東洋経済 2024/11/22 14:00
許 仁碩 : 北海道大学メディア・コミュニケーション研究院助教
11月21日のベネズエラ戦で東京ドームに来たギリギラウ・コンクアン(giljegiljaw kungkuan)選手(写真:Getty Images)
11月16日、世界野球プレミア12予選グループBの日本対台湾の一戦は、3対1で日本が勝利した。この試合では日本の勝利だけでなく、台湾のある選手が日本の一部メディアやSNSで注目を集めた。
その選手とは代打で出場したギリギラウ・コンクアン(giljegiljaw kungkuan)選手だ。台湾で2年連続ホームラン王に輝いたことがあるギリギラウ選手は、台湾原住民族(台湾先住民※)のうち2番目に人口が多いパイワン族出身だ。
※台湾の先住民は後述するように「台湾原住民族」を自らの呼称として主張し、それが認められてきた経緯がある。本記事ではそれを尊重し、台湾先住民を指す際には原則として「台湾原住民」を用いる。
長年認められてこなかった自分たちの名前
ギリギラウ選手が注目を集めた理由は、日本語の実況やニュースで読み上げられた名前にある。彼の登録名は本来の名前の発音に漢字を当てた「吉力吉撈・鞏冠」と表記されている。そのため、一部の日本メディアは漢字表記をもとに「キチリキキチロウ・キョウカン」と発音した。日本の野球ファンにとって馴染みがない独特の響きが話題となり、一時SNS上でトレンド入りした。
ただ、「キチリキキチロウ」読みは名前の本来の発音から大きくかけ離れている。日本での反響は台湾メディアでも報じられた。それを受けて台湾の原住民族団体「台湾原住民族青年公共参与協会」などは20日に日本メディアへ公開書簡(声明)を送付した。声明では日本メディアにパイワン語の発音に沿った「ギリギラウ・コンクアン」での呼称を提案している。
台湾原住民族が名前やその発音について声明を出してまで理解を求めるのは、長い間氏名が尊重されてこなかった歴史的背景と、その状況を是正しようと氏名に関する権利の回復を目指して、それをようやく勝ち取ったという強い想いがあるからだ。
台湾原住民族は、フィリピンやインドネシアの先住民族と同じオーストロネシア語族(南島語族)に属する。従来は集落単位で暮らしていたので、「民族」という概念はなかった。日本植民統治時代以降、日本政府は平地と山地に住む人たちをそれぞれ「平埔族」と「高山族」(後ほど「高砂族」も用いられた)と呼称。さらに日本の人類学者によって、「高山族」を7民族に分類した。
よそ者に勝手につけられ、強要された名前
戦後、台湾を統治するようになった中華民国政府は「高砂族」の呼び方を「山地同胞」に変えた。ただ、民族名についてはおおむね日本政府のものを引き継いで用いた。そのため、当事者である原住民族は、日本や中国という外部から来た統治者によって勝手に「あなたたちは◯◯族だ」と決めつけられた状態が続いた。
さらに個人の氏名についても日本政府と中華民国政府はともに同化政策を推進したために各時代で日本名、漢族名を強要した。その結果、原住民族の人たちは漢字表記かつ「姓+名」の形式で戸籍を登録させられた。その中では役所の都合で本人も知らないうちに適当な名前につけられたことも多かった。
原住民族にとって名前は文化や社会に深く根付いている。例えば、台湾原住民族団体の声明によれば、パイワン族の場合に「ギリギラウ」は個人名、「コンクアン」は「家屋名」である。
「家屋名」は「家族が住んでいる『屋』の名前」である。もしギリギラウ選手は家族と一緒に暮らしていた「家屋」を離れて、自分の「家屋」を建てた場合、「ギリギラウ」の後ろにつく「コンクアン」も新たな「家屋名」に変わることになる。由緒が正しい「家屋名」を継ぐことは、パイワン族にとって非常に誇らしいことだ。
他にも父親または母親の名前を継ぐ連名制など、原住民族はそれぞれの想いを名前に込めている。しかし、日本植民統治時代から続いた同化政策によって、付けられた漢名を受け入れざるを得なくなり、伝統名に込められる伝統文化との絆も失いつつあった。
日本が第2次世界大戦で敗戦した後、台湾では1990年代まで中国から台湾に撤退した中国国民党による一党独裁体制が続いた。「山地同胞」と呼ばれる原住民族も、同化政策や経済格差、差別に苦しんだ。
民主化と同時に進んだ原住民族の権利回復運動
1980年代に台湾で民主化運動が本格化すると原住民族も奪われた権利を取り戻すために動き出した。自分たちの名前を取り戻そうとする「正名運動」をはじめ、台湾に本来居住していた先住民族としての権利を訴える先住権運動が広がった。
先住権運動を始めるにあたり、原住民族内では「山地同胞」に代わる自分たちの呼称を検討した。植民統治時代につけられた「高砂族」は論外とされたが、日本語由来の「先住民族」は候補に上がった。しかし、「先」が中国語では「すでに滅びた」ことを意味するために却下された。最後は「もとから住んでいる人々」という意味がある「原住民族」に決定。権利回復の訴えが徐々に認められた結果、1990年代の法改正によって「原住民族」は正式名称になった。
各部族名についても政府につけられた9つの族名ではなく、自分たちの本来の族名を回復する運動が広がった。現時点で公式に認定された民族数は16民族に増え、現在も族名の回復や認定手続きが続いている。
台湾原住民族の個人名も1994年から戸籍に伝統名を登録できるようになった。しかし、登録は中国語の漢字で登録しなければならないため、実際に登録されたのは伝統名の「当て字」にすぎなかった。
そのため、ギリギラウ選手も自分の名前を「吉力吉撈・鞏冠」という本来の発音とは異なる漢字で表記せざるを得なかった。原住民族は中国語の当て字ではなくアルファベットを用いて本来の正しい発音を登録できるようにも訴えて続けてきた。そして2024年5月の法改正によって、ようやく戸籍上に伝統名をアルファベットのみで登録できるようになった。
制度上は伝統名を回復できるようになったが、社会に浸透するにはなおも高い壁が立ちはだかる。台湾の政府統計によると、2012~2018年までに伝統名の回復を申請した人数は、原住民族の5%しかいなかった。差別を受ける恐れや周囲に迷惑をかけたくないとの気持ち、手続きが面倒、漢名に慣れてしまったなどの理由で、多くの原住民族は漢名のままで生活を送ることを選んでいる。
日本プロ野球でも活躍してきた郭源治氏、陽岱鋼氏、宋家豪氏、古林睿煬氏などの台湾出身選手も原住民族である。ただ、漢名であることもあり、日本では彼らが原住民族であることはあまり知られていない。そして彼らの伝統名は日本だけではなく、台湾でもほとんど知られていない。
【2024年11月22日19時08分追記】初出時の表記に誤認があったため、上記の通り修正しました。
社会の壁に立ち向かうギリギラウ選手
今の台湾社会でも伝統名を回復した原住民族はしばしば「変な名前」、「意識高い」という眼差しを浴びせられる。11月16日に行われた日台戦の翌日(17日)、台湾メディアはギリギラウ選手に名前が日本で話題になったことについて質問した。ギリギラウ選手はカメラに向けて明確に自身の名前の呼び方について「ギリギラウ・コンクアン(giljegiljaw kungkuan)」と2回発音した。
困惑気味になった記者は「もっと簡単な呼び方はないか」と聞いた。その質問を受けて、ギリギラウ選手は一瞬、眉をひそめてから、「ギラウ(giljaw)でもいいです」と答えた。
ただ、「ギラウ」は親しい友人や家族が呼ぶ名前で、本来は公式の場で用いるべき呼称ではない。つまり、台湾メディアの記者ですらギリギラウ選手の名前の正しい発音を視聴者に紹介するより「長い、珍しい、読みにくい名前」をネタとして扱っているとしか見えないやりとりだった。
ギリギラウ選手は、社会の壁に毅然と立ち向かっている。2012年からアメリカでプレーしていた際には、2019年にマイナーリーグでの登録名を「giljegiljaw kungkuan」に変更。アメリカでプレーした台湾原住民族選手の中で、初めて伝統名で登録したのはギリギラウ選手である。
そして2021年に台湾に帰国し、台湾プロ野球史上初の伝統名で登録する選手となった。台湾のプロ野球チームでの入団式では「(当て字である)漢字で登録しているが、パイワン語の発音で私を呼んでください」とファンにお願いしていた。
2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選でホームランを放って活躍した際に、台湾メディアも今回の日本社会と同様に「珍しい名前」、「読み方に困惑」と取り上げた。報道に対して、ギリギラウ選手の父親は「中国語の当て字ではなく、パイワン語で息子の名前を呼んでほしい。ギリギラウ・コンクアンは美しい名前ではないか、ぜひ母語で読んでほしい。いつもメディアの皆様にそうお願いしている」と訴えた。
ギリギラウ選手は決してひとりぼっちではない。彼が所属する台湾の味全ドラゴンズのチームメートの中にも、Villian Isnangkuan(ヴィリャン イスナンクァン)選手やMasegesege Abalrini(マスグスグ アバレイニ)選手、Namoh Iyang(ナモー イヤン)選手など、伝統名でプレーする原住民族選手は増えている。ありのままの伝統名を背負ってプレーする選手たちの姿は、多くの原住民族に勇気と誇りをもたらしているだろう。
https://toyokeizai.net/articles/-/841979?display=b