ファッションテックニュース 1/10(金) 8:10配信
北海道に隠された金塊をめぐる冒険漫画『ゴールデンカムイ』。
作中には、“不死身の杉元”と称された元兵士・杉元佐一と、アイヌ民族の少女・アシㇼパをはじめ、多くのキャラクターが登場する。アシㇼパたちアイヌ民族が身にまとう衣装は、実際に着用されていた伝統的な装いを再現しており、その代表的なものが「アットゥㇱ」である。
樹皮から作られた服として知られるアットゥㇱとは、どんな服なのだろうか。
この伝統的な衣服に込められた知恵と技術、そしてアイヌ民族の豊かな衣服文化について、国立民族学博物館人類文明誌研究部の齋藤 玲子さんにお話を伺った。
(※本記事は漫画『ゴールデンカムイ』のネタバレを一部含みます)
樹皮を採って、アットゥㇱができるまで
ーはじめに、アットゥㇱとはどんな服なのでしょうか?
アットゥㇱは、オヒョウ(ニレ科)の樹皮を素材として作られるアイヌ民族の伝統的な衣服です。木綿の生地が手に入る前から着用されていた、基本的な衣服といえます。
その名称は、アイヌ語で「アッ(オヒョウの樹皮)」「ルㇱ(毛皮)」が語源と考えられていて、「オヒョウ樹皮で作った毛皮(のようなもの)」という意味だろうと思います。
ー作中では、アットゥㇱは「オヒョウの木の皮を下からはがして作る」と説明されています。実際はどうやって作っていたのでしょうか?
私も一度だけ採取のお手伝いをしたことがありますが、実際も漫画のようにオヒョウの皮を下から剥いでいきます。
その後に外側の硬い皮を取り除き内皮だけにして、昔は集落の近くの川や湖、温泉に浸けていました。
樹皮は何層にもなっているので、水に漬けてやわらかくした後、薄く剥いでいき、それを割いて糸にしていました。
ー非常に手間がかかる作業に思えますが、樹皮を採ってから服ができるまで、どれくらいかかるのでしょうか?
織物だけに専念したとしても少なくとも2~3ヶ月はかかったはずです。
アットゥㇱを1着作るには、仮に計算してみると、3~4kmの長さの糸が必要ということになります。重さでいうと、1~1.2kgくらいです。
初夏にオヒョウの皮を採り、日々の作業の合間に糸を作ることを繰り返していたと思います。
「アイヌの女性は常に糸をよっていた」という話もよく聞き、また幼い頃から糸を作る手伝いをしていたともいいます。
作中で、大きくなっても山に行くばかりでまだ裁縫ができないアシㇼパさんが、祖母であるフチに心配されているのも、そうした背景があるからと思われます。
ー現代人から見ると、毛皮などで服を作る方が手軽で暖かいように感じます。アイヌがアットゥㇱを好んだ理由は何でしょうか?
北海道から樺太のアイヌ民族は、世界的に見ると「毛皮ではなく、衣服として織物を作る地域」の最北端に位置しています。
これより北の地域では、伝統的な衣服は毛皮や革で作られてきました。しかし北海道は気候的に毛皮では暑すぎる、まさに境界線上の地域なのです。
あとは、糸の素材となるオヒョウの木が身近にあったことも理由の一つかもしれません。
オヒョウは本州などにも見られますが、北海道には特に多く生えている木なんです。いまでも全道的に見ることができます。
アシㇼパの服の文様は樺太アイヌのもの
ーアシㇼパは子どもですが、実際のアイヌの子どももアットゥㇱを着ていたのでしょうか?
江戸時代の絵を見ると、幼い子どもが裸で過ごす様子が多く描かれています。ただ、もちろん寒いときはアットゥㇱなどを着ていたと思います。
その場合は、大人の古着を小さくしたり、あまった布を仕立てたりして、子どもむけに作り変えていたのではないでしょうか。
ー冬の寒さが厳しい北海道ですが、アットゥㇱは寒くないのでしょうか?
アットゥㇱは、繊維の間に空気を含むので暖かかったようです。
大正生まれの方で「オヒョウ樹皮の靴下は冬でも暖かかった」と語る方にもお会いしたことがあります。
ほかに「アットゥㇱの内側に毛皮を付けて暖かくする」という工夫もあったようですね。
ーアシㇼパの金塊探しの旅は2年ほどでした。その間、アシㇼパはずっと同じ服を着ていますが、実際にアットゥㇱはどれくらい持つのでしょうか?
アットゥㇱを2年間にわたって毎日着用し続けることは、実際にはありえないと考えます。
アットゥㇱは非常に耐久性の高い衣服として知られていますが、肘や袖口、お尻のあたりなどは日常的な使用で摩耗しやすい箇所でした。
補修を重ねながら丁寧に着用することで、長期の使用も可能であったと推測されます。
ーアシㇼパは自分の服をアットゥㇱだと思っていますが、正確には「テタラペ」という樺太アイヌの服だったことが物語の後半でわかります。
アシㇼパの服の文様は、北海道アイヌではなく樺太アイヌのものに似ています。
樺太のテタラペは、北海道のアットゥㇱより文様が複雑で、刺繍の曲線や糸の色なども違うことが多いです。
ー柄のほかに、テタラペとアットゥㇱに違いはありますか?
テタラペは、イラクサという草から作られます。細い繊維がとれるのでアットゥㇱよりやわらかく、雪にさらすことできれいな白色になります。
アットゥㇱの方が丈夫ですが、テタラペの方が着心地がいいと思いますよ。
博物館ではさまざまな衣服を見ることができる
ー『ゴールデンカムイ』では、アシㇼパ以外にもたくさんのアイヌ民族が登場します。そのうちのひとりであるキロランケが着ているのが「カパラミㇷ゚」ですが、これはどういう服なのでしょうか?
(北海道の中央南部に位置する)日高地方などでカパラミㇷ゚と呼ばれるのは、木綿地の上に、白くて大きな布を切り抜いてアップリケのように縫い付けて、文様とした服です。
アイヌの衣服のなかでは比較的新しく、まさに作品の舞台になっている明治末に出てきた服ですね。地域による違いはありますが、日高地方をはじめ、現在は儀式や舞踊などのときに、このカパラミㇷ゚を着る人は多いです。
ー続いては、インカㇻマッという占いをする女性。彼女は、アシㇼパの父からもらった「チンチリ」という服を着ています。
インカㇻマッの服は、(作品の設定に合わせて)樺太アイヌの文様が描かれていますね。
北海道の太平洋側などでチンチリ、チヂリと呼ばれてきたものです。古くからある服と考えられ、刺繍だけで文様をつけています。
刺繍する面積が大きいので、現代の作り手はチヂリが一番大変だと言います。
ーインカㇻマッを含め、作中に登場するアイヌの服を見ていると男女で大きな差がないように感じます。
その通りで、アイヌの服には男女の差がありません。
個人の好みやサイズの違いはあったでしょうが、「男性はズボン、女性はスカート」といった性別による様式や文様の違いは顕著ではありませんでした。
ー作中には、メインキャラクターの服以外にも先住民族の服が多く登場します。その中から、特に気になったものを選んだので、解説してもらえますか。
漫画の4巻カバー下に登場する「ルウンペ」は、(北海道南西部にあたる)胆振地方で「ル(道)ウン(ある、持つ)ペ(もの)」と呼ばれる衣服です。テープ状に裁断した布を、伸ばしたり折り曲げたりしながら着物に縫い付け、その上から刺繍を施して制作します。
4巻カバー下に描写されているのは、釧路市立博物館が所蔵する、貴重な衣服をモデルにしたものと思います。酷似した衣服がロシアに2点存在しており、同一人物の手によるのではと推測されるほどです。
これらは現存するアイヌの衣服の中では最古級とされ、ロシアの博物館にある2点の収蔵時期は18世紀です。
5巻カバー下イラストに登場している「チェㇷ゚ウㇽ」は、サケやマスなどの皮で作った服です。
現在まで残っているのは樺太アイヌのもので、数は少ないですが、国立民族学博物館などに収蔵されています。
7巻カバー下イラストに登場する「ウㇽ」はアザラシの毛皮で作られた服です。チェㇷ゚ウㇽよりも現存するものが少なく、国内では早稲田大学 會津八一記念博物館に所蔵されています。
7巻カバー下イラストに登場する「ウㇽ」はアザラシの毛皮で作られた服です。チェㇷ゚ウㇽよりも現存するものが少なく、国内では早稲田大学 會津八一記念博物館に所蔵されています。
ウㇽ(早稲田大学會津八一記念博物館所蔵[協力/公益財団法人アイヌ民族文化財団])
また、10巻カバー下イラストの「チカㇷ゚ウㇽ」は、羽根が付いたままの海鳥の皮を何十枚も縫い合わせて作られたもので、千島アイヌが着用していました。
現存する実物は極めて少なく、その希少性から一般公開される機会は限られています。実物は徳島県立鳥居龍蔵記念博物館と、北海道大学植物園内の北方民族資料室に収蔵されています。後者では複製品を見ることができます。
17巻カバー下イラストの「ポクト」は、サハリン(樺太)の先住民族ウイルタの伝統的な衣服です。写真は戦前の樺太で収集されたものです。終戦後、ウイルタやニヴフの人々の一部は北海道へ移住し、網走市にも居住していました。
17巻カバー下イラストの「ポクト」は、サハリン(樺太)の先住民族ウイルタの伝統的な衣服です。写真は戦前の樺太で収集されたものです。終戦後、ウイルタやニヴフの人々の一部は北海道へ移住し、網走市にも居住していました。
2007年にウイルタ民族の北川アイ子さんが逝去され、以
2007年にウイルタ民族の北川アイ子さんが逝去され、以降、日本ではウイルタのアイデンティティを表明している方はいないと思います。
ーアイヌ民族の衣服文化の継承という観点から、アットゥㇱをはじめとする伝統的な衣装の今後についてお聞かせいただけますでしょうか。
アイヌ民族の伝統的な衣服は、明治以降の同化政策などにより、ほとんど制作されない時期がありました。
1980年頃から、文化復興に伴い、儀式や舞踊などのための晴れ着が作られるようになりました。それらをアレンジしたバッグや壁掛けなどの小物が、工芸品として販売されています。
アットゥㇱについては、平取町の二風谷アットゥㇱと二風谷イタ(木盆)が2013年に経済産業省の「伝統的工芸品」として、北海道で初めて指定されました。
この指定により、国有林や道有林からオヒョウ樹皮の安定的な確保が図られるようになりました。現在ではアットゥㇱの制作講座が開催されるなど、二風谷を中心として、他地域へも伝統技術の継承が広がりつつあります。
このように、アイヌ民族の伝統的な衣服文化は、新たな時代の中で着実に受け継がれ、その価値が再認識されています。この貴重な文化遺産を守り、次世代へと伝えていくために、博物館や研究者に何ができるかこれからも考え続けていきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/109a1a27a7a003333f496e33e6541ce6b47831d2?page=1