先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ノルウェー警察、グレタさんを一時拘束 抗議デモ中に

2023-03-02 | 先住民族関連
ロイター2023年3月2日1:43 午前2時間前更新
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが1日、ノルウェーの首都オスロで先住民の人権を支持する抗議デモ中、2度にわたって警察に拘束された。オスロで撮影(2023年 ロイター/Alf Simensen/NTB/via REUTERS)
[オスロ 1日 ロイター] - スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが1日、ノルウェーの首都オスロで先住民の人権を支持する抗議デモ中、2度にわたって警察に拘束された。警察がトゥンベリさんや他の活動家らを財務省、続いて気候変動・環境省からそれぞれ連行した。
トゥンベリさんを含めた活動家らは2月27日、ノルウェーの遊牧民サーミのトナカイ牧草地に設置された風力タービン151基の撤去を求めて抗議。グリーンエネルギーへの移行は先住民の権利を犠牲にして行うべきではないと主張している。
活動家らはここ数日、一部の政府施設への立ち入りを妨害した。ノルウェーの左派少数連立政権は、アースランド石油・エネルギー相が英国への公式訪問取りやめを迫られる事態となった。
ノルウェーの最高裁判所は2021年、欧州最大の陸上風力発電複合施設の一部となったフォセンの2つの風力発電所のタービンは、国際条約に基づく先住民の権利を侵害していると判決を下した。しかし、16カ月超が経過した今も稼働している。
数百人のデモ参加者がスローガンを唱える中、サーミの旗を持ったトゥンベリさんは警官によって財務省から連れ出された。
トゥンベリさんと他のデモ参加者はその後、気候変動・環境省の入り口を封鎖して再び警察によって排除された。
トゥンベリさんは、一緒に拘束された他の活動家らとともにその後釈放された。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」
https://jp.reuters.com/article/norway-windfarm-protests-idJPKBN2V33KR

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先住民族への差別撤廃願い マオリ出身・ニュージーランド外相一問一答

2023-03-02 | 先住民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年3月1日 20:24(3月1日 20:29更新)
 ニュージーランドのナナイア・マフタ外相が2月28日、東京都内で北海道新聞のインタビューに答え、自身のルーツであるニュージーランドの先住民族マオリとアイヌ民族との交流についての期待や、先住民族への差別撤廃に向けた考えなどを語った。主な一問一答は次の通り。(聞き手・大沢祥子、写真・安房翼)

ニュージーランドのマフタ外相=2月28日、東京都渋谷区
ナナイア・マフタ ニュージーランドの先住民族マオリの国会議員として20年以上活動。若い母親や社会的弱者、虐待の被害者の福祉に力を入れてきた。2020年にニュージーランド初の女性外相に就任した。 
 ――北海道と在日ニュージーランド大使館は2017年に先住民族文化やラグビー、酪農・畜産の分野で交流を深める協力関係を構築するパートナシップ覚書を結びました。この覚書に基づき、1~2月に道内でマオリとアイヌ民族の交流事業が初めて行われました。
 「この協定は北海道とニュージーランドで共通の価値観を築くことが目的です。協定締結前から、マオリとアイヌ民族は互いの文化をよりよいものにするために何ができるかを話し合ってきました。私たちは先住民族を大切に思っているので、今回のマオリとアイヌ民族の交流からスタートすることになりました」
 「交流を深め、ニュージーランドの経験を北海道と共有することができると考えています。例えば観光の分野です。アイヌ民族の経験や生活、価値観、自然との関わり合いなど『アイヌ民族の物語』は、多くの人が知りたい。先住民族の文化を知ることができるようなツアーはとても人気が出ると思います。それはニュージーランドでも同じです」
 「私たちマオリとアイヌ民族で伝統的な知識や技法を共有して、一緒に新商品の開発をすることもできるでしょう。マオリでは例えば、伝統的に薬などとして利用してきたマヌカの木から採れるハチミツ『マヌカハニー』が世界的に有名です」
 ――差別や偏見に苦しむアイヌ民族がいることについてはどう思いますか。
 「差別はマオリにも共通の体験です。ニュージーランドの私たちが明確な答えを持っているとは言えません。マオリは先住民族だと言い続け、認識されることが重要と考えています。差別や偏見を払拭するには、先住民族の政治参加や教育が重要です。言語を復活させ、文化を伝承していく。先住民族が自分の国で自分の知識などを活用できる環境が大切です。先住民族が持っている知識で世の中を良くすることができます」
 「一方、日本は国連の先住民族の権利に関する宣言に署名をしていて、アイヌ民族が先住民であること、アイヌ民族をきちんとサポートしていくということを世界に認めており、それはアイヌ民族にとって非常に良いことだったと思います」
 ――マフタさんは2016年にニュージーランドの国会議員で初めてマオリの伝統的な入れ墨(タトゥー)「カウアエ・テヘ」をあごに入れました。
 「カウアエ・テヘは家系や社会的地位など女性のアイデンティティーを表現しています。私にとってカウアエ・テヘは、私が民族が経験してきた苦しみや困難、希望から生み出された人間であることを示すもの。タトゥーによって、私が楽しみや悲しみも全て経験した1人の人間だということが伝わり、他の女性や先住民族を力づけることになればうれしいです。私は自分のカウアエ・テヘに誇りを持っています」
・・・・・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/809472

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マオリ出身のニュージーランド外相 アイヌ民族との交流活発化に期待

2023-03-02 | 先住民族関連
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北海道新聞2023年3月1日 19:02(3月1日 20:37更新)

先住民族マオリとアイヌ民族の交流への期待を語るマフタ外相
 ニュージーランドのナナイア・マフタ外相が2月28日、東京都内で北海道新聞のインタビューに応じ、ニュージーランドの先住民族マオリとアイヌ民族との交流について「観光や商品開発の分野でニュージーランドの経験をアイヌ民族の人たちと共有していきたい」と期待を語った。
 マフタ氏は自身もマオリで、2016年にニュージーランドの国会議員として初めてマオリの伝統的な入れ墨(タトゥー)をあごに入れた。20年にニュージーランド初の女性の外相に就任した。
 ニュージーランドではマオリの生活や価値観を知ることができる観光ツアーや、マオリの伝統的なハチミツ「マヌカハニー」が人気を博しているという。「アイヌ民族とマオリが一緒に新商品の開発をすることもできる」と話した。
・・・・ 
(大沢祥子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/809375

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アイヌ文化伝承 木彫や植物紹介 平取 研修生が成果発表

2023-03-02 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年3月1日 19:10(3月1日 20:15更新)

これまで作った作品(手前)を展示しながら発表する岡本朋也さん(左)と飯塚潔子さん
 【平取】アイヌ文化を学ぶ町の「シシリムカ文化大学講座」が2月28日に町中央公民館で開かれ、アイヌ文化の担い手として町内で3年間研修してきた2人が、研修の成果を発表した。2人が制作した作品が、ふれあいセンターびらとり(町本町)で3月5日まで展示されている。
 アイヌ民族文化財団(札幌)の伝承者育成事業の研修で、2020年から町内でアイヌ語や工芸品作りなどを学んだ岡本朋也さんと飯塚潔子さんが、それぞれ3年目の専門コースで取り組んだ内容を紹介した。
・・・・
(杉崎萌)
☆シシリムカのリとサラニプのプは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/809388

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アイヌ文化継承者 白老町教委が2人認定

2023-03-02 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年3月1日 19:02(3月1日 20:10更新)

伝統文化継承者に認定された山崎さん(右)と菅野さん
 【白老】町教委は、町指定無形民俗文化財の「町伝統文化継承者」として新たに町内のアイヌ文化伝承者山崎シマ子さん(82)と菅野節子さん(78)の2人を認定した。アイヌ文化に精通し、後継者の育成に尽力していることなどが評価された。2月24日には町コミュニティセンターで認定式を行った。
 伝統文化継承者は、伝統文化を後世に伝えるための知識や技量などを基準にし、町教委から諮問を受けた白老町文化財等運営審議会が候補者を選考する。2007年から選定を始め、これまで23人を認定した。
 今回の2人は、アイヌ民族の古式舞踊や手工芸の伝承に長年携わる。山崎さんは1986年から旧アイヌ民族博物館に勤務し、98年に伝統工芸サークル「テケカラペ」を結成。一方、菅野さんは2013年にアイヌ工芸サークル「エミナの会」を立ち上げ、白老民族芸能保存会にも所属する。
・・・・
(小林彩乃)
☆テケカラペのラは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/809374

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新海誠監督に芸術選奨大臣賞 歌舞伎の尾上菊之助さんも

2023-03-02 | アイヌ民族関連
有料記事
北海道新聞2023年3月1日 17:30

アニメ映画監督の新海誠さん
 文化庁は1日、2022年度芸術選奨の文部科学大臣賞をアニメ映画「すずめの戸締まり」の監督新海誠さん(50)や、歌舞伎俳優の尾上菊之助さん(45)ら19人に贈ると発表した。新人賞には「ゴールデンカムイ」の漫画家野田サトルさんなど10人と1組を選んだ。
 新海さんは災害を描いた「君の名は。」「天気の子」に続き、東日本大震災が題材の「すずめ―」でも原作から手がけ、ダイナミックな物語展開で広く支持を得た。尾上さんは「義経千本桜」で3役を的確に演じ分け、芸への真摯さも備えていると評価された。
・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/809264

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流山児★事務所×詩森ろば OKINAWA2部作 1945⇔1972 コメント到着

2023-03-02 | アイヌ民族関連
シアターテイメント2023年3月1日
流山児★事務所×詩森ろば 意欲作、上演。
流山児★事務所は、詩森ろばとタッグを組んで、沖縄返還時の政治的密約と沖縄ヤクザの抗争の歴史を結び付け「OKINAWA1972」そしてアイヌ民族の迫害の歴史を描いた「コタン虐殺」というふたつの作品を作ってきた。その途上で、沖縄にある南北之塔とアイヌ民族がウチナンチュと共に多数戦死したという事実を知った。それは過去ではなく面々と現在も続く搾取の歴史の象徴である。沖縄—アイヌと一見無軌道にみえる詩森ろばとの5年に渡る共同作業であったが、今回の新作のためと言っても過言でない題材に出会った。作品の理解を深めるため、「OKINAWA1972」の再演、「コタン虐殺」の上映会を行う。

作・演出 詩森ろばコメント
思い入れのある大好きな作品『OKINAWA1972』の再演はたたただ張り切って参りましょう、というかんじなのですが、新作『キムンウタリ』は、知念正真さんの傑作戯曲『人類館』の本歌取りという、昨年の宮本研作品脚色に続く傍若無人、狼藉を働いてしまいました。しかも前回は流山児さんの無茶振りという言い訳がありましたが、今回は自分で勝手に決めたこと。ひとり緊張を高めていましたが、あの作品の振り切った毒と人間愛に力を貰い、わたしという劇作家の限界を少しだけ超えられた気がしています。快く作品を貸してくださったことに感謝すると同時に、何よりこの力強い日本演劇界の特異点とも言える『人類館』という戯曲をわたしの作品を通じてお客様に再発見してもらえる機会となれば、と願っています。
芸術監督・出演 流山児祥コメント
そのエネルギッシュな取材力と筆力で骨太の社会的なテーマを演劇化する劇作家・詩森ろばは、流山児★事務所との初コラボレーション『OKINAWA1972』で沖縄の「闇と真実」を抉りだし、第二弾『コタン虐殺』ではアイヌ民族の苦しみや願いを描き高い評価(読売演劇大賞優秀演出家賞)を得ました。
そしてコラボ第三弾は、沖縄二部作を一挙上演します。この5年間のわたしたちのアイヌとオキナワを巡る「旅」が生み出した劇です。ウクライナ戦争勃発から1年、戦争が露出する「新しい戦前」の時代。再びオキナワに「日本の盾」を押し付ける如き、この国の実態(歴史)に眼を逸らさず真正面から描く詩森ろばの意欲作。2作とも、流山児★事務所でしかできないパワフルでエンタメ性を備えた熱い集団劇になります。ご期待ください。
「キムンウタリOKINAWA1945」・・・新作書下ろし
あらすじ:
沖縄戦激戦地であった糸満市の丘の上に「南北之塔」は立っている。それは、沖縄戦で亡くなった沖縄の民と戦死したアイヌ兵士たちの慰霊碑であり、側面には、「キムンウタリ(山の民)」とアイヌ語で刻まれている。共に迫害されたふたつの民族が「日本の盾」となって戦った、その皮肉と、しかし在った魂の交流を、知念正真の傑作戯曲「人類館」※をリスペクトした構造で描く。
※「人類館」について
1903年大阪万博で起こった学術「人類館」事件をモチーフに、沖縄近現代史が描かれている。しかし、歴史の流れをそのまま反映したのではなく、時間と空間が交錯する中で、沖縄戦やベトナム戦、そして復帰運動など沖縄を取り巻く出来事がダイナミックに描かれている。反植民地主義・反戦劇。戯曲「人類館」は、二つの構造を持っている。人類館を起点として、そこでまき起る、もしくはまき返される幻想(回想)シーンの、恣意的、無差別的濫乱と、「人類館」という名の精神病院の中で展開する、医者と患者のリハビリテーション(社会復帰訓練)としてのお芝居ごっこである。この両者を、同時並行的に推し進めることによって、沖縄の近(現)代史の暗部が浮きぼりにされ、それらは、やがて一つの接点を見つけ出す。(日本劇作家協会HPより)
知念正真(1941-2013) 沖縄県沖縄市出身 劇作家・演出家1978年岸田國士戯曲賞受賞
「OKINAWA1972」・・・改訂版
あらすじ:
1972年日本への沖縄返還が行われることとなり、沖縄は大きく揺れていた。政治、市民の生活、そして裏社会、すべてが交錯し、火花を散らす。核や軍用地を巡る密約はほんとうにあったのか。現代日本の問題の縮図が噴出する1972年の沖縄を舞台に、政治とはなにか、外交とはなにか、生きるとはなにかを問いかける。
概要
公演名  :OKINAWA2部作1945⇔1972
作品名  :「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」
日程会場 :2023年4月6日(木)〜23日(日) 下北沢ザ・スズナリ
作・演出 :詩森ろば
音楽・演奏 :鈴木光介
芸術監督 :流山児祥
出演:塩野谷正幸、伊藤弘子、かんのひとみ、三上陽永(ぽこぽこクラブ)、福井夏(柿喰う客)杉木隆幸、浅倉洋介、工藤孝生/上田和弘、甲津拓平、里美和彦、山下直哉、荒木理恵、五島三四郎、竹本優希、本間隆斗、山川美優、龍昇、流山児祥
WEB: https://www.ryuzanji.com/
https://theatertainment.jp/japanese-play/113522/

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スタッフ死去で放送延期の『ゴールデンカムイ』4月3日から放送再開 第4期1話から開始

2023-03-02 | アイヌ民族関連
岩手日報2023.03.01

TVアニメ『ゴールデンカムイ』第四期のキービジュアル(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
 スタッフ死去で第43話以降の放送・配信を見送っていた人気テレビアニメ『ゴールデンカムイ』が、TOKYO MXなどで4月3日より第37話(第4期 第1話)から改めて放送されることが決定した。
 第4期は昨年10月3日から放送されていたが、11月8日に公式サイトで、第4期に参加していたメインスタッフの1人が死去したことを受け、今後の第43話から第49話の放送・配信を見送ることを発表。
 その後、公式サイトで「第四十三話以降の放送・配信を一時休止しておりましたTVアニメ第四期について、2023年4月より第三十七話(第四期 第1話)から改めて放送を開始させていただく運びとなりました」と報告していた。
 今回の放送再開を記念して、第4期で活躍するキャラクターたち(尾形、二階堂、宇佐美、門倉、キラウ(シ)、ヴァシリ)の描き下ろしイラストが公開。アニメ公式ツイッターでは、18キャラクターのビジュアル&ボイスが本日1日から毎日公開される。
 同作は、明治時代の北海道を舞台に、アイヌが遺したという大金を手に入れるため、日露戦争の死線を潜り抜けた元軍人の杉元佐一が、アイヌの少女・アシリパと行動をともにし、一攫千金を夢みる物語。
 テレビアニメ化のほか(1期2018年4月~6月、2期同年10月~12月、3期2020年10月~12月、4期2022年10月~)、原作漫画は「マンガ大賞2016」など数々の漫画賞を受賞する人気作品で、実写映画化されることも決まっている。
■第4期放送情報
4月3日より毎週月曜放送
TOKYO MX 23:00~
読売テレビ 26:29~
北海道放送 25:26~
BS11 23:00~
チャンネルNECO 4月7日より毎週金曜23:30~
とちぎテレビ 4月11日より毎週火曜23:00~
https://www.iwate-np.co.jp/article/oricon/2269762

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「クリーンウッド法」改正、義務化や罰則を盛り込み違法木材の排除へ

2023-03-02 | 先住民族関連
オルタナ3/1(水) 13:37配信
■記事のポイント ①違法伐採された木材の流通を防ぐ「クリーンウッド法」改正案が閣議決定 ②義務化や罰則に関する規定を新たに盛り込み、より実効性の高い法律に ③改正案は今国会に提出され、2025年度の施行を目指す

違法伐採根絶を目指す(林野庁ホームページより)
政府は2月28日、「クリーンウッド法」(合法伐採木材等の流通及び利用の促進に関する法律)の改正案を閣議決定した。同法は合法的に伐採された木材の利用促進を通して違法伐採に対処する法律として、2017年に施行された。今回の改正案では、これまで事業者の努力義務としていた合法性の確認を義務化する。罰則措置も盛り込み強制力を持たせることで、欧州などに遅れを取る日本の違法伐採対策を強化するのも狙いだ。(オルタナ副編集長・長濱慎)
違法伐採をなくすには不十分な「ソフトロー」
「クリーンウッド法」は2016年に超党派の議員立法として成立し、17年5月に施行された。その背景には、1990年代から顕在化した違法伐採による森林の減少・劣化がある。国は違法伐採を「それぞれの国の法令に反して行われる伐採」とし、こう定義する。
・許可された量、面積、区域等を超えた伐採
・国立公園や保護区の森林など伐採が禁じられている場所での伐採
・所有権・伐採権がない森林を伐採するいわゆる盗伐、得るべき許可を受けない、または許可証を偽造した伐採や木材取引
・先住民族などの権利を不当に侵害した伐採。
(環境省パンフレット「森林と生きる」より)
違法伐採は気候、生物多様性、人権の全てに悪影響を与える。違法伐採された木材が安価に流通することで、法律を守って出荷した事業者の木材が市場から締め出され、市場の健全性が損なわれるリスクも大きい。
現行のクリーンウッド法は「(1)事業者に合法伐採木材等の利用の努力義務を課すとともに、(2)合法性の確認等を行う木材関連事業者を第三者機関が登録する」としている。これら2本の柱によって合法的に伐採された木材の利用を促進し、違法伐採に対処する仕組みだ。
しかしあくまでも「努力義務」であり、登録事業者でなくても木材を取り扱うことができる。違法リスクの確認をしなかった事業者への罰則もない。法的拘束力や遵守義務のない「ソフトロー」的な性格が強く、環境NGOなどから実効性を疑問視する声も上がっていた。
実際に、登録事業者によって合法性が確認された木材量は、国内総需要量の4割程度に過ぎないという。
サプライチェーンの要となる事業者に義務化と罰則
今回の改正案では、大きく4つのポイントを盛り込んで「ハードロー」化(強制力を持たせる)することで、事業者の取り組み強化を促す。
1)川上・水際の木材関連事業者による合法性の確認等の義務付け
2)素材生産販売事業者による情報提供の義務付け
3)小売事業者の木材関連事業者への追加
4)その他の措置
1)の「川上・水際」は、製材事業者や輸入事業者を指す。違法伐採を締め出すにはサプライチェーンの早い段階での対処が重要なため、これらの事業者に対し「原材料情報の収集・合法性の確認」、「記録の作成・保存」などを義務付ける。
原材料の合法性については「森林法にもとづく伐採届出書の写し」や「原産国の政府機関が発行した証明書の写し」などで確認するとしている。
合法性の確認が円滑に行えるよう、2)の素材生産販売事業者に、伐採届などの情報提供を義務付ける。3)の小売事業者を新たに木材事業者に追加したのは、合法的な木材利用の大切さを消費者レベルにまで浸透させる狙いだ。
4)については、1)と2)について、主務大臣による指導・助言、勧告、公表、命令、命令違反に対する罰則を盛り込んだ。
2025年の施行に向けた課題は
国際環境NGO FoE Japanと一般財団法人「地球・人間環境フォーラム」は、「合法性確認の義務化が遅ればせながら日本でも導入されたことを歓迎する」とした上で、以下のような提言を行った。
・違法リスクの高い木材を日本市場に流入させないための対策強化が必要。その姿勢を、法律条文や基本方針などに明記する。
・合法性確認が義務化される事業者を、政府が十分に把握できる仕組みになっていない。違法リスクの高い木材の流入を防ぐために、輸入事業者や輸入に関する実態を所轄官庁が適切に把握する。
・欧州や米国で事業者に義務化されているデュー・ディリジェンス(違法性リスクの事前調査など)に関する判断基準を、政府が示す。
・グリーンウッド法は、合法性を「樹木が我が国または原産国の法令に適合して伐採されたことの確認」としている。しかし幅広い解釈が可能で、その定義と範囲を明確にすることが必要。
他には、「合法性を確認できない木材の流通規制」や「合法木材のガイドライン整理」などの提言も出された。
EU(欧州連合)などでは合法性の確認義務化や罰則が導入されており、今回の改正案には日本の違法伐採対策を国際的なレベルに押し上げる狙いもある。改正クリーンウッド法は、2025年度の施行を目指す。
https://news.yahoo.co.jp/articles/76f1876c7b879647c9ede61d3d068df79bdc9eef

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グレタさん、北欧先住民と「違法な」風力発電所に抗議 ノルウェー

2023-03-02 | 先住民族関連
AFPBB News 2023/03/01 10:12
【3月1日 AFP】スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)さんと北欧の先住民サーミ(Sami)人の活動家数十人は2月27日、ノルウェー最高裁が操業許可を無効としたにもかかわらず稼働を続けている風力発電所に抗議し、同国石油・エネルギー省の前を封鎖した。
 グレタさんは「脱炭素社会への移行を植民地主義の隠れみのにさせてはいけない」と現地テレビに語った。
 問題となっているのは、ノルウェー西部のフォセン(Fosen)地方にある風力発電所。最高裁は2021年、この発電所がサーミ人のトナカイの放牧権を侵害しているとし、151基のタービン建設および操業の許可を無効と判断した。だが判決から1年以上たった今も風力タービンは稼働している。
 ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの北部に合わせて約10万人が暮らしているとされるサーミ人は、伝統的にトナカイの放牧と漁業で生活してきた。サーミ人の活動家は、タービンの取り壊しを要求している。
 警察当局は、ノルウェー石油・エネルギー省の玄関ホールを数日間占拠していた十数人の活動家を2月26日夜から27日未明にかけて強制的に排除。この庁舎には複数の省庁が入っており、職員は27日、在宅勤務を求められていた。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/グレタさん、北欧先住民と「違法な」風力発電所に抗議-ノルウェー/ar-AA1842tc

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文化財は誰のものなのか? どこにあるべきか?

2023-03-02 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2023/3/2

[パルテノン神殿の彫刻]ギリシャの首都アテネにあるパルテノン神殿は、大理石の彫像や浮き彫りで飾られていた。しかし、ギリシャがオスマン帝国の支配下にあった19世紀初め、英国大使とエルギン伯爵が神殿の「古い碑文の入った石と彫像」を取り外す許可を取りつけた。エルギン伯爵は当時残っていた彫像のおよそ半分と、浮き彫りの大半をロンドンに送ってしまった。エルギンが支配国と結んだ取り決めは無効だとして、ギリシャは長年返還を求めている
植民地や先住民から持ち去られて、博物館に収蔵された文化財を、故国に返還する動きが出てきている。国によっては半世紀以上前から文化財の返還を求めてきた。その訴えに、各国の政府や博物館、メディアがようやく耳を傾けるようになった。
◇   ◇   ◇
ここはアフリカ中部のカメルーンにある都市フーンバン。2022年2月、人口約10万のこの都市では、はるかサハラ砂漠から風が運んでくる塵(ちり)がすべてを赤く染めていた。あと1カ月ほどは太陽がもやでかすみ、暑く乾燥した日が続く。目抜き通りには、車のクラクションやオートバイのエンジン音がけたたましく響いていた。
この一帯は1884年から1916年までドイツの植民地だった。ドイツもほかの宗主国と同様、植民地の文化財を収集し、その保存や研究、展示に力を入れた。収集は人類の本能に深く根ざした欲求だが、現在のような博物館は、19世紀に欧州諸国が探検と征服の成果を披露するために造られた。
植民地主義の時代、収集活動は熱狂の域に達した。欧州の強国が探検家に地図を製作させたのは、純粋な知識欲のためではなかった。それと同じで、文化財も自然に集まったわけではなく、人類学者をはじめ、宣教師や貿易商、将校までもが、博物館と結託して世界の驚異と富を欧州に持ち帰ったのだ。博物館の学芸員が、武装した探検隊に希望の品々の収集を託すことさえあった。
1907年、カメルーンのバムン人を統治するスルタン(君主)だったイブラヒム・ジョヤに宗主国ドイツから信書が届く。皇帝ウィルヘルム2世の50歳の誕生日に玉座の複製を贈れば、さぞや心証が良くなるはずと書かれていた。父王から引き継いだ玉座はビーズで美しく装飾され、背後に立つ2体の守護神にちなんで「マンドゥ・イェヌ」と呼ばれていた。
スルタンの歴史にできた空白
玉座を買い取りたい、交換してほしいという数々の申し出をすべて断ってきたジョヤだが、このときばかりは了承している。その理由を記した記録は残っていない。確かなのは、職人に玉座をもう一つ作るよう命じたことだ。ところが皇帝の誕生日に間に合わないことが判明し、ジョヤは説得に応じて本物を差し出した。現在、ドイツの首都ベルリンにある民族学博物館が所蔵するのがそれだ。
2021年、ジョヤのひ孫に当たるナビル・ジョヤが、父の死去に伴ってバムンのスルタンに就任した。フーンバンの王宮で会見したとき、28歳の若き王はスマートフォンを取り出して、米国のプロバスケットボール・チームの帽子をかぶった自撮り写真を見せてくれた。ニューヨークの大学に5年間留学していたという。
現代のカメルーンでは、スルタンの称号は名誉職に近く、権限も小さいが、人々の尊敬を集める存在ではある。スルタンは後継者のために玉座を作って権威を引き継ぐのが決まりだ。ところが玉座がベルリンにあることで、「そのつながりに空白ができています」とナビルは言う。
父が自分のために作ってくれた玉座で、ナビルは話を続けた。1世紀以上前の祖先の所業について今のドイツ人を責めているわけではなく、曽祖父の玉座を返してほしいだけだ。「今の私たちは当時の出来事に関わっていません。でも問題を解決する責務があると思います」
父王は玉座をはじめとするバムンの工芸品を展示するために、王宮の敷地に博物館を建設した。双頭の蛇を模した建物の上で、クモがにらみをきかせている。力と警戒と勤勉の象徴だという。
玉座を取り戻したことを自らの遺産にしたいとナビルは考える。「あの玉座の横に自分がいて、バムンの人たちに囲まれている光景が目に浮かびます。私は隣に立つベルリンの博物館の館長と握手を交わしながら、『自分たちではなく、子どもたちのために、ようやく目的を果たした』と語り合うのです」
収集から返還へ
マンドゥ・イェヌの玉座について知っているドイツ人は多くないし、フーンバンの場所を地図で示せる人はもっと少ない。だがベナン共和国やエジプト、ギリシャ、ナイジェリアから収集した文化財が話題になることが増え、ビーズで精巧に飾られた木製の玉座は、文化財の返還という難題に初めて直面した世界が、混乱と当惑と迷走を経て、希望あふれる未来に進む可能性を象徴している。
世界の博物館では数十年前から、新世代の学芸員や館長が、活動家や政治家の突き上げもあって所蔵品の由来を深く掘り下げるようになってきた。それだけではない。所蔵する美術品や祭礼品、遺骨を本来の国に返還する動きが加速している。2022年だけでも、ドイツは数百点の所有権をナイジェリアの国立博物館委員会に移した。フランスは26点をベナンに引き渡し、ニューヨークのメトロポリタン美術館は彫刻数十点の所有権をギリシャに移すことに同意した。
「1900年ごろ、欧州諸国は世界最大の民族学コレクションを築こうと競っていました」と話すのは、ベルリン工科大学の美術史教授ベネディクト・サボワだ。「今はどの国が最初に返還するか競争しているようです」
博物館関係者はこの動きをきっかけに、博物館と、その所蔵品の原産地との間に新しい協力関係が生まれることを期待する。その一方で、返還の連鎖反応で国や地域を超えた「網羅的」なコレクションが解体されて、世界のつながりを学び、貴重な知見を得る機会が失われることを危惧する声もある。
(文 アンドリュー・カリー[ジャーナリスト]、写真 リチャード・バーンズ、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック日本版 2023年3月号の記事を再構成]
https://style.nikkei.com/article/DGXZQOLM060NJ0W3A200C2000000/

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ロシアの南下政策を警戒!幕末から蝦夷地=北海道は危機に面していた

2023-03-02 | アイヌ民族関連
武将ジャパン2023/03/01
不凍港を求め、何かと言えば南下作戦を強行するロシア。
ウクライナ侵攻が世界から非難轟々であり「日本も決して他人事ではない!」という声も上がっています。
これを「大袈裟な……」と冷笑する方は、今や少数派でしょうか。
事実、ロシアの南下政策に対しては、江戸時代(幕末)の日本でも真剣に検討され、現実に作られた施設もあります。
箱館の五稜郭です。
あのギザギザとしたトンガリスタイル、実は防衛能力的にもかなり優れているのですが。
そもそもは対北方の敵を想定して築かれた要塞でした。
なぜならロシアは、アメリカよりずっと先に日本へ開国のアプローチ・プレッシャーをかけていたのですから。
ペリーばかりが注目され、実はそれよりずっと脅威だった、幕末の対ロシア政策。
本稿では、その様子をまとめてみました。
黒船よりずっと早い! ロシアの脅威
嘉永6年(1853年)。
浦賀沖に姿を見せた黒船に、日本中は衝撃に包まれた――そんな場面は大河ドラマ等でおなじみです。
ただし、これが日本と異国船のファーストコンタクトではありません。
嘉永6年から10年以上前の1840年代。
南端の薩摩藩や、太平洋側に長く海岸線の続く水戸藩では、すでに異国船への対応が課題として認識されておりました。
遡れば文化5年(1808年)にはフェートン号事件も起こっております。
このとき幕府は口をつぐむオランダではなく、別の国からヨーロッパ事情を聞き出しております。
ロシアです。
日本が異国船の脅威、西洋の圧迫感を覚え始めた契機は、実は北方のロシアからのものが最初でした。
しかし、幕府も北方を軽視していたのか。
長崎を襲われたフェートン号事件、そして浦賀の黒船と比較してどうしても重視されません。
ロシアが迫る蝦夷地は松前藩が治めており、「無高(一万石高)」の大名でした。彼らはアイヌとの交易を中心として藩財政を成立させていたのです。
そんな松前藩が広大な蝦夷地を守り切るのは、どうしたって無理がある。
そこで幕府が頼りにしたのは、奥羽(東北)の諸藩でした。
蝦夷地が幕府領だった時代がある
江戸時代を通した蝦夷地といえば、松前藩の領土です。
しかし例外があり、幕府領となった時期もありました。以下の通りです。
◆第一次幕領期(1799〜1821)※松前藩は梁川へ転封
◆第二次幕領期(1854〜1868)
こうして振り返ってみますと、いくつか惜しまれることがあります。
まず、第一次後にあった約30年もの空白期間(1821~1854年)です。
第二次は黒船来航の翌年からであり、実質的に幕末期。
もし、第一次からずっと警備をしていれば、歴史は異なっていたでしょう。
第一幕政期のあいだ松前藩は転封とされてて、注目は第二次幕領期です。
戊辰戦争に奥羽諸藩が巻き込まれ、実質的に蝦夷地がガラ空きになってしまったのです。
奥羽諸藩は、後の中央政府に絡まないため、どうしても軽視されがち。
幕末モノの作品にしても、薩摩藩や長州藩の引き立て役となりがちで、国際感覚が欠如していたという描写も見られます。
しかし、です。
実は彼らは、黒船来航よりもはるかに以前から、ロシア脅威に対して論考を重ね、蝦夷地警備にも駆り出されていました。
それは決して楽な仕事ではありませんでした。
江戸時代の諸藩は、時間を経るごとに、政治的や構造の矛盾によって問題が山積みとなり、特に奥羽の諸藩は飢饉の影響を受けやすく、どの藩も財政難に苦しんでいました。
それでも彼らは、蝦夷地を守ろうとしていたのです。
例えば第一次の幕領期には、以下のような分担が課されておりました。
【第一次幕領期】
弘前藩:西蝦夷地、国後、択捉警備担当
盛岡藩:東蝦夷地、国後、択捉警備担当
仙台藩・秋田藩・鶴岡藩・会津藩:非常時出兵担当
この奥羽六藩は、時に交替しながら警備を担当。
極寒の地においては、栄養不足による疫病の発生により死者が多発することもありました。
樺太が見いだされた
コロンブスがアメリカ大陸を発見した、という言い方は最近否定されつつあるようです。
西洋人が発見する前から、アメリカ大陸は存在しており、人も住んでいたのだと。
樺太についても、似たようなことが言えるのではないでしょうか。
間宮林蔵の探険により、日本が認識したとされる樺太。
それ以前に会津藩が、幕府の命令を受けて対ロシア警備を行っていました。
クシュンコタン(のちの豊原/現在のユジノサハリンスク)がロシアによって襲撃され、その対抗措置として派遣されたのです。
この会津藩による警備は、間宮林蔵の探険よりも早い。
松前藩士が上陸し、探険したこともありましたが、幕府の認可のもとで樺太へ最初に上陸した和人とは、間宮ではなく会津藩士と言えるのではないでしょうか。
間宮の探険も、ただの測量事業というよりも、北方ロシアの圧迫を感じた幕府によるものなのでしょう。
 五稜郭は和洋折衷ハイブリッドだ
幕末モノのフィクションですと、京都はじめ西日本で政治活動をしていた西南の藩に対し、のんびりと時代の流れについていけなかったように描かれるのが、東北諸藩です。
重ねて申し上げますが、それは誤解です。
彼らは彼らなりに、ロシアの脅威をひしひしと感じており、蝦夷地警備を担当しておりました。
五稜郭や四稜郭も、こうした中で建築された城塞です。
五稜郭のあの形は、西洋由来のヴォーバン式、クーホールン式、そして日本式を組み合わせたハイブリッドです。
これだけのものを作ることが出来るほど、幕府にだって知識もあったわけです。
設計者は、大洲藩士・武田斐三郎成章でした。
緒方洪庵の適塾で学んだ秀才で、オランダ語を理解していたものの、英語を学ぶ機会はなかったため、函館の捕鯨員から学んだとか。
猛勉強の末、幕末にはナポレオン砲の生産にも成功しております。
彼の努力があったからこそ、和洋折衷の五稜郭ができあがり、自身は明治維新以降に新政府の陸軍に仕えました。
あの新島襄も、この武田に会うために函館まで渡ったと言います(タッチの差で、会えなかったそうで)。
現在、五稜郭には武田の顔がレリーフに刻まれております。
上掲の画像をご覧のように、顔だけがテカテカとしてますよね?
なんでも「触ると頭がよくなる」という伝説のせいで、すり減っているんだとか。
陣屋もあった
五稜郭と四稜郭だけが、こうした建造物ではありません。
函館市内には、三稜郭、七稜郭とみなせるものがあります。函館のものは、幕府軍が築いたものと推察されます。
しかし、実はこれだけではないのです。
蝦夷地には、奥羽六藩や松前藩が築いたとみられる、警備のための陣屋跡が各地にありました。
そうした跡は、歴史の流れの中、建物は壊されて跡も消され、ひっそりと消えていったものも多いのです。
とはいえ、全てが消えてしまったわけではなく、保存されて見学できる場所もあります。
白老にある白老仙台藩陣屋跡は「仙台藩白老元陣屋資料館」として整備されています。
国指定史跡に指定された陣屋も存在します。
 幕末の南樺太警備
幕末期、幕府は南樺太の警備も行っておりました。
彼らの認識では、南樺太を「北蝦夷地」とみなしていたのです。
例えば安政元年(1854年)。
秋田藩が樺太警備を命じられました。
安政3年(1856年)から、シラヌシ(白主/のちの好仁村、現シェブニノ)とクシュンコタンに、夏期のみ警備をつけることになったのです。
会津藩は、京都守護職となったため途中で抜けるものの、さらには仙台藩・鶴岡藩(庄内藩)も加わり、幕府は南樺太の警備を行いました。
南樺太にも、こうした奥羽諸藩の陣屋が残されたのです。
明治維新後に一転して
ロシアへの備えとして不十分とは言えるものの、まったくの無警戒でもなかった――それが幕府の蝦夷地政策です。
それがノーガードとなってしまうのは、戊辰戦争が原因。
この戦乱期、会津藩と庄内藩は蝦夷地をプロイセンに割譲することを条件に、支援を取り付けようとしました。
「あまりに酷い外交政策だ」と非難される行為ですが、そもそも蝦夷地に警備空白の状況を作ってしまったのは、戊辰戦争を仕掛けた側といえるのではないでしょうか。
争いの中、蝦夷地は、最後まで屈しなかった幕臣たちが希望をつなぐ場所となりました。
彼らは松前藩を蹴散らし、幕臣として最後の望みを繋いだのです。
そして戦争が終結し、明治維新となってから、北海道と名を変えた蝦夷地と、東北出身者の関係は別の縁でつながれます。
東北諸藩の人々は、蝦夷地警備の経験もあることだからと、屯田兵として北海道開拓に従事させられます。
そもそも戦争敗者として、他に行き場もありません。
過酷な北の大地。
現代のように整備のされてない、荒涼とした野原。
条件は日本で最悪と言っていいでしょう。
彼らに蝦夷地の滞在経験があったとかそういうことではなく、戊辰戦争の敗者ゆえに開拓で苦労するのは自業自得――新政府側にはそんな考え方があったと目されます。
開拓と流刑をセットにした一石二鳥の待遇=屯田兵。
大人気作品『ゴールデンカムイ』には、中央への不満を露骨に漏らし、その冷淡さを怒る人物が出てきます。
『ゴールデンカムイ』単行本10巻収録第97話より土方のセリフ
「旭川の発展をもたらした『上川道路』
札幌と旭川を結ぶ道路脇には…
おびただしい死体が埋まっている
ヒグマと狼に怯えながら寒さと飢えに苦しみ
死んでいった囚人たちだ」
「樺戸集監に収容されたのは
戊辰戦争や西南戦争で負けた国事犯と呼ばれる武士たちだ
勝てば官軍
負ければ賊軍
戦争というのは負けてはいかんのだ」
『ゴールデンカムイ』単行本14巻収録第131話より鶴見中尉のセリフ
「蝗害も暴動も 中央の人間がこんな地の果てまで確かめに来ることはまず無い 中央なんぞいつだって事後報告で充分だ」
北海道の歴史があまり語られないため、
『この人たち、何でこんなに怒っているの?』
と疑問を感じる方がおられるかもしれません。
しかしそこには、幕末から繋がる歴史があったのです。
江戸幕府も、異国船の脅威に対して重い腰を本格的にあげたのは、江戸に近い浦賀に黒船がやって来てから。
明治政府は、北海道開拓を東北出身者中心に実質ぶん投げていた。
中央はあまりに冷たいのではないか?
そんな無関心への怒りが、劇中の彼らの胸中にあったとしても無理のないことではないでしょうか。
文:小檜山青
【参考文献】
戸祭由美夫『絵図にみる幕末の北辺防備: 五稜郭と城郭・陣屋・台場』(→amazon)
一坂太郎『幕末維新の城 権威の象徴か、実戦の要塞か (中公新書)』(→amazon)
野口信一『会津藩 (シリーズ藩物語)』(→amazon)
濱口裕介/横島公司『松前藩 (シリーズ藩物語)』(→amazon)
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/03/01/116089

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