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祖父の汚名をそそいだ江戸城登城。弘前藩を支えた「石田三成の末裔」はいかなる人物だったのか?【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】

2021-03-22 | アイヌ民族関連
サライ 3/21(日) 6:08
箱館戦争の舞台となった五稜郭の桜景色。例年、5月上旬に桜の見頃を迎える。
■石田三成の末裔 津軽海峡を渡る
『津軽一統志』所収の寛文蝦夷蜂起に関る蝦夷地の図面
慶応4年(明治元年)8月、榎本武揚(えのもと・たけあき)ら旧幕府海軍は品川沖を出帆して、北を目指した。
旧幕府海軍は10月に蝦夷地(北海道)に到着し、箱館(函館)を守備していた弘前・松前藩兵等の明治政府軍との戦闘を開始した。旧幕府軍は、政府軍を各所で退け、箱館府知事・清水谷公考(しみずだに・きんなる)は、青森へ逃亡した。旧幕府軍は無人の五稜郭を占拠し、さらに、松前城を落として松前一帯を占拠、松前藩主・松前徳広も津軽領へと逃亡した。
翌、明治2年4月、明治政府軍は、蝦夷地を旧幕府軍から奪還すべく、雪の消えるのを待って続々と津軽海峡を渡った。その中に、「軍事総轄」として、弘前藩兵を率いる杉山上総(すぎやま・かずさ/成知、龍江とも)の姿があった。
「出デハ軍務ヲ司リ、入テハ政務ヲ参画シ、内外ノ功績顕著ナル」と、評された上総は、弘前藩12代藩主・津軽承昭(つがる・つぐあきら)をよく補佐し、特に弘前藩の軍務のトップとして、函館戦争をリードした人物だった。
杉山家は、石田三成の次男・源吾重成を家祖とし、代々、弘前藩の重臣として重きをなした家だった。上総も、藩の重臣として、未曽有の動乱に対処していたのである。
幕末の杉山家当主・上総よりも200年前、同様に軍勢を率いて津軽海峡を渡った杉山家の人物がいた。石田三成の孫である杉山八兵衛(吉成)である。
八兵衛は、津軽家に出仕後、累進して、1300石という大身の禄を食み、「番方(藩の軍事組織)」の中核を担う重臣となった。その実力は幕府も認めており、その子「勘左衛門」は、「証人(幕府が大名やその重臣からとった人質)」として江戸にとどめ置かれるほどだった。
その八兵衛の、もっとも著名な功績が、4代藩主・津軽信政の時代の寛文9年(1669)に、弘前藩兵を率いて津軽海峡を渡り、寛文蝦夷蜂起(シャクシャインの乱)鎮圧に貢献したというものだった。
■蝦夷地に対する最前線基地
「北狄(ほくてき)の押(おさえ)」という言葉がある。弘前藩が、幕藩体制化における自己の立ち位置を明確化し、藩政時代を通じて自己認識の要とした言葉である。「北狄」はいうまでもなく、中華思想における東夷・西戎・南蛮・北狄のうち、中華の北方の民族を指す言葉である。弘前藩は津軽海峡に面するという地理的環境から、蝦夷地に対する本州側の窓口であることを自任していた。いわば、蝦夷地に有事があった際の最前線基地として自らを位置づけ、その事実を藩内外にアピールするための文言だったのである。
弘前藩は、寛文蝦夷蜂起の際に、当事者である松前藩を除いて唯一出兵した実績を持ち、そのことが「北狄の押」という自己認識を深める契機となったと考えられている。
津軽信政の後を継いだ、5代藩主・津軽信寿(つがる・のぶひさ)の代に編纂された、弘前藩の官撰史書『津軽一統志』では、編纂直前の信政の時代については、寛文蝦夷蜂起に関する詳細な記述にほぼ限定される。また、同時期に行なわれた、幕府への家格上昇運動(十万石への高増を要望した運動)において、「北狄の押」という言葉が使われるようになる。
弘前藩にとって寛文蝦夷蜂起での出兵は、「北狄の押」という自己認識を生んだだけでなく、内では、その記録を信政の功績として位置付けることで家臣への求心力を高め、外では、幕府への奉公の実績として顕示するという役割を担ったと考えられる。こうして、「北狄の押」は、藩政期を通じた、弘前藩にとって、もっとも重要な自己認識となっていくのである。
■杉山八兵衛の出陣
日本の近世最大の民族衝突とされる寛文蝦夷蜂起は、寛文9年6月から7月にかけて、シブチャリ(北海道静内町)の首長・シャクシャインを中心として蜂起したアイヌたちが、蝦夷地に滞留していた和人たちを襲撃するかたちではじまった。
もともとは、アイヌどうしの漁労・狩猟のなわばりをめぐる争いに端を発したものだが、その争いを調整できなかった松前藩や、アイヌ社会の生業圏などを侵害し、秩序を混乱させた和人たちに対する不満がアイヌの中に渦巻いていた。シャクシャインたちは、そうした不満や社会不安に衝き動かされて、立ち上がったのだ。
アイヌ蜂起の報に接した幕府は、旗本として仕えていた松前泰広(松前藩主一族)を派遣して鎮圧の指揮を執らせる一方で、弘前藩等の北奥羽の諸藩に加勢準備を指示した。
弘前藩の動きは、他藩に比して素早く、そして積極的だった。7月の段階で、松前藩から通報を受け取った後、3隊・3000人の陣立てを準備した。その陣立ての一番隊侍大将が、杉山八兵衛であり、8月27日の幕府からの出兵命令を受けて、9月5日に700人余りを率いて弘前を出陣し、同8日には松前へ到着した。
八兵衛は、戦場の最前線であるクンヌイ(北海道長万部町)まで進軍することを望んだが、松前藩から拒否された。結局、実際に戦闘することはなかったが、八兵衛は戦況の変化を頻繁に国元へ報告し、その報告は幕府へももたらされた。さらに、弘前への帰陣後は、八兵衛自身が報告のために江戸へ向かった。
■祖父・三成の汚名をそそいだ江戸城登城
江戸城に登城した八兵衛は、老中等幕閣と面会し、蝦夷地での状況を報告し、さらには幕府から受けた扶持米の礼を藩主に成り代わって述べた。津軽信政の義兄で若年寄だった土井利房からは、松前への出兵と、そこからもたらされる八兵衛からの情報に対して、老中たちが「残すところのない働き」であると評価したことを告げられた。
その言葉を、八兵衛はどのような思いで聞いただろうか。脳裏には、祖父・石田三成や、遠く津軽まで落ち延び、侘しく没した父・源吾のことがよぎったであろうか。
関ヶ原合戦から69年。徳川将軍は4代家綱の時代となっていた。江戸城での幕閣との対座は、八兵衛にとって祖父・三成の汚名をそそぐ場となったのである。
そして、幕閣による杉山八兵衛に対する評価は、同時に、弘前藩に対する幕府の評価、そして弘前藩自身の自己評価となった。
当事者である松前藩以外に、幕府の命に沿って唯一軍事的行動をとることで、「北狄の押」を全うしたという弘前藩の自己認識は、前述のとおり、『津軽一統志』などによって、弘前藩の歴史に刻み込まれていった。そして、その実行者が杉山八兵衛だったのである。
■世代を超えた三成末裔の活躍
再び、明治2年に話を戻すと、杉山上総が統率した弘前藩兵は、木村杢之助(きむら・もくのすけ)隊の活躍で、函館戦争の分水嶺ともなった矢不来(やふらい)の戦いにおいて台場を攻略するなどの軍功をあげた。
その際、政府軍征討総督の太田黒亥和太(おおたぐろ・いわた/維信・熊本藩士)は、それまで満足な軍功をあげてこなかった弘前藩に対し、「貴藩は従来、北門鎖鑰(ほくもんさやく/北の守りの要)なのであるから、その任を果たす一大好機がきたではないか」と叱咤した。
その叱咤を受けた木村の奮闘で、弘前藩は矢不来の戦いを勝利に導く活躍をみせたのであるが、「弘前藩は『北門鎖鑰』なのだ」という認識が、遠く熊本藩においても存在したことに注目したい。
これは、杉山八兵衛の功績が、上総の時代まで脈々と、自他ともに認める弘前藩の実績として認識されていたということなのである。
弘前藩のよりどころとなった認識の形成に、杉山八兵衛は、実際の行動によって大きく寄与し、その認識は、200年後の上総の時代にも生きていた。八兵衛の功績を、上総は函館戦争において、さらに補強したのだといえよう。
他にも弘前藩を代表する人材を輩出した家は多いが、こと、津軽海峡を渡って実際に軍事を司り、自他ともに認める功績を挙げ得た家は杉山家だった。このことを顧みると、津軽家が危険を顧みず三成の遺児を匿(かくま)ったことは、後にいたって大きく報われたというべきではないだろうか。
維新後、上総は新たに設置された弘前県・青森県のために様々に貢献するが、新たな時代へかける意気込みは、豊臣政権の運営に尽力した先祖・石田三成をほうふつとさせるものであった。さらに、上総の子・トウ之進(とうのしん)は、教育者として活躍し、藩校を前身とする東奥義塾の塾長などを務め、長く郷土の子弟教育に献身した。
このように、石田三成の主君や公へ尽くした一生は、姿やかたちを変えつつも、家風として代々杉山家に伝わったといえるのではないだろうか。
秀吉の天下統一と石田三成の孫を家老に迎えた弘前藩の思惑【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】に続きます。
文/小石川透(弘前市文化財課)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d93bf596d540491c8ecdd4d899c629b808a78fbe

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愛嬌満点のエゾクロテン! こんなにかわいいのに実は冷徹な森のハンターなんです

2021-03-22 | アイヌ民族関連
ベストカー 3/21(日) 18:00
 北海道留萌市在住の写真家・佐藤圭さんが撮った貴重な動物、風景写真をお届けする週末連載。第4回は、あざとかわいい顔の「北の狩人」エゾクロテンです。
  イタチの仲間で、イタチ科の動物には、他にオコジョ、フェレット、カワウソ、ラッコなどがいます。みなかわいらしい顔が特徴ですね。
  北海道固有の野生動物で明治時代までは北海道全体に生息していたようですが、明治大正時代に、毛皮をとるために乱獲され、今では道北や道東の一部の森にしか棲んでいません。
  1年を通じて、北海道の山に入って撮影をしている圭さんでもめったに出会うことがないというエゾクロテン。キュートな顔をぜひご覧ください。
木登り上手の優秀なハンター
 今回紹介するのは、イタチの仲間のエゾクロテンです。
 天井に張り付くほど、木登りが上手なので、テンと名付けられたという説があります。
 アイヌ語では、カスペキラ(しゃもじを持って逃げる者)。いたずら者というイメージが強かったんですね。
 名前を漢字で書くと「黒貂」となりますが、エゾクロテンの毛皮は白っぽい黄色で、黒いのは足としっぽだけです。
 尾まで含めた体長は50cmほど。スマートでしなやかな体をもつものが多いイタチ科の動物のなかではズングリムックリなほうです。目がクリクリとして愛嬌のある顔なので、被写体としてとても人気があります。
 しかし、森に暮らすエゾシマリスなどの小動物や小鳥たちにとって、エゾクロテンは恐ろしい天敵です。果実も食べますが、主に肉食で、直径が2cmほどの小枝でも軽々登っていくので、一度狙われると逃げるのがたいへんです。
 チャンスがあれば、自分より大きなエゾユキウサギを補食するほど優秀なハンターなんです。ときには、キタキツネとケンカするほど気性が荒いです。
 冬眠はせず、雪に覆われる極寒の冬でも元気に活動しています。雪の中では目立ちやすいので、なるべく天敵のタカやワシなどの目に付かないように慎重に行動しているようです。
 活動時間は定まっておらず、昼夜活動するので、昼間に見つけられれば、こんなかわいい顔を撮影することも可能です。とはいえ、警戒心が強く、動きも速いので、出会う機会はめったになく、撮影ができた日はとても幸せな気分です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7f0d8f2bff94cabcb4be044912e7a68e636263d

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ユネスコ無形文化遺産、阿寒湖「アイヌ古式舞踊」がリニューアル!!

2021-03-21 | アイヌ民族関連
PRTIMES 2021年3月20日 18時00分
阿寒湖アイヌの歌、踊り、祈りを、祭具「イナウ」をベースに再構築。新しくなった「アイヌ古式舞踊」2021年3月21日より公演開始!!
アイヌ文化の普及啓発活動に取り組む阿寒アイヌ工芸協同組合(北海道釧路市阿寒町 代表理事:西田正男)と釧路市は、アイヌ文化への注目が国内外から集まる中、より多くの方々がアイヌ文化に触れ、より深く理解してもらうため、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」の演目「アイヌ古式舞踊」をリニューアルし、新たな「アイヌ古式舞踊」として、3月21日(月)より公演を開始いたします。

新たな古式舞踊は、阿寒アイヌ工芸協同組合理事の床州生が舞台監督を務め、企画は、秋辺デボ、渡辺かよ、平良智子を中心に、脚本・演出はクリエイティブディレクターの坂本大輔が担当。事のはじまりの時、アイヌが必ず行う儀式「カムイノミ」で用いられる「イナウ」という祭具をストーリーの柱に、阿寒湖アイヌの歌、踊り、祈りを主題として物語を構築いたしました。「イナウ」とは、それそのものがカムイ(神々)であり、カムイがこの世界に現れるときに捧げる供物であり、カムイの世界に送る土産であり、アイヌとカムイを繋ぎ、意思疎通を図るための仲介役とも言われています。人は、本当のことを正しい言葉で伝えることに長けていません。そこを補ってくれるのが、イナウであり、歌であり、踊りであり、祈りであると阿寒湖アイヌは考えています。
「アイヌ古式舞踊」https://www.youtube.com/watch?v=7NXU4PbA3sQ
私たちが住む世界にはたくさんのカムイがいます。中でも阿寒湖のアイヌが大切にしているカムイはより身近にあるもの。それは、火、水、土、風、太陽。本公演では、この5つのカムイ、イナウにスポットを当てて、新たな古式舞踊を披露いたします。
※なお、この取組みは国のアイヌ政策推進交付金を活用し、阿寒アイヌ工芸協同組合、釧路市が協力し進めたものです。
「アイヌ古式舞踊」
公演開始日:2021年3月21日
公演日時:3月21日~4月28日 20時より1公演
※4月29日以降の公演は調整中です。
上演時間:約30分
当日入場料:大人(中学生以上)1,500円 小学生 700円
※団体予約、新型コロナウイルス感染症の状況により公演日時、公演内容が変更になる場合があります。予めご了承くださいませ。
■チケット購入方法
購入先:阿寒アイヌ工芸協同組合HP、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」窓口および阿寒湖温泉街の旅館、ホテルのフロント、阿寒湖アイヌコタンの各店舗
阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」(阿寒湖温泉アイヌコタン内)
TEL:0154-67-2727 / FAX: 0154-67-2657/ Email: akanainu@gmail.com
■「アイヌ古式舞踊」が先行オンライン配信された、
阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」の総視聴者数が2万人超を記録!!
2021年2月13日(土)、14日(日)の2日間に渡り、阿寒湖アイヌコタンで開催した阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」。2日間の総視聴者数は2万人を超えました。また、本演目を無料先行オンライン配信し、延べ2,367人(ライブ配信とアーカイブでの配信の合計)もの方々にご覧いただき、大変な好評を得たところです。
14日に行われた、ライブセッション、ドキュメンタリーの模様は、3月23日(火)25:00〜26:00、スペースシャワーTVにてオンエア予定。また、DAXのYouTubeアカウントでは、ライブセッションをアーカイブ予定です。
SPACE SHOWER TV:https://www.spaceshowertv.com/program/special/2103_dax.html
ウタサ祭り特設サイト:https://utasamatsuri.jp
■上演会場:阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」概要
日本初のアイヌ文化専用劇場として2012年にオープン。国の重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産である「アイヌ古式舞踊」等を上演し、年間約6万人の観客を動員しています。
名称:阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」
所在地:北海道釧路市阿寒町阿ユネスコ無形文化遺産、阿寒湖「アイヌ古式舞踊」がリニューアル!!
PRTIMES 2021年3月20日 18時00分
阿寒湖アイヌの歌、踊り、祈りを、祭具「イナウ」をベースに再構築。新しくなった「アイヌ古式舞踊」2021年3月21日より公演開始!!
アイヌ文化の普及啓発活動に取り組む阿寒アイヌ工芸協同組合(北海道釧路市阿寒町 代表理事:西田正男)と釧路市は、アイヌ文化への注目が国内外から集まる中、より多くの方々がアイヌ文化に触れ、より深く理解してもらうため、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」の演目「アイヌ古式舞踊」をリニューアルし、新たな「アイヌ古式舞踊」として、3月21日(月)より公演を開始いたします。

新たな古式舞踊は、阿寒アイヌ工芸協同組合理事の床州生が舞台監督を務め、企画は、秋辺デボ、渡辺かよ、平良智子を中心に、脚本・演出はクリエイティブディレクターの坂本大輔が担当。事のはじまりの時、アイヌが必ず行う儀式「カムイノミ」で用いられる「イナウ」という祭具をストーリーの柱に、阿寒湖アイヌの歌、踊り、祈りを主題として物語を構築いたしました。「イナウ」とは、それそのものがカムイ(神々)であり、カムイがこの世界に現れるときに捧げる供物であり、カムイの世界に送る土産であり、アイヌとカムイを繋ぎ、意思疎通を図るための仲介役とも言われています。人は、本当のことを正しい言葉で伝えることに長けていません。そこを補ってくれるのが、イナウであり、歌であり、踊りであり、祈りであると阿寒湖アイヌは考えています。
「アイヌ古式舞踊」https://www.youtube.com/watch?v=7NXU4PbA3sQ
私たちが住む世界にはたくさんのカムイがいます。中でも阿寒湖のアイヌが大切にしているカムイはより身近にあるもの。それは、火、水、土、風、太陽。本公演では、この5つのカムイ、イナウにスポットを当てて、新たな古式舞踊を披露いたします。
※なお、この取組みは国のアイヌ政策推進交付金を活用し、阿寒アイヌ工芸協同組合、釧路市が協力し進めたものです。
「アイヌ古式舞踊」
公演開始日:2021年3月21日
公演日時:3月21日~4月28日 20時より1公演
※4月29日以降の公演は調整中です。
上演時間:約30分
当日入場料:大人(中学生以上)1,500円 小学生 700円
※団体予約、新型コロナウイルス感染症の状況により公演日時、公演内容が変更になる場合があります。予めご了承くださいませ。
■チケット購入方法
購入先:阿寒アイヌ工芸協同組合HP、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」窓口および阿寒湖温泉街の旅館、ホテルのフロント、阿寒湖アイヌコタンの各店舗
阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」(阿寒湖温泉アイヌコタン内)
TEL:0154-67-2727 / FAX: 0154-67-2657/ Email: akanainu@gmail.com
■「アイヌ古式舞踊」が先行オンライン配信された、
阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」の総視聴者数が2万人超を記録!!
2021年2月13日(土)、14日(日)の2日間に渡り、阿寒湖アイヌコタンで開催した阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」。2日間の総視聴者数は2万人を超えました。また、本演目を無料先行オンライン配信し、延べ2,367人(ライブ配信とアーカイブでの配信の合計)もの方々にご覧いただき、大変な好評を得たところです。
14日に行われた、ライブセッション、ドキュメンタリーの模様は、3月23日(火)25:00〜26:00、スペースシャワーTVにてオンエア予定。また、DAXのYouTubeアカウントでは、ライブセッションをアーカイブ予定です。
SPACE SHOWER TV:https://www.spaceshowertv.com/program/special/2103_dax.html
ウタサ祭り特設サイト:https://utasamatsuri.jp
■上演会場:阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」概要
日本初のアイヌ文化専用劇場として2012年にオープン。国の重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産である「アイヌ古式舞踊」等を上演し、年間約6万人の観客を動員しています。
名称:阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」
所在地:北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4丁目7-84
座席数(通常時):332席+ 後部立見観覧数:120人
※現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、十分な距離を確保した座席配置とするため、減席対応をしております。
HP: https://www.akanainu.jp
■阿寒湖温泉とアイヌ
阿寒湖温泉は、火山と森と湖が織りなす豊かな原生的景観を有する「阿寒摩周国立公園」内に位置し、日本の先住民族であるアイヌの人々と日本人がともに暮らしてきた歴史があります。現在も約120人が暮らす北海道最大規模のアイヌコタン(集落)があり、自然と共存してきたアイヌの人々の暮らしやそこから生まれた音楽や歌、踊りを継承してきました。また、アイヌ文化ガイド「Anytime,Ainutime!」(https://anytimeainutime.jp/)や阿寒湖アイヌアーティストのブランド化プロジェクト「AKAN AINU ARTS & CRAFTS NEXT」(https://akanainu-next.jp/)、阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」(https://utasamatsuri.jp/)など様々な取り組みを進めています。
■演目に関するお問い合わせ
・阿寒アイヌ工芸協同組合
・電話番号 0154-67-2727
・メールアドレス akanainu@gmail.com
■アイヌ政策推進交付金に関するお問い合わせ
・釧路市産業振興部阿寒観光振興課(天内・平野)
・電話番号 0154-67-2505
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000053776.html
寒湖温泉4丁目7-84
座席数(通常時):332席+ 後部立見観覧数:120人
※現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、十分な距離を確保した座席配置とするため、減席対応をしております。
HP: https://www.akanainu.jp
■阿寒湖温泉とアイヌ
阿寒湖温泉は、火山と森と湖が織りなす豊かな原生的景観を有する「阿寒摩周国立公園」内に位置し、日本の先住民族であるアイヌの人々と日本人がともに暮らしてきた歴史があります。現在も約120人が暮らす北海道最大規模のアイヌコタン(集落)があり、自然と共存してきたアイヌの人々の暮らしやそこから生まれた音楽や歌、踊りを継承してきました。また、アイヌ文化ガイド「Anytime,Ainutime!」(https://anytimeainutime.jp/)や阿寒湖アイヌアーティストのブランド化プロジェクト「AKAN AINU ARTS & CRAFTS NEXT」(https://akanainu-next.jp/)、阿寒ユーカラ「ウタサ祭り」(https://utasamatsuri.jp/)など様々な取り組みを進めています。
■演目に関するお問い合わせ
・阿寒アイヌ工芸協同組合
・電話番号 0154-67-2727
・メールアドレス akanainu@gmail.com
■アイヌ政策推進交付金に関するお問い合わせ
・釧路市産業振興部阿寒観光振興課(天内・平野)
・電話番号 0154-67-2505
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000053776.html

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アイヌや渡来人由来も 地名に隠された郷土の歴史

2021-03-21 | アイヌ民族関連
BEST T!MES 3/20(土) 13:01
 世界でも有数の地名数を誇る日本。
 全国どこでも多様な風土を表す地名が多数存在する「地名列島」といえる。
 そんな豊かな地名のうまれた歴史を追いながら、由来の主な特徴を挙げる。
 (一個人増刊『47都道府県 地名の謎と歴史』)
■氏族・民族に由来する地名には多様な人々の足跡が残っている
 日本が地名大国である要因のひとつは、多様な氏族や民族が暮らしてきたという背景がある。地名の由来を紐解くと、様々な人々の足跡が残っていることが見てとれる。大和朝廷時代は、各地に豪族が存在し、権勢をふるっていた。さらに渡来人やアイヌ民族、琉球との関連なども加わり、土地の歴史を知るきっかけにもなっている。
●アイヌ語由来の多い北海道
 「内」「別」「幌」など
北海道はアイヌ語由来の地名がたくさんある。アイヌ語で川や沢を意味する「ナイ」「ベツ」は「内」「別」の字が当てられた。大きい、広いは「幌」の字がつけられている。
 札幌 → サッ(乾いた)+ ポロ(大きい広い)+ペツ(川) = サッポロペツ( 乾いた大きい川)
・アイヌ語の解釈を誤った例
 忠別→ チュ(波立つ)+ ペツ(川)→チュ(朝日)+ ペツ(川)= 【旭川】
・アイヌ語と日本語のミックス
 オペレペレケプ(川尻がいくつも裂けている場所)→略してオベリベリ→オベに「帯」を当てはめる+広大な平野の「広」=【帯広】
・そのほかの地名
 稚内(ワッカ・ナイ)=飲み水が豊富だった沢
 積丹(サク・コタン)=夏に村ができた場所
 門別・紋別(モッ・ペッ)=静かな川があった場所
 阿寒湖(ラカン・トー)=ウグイの棲む沼
●渡来人の国名に由来する地名
・高句麗(こうくり)→「高麗(こま)」「狛(こま)」「(巨摩)こま」
・新羅(しらぎ)→「志木(しき)」「新座(にいざ)」
4、5世紀に大陸から日本に渡ってきた人を渡来人といい、大和朝廷の発展に貢献。その影響力を物語るように大陸の国名の名残がある。「高麗」「狛」「志木」などが該当。
●渡来人の名字に由来する地名
・秦(しん)→「秦野(はだの)」「太秦(うずまさ)」
・漢(かん)→「綾瀬(あやせ)」「綾部(あやべ)」
渡来人のなかでも有名な存在が秦(はた)氏と漢(あや)氏。秦氏は豊富な知識と技術で勢力を伸ばした。京都の本拠地は「太秦」の名で残る。「アヤ」の地名は漢氏の居住地にちなむ場所が多い。
●地名から豪族が名乗ったという説もある
 「葛城(かつらぎ)」「平群(へぐり)」「古瀬(こせ)」「蘇我(そが)」など
古代の豪族と同地名がある。姓氏ゆかりか、そもそも地名が先で姓氏があやかったとの説もある。代表的な例で蘇我(千葉・蘇我氏)、葛城(奈良・葛木氏)、平群(奈良・平群氏)などある。
●貴族の氏に由来する地名
 古代の4大貴族(源平藤橘)にゆかり
源氏、平氏、藤原氏、橘氏にゆかりがあるとされる地名を挙げると、足利(栃木)は清和源氏の流れをくむ足利氏の発祥地、佐野(栃木)の藤原氏は佐藤姓の源流という説もある。
●独自性の強い沖縄の方言地名
 豊見城(とみぐすく)、西表島(いりおもてじま)など
沖縄はご当地特有の言葉が地名に残る。石垣で囲った建物を「グスク」と呼び、それに「城」の字を当てたと伝わる。同様に太陽が西の海が入ることを意味する「イリ」は「西」に。
各地に伝説を残す坂上田村麻呂。平安時代初期の武将・坂上田村麻呂は蝦夷征討などで各地を転戦する。菊池容斎『前賢故実』より
■伝説にちなんだ地名は、史実による由来を知るよりも刺激的
 神話や古事、昔話、言い伝えなど、全国には有名無名を問わず、様々な伝説が残っている。それが地名に由来すると考えられているケースは少なくない。なかには荒唐無稽な物語もあるが、幻想的な展開がロマンチックであったり、手に汗握る英雄譚であったり…。史実に由来するものよりも刺激的で夢があって実に楽しい。
●山なのに「森」なのは?
例)安家森(あっかもり)[岩手]、瓶ヶ森(かめがもり)[愛知・高知]ほか
安家森や瓶ヶ森など、標高1000mを超える大きな山でも「森」という。そもそも森は神々が住むところとされており、山岳信仰から山そのものを森と呼んだと考えられている。山を森とする地名は東北や四国地方に多い。
●ヤマトタケル伝説由来
例)走水(はしりみず)(神奈川)、焼津(やいづ)(静岡)、木更津(きさらづ)(千葉)ほか
『古事記』や『日本書紀』に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)にまつわる地名は各地に存在する。走水は、日本武尊が浦賀水道を渡る際に、暴風に遭うと弟橘媛(おとたちばなひめ)が入水したという伝説による。その中の潮の流れが走っているように見えたという逸話から。焼津は野を焼いて賊を滅ぼしたという逸話から。木更津は「きみさらず伝説」にちなむ。
●色っぽい?「 女」がつく地名
例)女川(おながわ)[宮城]、美女平(びじょだいら)[富山]、十八女(さかり)[徳島]ほか
美女のつく地名は多く存在し、それぞれに美女伝説が残る。女川は、安部貞任が女子を戦いで隠した伝説があり、溝(うな)川から転訛した。美女平は女人禁制にまつわる伝説をもつ「美女杉」がある一帯の地名。
●最初は正反対の意味だった?
例)生野(いくの)[兵庫]、白馬岳(しろうまだけ)[長野]ほか
生野は昔、「死野」という地名。凶暴な神がいたという伝説によるものだが、のちに縁起が悪いと改名。白馬岳は、正式名称を「シロウマ岳」。田んぼを意味する「代」だったが、のちに白馬となる「白」が当てられた。
●本当は怖くない?「鬼」がつく地名
例)鬼首(おにこうべ)[宮城]、鬼怒川(きぬがわ)[栃木]、鬼無里(きなさ)[長野]、鬼無(きなし)[香川]ほか
字面が怖い地名は少なくない。鬼首は、坂上田村麻呂(さかのうえのた むらまろ)が蝦夷の首領の首を切り落とした地だという。鬼怒川は、毛野(けぬ)川の転訛と思われる。鬼無里は鬼を退治していなくなったという伝説により先人が名付けた。
[まだまだある 不思議な地名]
■江戸時代に流行った「雅称」とは?
例)富嶽→富士、茗渓(めいけい)→御茶ノ水、函嶺→箱根ほか
雅称とは、趣のある風雅な呼び方のこと。江戸時代から明治時代にかけて景勝地などの地名を雅称で呼ぶことが流行する。富士を富嶽、下関を馬関、箱根を函嶺などがある。
■内陸なのに魚のつく地名
例)鯵ヶ沢(あじがわさわ)[青森]、鮫川(さめがわ)[福島]、蛸(たこ)[福井]ほか
海のない内陸なのに海水魚の名称がつく地名がある。鯵ヶ沢や、鮫川、蛸などの例があるが、ほとんどは海水魚由来ではなく、本来の言葉の転訛や当て字とされる。
■転訛が多い動物のつく地名
例)磯鶏(そけい)[岩手]、鴨川(かもがわ)[千葉]、燕(つばめ)[新潟]ほか
磯鶏は「削ぎ」という地形由来と考えられる。鴨川は、古代の加茂臣一族が来住したことと伝えられる。燕はかつて信濃川の船着場を意味した「津波目」が転訛した説が残る。
(一個人増刊『47都道府県 地名の謎と歴史』より抜粋)
取材・文/内山賢一 写真/国立国会図書館
https://news.yahoo.co.jp/articles/15a5f5ea999d384df0b4e41e44998ba3a9238d61

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オーストラリア五輪代表は猛毒クラゲのチーム名で金メダルを目指す!?

2021-03-21 | 先住民族関連
サーフニュース 2021/03/20

PHOTO:© WSL / Ethan Smith/Surfing Australia
東京オリンピック開催まで残り4ヶ月。
各国代表の動きもそろそろ活発化する頃にCT再開が控えたオーストラリアで代表のチーム名とユニフォームが発表された。
その名は「The Irukandjis(イルカンジス)」
これはオーストラリアの北方海域に生息するハコクラゲの一種、イルカンジにちなんで名付けられたもの。
イルカンジは体長2cmほどの極小ながら殺人クラゲと呼ばれるほどの猛毒を持っていることで恐れられている。
また、イルカンジはケアンズとポートダグラスの間に位置するクイーンズランド州の海岸沿いの先住民にちなんだ名前で、元CT選手で自身もヤエグル族という先住民の一員であるソリ・ベイリーがこのチーム名をつけるにあたり、重要な役目を担ったそうだ。
新デザインのユニフォームも先住民のアーティストであるジャスミン・クラシアン氏と共同で開発。
彼女は祖先であるバーキンジ族からインスピレーションを得たと話している。
ユニフォームのラインは水の中の流動的な動きを表現しており、海中から見た時の光をイメージしている。
「オーストラリアの先住民族の文化を取り入れた素晴らしいチーム名を見つけたいと思っていたの。イルカンジスは、東京オリンピックでライバルたちと 水の中の死闘 を繰り広げようとしている私たちのチームにぴったりだわ」
ステファニー・ギルモア
「私たちの名前とアイデンティティは強力な力を持っている。サーフィンが初めてオリンピックに参加し、世界的に素晴らしい人気を博している今、オーストラリアチームに皆が支持できるアイデンティティを与える時が来たわ」
レイン・ビーチェリー
なお、「The Irukandjis(イルカンジス)」は日本の「波乗りジャパン」のようにISAや他の国際大会、ロングボード、SUP、ビッグウェーブのイベントなどにも使用される。
記者会見にはステファニー・ギルモア、サリー・フィッツギボンズ、ジュリアン・ウィルソンと3名のサーフィンオリンピック代表の他、2014年のロングボードワールドチャンピオン、ハーレー・イングルビー、パラサーファーのマシュー・フォームストン、SUPの4xワールドチャンピオン、シャキーラ・ウェストドロップも参加していた。(空海)
https://www.surfnews.jp/news_topics/news/41500/

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米先住民で初の閣僚となったハーランド氏 連邦議員も先住民女性で初だった、その歴史的出来事の背景

2021-03-21 | 先住民族関連
ニッケイスタイル 3/20(土) 10:28

国道66号線に立つデブ・ハーランド氏。選挙事務所のあるニューメキシコ州アルバカーキ、ノブヒル地区で2018年に撮影。ハーランド氏は約65人の先住民女性とともに、2018年の中間選挙に出馬。連邦議会初の先住民女性議員の一人となった
 先日、バイデン政権の内務長官に、下院議員のデブ・ハーランド氏が就任した。米国で初の先住民の閣僚だ。
 実は彼女は、2018年に先住民女性で初の連邦議員となった人物でもある。当選直後に取り上げた当時のナショジオの記事から、彼女の人となりと、内務長官として期待される背景に迫ってみよう。
 2018年の米中間選挙で起きた歴史的な出来事の一つは、連邦議会で初めて先住民女性議員が誕生したことだ。
 元ニューメキシコ州民主党会長でラグナ・プエブロ族のデブ・ハーランド氏が下院に当選したほか、カンザス州でもホーチャンク族の弁護士シャリス・デービッズ氏が共和党のケビン・ヨーダー議員を破り、下院に当選した。
 ネイティブアメリカンの人々についてのニュースを扱うオンラインニュースサイト「Indian Country Today」の編集者マーク・トラハント氏は、2人の勝利が歴史に与える影響について、どれだけ大げさな言葉を並べても言い足りないと話す。1789年以降に誕生した連邦議員約1万2000人のうち、先住民の血を引く議員は300人ほどだが、その中に女性は一人も含まれていなかった。
「国民の代表たちの議論の中に、アメリカ先住民がいなくてはなりません。その重要性を、先住民のコミュニティーは理解するでしょう」
■怒りが女性の台頭を後押し
 2018年の中間選挙は女性たちにとっても歴史的な選挙となった。下院選挙では、新人31人、現職65人、合計で96人の女性議員が生まれた。ミシガン州とミネソタ州では、史上初のムスリム女性議員が誕生した。民主党のラシダ・タリーブ氏、民主農民労働党のイルハン・オマル氏だ。
 こうした劇的な選挙結果の背景には、セクシャルハラスメント問題や女性の声を抑え込んできた権力構造について、全米が再考を迫られているということがある。「#MeToo」運動から、性的暴行疑惑が浮かび上がった連邦最高裁判事ブレット・カバノー氏の公聴会まで、怒りが政界における女性の台頭を後押しした。
 カンザス州から下院議員になるデービッズ氏は弁護士であるだけでなく、同性愛者であること、格闘家であることを公言している。今回の選挙では、LGBTQ(性的少数者)の候補者も複数当選した。
 ハーランド氏とデービッズ氏の勝利は先住民にとって、政治への完全参加を勝ち取るまでの長い道のりの象徴でもある。米国政府がすべての先住民に市民権を与えたのは1924年。ハーランド氏の地元であるニューメキシコ州が先住民に選挙権を認めたのは1962年で、50州のうち最後だった。
■パイプライン建設への抗議で先住民の政治活動が活発化
 先住民の政治活動に火がついたきっかけは、2016年に始まったダコタ・アクセス・パイプラインへの抗議行動だと考えられている。
 トラハント氏は言う。「スタンディングロック先住民居留地での抗議行動は一つの節目でした。パイプラインの設置を阻止できるかどうかにかかわらず、新たな力によって、より大きな何かができると気づいた瞬間です」。選挙前、先住民の連邦議員は2人しかいなかった。チカソー族のトム・コール氏とチェロキー族のマークウェイン・マリン氏で、いずれもオクラホマ州の共和党議員だ。今回の選挙では、2人に続こうと、数十人の先住民が立候補した。
 ハーランド氏とデービッズ氏は職業軍人の家庭に育った。先住民のコミュニティーに深く根差している伝統の一つだ。先住民は米国が関わったすべての戦争を戦ってきた。軍人という職業を選択する人も非常に多い。
 デービッズ氏は退役軍人のシングルマザーに育てられた。ハーランド氏の父親(先住民ではない)は海兵隊員で、銀星章を授与され、アーリントン国立墓地に埋葬されている。ハーランド氏自身は35代目のニューメキシコ州民を自称し、母親と祖母から不屈の精神を受け継いだと話す。
「祖母はバケツいっぱいの灯油とブラシで、列車のディーゼルエンジンの汚れを落としていました。母は25年間、連邦政府の職員として、先住民の教育に携わりました。私は2人から勤労意欲を受け継ぎました」
 先住民はアフリカ系米国人と同様、人頭税や読み書きテストといった有権者抑圧戦略の対象とされてきた。例えば、2018年10月には、ノースダコタ州のスピリットレイク族が有権者身元証明法に関する訴えを起こしている。訴えによれば、この法律が原因で、居留地の住民たちは選挙権を奪われているという。
 それでもトラハント氏らは、ハーランド氏とデービッズ氏が連邦議員になることで、先住民たちの心に強い印象を刻んだと確信している。
「ラグナ・プエブロ居留地に暮らす女の子が『大きくなったら大統領になりたい』と言えるようになったのです。これまではあり得ないことでした。2人のような女性を見たことがなかったためです。これはどのような選挙より重要なことだと思います」
文 RACHEL JONES、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a8cf0dadd4d13abca4166540d54a5733e011ae9

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きょうの潮流

2021-03-21 | アイヌ民族関連
赤旗 2021年3月20日(土)
 スタンドの中央にできた滝。流れ落ちる水に覆われた床に、ひとりの女性が円を描くように灯(とも)した火。彼女を囲んだ炎の輪は滝を登って、聖火台へ―▼記憶に鮮やかな幻想的な光景。2000年、シドニー五輪の開会式です。最終の聖火走者は先住民族アボリジニの陸上選手でした。入場行進では南北朝鮮の統一旗が翻り、日本選手団は虹色のマントで登場。世紀の節目の五輪は民族融和と多様性を発信しました▼世界平和や共生、五輪やスポーツの発展、開催国の歴史や文化。華美な演出を批判されながら、時に人類の進歩と重なるメッセージを呼びかけてきた開会式。それは大会を象徴するかたちにも▼東京五輪の式典を統括する人物が資格を欠いていたことがわかりました。出演予定だった女性タレントを豚に見立て、「オリンピッグ」として演出しようと提案していたのです。他のメンバーから批判され撤回したといいますが、容姿をやゆする企画を平気で出すこと自体、人権感覚が疑われます▼いまや国外でも活躍する、このタレントは「私自身はこの体形で幸せです」とコメント。そして「個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれること」を心から願っていると▼女性蔑視の森発言につづき、古びた価値観にまみれた人たちが招く失態。ふり返れば、未来を描くどころか、時代に逆行する問題ばかりが取りざたされてきました。そのうえコロナ禍での強行。このまま五輪史に汚点を残す大会を開催するつもりなのか。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2021-03-20/2021032001_06_0.html

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プーチン氏「バイデン氏の健康願う」 「人殺し」発言受け皮肉か

2021-03-21 | 先住民族関連
毎日新聞 2021/03/19 10:01
 ロシアのプーチン大統領は18日、バイデン米大統領が「プーチン氏を人殺しと思うか」との米メディアの質問に「そう思う」と肯定したことについて、「お大事に。彼の健康を願う。これは皮肉でも冗談でもない」と述べた。タス通信が報じた。ロシア国内ではバイデン氏の発言に対し「認知症」などと判断能力を疑問視する声が出ている。
 プーチン氏は「人は他人や他国を評価する際、鏡に映った自分を見ている」とも述べ、バイデン氏にも「人殺し」の評価が当てはまると示唆。米国による広島、長崎への原爆投下や米大陸の先住民族への迫害などにも言及した。ロシアによる編入から18日で7年となったウクライナ南部クリミア半島の住民とのオンライン会合で発言した。
 一方で別のイベント後にはオンラインでの生中継を条件にバイデン氏に公開討論を提案。「この問題をたなざらしにしたくない。明日にでも可能だ」と早期の開催を呼びかけ、「我々は関係を続けないといけない」とも話した。
 バイデン氏の前任者、トランプ前大統領も2017年2月にテレビ番組で「プーチン氏は殺人者ではないか」と問われると「殺人者はたくさんいる。我々も殺人者だ」と返答。プーチン氏について「彼を本当に尊敬している」とも発言し、今回のバイデン氏とは全く逆に近い対応をしていた。【モスクワ前谷宏】
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20210319k0000m030044000c.html

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船が運んだ入植者たちの夢 利尻島(北海道利尻町、利尻富士町)

2021-03-21 | アイヌ民族関連
産経新聞 3/20(土) 12:00
 【島を歩く 日本を見る】
 真冬に、日本最北端の稚内(わっかない)市から船で約1時間40分かけて利尻(りしり)島へ向かった。日本の有人国境離島の一つだ。「利尻富士」の愛称で親しまれる標高1721メートルの利尻山が島の中央にそびえ、一面白銀の世界は神秘的に映った。
 利尻山は、かつて先住民であるアイヌの信仰対象でもあった。島の語源はアイヌ語の「リイシリ」。「リイ」は高い、「シリ」が島という意味で、“高い山の島”を指す。
 島の基幹産業は漁業だ。とくに「利尻昆布」は高級品として名高く、京都をはじめとする全国の料亭などで重宝されている。島の特産品であるエゾバフンウニやキタムラサキウニも人気があり、毎年夏に開催される「北海島まつり」や「うにうにフェスティバル」では大勢の観光客が足を運ぶ(昨年は新型コロナウイルス禍により中止)。
 利尻島は、17世紀半ば頃から松前藩などによって本格的に開拓が始まった。ニシンや昆布、アワビなどの海産物が豊富に獲(と)れることで、幕末から明治にかけては、東北地方や日本海沿岸地域から多くの人が漁場を求めて利尻島に入植した。
 江戸時代の商人、河村瑞賢(ずいけん)が見いだした日本海西回り航路を往来していた北前船(きたまえぶね)は、大量のニシンを小樽や松前へ運んだ。その後、本州各地へと送られたニシンは食料としてだけでなく、畑の肥料にする「〆粕(しめかす)」にも利用され、日本の農業も支えていた。 
 徳川家康からアイヌ民族との独占交易権を認められていた松前藩は、「運上金」の納入を条件に、商人に交易権を委託して漁場の経営を請け負わせた。アイヌ民族の人たちは、漁場の働き手として厳しい労働に従事させられていたという。
 明治末期から昭和30年頃まで、ニシン漁で島の景気は隆盛を極めたが、ニシンが不漁となってからは、利尻昆布やウニなどが島の漁業を支えるようになり、現在に至る。
 入植者たちの故郷の伝統や行事、信仰、方言などは、今も島の集落に根付いている。例えば鬼脇(おにわき)地区の「南浜獅子神楽(みなみはまししかぐら)」。富山の越中衆によって越中獅子舞が持ち込まれたもので、町の無形民俗文化財にも指定されている。
 かくも厳しい自然の中に切り開かれた集落や漁場、神社などを歩くと、入植者たちの果てない夢が南北の海道を渡り、幾つもの年を重ねて稀有(けう)な島を形作っていったのだと感じる。
 ■アクセス 稚内港からフェリーで向かう航路のほか、新千歳空港や札幌丘珠(おかだま)空港からの空路もある。
 ■プロフィル こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。1年後に帰国して、『恋する旅女、世界をゆく-29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマに執筆およびフォトグラファーとして活動している。これまで世界60カ国、日本の離島は100島をめぐった。令和元年、日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。新著は『今こそもっと自由に、気軽に行きたい! 海外テーマ旅』(幻冬舎)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/48e922936562331bff1000c53efcab885ee48cfc

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トランスジェンダーとノンバイナリーのコミュニティが「安心してヨガをする」ために必要な環境とは

2021-03-21 | 先住民族関連
ヨガジャーナルアメリカ版 3/19(金) 22:50
Courageous Yogaの創設者であるジョーダン・スマイリーさんは、トランスジェンダーとノンバイナリー(自身の性認識を男女の枠組みに当てはめないセクシャリティ)のコミュニティがヨガを実践する上での安全で包括的な環境作りというミッションについて語ってくれました。
私は世間でよく知られるヨガのチェーン店のデスクにもう何年も座り、生徒たちがドアへと駆け込む様子を見てきました。彼らはキャンバス生地のバッグを急いで受付に置き、鍵をジャラジャラ鳴らしながら、私に名前を伝え、まるでプールパーティーに急ぐ若者のようにクラスにダッシュするのです。
新しく入会した人たちに水飲み場やスタジオの場所を教えたり、それぞれのロッカールーム、男性用・女性用を案内したりするのが私の役目でした。トランスジェンダーの一人、また長年のヨガ経験を持つ生徒またティーチャーとして、誰かが性別分けするたびに胃がおかしくなりそうでした。そこで、ノンバイナリーの生徒の一人であるメルにこの経験について聞いてみたところ、「誤解されているようで恥ずかしく感じました。大人だから、自分で正しいロッカールームを見つけられる」と述べました。
現代ヨガにおける2つの性別の存在というのは、植民地時代のアメリカの家父長制の社会規範と白人社会に基づいています。現在、北米として知られているエリアに暮らす500以上の先住民族の人々は、性別の表現は各伝統によって大きく異なりました。アフリカから北米へと強制的に移動させられ、奴隷として働かされた人々も同様です。マリア・ルゴネスやグロリア・アンザルドゥアなどの脱植民地化を目指すフェミニストは、2つの性別の明示や暗黙化は、先住民の慣習(例えば、女系家系、受胎能力のアファメーション、ノンバイナリーのジェンダー表現)を抑制し、白人、シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人)、そして男性に主権を与え、その結果は今日、私たちのヨガスペースでも見ることができると述べています。
ヨガスタジオにおけるジェンダー、また公平で包括的なヨガの実践スペースを作ることに関して言えば、私たちの発する言葉や行動が、害またはアヒンサー(サンスクリット語で非暴力を意味する)をもたらす可能性を秘めています。そして私たちが歩む人生の道、また仲間のヨガプラクティショナが切り開く道もそれぞれの選択によるものです。
このような理由から私はこの7月、コロラド州デンバーにCourageous Yogaをオープンしました。私たちは、ヨガを開放の実践であると信じ、アンヒサー(反抑圧のワーク)を必須条件として中心に据えています。トランスジェンダーとノンバイナリコミュニティをサポートする一般的な方法の一つとしては、ティーチャーたちが人称代名詞を言語化することです。コミュニティメンバーに対してそれぞれの人称代名詞を聞くようにし、“彼”とか“彼女”の使用を当然と思わずに「彼ら」を使うことを標準化します。また、全ジェンダー用トイレを提供し、肌に触れる前に同意を確認し、教室では「友達」や「みんな」など性別を強いることのない包括的な言葉を使用します。私たちはジェンダーについて考えるよう定義づけられてきた結果が言葉に現れます。それ故、我々のスタッフはアンチ・オプレッション(反抑圧)トレーニングを受けます。そのトレーニングによって、ヨガスペース内で不注意や無意識のうちに人を傷つけるような社会的によくある状況を避けることができます。
環境とビジネスモデルへのもっと適応できれば、トランスジェンダーとノンバイナリーの人々の安全と帰属を生み出す手助けとなります。例えば、スタジオオーナーは、スタジオ内の装飾やパンフレットにジェンダーがどう表現されているか、スタッフ(フロントデスクから清掃係、ティーチャーに至るまで)はどうか、またパートナーシップを結んでいる組織やサードパーティー企業においてはどうか、などを把握する必要があります。物理的な構成要素(私たちの目に見える空間的要素)を変えることも重要ですが、その場しのぎに表面を繕うのではなく、スタッフたちに自分たちの信念を改めて見つめ直させ、改めるべき点は改めさせ、ジェンダーへの理解を永続的に意識できるよう指導を行なっていくことです。
トランスジェンダーとノンバイナリーの生徒、そしてスタッフを本当の意味で包括的にするためには、問題の根源である:私たちの視点の基本となっている構造的な現実について考える必要があります。例えば、ジェンダーの二元制というのは、男性か女性かを問うロッカールームや学生登録書や男女別に販売されるアイテムからも明らかです。また、男女の分類は言葉からも明らかです。例えば、女性のグループを「レディース」と呼びかけて挨拶したり、上半身トレーニングの前に部屋にいる男性に「ガイズ」と呼びかけたりします。以前、ティーチャーが性別に合うような色で筋力トレーニング用ツールを配っているのを見たこともあります。
結局のところ、ジェンダーの二元性が存在することで、見た目によるアイデンティティから性別予想の標準化ができる方がうまく機能するからです。しかしながら、虐げられているグループがしばしばその犠牲となっています。メルは私に次のように述べました。「数々のヨガスタジオで、自分はまるでそこに存在せず、排除されているかのように感じたり、さらには自分を恥ずべきとさえ感じたりしてきた。こういった場も一部の人にとってはヒーリングスペースだろうけれど、私のアイデンティティの場合、たいてい皆が共有できるはずの安心感からは除外されている」。
どんなに私たちが認識しようとしても、こういった暗黙の規範によって、私たちの可能性や元来持つ自然な姿、体の非二元性、先天的な知恵が見えにくくなってしまいます。もし包括的なヨガとヒーリングスペースを作りたいと考えるのであれば、決して簡単なことではないけれど、ジェンダーの二元制とそれに由来する家父長制の規範を支持または疑問視する方法を見直す必要があります。
幸いにも私たちには、挑戦しながらも巧みに動き、アヒンサーを体現する実践方法がありますから。
教えてくれたのはジョーダン・スマイリーさん
ERYT-500保有のヨガティーチャー、またCourageous Yogaのクリエイティブ・ディレクター、学生でもある。ヨガが個人的・対人的・集団的解放のための強力なツールであることをよく理解し、哲学、瞑想、アーサナを指導している。
ヨガジャーナルアメリカ版/「Let’s Create Safe Spaces for Transgender and Nonbinary Yogis」より翻訳
Translated by Hanae Yamaguchi
https://news.yahoo.co.jp/articles/8883c98b0769effa6a4ae79111b4a24a70e08763

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日本人公務員がチャレンジした台湾自転車一周「環島」――震災支援の感謝を込めて

2021-03-21 | 先住民族関連
ニッポンコム 3/19(金) 14:06
群馬県みなかみ町から台湾の台南市に派遣されている阿部真行さんは、同町の台湾インバウンドを5年で10倍超に急拡大させた凄腕(すごうで)だ。ところが、2020年は新型コロナウイルスの流行で仕事は思うように進めることができなかった。そんな苦しい1年の最後に、同じく台湾に派遣されている自治体職員たちがチームを組んで、自転車で台湾を一周する「環島」にチャレンジした。
震災支援の感謝と交流促進のために
私は人口わずか1万8000人の群馬県みなかみ町から、台南に派遣され、観光客誘致のインバウンド事業に取り組んできた。ところが、2020年はコロナ禍の影響で、国際移動が困難になり観光事業は壊滅状態。とはいえ、自治体派遣職員としては、何もしないわけにはいかない。オンライン講演会での情報発信や台南マンゴーの日本への輸出、群馬県かの日本酒の輸入など地道な物産交流を積み重ねた。もちろん私だけではない。全国各地から派遣されている自治体職員にとっては、やるべきことができない苦しい1年だった。
しかし、見方を変えれば、“世界同時鎖国” の時期に台湾にいられるというメリットもある。奇しくも、2021年は日本が台湾から多大な支援を受けた東日本大震災から10年目の節目に当たる。さらに、台湾観光局は「2021年自転車旅行年」としてサイクリング旅行を推進している。台湾では近年、およそ1000キロにわたる台湾の海岸線をぐるっと1周する環島の旅行スタイルがブームになっている。静岡県の宮崎悌三事務所長の呼び掛けで、台湾駐在の自治体職員で各地の地方政府を訪問し、震災支援への感謝を伝え、日台交流を推進する自転車台湾一周旅行を企画したのだ。
台湾人が生涯にチャレンジすべきことの1つ
参加したのは、静岡県、沖縄県、福岡県、愛媛県、三重県、岐阜県恵那市、茨城県笠間市、群馬県みなかみ町の5県2市1町計16人。仕事の都合で、1日だけ参加や中抜け参加の人もいたが、私を含めて4人が9日間891キロメートルの全行程を走破した。
(詳細行程や各地方政府との訪問等についてはFB『環島日記』参照)
ちなみに、「台湾人であれば生涯にチャレンジすべき3つのこと」と言われているのが、「玉山登山 : 標高3952mの台湾最高峰の山に登る」「日月潭を泳ぐ : 台湾中部の観光名所である湖を対岸へ3キロを泳いで渡る」「自転車環島」だ。
私は2019年に玉山に登頂し、今回、環島を達成したので、日月潭を泳げば台湾で「鉄人」と呼んでもらえることになる!
欠かせないサポート体制
『日台友情・共に走ろうサイクリング環島』スタートの朝、台北松山駅環島0km地点で集合し、ロードバイク乗車講習を受けた。私は、日常的に自転車移動しているので、当初は「自分の自転車で参加しよう」と気楽に考えていた。しかし、環島の途中でパンクや故障すると、修理に手間取り行程に支障をきたしてしまう。地方政府訪問などスケジュールを守らなければいけないので、結局、故障などの場合にサポートを受けられるレンタサイクルを利用した。実際、2日目にパンクを経験し、普段の生活での自転車利用と長距離走行では必要な装備も異なることを実感する場面が何度もあった。
走行の安全やペース配分のために、車列の前後にガイドとサポートカーを付けた。ひざを傷めて途中で車に乗ったメンバーもいたし、水分・栄養補給のためにもサポートカーの存在は大きかった。水分・栄養補給は日に何度かあったがバナナやチョコレートだけではなく、その都度各地の名産を準備してくれる運転手さんは本当にオアシスのような存在だった。
「加油!」に励まされる
日本台湾交流協会、苗栗県政府、桃園市政府、そして台南市政府。その他多くの公的機関訪問をしたが、予定の行程以外にもいくつも出会いがあったので一部紹介したい。
12月23日は私にとって最悪コンディションで、ホテル到着目前にパンクする不運に見舞われたところで、突然現れた日本の友人がいた。医師でありYouTuberの岡田一真さんだ。京都在住だが、偶然台湾に遊びに来ていたらしく、サプライズ応援のため彰化県のホテルに来てくれた。実に5年ぶりの再会となった。雨でビショビショ、パンクでトボトボしている様子を岡田さんがYouTubeにUPしてくれている。
高雄~屏東移動中に「マラソンで台湾一周」している男性や、台東~花蓮を輪行中に知り合い一緒に走行した台中の若者たちもいた。他にも、我々と同じようなグループで環島自ている人達、犬を連れて一周しているライダーなどさまざまな出会いがあった。
屏東から台東への行程中、雨宿りするためにお世話になった牡丹社に住む先住民族の皆さんは、集会のために準備していた伝統料理を突然やってきた我々に振舞ってくれた。自転車環島ならではの貴重な体験となった。
初日から最終日まで、どこに行っても「加油!(頑張って)」と声を掛けられた。道を歩いている人、同じく自転車で台湾一周している人、バイクや車の運転手等々、本当に毎日色々な人から声をかけてもらい、「環島」が台湾文化として根付いていることを実感した。
大雨で強風の中わざわざ窓を開けて「頑張って!」と日本語で応援してくれた女性や、マイクを使って「加油!加油!」と声を掛けてくれたタンクローリーのドライバーのことは、今思い出しても感激がよみがえる。
「完走したら生ビールで乾杯しましょう!」と台北で待っていてくれた友人、グループLINEを通じて励ましてくれた群馬県庁の皆さん……多くの人との出会いと応援に支えられた。
環島を終えての再発見!再認識!!
私は台南市に住んでおり、普段からごちゃごちゃしている巷子(裏通り)を歩くのが好きだ。台南市政府に出勤する際には自転車を使う。もっと遠くに行く際はバイクを使う。それぞれ移動スピードと見える景色が違うので、長所も短所もある。
今回の環島では改めて自転車移動の「ちょうどよさ」を実感した。
出会いのきっかけを求めるなら歩きの方がいいかもしれない。しかし、徒歩環島は時間がかかり過ぎて現実的ではない。バイクや車なら身体の負担も少ないが、人に話しかけられる機会は少ない。その中間である自転車は、移動と交流を両立できる「ちょうどいい」交通手段だと感じた。
今回は、9日間一気に走ったが、数回に分けて一周することも可能だと感じた。実際そうやって一周している人もいる。
「日本に帰国出来ない地方自治体職員」として実施した今回の交流事業では様々なヒントを得た。コロナ収束後にはできるだけ多くの人達に自転車環島をはじめとした日台交流を楽しんでもらうために新たな仕組みを考えていこうと思う。
1月末は台湾桃園市の病院でコロナ感染が発生し、台湾全土で緊急対策を講じている。我々が実施した12月末の環島は本当にタイミングに恵まれたと改めて実感している。コロナのために様々な交流イベントが中止・延期を余儀なくされているがそれでも日台交流を継続する方法はまだまだあるはずなので、新たな可能性を探っていこうと思う。
【Profile】
阿部 真行 ABE Masayuki
大東文化大学外国語学部卒。高校講師などを経て2005年からみなかみ町職員。2013年6月から台南市へ渡る。現地での役職は「台南市政府対日事務相談顧問」。日台双方の国家資格を取得し、インバウンドを主とした交流を推進中。現地大学で講師も務める。
https://news.yahoo.co.jp/articles/403355bf52760bb23e655893a2d79e4c65e36250

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カップに繊細アイヌ文様 カフェでラテアート 白老

2021-03-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/20 05:00

カフェ結が始めたアイヌ文様のラテアート
 【白老】町大町2のカフェ結が、カフェラテにアイヌ文様のラテアートを描くサービスを始めた。白老アイヌ協会のアドバイスを受けたデザインで、店主の田村尚華さん(46)は「多くの人にすてきなアイヌ文様を知ってほしい」と話している。
 アイヌ工芸品作家やアイヌ文様刺しゅうに詳しいアイヌ協会員の協力を得て、渦巻き模様の「モレウ」でハートを表現したものや、とげのある曲線の「アイウシ」を連ねたデザインを用意した。
 繊細な文様をきれいに表現するため、文様を切り抜いた型の上からクリームにココアパウダーを振りかけて描いている。田村さんは「町を訪れた人に白老らしさやアイヌ文化をPRをしたい」と話す。カフェラテ(490円)を注文した人に無料でサービスする。カフェ結は午前9時半~午後6時。木曜定休。(斎藤佑樹)
※「アイウシ」の「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/523527

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釧路地方のアイヌ語1冊に 自主学習団体「語彙集」発刊 伝承基に5千語掲載

2021-03-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/19 21:34 更新
 【釧路】釧路管内を中心に伝わるアイヌ語の方言などをまとめた「釧路地方のアイヌ語語彙(ごい)集」が発刊された。釧路市のアイヌ語自主学習団体「釧路アイヌ語の会」が編集を担当。アイヌ民族の古老ら7人の話者が残した伝承などを基に、道内の他地域と異なる釧路地方独特の表現など約5千語を掲載している。(熊谷知喜)
 同会はこれまで、釧路地方のアイヌ文化伝承者である故山本多助さん、故八重九郎さん、故四宅ヤエさんの書籍などに掲載された単語をまとめ、冊子などで発行しており、これらを今回、新たに書籍化した。
 文法的な検討や発音ができるよう見出し語はローマ字表記としたほか、訳や用例を掲載。同会によると、アイヌ語で起き上がるなどを意味する「hopuni」は、釧路地方では「h」を抜いて「opuni」と発音するが、「語彙集」ではこうした釧路ならではの特徴も確認できる。合沢寛会長(80)は「他の地域の方言と比較もできる内容。釧路地方のアイヌ語を次世代に継承したい」と話している。
 釧路市の印刷会社「藤田印刷」が今年2月に発刊。A5判212ページ、1800円(税別)。全国書店で販売。問い合わせは同社(電)0154・22・4165へ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/523502

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日テレ番組のアイヌ民族差別発言で共同声明 知事とアイヌ協会理事長「強く抗議する」

2021-03-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/19 19:57 更新
 日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」でアイヌ民族への差別表現があった問題で、鈴木直道知事と北海道アイヌ協会の大川勝理事長は19日、「極めて遺憾で、強く抗議する」とする共同メッセージを出した。
 メッセージは「アイヌの人たちが苦難を乗り越え歩んできた歴史や、心血を注ぎ受け継いできた独自の文化などに思いを寄せて、正しい理解を深めることが不可欠だ」とし、再発防止を求めた。(西依一憲)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/523457

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「アイヌへ正しい理解深めて」番組での"不適切表現"に北海道・協会共同メッセージ

2021-03-20 | アイヌ民族関連
UHB 2021年3月19日 金曜 午後8:25
 3月12日にテレビ放送された情報番組の中で、アイヌ民族を傷つける不適切な表現があったことを受け、北海道と北海道アイヌ協会は3月19日、共同メッセージをホームページに掲載し、アイヌの理解促進を呼びかけました。
 12日に全国放送された情報番組の中で、アイヌの女性をテーマにしたドキュメンタリー作品を紹介したあと、アイヌに対する差別的な表現があったとして、番組はその後、謝罪をしました。
 これを受けて北海道と北海道アイヌ協会は19日、マスメディアを始め、道民などに対して広くアイヌの歴史や文化について正しく理解してもらおうと共同のメッセージを発出しました。
 メッセージでは、「現在も、いわれのない偏見や差別、心ない誹謗中傷やいじめなどにより、心を痛め、傷つき、悲しんでいます。(中略)このようなことが二度と起こることがないよう、公共性を重んじ基本的人権を尊重することが求められるメディア関係者の皆様はもとより、道民や全国の皆様におかれましても、苦難を乗り越え歩んできたこれまでの歴史や、心血を注ぎ受け継いできた独自の文化などについて思いを寄せて、正しい理解を深めていただくことが不可欠です」などと理解を求めています。
 このメッセージは北海道のホームページに掲載されています。
https://www.fnn.jp/articles/-/158245

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