アスティオン 2024年11月06日(水)11時00分
小森真樹(武蔵大学人文学部准教授)
<ポリティカル・コレクトネスの広がりにより、人種差別の悲劇が大衆文化の題材に。負の歴史を公のものとして語りなおす「パブリック・ヒストリー」の力とは──>
「いい、いい色の肌をしているよ。何色って言うの?」
――2023年公開の映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のなかでのレオナルド・ディカプリオの台詞だ。口説かれた裕福なアメリカ先住民の女性を演じるリリー・グラッドストーンは答える。「私の色よ。」
ロバート・デ・ニーロらが出演しマーティン・スコセッシが監督した本作が描いたのは、百年ほど前のアメリカ合衆国オクラホマで実際に起こった事件である。
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン – 公式予告編 | Apple TV+
https://www.youtube.com/watch?v=ij2L9nLhDD4
数十、数百とも目される死者を出した先住民連続不審死事件。石油産出によって超裕福になった先住民オセージ族コミュニティとそれに狡猾に"パラサイト"することで富を奪おうとする白人たち。
先住民社会と白人社会とのあいだの摩擦は、FBIの前身となる機関による捜査により「発見」されることになった。
映画の原作で、忘れ去られていたこの事件を丹念な取材によって掘り起こしたのが、ジャーナリストのデヴィッド・グランが2017年に出版したKillers of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI (邦訳『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』 だ。)
オセージはその土地で油田が発見されて石油会社からリースのロイヤルティを得ることができたが、オクラホマ州裁判所は表向き先住民の財産権を認めつつも、同時に彼らを「無能力者」認定をすることで、後見人のみが財産管理をできるという制度を狡猾に仕立てた。
当然のごとく多くの白人男性が先住民女性と結婚し後見人となることが常態化したが、1918~31年頃の同時期に先住民ばかりが原因不明の死を遂げることにもなった。なお、副題にある通り本書は映画以上に、FBIの前進組織がこの広域圏捜査から生まれた過程にも焦点を当てている。
私は映画以前にこの事件のことを知らなかったが、この映画の予告編を観てすぐに本書を読んだ。しかし読み進めながら思い出したのは別の作品、『ウォッチメン』のことだった。あまりにも『キラーズ』と似すぎているのだ。
アラン・ムーアによるスーパーヒーロー・コミックSFのダークな金字塔として知られる本作は2009年にも映画化されたが、ここで想起したのは2019年のドラマ版である。
ヘイト虐殺を暴いたドラマ『ウォッチメン』
ドラマ版『ウォッチメン』のエピソードは空爆の場面から始まる。これは1921年にオクラホマ州タルサで起こった黒人大虐殺事件である。
20世紀になって発見された油田によって「世界の石油首都」と呼ばれ、その結果アメリカ最大の黒人富裕層が住む「黒人のウォール街」と謳われたタルサで悲劇は起こった。
奴隷解放から僅か半世紀余りでの黒人の富裕化は白人との摩擦を生み、冤罪の疑いが強い白人女性への小さなハラスメント事件をきっかけに白人コミュニティから暴動が起こる。翌日には黒人区への放火と略奪、そして空爆までへと至った。
黒人富裕層を根絶やしにするように、一夜にして黒人のウォール街は消え去った。
300名以上の死者を出したとも言われるこの「事件単位ではアメリカ史上最悪の人種暴力事件」は、実は1990年代に至るまで米国内でもほとんど知られていなかった。
地元の移住誘致などに悪印象であることを恐れた行政や地域住民がこの件を積極的に語らず、当初から報道も歪んだ情報を伝えてきた。「暴動」扱いされたため免責された保険も下りず、被害者は補償もされてこなかった。
2001年に市が公式見解で認め謝罪と賠償をして、初めてその歴史が公式なものとなり、教科書でも語られ始めた。『ウォッチメン』はこの悲劇を、人種差別の歴史としてセンセーショナルに描いたのだ。
『ウォッチメン』と『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の共通点
タルサとオセージ、二つの事件は似すぎている。そしてまた、その歴史が開かれるプロセスもよく似ている。
"裕福になるはずでない"タルサの黒人とオセージの先住民。彼らはともに油田によってバブル化して富裕層になった。経済階層において「白人」が下層に位置づけられた。
事件の場所はあまりに近く、タルサはなんとオセージ居留区からわずか50マイルほどに位置している。"宝石"たる油田が富をもたらし、そして人々の欲望が悲劇を生むところまで、極めて合衆国的である。
「富裕になるはずではない」とは、いうまでもなく事件の加害者白人にとっての「はずでない」という意識である。この意識は歴史的につくられたものである。なぜ彼らはそこにいるのか。歴史をひもとくとここにも加害の非対称性があり、必然性がある。
それは、アフリカ系の人々が、奴隷貿易によって所有物として略奪され、国が二分された内戦南北戦争の結果生まれの地を去らざるを得なかったからであり、先住民族が、信教や建国の"正義"を建前に植民されたのちに痩せこけて汚染されたゆかりもない辺境の「先住民居留区(リザベーション)」へ強制移住させられたからである。
両作品は、ともにこうした非対称な歴史の上で起こった悲劇を描いた作品だ。そして大衆文化として隠された歴史が開かれていくプロセスも似ている。ジャーナリズムや政治や教育などが少しずつ動き歴史認識の非対称性の問題が知られるようになるとともに、創作物がそれを世に広めていく。
これを支えているのが、映画やドラマやコマーシャルなど各種の領域において、現代の倫理規範に照らして望ましい描写を模索する「ポリティカル・コレクトネス」の広まりである。
自主的な意識の改善でなく、それは制度として計画されることもある。
例えば米アカデミー賞主催団体では、プロットや登場人物、制作チームにおけるマイノリティ属性の割合を受賞候補作の条件に規定することで、受賞を通して社会に影響力を持つ作品をコントロールする方法をとっている。その結果、世に知られる描写や認知が変わっていくことになる。
人種、国籍、ジェンダー、クイア、心身の条件(障害の有無)、年齢、経済階層など多様性の観点から近年の受賞作――『ノマドランド』『ミナリ』『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』『プロミシング・ヤング・ウーマン』『トイストーリー4』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『コーダ あいのうた』――を振り返れば、思いあたるところがないだろうか。
人々の意識だけでなく社会で制度化されることで、それらは実行力をもつ。歴史の認知はこうして立体的になって徐々に修正されていき、歴史は社会のなかで公的に描かれていくのである。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はその物語だけでなく、助演のグラッドストーンは先住民のシクシカイシタピとニミプーの血を引いており、音楽を担当した元ザ・バンドのメンバーロビー・ロバートソンはモホークの系統である。本作が近未来のオセージの生活をどのように変えていくか、そのゆくえに注目している。
パブリック・ヒストリーが開いた負の歴史
ポピュラーカルチャーのコンテンツの素材として「発見」された歴史が社会へと開かれていく。
一方のウォッチメンシリーズは、現代アメリカを舞台にした政治的SFで、例えば冷戦体制が終わらずリベラル政権が実質独裁化し、地下組織で極右が台頭している...など社会風刺をふんだんに散りばめている。
こちらもまた、現実社会で明るみに出てきた人種差別の負の歴史を、公のものとして「パブリック」に取り戻し語るものである。歴史学の用語ではこうした見方を「パブリック・ヒストリー」という。
歴史とは、歴史書や教科書に書かれたものばかりではなく、映画やテーマパークなど人々の娯楽の中でも作られるものであり、人々の歴史認識を生み出す効果の点では、それも「公に語られる歴史」なのである。
10月に刊行した拙著『楽しい政治 「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』では、本稿で触れた『ウォッチメン』がもつパブリック・ヒストリーとしての力について、トランプ元大統領など現代アメリカ社会についても触れながらより詳細に解説している(第1章)。
先に挙げた『ノマドランド』『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』『トイストーリー4』のほか、『アメリカン・ユートピア』『コンクリート・カウボーイ』などの作品も各章で取り上げており、現代アメリカ文化から様々な社会問題について論じている。
付録のキーワード事典と併せて、「ポリティカル・コレクトネス」や「多様性」「ブラック・ライブズ・マター」や「陰謀論」「インターネット・ミーム」などといった文化の現在を学ぶ参考書として編んだので、本稿にご関心を持ってくださった方はそちらもご笑覧ください。
[映像作品]
Killers of the Flower Moon Directed by Martin Scorsese, 2023 (Paramount Pictures, Apple Original Films).
Watchmen (TV series), Directed by Damon Lindelof, 2019 (White Rabbit, Paramount Television, DC Entertainment, Warner Bros. Television; HBO)
小森真樹(Masaki Komori)
武蔵大学人文学部准教授、ウェルカムコレクション及びテンプル大学歴史学部客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。著書に、『楽しい政治』、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」。展示に、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」、編集企画に『-oid』など。「ミュージアムで迷子になる」「包摂するミュージアム」「『暮らし』が語るアメリカ社会」連載中。
「現代アメリカ合衆国における科学観の再定義:博物館展覧会の利用実態の分析から」にて、サントリー文化財団2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。
https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2024/11/post-198.php