4月中旬、学生時代のマンドリンクラブの練習で長野県・千曲市で行われた。
この時に、今話題の真田一族の縁の地と棚田を巡った。その報告です。
ここは小諸市・丁の「懐古園(小諸城跡)」です。
ここ小諸城は、その最大の局地戦ともいえる真田氏と徳川軍の対決・第二次上田合戦の舞台です。
関ヶ原の合戦に向かう徳川本隊3万8千の大軍勢(大将:徳川秀忠)は、
西軍・石田三成方についた上田城真田氏(父・昌幸、弟・信繁率いる7千の軍)仕置きのため、
小諸城に名立たる武将を引き連れ入城、本陣を置きます。
しかし結果は、真田氏の知略により徳川軍は敗走に追いやられ、
関ヶ原の合戦に徳川本隊軍が遅参するという大失態を犯してしまいます。
これは徳川秀忠の初陣でしたが、一方で真田一族を盛り立てることとなりました。
これは徳川秀忠の初陣でしたが、一方で真田一族を盛り立てることとなりました。
現在では当時築かれた天守台に「野面石積(のづらいしづみ)」の石垣だけが残っています。
小諸八重紅枝垂やソメイヨシノの桜が咲き誇っていました。
小諸城址 懐古園 桜まつり期間中でした。
千曲川です。
小諸城は西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されていました。
『千曲川旅情の歌』(島崎藤村)を口ずさみました。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなししろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛(歌哀し)千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ濁(にご)り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む