先住民族関連ニュース

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「ピープルの立場と反戦貫いた」 童話作家の故・加藤多一さんお別れ会 100人が別れ惜しむ

2023-03-26 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年3月25日 18:26

優れた作品を書き続け、多くの人に慕われた加藤多一さんのお別れ会
 【小樽】童話作家で18日に88歳で亡くなった加藤多一さん(オホーツク管内滝上町出身)のお別れ会が25日、小樽市内の斎場で開かれた。加藤さんとともに文学を愛し平和を願った文学関係者や市民ら約100人が出席し、北海道の自然や農村、子ども、アイヌ民族を描いた作品を著した故人との別れを惜しんだ。
 ありし日の加藤さんの写真や著作が飾られた会場で、長男の卓さん(60)は「(若い頃から)しゃれた詩を書くロマンチストだった気がする」、長女の永田たみさん(42)も「父の残した作品を読んでもらえれば父は一番喜ぶと思う」とあいさつした。
・・・・・・・
(中村康利)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/821787

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アイヌイタクエエラムアン?アイヌ語しってる? チセ

2023-03-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2023/3/26 東京朝刊 有料記事 616文字

チセ 家(いえ)
 伝統(でんとう)的(てき)なチセは、中央(ちゅうおう)に炉(ろ)があり、そこで煮(に)炊(た)きをしました。また、人(ひと)の出入(でい)りする場所(ばしょ)とは別(べつ)にカムイ(いわゆる神(かみ))が出入(でい)りする神聖(しんせい)な窓(まど)があり、儀礼(ぎれい)のときに使(つか)われます。チセの周(まわ)りには、祭壇(さいだん)、クマなどを飼育(しいく)するおり、食(た)べ物(もの)を保存(ほぞん)する倉(くら)、物(もの)干(ほ)し、便所(べんじょ)がありま…
この記事は有料記事です。 残り370文字(全文616文字)
https://mainichi.jp/articles/20230326/ddm/013/100/003000c

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2023/04/29 ドキュメンタリー映画「大地よ!~アイヌとして生きる~」公開(4/29~ 東京・ポレポレ東中野)

2023-03-26 | アイヌ民族関連
レイバーネット3月25日
案内→https://pole2.co.jp/coming/b5a491fa-5bc7-4384-8646-993b94ddebbd
大地よ!~アイヌとして生きる~
アイヌとして生き、その精神性を問い続けた宇梶静江の世界
105分/ドキュメンタリー
2023年4月29日公開
監督:金大偉
製作国:日本
配給:藤原書店
出演:宇梶静江(うかじ・しずえ)
予告編:https://www.youtube.com/watch?v=AZxOCoH7YL0
 海の神、風の神、森の神、大地の神への祈り
 アイヌとして生き、その精神性を問い続けた宇梶静江の世界
 人間らしい生き方とは何か?
 自然に生きるアイヌの知恵とは何か?
 民族のアイデンティティー、共生への光を求めて
 今こそ響く、アイヌの知恵が蘇る
 アイヌの人々が守り伝えてきたものはたくさんある。
 自然を敬い、人と人との礼儀を尽くし、祖先から伝えられた豊かな文化や習慣などがあった。
 また文字を使わないアイヌの人々は、口伝によるユカラ(叙事詩)や、踊りや歌などで文化と歴史を伝えることで、大切にしてきた民族の生き方を喚起し、その精神性を問い続けて来たといえる。
 この作品は、90歳になった宇梶氏の熱い思い、生き方から得た大事な知恵で構成。
 またアイヌの伝統刺繍を生かした宇梶氏のオリジナル「古布絵」や詩作などを通して、全体的に表現したドキュメント映画である。
 そこにはアイヌ民族の精神性と力が秘められていて、共生、共存、共進化の姿が見えてくる。
 自然のサイクルを大事にする意味において、自然曼荼羅が循環する姿そのものであり、アニミズムの回帰が原点化にすることでもある。
 生きものの全てが自然の一部であると同時に、祈りの姿が光の彼方へと向かうのである。
上映情報
東京 ポレポレ東中野 2023/4/29~ 終映未定
http://www.labornetjp.org/EventItem/1679739298334matuzawa

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「森下」「門別」「井坪」「茨木」「戸井」「富田」…阪神・注目のルーキー、名字のルーツは

2023-03-26 | アイヌ民族関連
神戸新聞2023 . 3 . 26 ( 日 )
今年も間もなくプロ野球が開幕する。各球団には昨年秋のドラフト会議で指名されたルーキーたちが入団した。その中から、阪神タイガースの主な新人選手の名字をみてみよう。
まずは、ドラフト1巡目で入団した中央大学の森下翔太外野手。
「森下」は名字ランキング300位以内のメジャーな名字で、東北と沖縄を除いて全国に広く分布している。「森」とは「林」と違って、自然のままで人の手が入っていない場所のこと。古い時代ではそうした「森」は各地にあり、そのような「森」の下に住んでいた人が名乗ったものだ。現在は東北と沖縄以外に広く分布しており、比較的東海地方に多い。森下翔太は横浜の出身である。
2巡目は東海大札幌高の門別啓人投手。この「門別」はユニークな名字である。ただ珍しいというだけではなく、そのほとんどが北海道にある。しかも、数少ない北海道をルーツとする名字である。
江戸時代以前、北海道は渡島半島を除いては和人はほとんどおらず、アイヌが暮らしていた。これらのアイヌは名字を持たなかったことから、江戸時代以前には北海道をルーツとする名字はほぼなかったと言っていい。
現在北海道に住んでいる人の大多数は、屯田兵など明治以降に内地から入植した人の子孫である。こうした入植者は東北・北陸・四国の出身者が多く、そのため現在でも北海道の名字はこれらの地域の名字をミックスしたような構成となっている。
しかし、北海道を由来とする名字が全くなかったわけではなく、そのうちの1つが「門別」である。
「門別」のルーツは北海道日高地方の門別地区。平成大合併の前までは門別町という独立した自治体だったが、現在は日高町と合併して日高町の一部となっている。「門別」という名字は現在も日高町に集中しており、ここがルーツであることを示している。
3巡目の関東第一高の井坪陽生外野手の「井坪」も全国順位が10000位前後と珍しい名字だ。全国の7割ほどが長野県にあり、県内ではその大半が飯田市に集中している。井坪選手は東京の八王子市の出身だが、そのルーツは長野県飯田市にありそうだ。
そして4巡目帝京長岡高の茨木秀俊投手の「茨木」は大阪に関係する名字である。全国ランキングは2000位前後と普通の名字で、そのルーツは摂津国島下郡茨木、現在の大阪府茨木市である。室町時代、ここには有力武家である茨木氏がいた。その後各地に広がったとみられ、現在は関西と新潟県に集中している。帝京長岡高は新潟県にあるが、茨木秀俊選手は北海道の出身である。
なお、5巡目戸井零士の「戸井」と、6巡目富田蓮の「富田」はいずれも全国に広く分布する名字である。
◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら、実証的な研究を続ける。NHK「日本人のおなまえっ!」にコメンテーターとして出演中。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202303/0016177911.shtml

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三部けいのBG新連載は明治の北海道で展開する剣戟浪漫、「お伽の匣のレト」開幕

2023-03-26 | アイヌ民族関連
コミックナタリー2023年3月25日 10:30
「僕だけがいない街」の三部けいによる新連載「お伽の匣のレト」が、本日3月25日発売の月刊ビッグガンガンVol.4(スクウェア・エニックス)でスタートした。
「お伽の匣のレト」は明治時代の北海道を舞台に、記憶を失った少年を描く北国剣戟伝奇浪漫。ある大雪の日、自分の名前も住む場所もわからない少年が、アイヌの集落近くで発見される。レトと名付けられた少年の持ち物は、ボロボロの着物となぜか刃のない山刀のみ。なかなか記憶を取り戻せないレトを心配した村人は、彼を見守ることに決める。それから数年の月日が経ち、すっかり村に馴染んだレト。人々の温かさに触れ、この村を宝物のように思い始めていたレトだったが、ある悲劇が彼らを襲い……。一般社団法人阿寒アイヌコンサルンが助言・協力を行っている。同号では表紙と巻頭カラーを飾ったほか、2話まで公開された。
https://natalie.mu/comic/news/517764

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本当の名前、本当の自分を取り戻すために――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『楊花の歌』

2023-03-26 | 先住民族関連
カドブン2023年03月25日
杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.69
青波杏『楊花の歌』書評
書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
最終回は、小説すばる新人賞受賞作。
 人にはそれぞれの哀しみがあるということを思い知らされた一冊だった。
『楊花
ヤンファ
の歌』(集英社)は、第三十五回小説すばる新人賞に輝いた青波杏のデビュー作だ。物語は四部構成になっており、第一部は一九四一年十月二十一日の中国は福建省廈門
アモイ
で始まる。語り手の〈あたし〉はその地にある〈朝日倶楽部〉というカフェーで、リリーを名乗って働いている女性だ。ご存じのとおり当時のカフェーは、若い女性による接客が行われる場所だった。元は東京・上野の生まれだが、大阪の松島遊廓でスミカの名を使って働いていたということがすぐに明かされる。十八歳までは女学校に通って室生犀星や萩原朔太郎の詩を読んで暮らしていたのに、生家が没落してしまったのだ。「廓に入ってたった一ヶ月でそれまでの人生を心の奥深くに閉じ込めた」とリリーは語る。そこから自分が何者なのかを語ることはせず、すべてを偽って生きている。朝日倶楽部では、内地ではタイピストだったということで通している。娼家上がりの女をさげすむ同僚がいるが、何も口にすることはできず胸が痛む。
 リリーが廈門で唯一心を開く相手はヤンファ(楊花)だ。泉州の出身で、内地では神戸元町で肉饅頭を売っていた、と語る彼女の過去をもちろんリリーは信じていない。そして自分が娼婦の出身であることもヤンファには話していない。
――廓にいたころ、あたしは体を見たことがなかった。きっと傷だらけで醜いのだろうと、思い続けた。でも、ヤンファの指先にほんとうに愛を感じたとき、あたしは傷や歪みさえも、あたしの体なんだとはじめて思えた。
『楊花の歌』は男の暴力によって身体を奪われてきた女たちが、同性と心を通わすことによって本当の自分を取り戻していく物語である。リリーとヤンファの他にも同じような、しかし他人に語ることのできない過去を抱えた女たちが登場する。哀しみは自分の心の中にあり、外に出して見せることができないのだ。だからリリーとヤンファも、一つに溶け合うほどに体を重ねてきた間柄なのに、互いに真実を打ち明けることはできない。その心の距離が何よりも哀しい。
 ヤンファが口ずさむ歌は〈あたし〉に涙を流させる。
――夜遅くに目を覚ますと、ヤンファがベッドの縁に腰かけて、歌を口ずさんでいた。北京語でも閩南
びんたん
語でもない、知らない言葉。それなのになぜだか気づいたら涙が頬を伝っていて、あたしはあわてて枕に顔を押しつけた。生まれるずっとまえから知っているような、しずかな森の奥に流れる清流のような、そんな澄み切った歌声だった。南の窓から差し込むうすぼんやりした街の灯りが裸のヤンファの背中を照らしている。傷一つない引き締まった浅黒い肌だ。
 リリーが娼婦であったことを明かせないように、ヤンファもまた日本人の恋人には容易に語ることができない過去を持っている。日本の戦争史に詳しい読者なら気づくと思うが、本作はいくつかの実際に起きた事件を背景として描かれている。第三部では視点人物が代わり、台湾先住民族の少女になる。日本人からは〈バンジン〉などと蔑称で呼ばれる存在である。山岳地帯で暮らしていた少女ははじめ、ジプン(日本)の言葉を理解できない。後に庇護者になってくれる女性と出会ったとき彼女は、かつてジプンの大人からかけられた知っている限りの言葉を使って話しかける。それが「ドロボー、イヌコロ、おまえ、いくらだ、ビジン、サケ」といった子供の口から出るにはあまりにも卑しい語彙であるというのが痛ましい。日本によって始められた戦争は、その大義名分とは別に、心の荒んだ人々を作り出した。ヤンファの哀しみはそうした荒廃によって引き起こされたものである。
 リリーとヤンファが行動を共にしているのは、ある目的のためだ。ヤンファは普段屋台の物売りに身をやつしている。彼女の身辺に異変が生じたら、それとなく知らせることもリリーの役目である。二人の上には抗日運動を行っている共産主義者の組織がある。ヤンファはその工作員、リリーはバックアップなのである。二人が担う使命が何であるかということがやがて明かされる。長く緊張を強いられる日々が終り、瓦解の瞬間が訪れる。それは吉と出るか、凶と出るか。
 ジャンルとしてはエスピオナージュ、いわゆるスパイ小説に分類される作品だ。エスピオナージュは組織内の、または個人間の不信を描く物語である。人が人を利用し、裏切る。そのさまが心に投げかける影こそが小説の主題だ。『楊花の歌』が優れているのは、そうした相互不信の当事者を、過去を語れない女性にした点であろう。リリーやヤンファ、そして同じ境遇にいる無数の女たちは、自分だけの哀しみを抱えて生きている。そうした人々を主役として描いたからこそ、諜報闘争の中で駒として使われる個人の存在の哀しみを浮き上がらせることができたのだ。エスピオナージュ史における画期的な作品である。
 何度も書くように本作はリリーとヤンファが奪われた自分を取り戻す物語でもある。作者ははじめ彼女たちの現在を示し、そこから少しずつ扉を開けてそれぞれの過去を明かしていく。謎めいたヤンファの素顔が明かされたときには熱いものが胸に込み上げてくるのを感じた。人命が軽んじられた戦争の時代の物語である。弊履の如く人々は使い捨てられ、命を落としていく。だからこそリリーとヤンファには生き抜いてもらいたいと強く願った。二人に命を、どうか。
 巻末プロフィールによれば作者は、近代の遊郭の女性たちによる労働問題を専門とする女性史研究者であるという。そうした素地が小説にも活かされている。戦争という状況を描くと同時に、弱い立場を強いられた女性たちの姿を書き留めることも本作の執筆目的であっただろう。その狙いは十分に成功している。実は、リリーとヤンファに加え、もう一人の主人公というべき女性がいる。誰か、ということは明かさないでおこう。歴史の中で名前を呼ばれることもなく、その他大勢の一人として終わった女性たちを代表するのが彼女なのだ。本当の名前、本当の自分を取り戻すために生きた人の物語である。
 長く続いた連載も今回が最後となる。これまでのご愛顧に感謝します。また、どこかでお会いしましょう。
https://kadobun.jp/serialstory/sugitreasure/entry-47984.html

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南米のインカ・アステカをあっけなく滅ぼした、天然痘や麻疹の大流行

2023-03-26 | 先住民族関連
週刊ポスト2023.03.25 16:00
 人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、天然痘と麻疹の大流行についてお届けする。
 * * *
 天然痘や麻疹をはじめ多くの感染症は大昔に動物から人にうつって、人に適応した病気です。
 動物のウイルスが人に感染する絶好の機会は動物を食べることで、食文化と感染症には強い関係性がみられます。
 ヨーロッパの食文化が農耕と牛、豚などの家畜農産物から成り立っているのに対して、昔、南北アメリカには家畜となる牛、馬、豚がいませんでした。そのため、家畜由来の感染症である天然痘や麻疹には、まったくの処女地だったのです。スペイン人がインカ文明やアステカ文明をもつ帝国をあっけなく滅ぼすことができた大きな要因も、謀らずも彼らが体内に宿して持ち込んだこれらのウイルスの大流行でした。
 14世紀頃より、メキシコ盆地のテノチティトランを中心にアステカ族が築いた王国がありました。1492年、新大陸アメリカがコロンブスによって発見されると、スペインは植民地活動に乗り出し遠征隊を送り込みます。天然痘は5世紀からは南ヨーロッパで繰り返し流行を起こしていましたから、スペイン人の多くは幼児期に罹って生き残った免疫をもった大人でした。一方、新大陸には麻疹も天然痘もなかったために、先住民族のインディオはその免疫をもっていません。そこにスペイン人によって、これらのウイルスが持ち込まれたのです。
 天然痘流行はスペイン人が拠点としたヒスパニオーラ島から始まり、キューバに伝播され、1518年にはカリブ海に浮かぶ島でも猛威を振るい、先住民の人口を激減させました。さらにエルナン・コルテスはたった500人の手下でユカタン半島のアステカ人の治めるメキシコを目指します。
 そこには中米の最後の大文明とされるアステカ文明があって、メキシコ全土を支配していました。このときスペイン人が連れていた奴隷の中に天然痘を発症している者がいて、この遠征でスペイン人は天然痘ウイルスをユカタン半島にばらまく結果となったのです。
 当然、大流行が勃発し、国王クアテモクも家臣もアステカの兵士の多くもこの病で死にました。さらに感染は拡大して、城内も街路も死者で埋まり、いったんは武力で勝利を得たアステカ王国でしたが、テスココ湖に浮かぶ美しい都と共に、1521年にあっけなくウイルスの前に滅びます。
 この天然痘流行は1525年には南米インカ帝国にもおよびます。1531年、フランシスコ・ピサロはペルーに上陸し、1533年にインカ帝国をわずかな兵士で占領していますが、このときもインカ帝国は天然痘流行の真っ最中だったのです。
 一方、返礼のようにコロンブスらは現地の女性から梅毒をもらい受け、スペインに持ち帰り、梅毒はわずか25年の間に世界を一周。そして、ルネッサンスのヨーロッパは梅毒真っ盛りとなるのです。
【プロフィール】
岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。
※週刊ポスト2023年3月31日号
https://www.news-postseven.com/archives/20230325_1851737.html?DETAIL

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【TEDでも話題】木々の「助け合いネットワーク」を解明したスゴい実験

2023-03-26 | 先住民族関連
ダイヤモンドオンライン2023年3月25日(土)6時0分

養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛し、毎日・日経・朝日・産経新聞でも書評が掲載された話題のサイエンス書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。著者は、TEDトーク「森で交わされる木々の会話」が大きな話題を呼んだカナダの森林生態学者スザンヌ・シマードだ。本連載では日本語版の刊行を記念し、本文の一部を特別に公開している。今回お送りするのは、彼女の仮説を決定的に裏づけることになった森林実験のシーン。これによって、ある樹木は地下の菌根ネットワークを通じて、自分とはまったく別種の樹木にも栄養分を分け与えているという事実が判明する。そのためにシマードが持ち出したのが、炭素の放射性同位体だった──。
「何か秘密を教えてくれそうだね」
 私の実験計画は、アメリカシラカバを放射性同位体炭素14で標識化して光合成産物がダグラスファーに移動するのを辿り、同時にダグラスファーは安定同位体炭素13で標識化してその光合成産物がアメリカシラカバに移動するのを追跡する、というものだった。
 こうすれば、炭素がアメリカシラカバからダグラスファーに渡されているかどうかだけでなく、逆の方向、つまりダグラスファーからアメリカシラカバにも移動しているかどうかがわかる──2車線の道路を行き交うトラックのように。それぞれの同位体がそれぞれの苗木にどれくらい溜まったかを計測すれば、アメリカシラカバがダグラスファーに与えるもののほうがダグラスファーから受け取るものよりも多いかどうかも計算できる。そして、木々は単に光を奪い合う競合関係にあるだけなのか、それとももっと洗練された協働関係にあるのかもわかる。
 木々は互いに緊密に同調し合い、コミュニティ全体の機能に従ってその行動の仕方を変える、という私の直感が正しいかどうかがわかるのだ。
 1週間後、苗木をチェックした私の興奮は、弟のケリーのことを絶え間なく心配していた私にとってはいい気分転換だった。苗木はすくすくと育ち、足首までの高さしかなかったものが膝くらいの高さになっていた。3本組を一つずつチェックしていくバーブと私は、芳しい香りを放ちやわらかな斑の影を落とす苗木たちに迎えられた。小さな木々はしっかりと生きていた。
「何か秘密を教えてくれそうだね」。幹ががっしりしたダグラスファーの枝を引っ張りながら私は呟いた。
 ボトルブラシみたいな針葉は、隣に立つアメリカシラカバの、ギザギザした形のやわらかな葉にすでに届いていた。アメリカシラカバの涼しい木陰では、強い日差しから繊細な葉緑体を護られたシーダーが生き生きと輝いていたが、アメリカシラカバの葉が届かないところにあるシーダーは、葉緑素の損傷を防ぐために赤くなっていた。3本の木はとても近いところに立っていて、まるで一つの物語を共有しているかのようだった──始まりと、中間と、終わりがある物語を。
太平洋沿岸の温帯雨林のウエスタンレッドシーダー。樹齢はおそらく500年ほど。ウエスタンレッドシーダーは、北米大陸西海岸の先住民文化の要である。衣服、道具、薬など、さまざまな重要アイテムに使われるが、ヨーロッパ人との接触が始まる前は、伐採されることはほとんどなく、自然に倒れた木を利用したり、生きた木の樹皮にイチイや鹿の角でできた楔を打ち込んで板状に剥がしたりした。『マザーツリー』本文より
 なぜアメリカシラカバとダグラスファーの隣にシーダーを植えたのか、と研究助手のバーブが訊いた。
 シーダーは、アメリカシラカバやダグラスファーとは菌根菌のネットワークを形成することができない。その理由は簡単だ。シーダーが共生するのはアーバスキュラー菌根菌で、アメリカシラカバとダグラスファーが共生する外生菌根菌とは共生できないのである。
 もしもシーダーの根が、ダグラスファーまたはアメリカシラカバが生成した糖を少しでも手に入れたとしたら、それはダグラスファーまたはアメリカシラカバの根から地中に漏れ出したものだということになる。私はシーダーを対照群として植え、地中に漏れ出す炭素の量と、アメリカシラカバとダグラスファーをつなぐ外生菌根菌のネットワークを通して運ばれる炭素の量を把握しようとしたのだった。
 車のバッテリーくらいの大きさで、中身が見える樽形の測定チャンバーがついている携帯用赤外線ガス分析計を使って、バーブと私は、かぶせたテントが狙いどおりにダグラスファーの苗木の光合成速度を遅くしているかどうかを調べた。テントをかぶせなかったダグラスファーの針葉を測定チャンバーに閉じ込める。閉じ込められても針葉は光合成をやめないが、大気中の二酸化炭素の代わりに、その小さな機械のなかの空気を使わざるを得ない。つまりガス分析計は、光合成の速度を計測するのである。
 透明のプラスチックでできた測定チャンバーに太陽光が射し込み、メーターの針が揺れた。ダグラスファーの針葉はチャンバーのなかの二酸化炭素を貪欲に吸収し、分析計は、ダグラスファーが最大限のスピードで光合成をしていることを示していた。バーブがその数値を書き留め、私たちは次の3本組がある場所に移動した。
 そこのダグラスファーはすっかり陰になり、5%の日光しか届いていない。測定チャンバーをテントの下に苦労して入れ、ダグラスファーの針葉の上にかぶせると、私はホッとしてため息をついた。テントは機能していた。日光を遮断されたダグラスファーの光合成速度は、太陽光に照らされたダグラスファーのわずか4分の1だったのである。また、テントの生地は目が粗くて空気の流れを遮らず、気温を変化させなかったことにも安心した──気温は光合成速度に影響しかねないからだ。次の3本組に走る。こちらは黒いテントがかぶせてあった。半分陰になった苗木の光合成の速度は、前の2つの中間だった。
 ダグラスファーを次々にチェックしていくと、それが決まったパターンであることが確認できた。次に私たちはアメリカシラカバを調べた。日光を遮るもののないアメリカシラカバは、完全な日向のダグラスファーの苗木の2倍の速度で光合成を行っていた。緑色のテントで覆った濃い日陰のなかのダグラスファーと比べれば8倍の速度で、このことは、ソース組織とシンク組織のあいだに大きな勾配があることを立証していた。
 この2種類の木が菌根のネットワークでつながっており、リード教授が考えたとおり、両者を結ぶ菌糸のなかをその勾配に従って炭素が流れるのだとしたら、アメリカシラカバの葉で光合成によってつくられた糖の余剰分は、ダグラスファーの根に流れるはずだ。ソース組織であるアメリカシラカバの葉から、シンク組織であるダグラスファーの根へ。
 私は興奮してデータの数字を調べた。テントがつくる陰が濃ければ濃いほど、アメリカシラカバからダグラスファーへ、ソース組織とシンク組織間の勾配は大きかった。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0325/dol_230325_8673128352.html

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なぜチュヴァシの女性たちは「音で」特定できるのか?(写真特集)

2023-03-26 | 先住民族関連
ロシアンビヨンド2023年3月25日 アンナ・ソロキナ
 チュヴァシでは最近まで銀貨で作られた装飾品しか身につけなかった。そしてその音は周囲に響き渡った。それは何のために必要だったのか?
 現代のチュヴァシ人の元を訪れると、女性たちの装飾品に驚かされる。それはソ連のコインや古銭で覆われた兜である。しかし、それはまだシンプルな頭飾りであることを理解する。伝統的なもの貨幣の装飾品は15〜16キロもあるのだそうだ。
銀製の帽子
 コインは、ロシアの多くの先住民族の装飾に使われてきた。たとえば、ウドムルト、タタールスタン、マリエル、バシキールなどである。コインで作られたアクセサリーというものをおそらく皆さんも見たことがあるだろう。しかし、チュヴァシの女性のコインの装飾品は信じられないものである。 
 主要なのは頭飾り。女性たちはこれを自分で作る。未婚女性は、「トゥフヤ」と呼ばれる兜に似た帽子を、既婚女性は「フシプ」と呼ばれる頭頂が覆われ、長い「尻尾」のついた帽子を被る。この重い「尻尾」は姿勢をピンと正すのを助けてくれる。

Legion Media
 帽子には重い銀貨がふんだんに吊り下げられている。コインが足りない場合には、模造品のコインを用いた。中でも価値のあるコイン、歩いたときにもっとも響きのよいコインをこめかみにつける。使われたのはすでに流通していないものだけである。博物館や古い写真では、おそらく、かつての主要な貿易路だったヴォルガ川を通ってチュヴァシに運ばれてきたと思われる外国のコインが使われているのが分かる。頭飾りには、コイン以外に、ビーズや小さな貝殻も使われている。ビーズや貝殻も、かつては経済状況を見せるものだったのである。
 チェボクサールにあるチュヴァシ刺繍博物館のナジェジダ・セリヴェルストロワ館長は、「女性は出産できる年齢になるとトゥフヤを被り、結婚をして、子孫を残す準備ができているということを示したのです」と話す。トゥフヤは常に被り、それと一緒に、コインで作られたアクセサリー(チャプチュシキ)とピアス(アルガ)をつけた。
  結婚式のときには女性はフシプを被り、それまで被っていたトゥフヤを下の妹たちに譲る。ナジェジダさんは話す。「フシプは祝祭日につけました。高齢になると、自分のフシプを上の娘に譲り、スルパナと呼ばれるプラトークだけをつけるようになります。女性がフシプを身につけているということは、まだ子どもを産むことができるとアピールしているということです」。
 チュヴァシの女性は、頭飾りの他に「シュリゲメ」と呼ばれるアクセサリーをつけた。これは、全体がコインだけでできていて、真ん中に装飾の留め金のついた見た目は小さなバッグのような、カードのようなものである。コインは、「アルガ」と呼ばれるピアスを作るのにも使われたが、これも重くて、大きな音がした。
お守りとして、投資として
 かつてチュヴァシの人々は、こうした装飾品は悪霊から身を守ってくれると信じていたとナジェジダさんは言う。「概して、若い女性は、近親者同士の結婚を避けるため、遠く離れた場所に嫁がされたものでした。そして新しい場所で、花嫁は自分自身のステータスを見せつけ、同時に新しい、まだ知らぬ悪霊から身を守らなければなりませんでした」。チュヴァシの伝統的な信仰では、生きているもののすべて―泉から森まで―に精霊が宿っていると考えられていた。
 お守りとされていたのはコインではなく、コインを作っている銀であった。今では科学的に、銀は菌を殺すことができる金属であることが証明されている。そこでチュヴァシの装飾品には、黄金のコインはほとんどない。
 コインのついた「兜」のルーツについては、幻想的な伝説がある。それは、チュヴァシの遠い先祖の中に、戦闘に強いアマゾンの女性がいた。最後のアマゾン女性は沿ヴォルガ地域に定住し、彼らの帷子がチュヴァシの民族衣装になったというものである。ちなみにチュヴァシの男性の衣装にコインはついていない。
なぜコインを身につけなくなったのか?
 民族衣装というものは、遥か昔の古代に生まれたものだと思われがちである。しかし、実際には、ロシアの田舎に住む人々の近代的な衣装は数十年前に着られるようになったものである。それまでは自分たちで縫ったり、織ったりしていたのである。
 チュヴァシの人々は自分たちの銀の装飾をとても大切にし、世代から世代へと受け継いでいった。しかし、現在それらはほとんど残っていない。それはすべてソ連初期の産業化と富農撲滅運動、それに続く大祖国戦争で、自分たちのコインを国家に提供したからである。それによって与えられた資金で機械やトラクター、戦車を購入した。また飢饉のときにはコインを食べ物と交換した。
 おそらく、最後の歴史的な装飾品は、今ではチュヴァシの片田舎か民俗学博物館でしか見られない。ナジェジダさんは、「家族で守ってきた装飾品をここで保管してほしいと、持ってきてくれる人々もいます」と話している。
https://jp.rbth.com/arts/87223-chuvash-josei-soushoku

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