先住民族関連ニュース

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アイヌ納骨堂の内装修繕 釧路市が23年度 外装は24年度検討

2023-03-17 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年3月16日 19:26
 定例釧路市議会は16日、予算決算委で総括質疑を行った。蝦名大也市長は老朽化している市のアイヌ共同納骨堂について、新年度に内装の修繕をする考えを示した。ただ、雨漏りの修理などの外装工事は「応急的な対応が必要か検討の時間が必要。2024年度の予算編成の中で検討したい」と述べた。
 紫雲台墓地内にあるアイヌ共同納骨堂は1980年建設で、アイヌ民族の遺骨約1500柱を納めているが、祭壇の壁紙がめくれ、雨漏りで床面にカビが発生するなど経年劣化が進んでいる。
・・・・・ 
(長谷川史子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/817218

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アイヌ文様、刺しゅうで一針ずつ 旭川市博物館で講座

2023-03-17 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年3月16日 19:23(3月16日 19:32更新)

アイヌ文様の刺しゅうを施す講座の参加者
 旭川市博物館は16日、初心者のためのアイヌ文様刺しゅう講座を開いた。参加者10人がアイヌ文化伝承者の太田奈奈さん=旭川市=と、川村カ子トアイヌ記念館副館長の川村久恵さんの手ほどきを受けながら、アイヌ文様を施した。
 太田さんは、伝統的な文様「アイウシ」(とげ)には魔よけの意味があると説明した。参加者はカラフルな刺しゅう糸で、一針ずつ丁寧に仕上げた。
 市内の主婦松山久美子さんは「文様の持つ意味を考えながら、好きな色で縫い上げるのが楽しい」と魅力を語った。
 これに先立ち、市博物館は川村さんを講師に迎え、アイヌ民族の伝統的家屋「チセ」について学ぶワークショップを5日に開いた。市民8人が館内のチセを見学しカムイ信仰を学んだ。
 川村さんは、ササを編んで作るという旭川周辺のチセの特色や、・・・・・
 19日には旭川龍谷高の郷土部顧問を招いて、チセの骨組み模型を製作する。申し込みは博物館、電話0166・69・2004へ。(和泉優大、渡辺愛梨)
※「アイウシ」の「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/817214

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中3が北海道・修学旅行、アイヌ文化学びスキー満喫…賢明女子

2023-03-17 | アイヌ民族関連
読売新聞2023/03/16 16:00
 賢明女子学院中学校・高等学校(兵庫県姫路市)の中学3年生は2月14~17日、北海道での修学旅行に参加しました。初日は国の複合施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(白老町)でアイヌの文化を学び、2・3日目はリゾート施設でスキーやスノーボードを楽しみました。最終日は小樽を訪れました。詳細は こちら 。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/support/information/CO044132/20230315-OYT8T50010/

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阿寒ユーカラ ウタサ祭り2023 のライブ映像をDAXにて一挙公開!

2023-03-17 | アイヌ民族関連
株式会社スペースシャワーネットワーク2023年3月16日 20時00分

2023年2月、北海道阿寒湖、アイヌシアター「イコロ」。
2020年から阿寒湖アイヌのアーティストを中心に、アイヌ文化に共鳴するアーティストたちが互いに交わり、つくりあげてきた阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」。
2023年は3年ぶりに有観客ライブ配信を実施、日本国内外から多くのアクセスがあり、2/5の17時からスタートしたライブセッションは延べ25,000人が視聴、絶賛の声が寄せられました。
この日の模様を、全編にわたってDAXにてアーカイブ公開します。
※ウタサとは、アイヌ語で「互いに交わる」という意味
出演アーティスト:GEZAN、中村佳穂、Utena Kobayashi、熊谷和徳、ハナレグミ、OLAibi 、内田直之 (engineer)、阿寒湖アイヌコタン"ウタラオピッタ"、日川キク子、Kapiw&Apappo、Tadekui 他
アーカイブリスト
▼「阿寒ユーカラ ウタサ祭り2023」再生リスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLbQWTyaGOJlU9HQ_xPb8K6xwm4NW7i94f

▼はじまりのウココセ~タクサの踊り~はじまりのウコウク
https://youtu.be/7lgkoVX0daw

▼Utena Kobayashi × Dance × エムシリムセ
https://youtu.be/11lKKimCkS0

▼ウンマリムセ
https://youtu.be/1d3YFIUWCgc

▼熊谷和徳 ×日川キク子 フチ etc
https://youtu.be/QiPjHZeWi2U

▼フンペアン
https://youtu.be/u2_nwoIY49s

▼中村佳穂 × ウポポ
https://youtu.be/TOEnktpqbBU

▼ハナレグミ × ウポポ
https://youtu.be/BdLvA-O5AFc

▼Tadekui
https://youtu.be/jeDeTnBPLkQ

▼内田直之 × OLAibi × DUBウタサ
https://youtu.be/8lJKZfRt9ok

▼GEZAN × Macirwak etc
https://youtu.be/oneqViTGW0g

▼輪おどり
https://youtu.be/REB2EDykuEo

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002142.000002929.html

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「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本人のルーツ

2023-03-17 | アイヌ民族関連
ダイヤモンドオンライン2023.3.17 3:25
縄文時代に南方からきた民族が「原日本人」であり、弥生時代には朝鮮半島から北方系の人たちがやってきて、混血となっていった――。義務教育で当たり前に習うことだが、最新の研究によれば不自然な点も見つかっている。宇山卓栄『世界「民族」全史 衝突と融合の人類5000年史』(日本実業出版社)より一部を抜粋・編集し、最新の事実をお届けする。
本来、縄文人と弥生人に
分断はない
 近年、遺伝子学の発達によって、われわれ日本人のルーツが明らかになるとともに、それまで有力視されていた学説が覆されています。
 学校教育で、われわれは古代日本における縄文時代と弥生時代の区分を最初に習います。稲作がなかった時代が縄文時代、稲作が導入された時代が弥生時代であるという区分概念とともに、半島から渡来人がやって来て、弥生時代が拓かれたということを叩き込まれるのです。
 そして、教科書や資料集の図版では、縄文人の顔と弥生人の顔の対比がビジュアルで示されます。太眉で目が大きく、厚唇で濃い南方系の顔が縄文人。細眉、一重瞼の細い目、薄唇で薄い北方系の顔が弥生人。しかし、この区分にはまったく根拠はなく、巧妙な印象操作を誘発するものでしかありません。
 日本全国の縄文人骨の遺伝子を詳細に分析すると、縄文人が共通の単一民族の基層を持っていたのではなく、北方系から南方系まで、すでに雑多な民族の混合型であったことがわかってきています。
 教科書や一般の概説書では、「二重構造説」というものが解説されます。この説では、南方からやって来た縄文時代の人々(前述の顔の濃い人々)を「原日本人」と規定し、弥生時代に北方系の人々(前述の顔の薄い人々)が朝鮮半島から日本に大量にやって来て、南方系の「原日本人」と混血をして、渡来系弥生人が誕生したとされます。
 一方、渡来人は沖縄や北海道(アイヌ民族領域とされる)へはほとんど入らなかったため、これらの地域では、南方系の先住日本人の血統が保たれます。このように、日本人には「原日本人」と弥生人の2つの系列があるとされることから、「二重構造説」と呼ばれるのです。この説は1990年代に定説となっていきます。
「原日本人」の血統を残す沖縄と北海道の人々、つまり、琉球人とアイヌ民族は遺伝子上の近似性があるとされ、これが「二重構造説」の大きな論拠とされてきました。2012年の国立遺伝学研究所や東京大学の研究でも、両者は近似性があるという結果が出ています。
 しかし、よくよくその調査の内容を見ると、遺伝子を提供した者がアイヌ民族である保証などはなく、遺伝子サンプル自体に問題があったといわざるを得ません。サンプルの対象となったのは「北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から提供を受けた血液から抽出したDNAサンプル」といった説明がなされ、提供者の平取町の居住者がアイヌ民族であるということを前提にしていますが、彼らがアイヌ民族であるという証拠があるのかは不明です。普通の日本人の遺伝子を拾っている可能性が高いでしょう(アイヌについては後述)。
 一方、二重構造説に懐疑的な立場から最新の研究成果を数多く上げている国立科学博物館の篠田謙一副館長によると、「二重構造説では、アイヌ民族と沖縄の人々の近縁性を指摘していますが、両者のハプログループ(共通の染色体を持つ集合のこと)は大きく異なっていることもわかっています」とのこと(2019年)。つまり、遺伝子サンプルの採取の仕方、近似基準の取り方によって、結果が大きく異なるということが示されています。
 いずれにしても、一般に流布している「アイヌ民族・琉球人近似説」は極めて怪しいものであることは間違いなく、それを論拠にしている「二重構造説」もまた、信用するに値しない破綻した説といえるでしょう。
「二重構造説」により
渡来人を持ち上げようとする意図
「二重構造説」は、縄文時代末期から弥生時代に渡来人が大量にやって来たということを前提にしていますが、そもそも、どのくらい大量だったのか、はっきりとしたことはわかっていません。それにもかかわらず、「二重構造説」は北方系の渡来人が先住日本人を急激かつ大規模に変化させたと主張しています。
 さらには、この急激な変化が縄文時代の狩猟採集の生活を弥生時代の稲作生活に構造転換させた証拠であると説明され、朝鮮半島からの渡来人が稲作などの文明をもたらし、弥生の文明開花が可能になったのだという理屈が導き出されます。このように「二重構造説」はそもそも虚偽に満ちており、渡来人を持ち上げようとする何らかの意図が背後にあるのではないかとさえ疑いたくなります。
 すでに縄文時代から、あらゆる系統の民族が漸次的に日本にやって来て、漸次的に多民族間の混血が進み、日本人が形成されていったと見るのが実態に即した捉え方です。特定の地域の特定の民族が日本人を劇的に変えたというような動的な変化などなかったことが最新の遺伝子研究からわかってきているのです。
 民族の劇的な変化には、征服や戦争が必然的に伴います。大規模な陰惨な殺し合いがなければ、民族が別の型の民族へと上書きされることなどありません。日本では、縄文末期から弥生にかけて、そうした大規模な戦争が行なわれた形跡は見つかっていません。殺人用武器や兵器なども見つかっていません(中国などでは、頻繁に発掘される)。
 かつて、弥生人の人骨が面長で、縄文人の人骨が丸顔であるとする発掘調査が報告されたことがありましたが、これも実は、部分的なサンプルだけを意図的に抽出したものに過ぎません。全体の人骨を俯瞰すれば、弥生が面長で、縄文が丸顔などという定型的な区分ができないことは明らかであり、特定の時期に民族が入れ替わったことはないとわかります。文明的にも、縄文時代末期の紀元前1000年頃に、稲作文化が漸次的に普及していき、弥生時代にそれが確立したのであり、その社会的変化と移行は長期におよぶ緩やかで静的なものでした。
 縄文時代末期に、北方系の渡来人がやって来たということ自体は否定できません。彼らが日本に移住し、日本人や日本社会に同化していったことは間違いありませんが、それは「二重構造説」が言うような、急進的かつ大量なものではなく、日本の古代社会を根底から覆すようなものではなかったということを強調せねばなりません。

本書より。 拡大画像表示
「二重構造説」が言う分断的な現象などなく、むしろ、「辺境残存説」とでも言うべき重層的な現象こそが実態に即していたと考えられます。日本の縄文人の遺伝子や文化が本州よりも、沖縄と北海道などの辺境で維持されやすかったというのは当然のことであり、前述の沖縄と北海道の人々(アイヌ民族ではなく、日本人)の遺伝子が近接しているという調査結果はこうした現象を反映したもので、アイヌ民族をも巻き込んだ「二重構造説」の誇大主張を補強するものではありません。
https://diamond.jp/articles/-/318993

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米運輸省、EV充電施設拡充へ25億ドルの新たな助成金発表(米国)

2023-03-17 | 先住民族関連
ジェトロ2023年03月16日
米国運輸省は3月14日、2021年11月に成立したインフラ投資雇用法による、電気自動車(EV)用充電と代替燃料供給インフラの拡充に向けた助成金プログラム(CFIプログラム)への第1次申請受け付けを開始すると発表した。バイデン政権は、2030年までに全新車販売の50%以上をEV、燃料電池車(FCV)にすることで運輸部門の脱炭素化し、米国の温室効果ガス(GHG)排出量を2005年比で50~52%削減することを目標に掲げている。全国に合計50万基のEV用充電器を設置する今回のCFIプログラムでEV、FCVの普及促進を図る。
CFIプログラムは、市や郡、地方自治体、先住民族などに対し、都市部や農村部、十分なサービスが行き届かないコミュニティー、代替燃料回廊(注1)での充電施設の設置を目的に、向こう5年間で合計25億ドルを提供するもの。既にインフラ投資雇用法の下では、各州政府(注2)に対して、州間高速道路などへの設置を目的に、5年間で50億ドルを提供するEV充電プログラム(NEVIフォーミュラプログラム)の運用が開始されている(2022年9月29日記事参照)。政府は、今回のCFIプログラムにより、NEVIフォーミュラプログラムでカバーされない、地元により密着したエリアへの設置を充実させることで、EV普及を促進させたい意向だ。米連邦高速道路局(FHWA)のシャイレン・バット局長は「FHWAは、大小さまざまな町や都市が地元経済の公平性と経済機会を促進し、2050年までに米国のGHG排出量をネットゼロにする、現代的で持続可能なインフラを構築することを支援する」と述べた。
CFIプログラムでは以下2つを対象に、それぞれ12億5,000万ドルを提供する。
1. コミュニティープログラム:公共のアクセスが可能な、道路や駐車施設などに設置されるEV用充電施設や、水素、プロパン、天然ガスの燃料供給インフラ。
2. 回廊プログラム:代替燃料回廊に沿って設置された、公共のアクセスが可能なEV用充電施設や水素およびプロパン、天然ガスの燃料供給インフラ。
CFIプログラムへの申請要件と方法は米国政府のウェブページに掲載されている。申請期限は2023年5月30日。また、CFIプログラムを管轄するエネルギー省と運輸省の共同オフィスが3月から4月にかけてウェビナーを開催する。
(注1)代替燃料回廊(Alternative Fuel Corridors)は、陸上交通修繕法(FAST法)セクション1413の下、電気、水素燃料電池、プロパン、天然ガスの燃料供給技術を採用する乗用車、商用車の全米での機動性を向上させるため、連邦政府が主要な高速道路沿いに指定した充電・代替燃料供給施設を結ぶネットワーク。
(注2)全米50州のほか、プエルトリコ、首都ワシントンも対象に含まれる。
(大原典子)
(米国)
ビジネス短信 1bb0cb708d61dd30
https://www.jetro.go.jp/biznews/2023/03/1bb0cb708d61dd30.html

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台湾からの使者―『平安』強豪への道/中 2度目の夏に甲子園準優勝 内地で飛躍、「島の誇り」 /京都

2023-03-17 | 先住民族関連
毎日新聞 2023/3/17 地方版 有料記事 1130文字
 台湾の花蓮港庁(現在の花蓮県)で1923年に結成された「能高団」。先住民・アミ族を中心としたこの野球チームは、驚異的な成長を見せた。
 立命館大大学院生だった本庄良仁さん(30)の論文などによると結成翌年、六大学OBのスター選手らを集めた日本初の実業団チーム「大毎野球団」が訪台した際に対戦した。能高団は大敗したものの、試合後に指導を受けると、指示した通りのプレーを見せ、学習力や運動能力の高さを見せつけて大毎の選手たちを驚かせたという。
 25年7月には、先住民の「文明教化」をアピールする意味もあって能高団が内地を訪れ、同年のセンバツに出場した愛知一中、第一神港商(兵庫)、広陵中(広島)などと対戦。8試合で3勝4敗1分けとほぼ互角の勝負を演じ、京都師範には13―3で大勝した。神戸一中との試合では、アミ族選手の高い技量を見ようと2万人の観客が集まったという。
この記事は有料記事です。 残り749文字(全文1130文字)
https://mainichi.jp/articles/20230317/ddl/k26/050/185000c

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殺される側にこそものは見える『「殺すな」と「共生」―大震災とともに考える』

2023-03-17 | 先住民族関連
レイバーネット(2023/3/16)
(小田実、岩波ジュニア新書、1995年4月刊、740円)/評者:志真秀弘

 東日本大震災からこの3月で12年経つ。当時のさまざまな記憶には薄れている部分もあるし鮮明な部分もある。それでも原発事故はじめ何としても記憶を薄れさせずに留めておきたい。阪神大震災からはこの1月で27年経った。神戸の街が燃えて黒煙の上がるテレビ画像を、今でもはっきり覚えている。
 その同じ瞬間に、本書の著者小田実は夫人、小学校3年の娘との3人暮らしの西宮の集合住宅で地震に遭っていた。大きな書棚がかれのベッドに向かって倒れてきたが、たまたま脇にあったコピー機が支えになって助かる。夫人も娘も命拾いした。その後テレビを見ながら、かれは猛烈に腹が立ってきた。「ヘリコプターが上から飛んで、ここはこうです、あそこに煙が出ています」とリポーターが言っている。「あちこちから火が出ていて、消防車が来ても水がないから、結局は燃えてしまう、そのなかを人びとがくやし涙にくれながら逃げまどい、あるものは焼け死んだ」。テレビ画像に映された煙の下にある地獄は、遠くでテレビを眺めている人間(私もその一人だった)には決して伝わらない。阪神大震災は経済優先の乱開発がもたらした「人災」であり、西宮市の1525億円の予算に対して災害対策費(当時)はたった4500万円だった。著者が「人災」と告発するのはその通りだというほかない。
 1945年8月14日の大阪大空襲をこの時小田は思い起こす。その時かれは中学1年。新聞に掲載された中国への空襲写真を見て、それまではただ「勝った!」としか思わなかった。だが大阪が空襲され火焔のなかを逃げまどいながら、中国やアジアの子供たちを日本がどんなに酷い目に遭わせていたかに、かれは気づいた。(右=小田実)
 後年アメリカに留学した時、『ニューヨークタイムズ』に大阪空襲の写真とアメリカ大リーグの写真とが並んでいるのを見てかれは衝撃を受ける。「爆弾を投下する側、・・・殺す側にはよくものが見えていない」。そしてかれはこう結論づける。「殺される側にこそ、いろんなものが見えてくる。」そう言って小田は明治以後日本の侵略の歴史をたどったうえで、日本国憲法の意味―つまり平和主義と民主主義が一つになったこれが理想の民主主義だと強調する。90年代に入って、しかし平和主義は衰退しつつある。自分の娘のように戦争体験はない世代に「いのちの大切さ」を学ぶ機会に震災をしなければいけないー著者はそう訴える。
 では「共生」を著者はどう考えているのか? ここではこの本で著者があげたなかから、二つの事例だけ紹介しておきたい。「アメリカ合州国」(著者小田の表記)を考えると、先住民を殺戮し土地を強奪した、黒人を奴隷として差別し抜いてきた事実を抜きにそこでの「共生」を考えることはできない。日本では1994年に「チマ・チョゴリ」の制服を着た女生徒を脅す、制服を切り裂くなどの事件が起きた。恥ずべきこの事件の歴史的背景を考えるなら「共生」という言葉は使えない。「チマ・チョゴリ事件」を考えずにやすやすと「共生」などと言ってくれるな。対等・平等な関係を社会の隅々にまで作り出す努力なしに「共生」などとは言えないだろう。小田のこの主張は鋭いとわたしは思う。
 小田実はかつて「行動する作家」と言われた。この本を読むとかれは行動しながら考えを深めていった人であることがよくわかる。本書は震災後4ヶ月足らずで刊行されているが、戦争体験のない世代にこそ平和主義を伝えなければならないと考えたかれの切迫感は、今読んでも痛切に伝わってくる。
【追記】次回ブッククラブ(4月9日・日曜・2時・オンンライン)で小田実の『「難死」の思想』を読むことになり、その関連で本書も読み、かれの考えがよく現れた本と思い、今回紹介した。ブッククラブはいつでもウェルカムです。→詳細
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。
http://www.labornetjp.org/news/2023/hon291

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あの有名人の手紙とその真実―コリン・ソルター『世界を変えた100の手紙 上・下』

2023-03-17 | 先住民族関連
オールレビュース3/16(木) 6:00配信

『世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで』(原書房)
歴史の転換点になったメモや、世界的スキャンダルになったメール、感動的なメッセージや夫への遺書、新大陸発見の報告書など、ユニークな手紙を紹介する書籍『世界を変えた100の手紙』から「はじめに」を特別公開します。
◆獄中からの手紙、送られなかった手紙など、歴史の残る手紙の数々
古代から現代まで、戦禍や災害、弾圧を逃れて人類に残されたさまざまな手紙、書状、メッセージ、通信、電報などを選び、その内容と背景を解説する。書かれた言葉には、読む人にインスピレーションを与え、驚かせ、楽しませる力がある。古代ローマ帝国の生活を生き生きと描き、国王へ新大陸発見が報告され、戦いの前夜に提督から手形信号旗で艦隊にメッセージが送られた。歴史のターニングポイントとなった簡潔なメモや、世界的スキャンダルとなったメールにいたるまで衝撃的な手紙を年代順に収録している。
人類が言葉を文字として記録することを覚えて以来、手紙は歴史の上でさまざまな役割を果たしてきた。国家の運命を左右するような極めて重要な手紙や大事件の記録を後世に伝えた手紙もあるが、そうでなくとも今に残る手紙の多くは、過去のある時点の生活についていろいろなことを私たちに考えさせてくれる。
◇親愛なる読者の皆さんへ
ここで前書きに代えて、皆さんに短い手紙を書くのも一興かと思う。そもそもこれは有名無名を問わず、さまざまな人々がこれまでに書いてきた手紙についての本なのだから。これから見ていく中には私的な内容の手紙、公的な手紙、公開された手紙があり、命令する手紙もあれば服従を拒否する手紙もある。初めての手紙、受取人から次の受取人へと次々に書かれたチェーンレター、最後の手紙、失われた手紙、電報、そして開戦前夜に送られた決定的なメッセージもある。
結果的に見れば歴史を変えることになった手紙もあれば、そうならなかった手紙もあるが、いずれにせよ歴史上の意味があることに変わりはない。79年のヴェスヴィオ火山の噴火を目撃した小プリニウスの体験は歴史を変えはしなかったが、彼がタキトゥスに送った手紙に記した目撃談によって、後世の考古学者たちは噴火により埋没したポンペイおよびヘルクラネウムを発掘するための手がかりを得ることができたのだ。小プリニウスの叔父にあたる大プリニウスは噴火の調査中に死去したが、克明な記録を残しており、後世の火山学者はこのヴェスヴィオ火山と同タイプの噴火を彼の名にちなんでプリニー式噴火と呼んでいる。
個人的な心情をさらけ出す内容の手紙もある。たとえばヘンリー8世が新しい愛人アン・ブーリンにあてた恋文は、なぜか今はバチカン市国にたどり着いてそこの図書館に保管されている。個人的な心情といえば、ピエール・キュリーがやがて彼の妻になるマリアに宛てた、単なる研究仲間としての関係を越えて生涯のパートナーとなるきっかけとなった手紙もある。それはパリでの留学期間を終えて祖国ポーランドに帰ることになっていたマリアに、パリで研究を続けるよう誘う内容の手紙だった。
手紙を受けとったことで人生が変わり、世界に大きな変化をもたらす結果となった科学者はマリー・キュリーだけではない。若き日のチャールズ・ダーウィンに、イギリス海軍の測量船ビーグル号が同行する博物学者を募集していることを知らせたのは、彼に日常的に届いていたいくつかの通知のうちの1通だった。しかしそれに応じたダーウィンは、ビーグル号による5年間の旅から彼の「自然選択説」の着想を得たのである。現代科学の先駆者たちによる報告の中には、1609年にガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で発見した木星の衛星について記した手紙、ライト兄弟が歴史的な初飛行を終えた直後に送った電報もある。レオナルド・ダ・ヴィンチが1480年頃にミラノ公に送った履歴書と添え状には、彼ならではの輝かしい経歴が書かれている。
あるいはまたロバート・オッペンハイマーに原子爆弾の開発を推進するよう促した手紙もあるが、興味深いことに、その手紙は原子爆弾に直接言及してはいない。彼の経歴の始まりを告げたのがその手紙だとしたら、終わりを告げたのは彼を共産主義者のスパイだと訴えたウィリアム・ボーデンの手紙だった。オッペンハイマーが生みだしたもの──原子爆弾──は世界を破滅の一歩手前まで追いこんだこともあった。1962年のキューバ危機だ。しかしソ連首相ニキータ・フルシチョフとアメリカ大統領ケネディとのあいだで交わされた書簡により、最悪の事態は回避された。
オッペンハイマーのスパイ疑惑は濡れぎぬだったが、この本にはスパイ行為にかかわる手紙もたくさん出てくる。イギリス植民地マサチューセッツ州の総督の真意をベンジャミン・フランクリンに秘かに伝えた手紙があり、ジョージ・ワシントンがアメリカで最初のスパイ組織の創設を認める手紙もある。ソ連のスパイだったイギリス人ガイ・バージェスについて、共産主義にかぶれていた時代をふりかえってはしかにかかっていたようなものだと記した手紙もある。
イギリスのスパイ組織は16世紀にすでに成立しており、スコットランド女王メアリーとその配下がイングランド女王エリザベスの暗殺についての謀議をこらす手紙を入手し、エリザベスの暗殺を未然に防いだこともあった。第二次世界大戦中、イギリスのブレッチリー・パークにあったドイツ軍の暗号を解読するための組織が、チャーチル首相に予算の増額を直訴した手紙もある。のちに彼らがドイツ軍の暗号解読に成功したおかげで、戦況が連合国側の有利に傾いたとも言われている。
歴史を振りかえれば、何百万もの人々の運命を変えた憎むべき戦争がいくつもあった。この本で最初に採りあげた手紙は、古代ギリシアで勢力を拡大していたマケドニアの王から送られた降伏を迫る手紙に、スパルタの指揮官が答えた誇り高くも素っ気ない手紙だ。ほかにも同盟国の指導者(ローズベルトとチャーチル、ヒトラーとムッソリーニなど)が交わした手紙、敵国の指導者に送った手紙(ナポレオンがロシアのアレクサンドル1世に送ったものなど)、勝者と敗者が交わした手紙もある。南北戦争のさなかに北軍のシャーマン将軍が陥落させたアトランタの市民に宛てた手紙は、戦争には非情な行為が必要なこともあると静かにていねいに語っていた。一方、真珠湾が攻撃されたことを伝える第一報は、短く簡潔な電報だった。
戦時の手紙には個人の心情を家族に語ったものもある。南北戦争に従軍していたサリバン・バルーが戦闘の前夜に妻セアラへの愛情をこめて書いた手紙は、1861年のブルランの戦いで戦死した彼の私物から見つかった。第一次世界大戦に従軍した戦争詩人ジーグフリード・サスーンが新聞社に送った公開状は大義を失った戦いを続ける軍の指揮官を批判していたが、結果的に彼は戦死を免れることができた。ジョン・F・ケネディ元大統領は第二次世界大戦中に乗っていた哨戒魚雷艇が沈没し、南太平洋の無人島から救出を求める手紙をヤシの実の殻に掘りつけて近くを通った小舟の現地人に託した。
現代のスパイは軍事よりビジネスや政治にかかわる秘密を探ることが多いようだ。ホワイトハウスの秘密機関員だったジェームズ・マッコードがウォーターゲート・ビル侵入事件の真相を告白する文書を裁判官に提出したことで、事件は大統領を巻きこむ大スキャンダルになった。近年は勇気ある内部告発者が現れるようになり、アメリカの巨大エネルギー企業エンロンからアメリカ国家安全保障局まで、さまざまな組織の悪事があばかれている。自分が不利益をこうむる可能性を知りながらもあえて不正をあばいた内部告発者たちのおかげで、社会は少しずつ透明性を増し、よい方向に向かっている。
イギリスではイランで大量破壊兵器の査察を行ったデイヴィッド・ケリー博士が国防省に宛てた手紙で、ブレア首相がイラク戦争に参戦するために利用した「疑惑の調査報告書」に疑念を示したのは自分だと認めた。報告書に関する疑惑が報道されると、博士はマスコミと政治家の両方から追及されることになる。多くの関係者が巻きこまれ、博士自身は自殺に追いこまれた。自殺といえば、遺書だ。遺書を読むのはつらいことだが、興味深くもある。ヴァージニア・ウルフが夫に宛てた遺書は、読む者の胸をしめつけるような悲痛なものだった。フランスの詩人ボードレールが遺書のつもりで恋人に書いた手紙もある。彼はその手紙を書いてから自分の胸を刺したが傷は急所を外れ、彼は死ぬ代わりに素晴らしい傑作を書くことになる。
この本には画家や音楽家の手紙もある。世界中の子どもに愛されているビアトリクス・ポターのピーターラビットの物語は、ポターが友人の子どもである幼い少年のために書いた絵手紙が始まりだった。フィンセント・ファン・ゴッホは弟のテオに宛てた手紙で芸術論を展開している。モーツァルトが死の直前に妻に書いた手紙を読めば、彼がいかに作曲の仕事に追われる多忙な日々を過ごしていたかがわかる。ポップ・ミュージシャンに関する手紙もある。若いころのビートルズが、当時のイギリスで最大のレコード会社からオーディション落選の手紙を受けとったとは信じられない話だが、事実だった。
オスカー・ワイルドの手紙も出てくる。ただし彼らしい機知にあふれる言葉を連ねたものではなく、レディング刑務所に収監された彼がそれまでの自分の荒れた生活を省みて書いた手紙だ。マルティン・ルーサー・キング・ジュニアも刑務所から、彼がそこに入る原因となった人種差別反対運動に対する批判に反論する公開状を書いた。ロシアの反体制女性パンクロック・グループ「プッシー・ライオット」のメンバー、ナジェージダ・トロコンニコワは教会の聖堂内でライブ・パフォーマンスをした「フーリガン行為」の罪で拘留されていた刑務所で哲学の大学教授と文通し、意見を交換していた。
キングと同様に南アフリカのネルソン・マンデラが書いた、何世紀も続くアフリカ系アメリカ人やアフリカ先住民の市民権闘争に関する手紙もある。アメリカ合衆国の理想を語るエイブラハム・リンカーン、ジョージ・ワシントン、ウィリアムズとエレノアのローズベルト夫妻が書いた手紙もある。不平等との戦いは人種問題だけではない。2018年に新聞に掲載された「タイムズ・アップ(もう終わりにしよう)」と書かれた公開状には、エンターテインメント業界で働く300人の女性たちが署名していた。公開状は、芸能界に限らずあらゆる場面で優位な立場の男性による性的虐待がある現実を訴え、その防止を求めていた。1776年、アビゲイル・アダムズは夫でアメリカ合衆国建国の父のひとりだったジョン・アダムズに宛てた手紙で、彼が起草に加わっていた合衆国憲法には女性の地位を守る条項を入れてほしいと書いたが、夫のジョンはそれを妻の冗談と見なしていた。「タイムズ・アップ」の公開状がアビゲイルの手紙より大きな変化をもたらすことを願わずにはいられない。
この本で採りあげた手紙はどれも、何か私たちに訴えかけるものがある。手紙を書いた人物、あるいは受けとった人物と私たちとのあいだを強く結びつけ、それが書かれた時代と現代をつなぐ何かがある。手紙を記した紙、インク、そこに書かれた文字を目にすれば、その時代が生き生きと感じられる。
私は手紙が好きだ。封筒に入って、消印を押され、コンピューターのメールボックスではなく、実体のある郵便受けに配達された手紙が好きだ。今は誰でもEメールをやりとりし、紙に書かれた手紙は姿を消しつつある。しかしどんなに私的なやりとりでも、Eメールは完全に私的なやりとりではあり得ない。
Eメールは手書きではない。書き手が選んだ便箋に書かれていない。プロバイダーや国家の安全保障機関などに読まれる可能性がある。見た目はどれも同じようなもので、うっかりキーボードに触れればデリートされてしまう。香りもない! きれいな箱に入れてとっておくことも、札入れにしのばせて身につけ、ときどきそっと読みかえすこともできない。いとしい宝物にはなり得ない。
さて、私の手紙への愛を語るのはこの辺にしておこう。この本が気に入っていただければ嬉しく思う。もし気に入ったら、私に手紙を書いてくれませんか?
ご多幸を祈りつつ
コリン・ソルター
[書き手]コリン・ソルター(ノンフィクション・ライター)
マンチェスターメトロポリタン大学(イギリス)とクイーン・マーガレット大学(スコットランド・エディンバラ)で学位を取得。邦訳書に、『歴史を変えた100冊の本』(エクスナレッジ)、『世界を変えた100のスピーチ 上・下』、『世界で読み継がれる子どもの本100』(以上、原書房)などがある。
[書籍情報]『世界を変えた100の手紙 上: 聖パウロからガリレオ、ゴッホまで』
著者:コリン・ソルター / 翻訳:伊藤 はるみ / 出版社:原書房 / 発売日:2023年01月23日 / ISBN:4562072512
原書房
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c9a3f5193d726f67458ac90be3064fb80469ed

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