とかしないと手遅れになる」とヴィヴィアン・ウエストウッド。
 同映画祭では、過去2年間でジャン=ポール・ゴルチエ(Jean-Paul Gaultier)やキャロリーナ・ヘレラ(Carolina Herrera)といったファッションデザイナーがエクセレンス賞を受賞した。
 現在、彼女のブランドでは、夫のアンドレアス・クローンターラー(Andreas Kronthaler)が実質的にデザインを手掛けている。今年9月のパリ ファッションウィークで2019年春夏コレクションを発表するほか、リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)手掛ける「バーバリー(Burberry)」とのコラボレーションも12月初頭に発売予定だ。
 「『ウエストウッド』のクラシックなテーマが詰まったユニークなコレクションになるはずよ。アンドレアスが作る美しいカッティングのブレザーとか、私のアーカイブにあるパンク時代のキルトもね。でも、全てのアイテムを『バーバリー』のチェックで作るの。とてもクレバーなアイディアでしょう」とウエストウッドは笑う。
 77歳になっても多忙を極める彼女は、地球温暖化問題へ熱心に取り組んでいる。ブログ「Climate Revolution」も精力的に更新している様子だ。
 受賞のスピーチで、「私たちは大きな問題を抱えています。政治家は科学者の話を聞きません。食い止めるにはたった20年しか残されていないのです。もし手遅れになれば、パリより下の地域には住めなくなる。今世紀末には、地球上にたったの10億人しか残らない計算です」と訴えたウエストウッドに対し、観客からは拍手が沸き起こった。
 ウエストウッドは他にも、イギリスの熱帯雨林保護財団クール・アースを通じて、熱帯雨林保護に尽力している。
 「森を買うつもりはないけれど、先住民族の人々と協力して、彼らが森の一部を合法的に所有できるように動いているわ。あそこに数百年住み続けてきた人たちですからね。自分たちの土地のことを真剣に考えているし、伐採業者から森を守るための資金も彼らに提供している。1億ポンド(約146億円)で熱帯雨林全てを救うのが目的よ。英国女王も参加して、上手くいっているわ。たった1ポンドで1本の木が守れるの」と話す彼女は、「エコな経済と大量絶滅、私たちに選択の余地はない」とも力説した。
 2年前には初孫も誕生したヴィヴィアン・ウエストウッド。1971年にマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)と「Let It Rock」を開店し、74年に店名を「SEX」と改名してパンクムーブメントの火付け役となった。タータンキルトやテディ―ジャケット、レオパードのダメージトップスやボンデージギア、アナーキーなスローガンなどは、当時パンクスたちのユニフォームだった。
 しかし、1992年にはコレクション発表の場をパリへと変更。マリー・クワント(Mary Quant)以降初となる英国人デザイナーとしてパリ ファッションウィークに参加した。「アングロマニア(Anglomania)」と「レッドレーベル(Red Label)」では、よりシアトリカルなコンセプトに移行しつつ、17世紀から18世紀にかけてのテキスタイルとサヴィル・ロウのテーラードテクニックを取り入れた。ブランドは本国イギリスのほか、日本や韓国で特に高い人気を誇る。
 しかし近年、彼女の関心は専ら地球温暖化に向けられており、その活動はブログ「Climate Revolution」を通じて知ることができる。
http://jp.fashionnetwork.com/news/ヴィヴィアン-ウエストウッド-ファッションより気候問題に関心-,1000362.html#.W1YuQfZuJhE

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「台湾フェスタ2018」(代々木公園)に台東県が初参加!航空券、

2018-07-24 | 先住民族関連
5つ星ホテル宿泊券など豪華商品をプレゼント 試着OKの台東先住民衣装も!
産経ニュース2018.7.23 10:50

 台湾台東県政府は、7月28、29日に東京の渋谷区代々木公園で開催される「台湾フェスタ2018」( http://twfes.com/ )に初めてお誘いを受け、台湾の県や市として唯一参加いたします。
 画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/161623/LL_img_161623_1.jpg
台東県 イメージ
 国際発展及計画処の羅淑琴次長が台東県を代表して出席し、ブースにはさまざまな旅行や観光の情報を展示するほか、ブースのデザインも台東県ならではの先住民文化の趣をモチーフにしたものになっています。
 台湾台東県政府は台東独自の魅力的な観光資源を取り揃えて日本でのプロモーションを行うほか、今回さらにご来場のお客様に日本と台東の往復航空券や熱気球自由飛行搭乗券、5つ星ホテルの宿泊券など、最高台湾元1万元相当の豪華プレゼントを用意いたしました。抽選券に必要事項をご記入いただくだけで、毎日メインステージで行われる抽選にて当選されたラッキーな方に賞品を差し上げます!
各種賞品のほかに、ゴールデンホースアワード(金馬奨)とゴールデンディスクアワード(金曲奨)を受賞した台東出身の歌手、アミ族の舒米恩(スミン)に出演を依頼し、メインステージにて台東の風情あふれる歌をお送りいたします!台東アミ族特有の歌声で、台東の雰囲気にじっくりと浸っていただけることでしょう。
 さらに、イベント期間中台湾台東県政府のブースには試着できる台東先住民の衣装も用意しています。また、写真を「#discovertaitung」のハッシュタグをつけてチェックインした方には、台東先住民の独特なトーテムキーホルダーや台東の美しい景色を印刷したマスキングテープなど素敵なグッズをお渡しします!
 ■台湾フェスタ2018 概要
日程:2018年7月28日(土)、29日(日)
時間:10:00-20:00
場所:代々木公園野外音楽堂広場
(東京都渋谷区神南2 代々木公園B地区)
 台東県のステージ時間:7月28日 16:00、7月29日14:40
台東県ブースナンバー:青-7、青-8
http://www.sankeibiz.jp/business/news/180723/prl1807231050039-n1.htm

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入れ墨タブー 日本は非常識?

2018-07-24 | 先住民族関連
読売新聞7/23(月) 12:13配信
 メッシ(アルゼンチン)やネイマール(ブラジル)らサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で活躍したスター選手たちの腕や首には、派手なタトゥー(入れ墨)が施されていた。「アウトローの象徴」的な認識が海外では近年、改められつつあるという。一方、日本では温泉やプールでの「入れ墨お断り」の看板が目立つ。ラグビーW杯や東京五輪などで外国人客が急増すれば、トラブルが多発する可能性もある。この問題とどう向き合うか。入れ墨をはじめとした装いの研究を専門とする山本芳美さんに聞いた。(聞き手・読売新聞メディア局編集部 久保田稔)
アメリカ成人の21%は「タトゥーあり」
 半袖でプレーする選手が多いサッカーはそもそもタトゥーが目立ちやすいが、それにしても今大会はよく目に付いた。サッカーに詳しい友人によれば、3大会前のドイツ大会(2006年)までは、腕や首などの露出する部分に大きなタトゥーを入れた選手はあまりいなかったという。日韓大会(02年)で大ブームを巻き起こしたベッカム(イングランド)も背中や腕などにタトゥーを入れているが、近年はともかく、当時はほとんど見せていなかった。
 海外でのタトゥーの流行はスポーツ選手だけに限らない。米国の世論調査会社が12年に行った調査では、タトゥーがあるアメリカ成人は21%に上った。15年にベルギーで開かれた「タトゥーと健康」に関する学会向けの報告書では、欧州の成人人口の10~20%に当たる約1億人がタトゥーを入れているとされた。
 これは特別な理由があってというよりも、ストリートファッションに見るように、個人のスタイルや嗜好(しこう)に基づく選択として定着したと考えてよいだろう。
 実際、一昔前の「アウトロー」的な印象はかなり薄れていると思う。3年前の夏にニューヨークを訪れた際には、地下鉄でウォール街方面に向かう人々の袖口からタトゥーがのぞいているのを見た。
ファッション化…源流は王族の「おしゃれ」
 こうした海外での流行の背景に、二つの動き(ムーブメント)があることを指摘したい。一つはタトゥーを「ファッション」と捉える人が増えていることだ。
 現代のタトゥーブームは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英国王ジョージ5世、ロシア皇帝ニコライ2世ら欧州の王族の間で流行し、同時期に一般の人々にも広まったのが源流とされる。20世紀半ばには「悪趣味」「犯罪者のよう」などと敬遠されて下火になったが、80年代ごろから英国ではパンクロックなどの影響で再び脚光を浴び、専門誌が発行されるなど、関心を持つ人や実際に体に入れる人が増えた。
 タトゥーを施すアーティストの数も増え、図柄も美的で洗練されたものへと進化した。ベッカム、ネイマールら世界的アスリートのタトゥーに注目が集まり、「ドラゴン・タトゥーの女」(2011年、アメリカ)、「ウォンテッド」(08年、同、主演=アンジェリーナ・ジョリー)など、タトゥーが印象的に描かれた映画も話題になった。
 ちなみに、メッシやネイマールの腕を覆っていたタトゥーは「スリーブ(袖)」と呼ばれ、片腕に入れるのが格好良いとされているそうだ。
“禁じられたタトゥー”民族文化奪還の動き
 もう一つの動きは、民族固有の文化や生活様式を取り戻そうとする運動が、世界各地で活発化していることだ。オセアニア、ポリネシア、台湾などの先住民族の多くは、かつての植民地時代にタトゥーやピアシング、ボディーペインティングなどの伝統を「野蛮な風習」として禁じられた歴史を持つ。近年の多文化主義(多様な人種、民族の文化を尊重し、共存を図るべきという考え方)に基づき、民族の伝統を自ら復興させようとする運動と、それに理解を示す考えが広まりつつある。
 シドニー五輪が開催された2000年、オーストラリアのニューサウスウェールズ州当局は衛生基準をタトゥーやピアス向けに新たに設置した。12年からは施術者の免許・営業登録制を導入した。これは、オリンピックを機に増える観光客対策であり、多文化主義政策の一環でもあるだろう。現在、同国では各州の法律を青少年向けに解説するサイトLawstuffに、文化的バックグラウンドのある入れ墨やピアスについて、学校や職場で禁じるのは法的な根拠がなく、差別的な扱いとなる、と示している。
 二つの動きは、前者が「流行」という浮き沈みを伴うのに対し、後者は右肩上がりと言える。これらが絡み合って、今回のW杯で見られたような、世界的な潮流を生み出したのだと考えている。
文明開化と“入れ墨タブー”
 これに対し、日本では、タトゥーを「(犯罪を想起する)入れ墨」と捉え、公共の場から締め出そうとする“入れ墨タブー”が社会に浸透している。
 温泉施設やホテルの大浴場などは「イレズミの方お断り」が大半だ。タトゥーがある人の利用を禁じる法的根拠はないが、観光庁によれば、アンケートに答えた全国の旅館、ホテルの56%が、自主的に利用拒否の姿勢を打ち出している。一方、神奈川県逗子市は「他の利用者を畏怖させるもの」との条件付きで、海水浴場利用者のタトゥー露出を条例で禁じている。橋下徹大阪市長(当時)が2012年、市職員の「入れ墨に関するアンケート調査」を行ったのも記憶に新しい。
 江戸時代、罪を犯した者に入れ墨をする刑罰があった一方で、職人や町人、火消しなどの間で「彫り物」(「入れ墨」は犯罪を想起させるため、彫り師やとび職などの間ではこの言葉を使う)が流行し、文化として成熟を見た。先述のジョージ5世やニコライ2世のタトゥーは、彼らが明治時代に来日した際、「土産」として入れたものだ。
 だが、明治政府は、法律や条例により入れ墨を禁止した。欧米列強との不平等条約改正を進めるにあたり、野蛮国と見なされるのを避けようとしたためとされる。
 第二次大戦後の日本では、青少年を除いて明文でタトゥーを禁じる法的根拠はなくなったが、「やくざ映画」などの影響もあり、入れ墨を犯罪や反社会的勢力と結びつけて考える人が増えた。温泉などの利用を拒否するケースは戦後まもなくから見られたが、1992年の暴力団対策法(暴対法)施行以降は警察の指導などもあり、そうした例が急増していった。
「イレズミの方はお断り」
 世界的なタトゥーの流行・復興と、日本社会の“入れ墨タブー”。2020年の東京五輪開催などが迫るにつれ、ホテルや旅館、入浴施設などでの外国人客とのトラブルや摩擦を心配する声が高まりつつある。だが、摩擦はすでに起きている。
 2013年、北海道のアイヌ民族の団体の招きで来日したニュージーランドの先住民族、マオリの女性が恵庭市にある民間の入浴施設を訪れた際、顔に施したタトゥーを理由に「イレズミの方の入場はお断りしている」として利用を拒否され、問題となった。この件は海外でも大々的に報道された。
 観光庁は、16年の段階で、タトゥーがある訪日外国人について、〈1〉シールなどで覆う〈2〉家族連れの入浴が少ない時間帯の入浴を促す〈3〉貸し切り風呂などを案内する――といった対応を施設側に呼びかけている。だが、今回のW杯で見られたように、体の広範囲にわたってタトゥーを施す人が増えているし、大浴場での入浴を楽しみに来た客に様々な制約を課すことが、果たして受け入れられるのかは疑問だ。
「入れ墨=犯罪、怖い」根強いイメージ
 この問題は、タトゥーだけに着目していては解決策を見いだせないと思う。まず、日本の“入れ墨タブー”の背景に、「入れ墨イコール反社会勢力、犯罪、怖い」といったイメージの浸透があることを認識する必要がある。
 関東弁護士会連合会は14年、20代から60代までの男女計1000人を対象に、入れ墨に関するアンケート調査を行った。「入れ墨を入れた人から実際に(暴行、脅迫、強要などの)被害を受けたことがあるか」との問いに対し、95.5%が「ない」と答えたが、一方で、「入れ墨を入れることを法律で規制すべきだと思うか」との質問には、33.9%が「強く規制すべき」「規制はあってよい」と回答した。「怖いから」「危なそうだから」といったイメージを基に、規制を肯定的にとらえていると言えよう。
「情報提供」と「工夫」…共存の努力を
 すでに紹介したように、海外では民族のアイデンティティーやファッションを理由にタトゥーを入れる人が多くいる。「郷に入れば郷に従え」的な主張も耳にするが、「観光立国」「インバウンド」などと外国人客を当てにしながら、こちらの事情を押し付けて理解されるのだろうか。もはや、日本人が、日本人だけで社会を営むのは難しい時代に入っていることも考えねばならない。
 私が提案したいのは、お客を迎える日本側が「情報提供の充実」と「工夫」に力を入れることだ。入浴施設等がタトゥーを理由に利用を制限するなら、外国人客が事前に把握できるように、インターネットサイトなどを通じて多言語で、細かく、丁寧に情報提供すべきだ。すでに、英語と日本語で、入浴施設やプールなどの受け入れ状況についての情報を提供する総合サイトもいくつか登場している。
 「工夫」については、例えば、湯浴み着での入浴を認めるなど、タトゥーを入れている人にも、それを見るのが嫌だという人にも受け入れやすい方法を真剣に考えるべきだと思う。全裸でこそリラックス、という日本の入浴スタイルだが、世界的にみれば、水着をつけて入るスパ方式が主流なことも頭に入れてほしい。
 「タトゥー=悪の象徴」といったイメージだけで、「入れ墨はお断りだから」などと一律的な対応をするのはよくない。考えることをやめてしまう姿勢こそが問題なのだ。
「タトゥー」は簡単には消せない
 低年齢の人の目にもふれやすいウェブ媒体なので、以下は特に若い人たちに伝えたい。
 「デジタルタトゥー」という言葉がある。ネット上に個人情報や発言、写真などをいったんアップすると、思わぬ形で拡散されてしまい、消すのがとても難しいことを意味している。そんな例えに使われるぐらい、本物のタトゥーも、決して簡単には消すことができない。
 先述したオーストラリアの青少年向けサイトでも、さまざまなリスクを紹介するとともに、「一度タトゥーを入れたらずっとつきあうことになる」と明確に述べている。
 日本では、青少年は各都道府県の条例で禁じられている場合があるし、成人であってもよく考え、慎重に判断する必要がある。海外で見方が変わりつつあると言っても、日本にはタトゥーや入れ墨をよく思わない人が多く、さまざまな場面で不利益を受ける可能性がある。
 「ワールドカップで興味を持った」とか「友達に誘われた」などの理由で、すぐに飛びついてはいけない。本当に必要なのか、例えば人目につきやすい手や足などに入れて後悔しないかなどを、よくよく考えてみるべきだ。
◎山本 芳美( やまもと・よしみ )
 学術博士(論文)、都留文科大学文学部比較文化学科教授。大学在学中に「身体をめぐる文化」への関心を高め、入れ墨などの研究を始める。沖縄、台湾が主なフィールド。著書に「イレズミと日本人」(平凡社新書)、「イレズミの世界」(河出書房新社)、「コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化」(成実弘至編、せりか書房)、稲川實氏との共著「靴づくりの文化史」(現代書館)などがある。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00010000-yomonline-life

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産ソチミルコでローカルに混じる! 標高2240mのメキシコ・シティ案内

2018-07-24 | 先住民族関連
CREA 7/23(月) 18:03配信
想像以上に楽しいソチミルコ
 日本から約13時間、太平洋の向こう側にあるメキシコ。メキシコ・シティ国際空港へは、アエロメヒコ航空が直行便を運航している。
 紀元前12世紀頃に興ったオルメカ文明からはじまり、トルテカ、アステカ、マヤ文明といった古代文明が勃興、その後スペインによる征服という歴史をもつメキシコ。ユネスコの世界遺産への登録は34を数える。
 そのなかのひとつが「メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ」。歴史地区はメキシコ・シティの中央エリアに、ソチミルコはシティ中心部から南へ30キロメートルほどの場所にある。
 ソチミルコは週末になると、多くの友人・家族連れで大いに賑わう。トラヒネラと呼ばれるボートに乗って、水上遊びに興じるためだ。
 メキシコ・シティ一帯はかつてアステカ時代には湖に浮かぶ一大都市だったが、スペインの征服によって大半を埋め立てられることに。その湖だったころの面影を残すのがソチミルコ。この古代を偲ぶ風景を現代のメキシコ人がどう楽しんでいるか。
 それは……トラヒネラに大きなクーラーボックスと音楽スピーカーを抱えて乗り込んで、食べて飲んで、歌って踊る!  思い思いに水上の休日を満喫していた。
 と、このように週末はほぼカオス状態のソチミルコだが、平日はトラヒネラの数がぐっと減ってかなり静か。パワフルでエネルギッシュなメキシコを感じたいなら、週末に訪れるのがおすすめだ。
Xochimilco(ソチミルコ)
http://xochimilco.gob.mx/
シティの郊外コヨアカンへ
シティ郊外のコヨアカンは芸術家が愛した古い街
 1907年に生まれメキシコ革命の混沌のなかを生き、47歳で生涯を閉じた画家フリーダ・カーロの生家があるのがコヨアカン。
 フリーダ・カーロが夫の壁画作家ディエゴ・リベラと暮らしていた住居兼アトリエが「フリーダ・カーロ博物館」として公開されている。代表作のほか、キッチンや寝室などを見学することができ、フリーダ・カーロの情熱に触れることができる空間で、連日アートファンが詰めかける人気のスポットだ。
 先住民族のナワトル語で「コヨーテの地」という意味のコヨアカンは、メキシコ・シティの中心エリアから南へ10キロほどの場所にある。
 ここはフリーダ・カーロと夫のディエゴ・リベラ、ロシアの革命家レオン・トロツキーなどの、芸術家や革命家が住居を構えた地として知られ、博物館や美術館が点在。周辺にはレストランやカフェなどもたくさんあり、美術館巡りをするのにぴったりな街だ。
Museo Frida Kahlo(フリーダ・カーロ博物館)所在地 Londres247 , Col, Del Carmen, Coyoacán, C.D.M.X.http://www.museofridakahlo.org.mx/Mercado Artesanal Mexicano(メキシコ民芸品市場)所在地 Calle Felipe Carrillo Puerto 25, Villa Coyoacán, C.D.M.X.https://www.facebook.com/BazarArtesanalMexicanoCoyoacanLos Danzantes(ロス ダンサンテス)所在地 Plaza Jardín Centenario 12, Coyoacán,Villa Coyoacán, C.D.M.X.http://www.losdanzantes.com/世界遺産の歴史地区を歩く
次ページは:世界遺産の歴史地区を歩く
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180723-10015352-creaweb-life

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BeautifulName 台湾

2018-07-24 | 先住民族関連
毎日新聞2018年7月24日 東京朝刊

 わたしは先住民アミ族の曽玉山(そう・ぎょくさん)、65歳です。名前の由来は富士山より高い台湾一の高峰・玉山です。【福岡静哉】
http://mainichi.jp/articles/20180724/ddm/007/070/091000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする